第12話 疑心
荒野に反射する陽は真っ白な昼光。廃棄市街へと繋がる洞窟の口は目が痛くなる程の陽射しによって、先の見えぬ影を作り出していた。
目も眩む陽光が魔物の体表に反射して煌めく。生き物らしからぬ金属質の長い体。一見曲がりそうにない身体は節目で繋がっており、硬質な体表に反して滑らかに動いてみせた。
「ソウキ後ろ!」
「っぶね!」
魔物の頭と対峙していたはずのソウキの背後に尾が迫る。直前に発されたスイコの声に反応してすんでの所で打ち払えば、金属同士のぶつかる硬質な音が響いた。
無理に体重を乗せ替えた軸足と背中が軋む。それだけ魔物の膂力は大きかった。これ以上畳みかけるのは無理だと判断したソウキは後方へ下がる。
見上げた先にそびえるは巨大な百足の魔物。両腕で抱えてもなお余りあるほど胴は太い。もたげられた頭は大人が四、五人肩車してようやく届くかというところだ。なんとか届いたとしても、その頭には岩を一撃で二分するほどの強靱な顎が、そして逆端の尾には良く研がれた槍のような二本の肢が備えられている。
素早く仕留めるには頭を狙うのが確実だが、攻撃を仕掛けて来るとき以外はああして頭は高く持ち上げてしまっていて届かない。その硬度は鋼鉄にも匹敵すると言われ、こちらに向かってきた瞬間に一回二回剣で叩いたところで有効打にはならなかった。
頭を集中して狙うには長い胴体を刻んでその頭を下げさせる必要がある。剣による攻撃を通すには節の繋ぎ目を狙わなければならないが、切り離された方まで動き始めるという無茶苦茶な生命力を誇っていた。
「くっそ! だるま落としかよ!」
文句を言いながらソウキは再び両手で剣を握り直し継ぎ目に振り下ろす。続け様に二撃。細い隙間を狙って斬るコツはついこの間教わったばかりだ。胴体の真ん中を抜くようにして切り離された塊を蹴り飛ばした。
「スイコ頼む!」
「任せなさい!」
切り離された塊は、あっと言う間に小さな頭を形成し跳ね回り始める。鎧大百足本体とは異なり俊敏な動きを見せる塊はソウキを背後から狙おうと飛びかかったが、暴風に阻まれる。砂埃が晴れたその瞬間、現れるスイコの姿。跳ね回る塊は串刺しになり、ただの肉塊に成り果てた。
ソウキが鎧大百足本体に対峙し、これを切り崩す。切り離された残骸共をスイコが着実に殲滅する。それの繰り返しだった。
動き続けてどれほどになるか。幾度となく再現してきた動きにスイコはすっかり息が上がっていた。自前の魔力による強化術も限界に近い。ひらめく外套は避けきれなかった攻撃によって切れ目が入り始めている。
本来ならば訓練された衛士が十人がかりで対応するような大きな個体だ。ソウキも動きが少しずつ動きがぎこちなくなってきている。
踏ん張りの利かない膝に活を入れる。もう一撃。
魔物が首を振り上げて出来た隙を狙ってソウキは剣を振り下ろした。が、ガキリと刃が鈍く音を立てる。
ソウキは眉根に皺を寄せて舌打ちをする。
時間をかけすぎた。
節の繋ぎ目を狙われていると気付いた鎧大百足の抵抗。肉に突き立てた剣はいくら引き抜こうと力を込めても動かない。硬質の体表で万力のごとく挟み込まれていた。狙い澄ましたように飛んでくる尾の槍。
「このっ!」
スイコの放った魔鉱石が尾に当たると同時に小さな爆煙が発生する。中に仕込まれていた式術の効果だ。軌道の逸れた槍はソウキの足元すれすれの所に突き刺さった。
驚いた大百足が身を捩ったことで、ミシミシと嫌な音を立てていた剣がとうとう根元から折れる。
「っ!」
掛かる力の向きが急に変わったことでソウキは硬い地面に叩き付けられた。晒された無防備な腹を裂こうと大百足の顎が迫る。凶悪な牙が突き刺さる直前、ソウキは脚を振り上げ、迫る顎の下をくぐるように転がり難を逃れた。
直ぐさま立ち上がり、半分になってしまった剣を構える。荒れようとする息を整えて深く吸い込んだ。ソウキの周辺の空気が揺らぐ。
「スイコ、時間稼ぎ頼む!」
「いいけど、あんまり保たないわよ」
追い込まれた状況で何をしようとしているかスイコは察していた。何故なのか聞き返しもせず、スイコは足元の石を拾い上げて鎧大百足の顔面目がけていくつも放った。
よく響く金属の甲高い音。鎧大百足は鋭い目を光らせてスイコを追い始めた。離れ過ぎない程度に斬撃を繰り返しつつ、近づき過ぎれば式術の刻まれた魔鉱石をぶつける。
手慣れた様子で魔物の気を引くスイコだが、既に体力は消耗していた。魔物の攻撃は全てギリギリの所を掠めていく。
ソウキは折れた剣を天高く掲げた。ソウキを中心として空気の密度が上がる。足元の土は圧によってひび割れ、砕けた小石は重力に逆らって宙を漂う。剣の周りに少しずつ生まれる光の帯。それは無くなったはずの剣先を形作るに留まらず、身丈の五倍はあろうかという幻想の剣を生み出した。
紛い物の魔素では届かない域を軽々と飛び越す魔術が瞬きの合間に顕現していた。
誰もが目を張る光景。その景色に一番驚いていたのはソウキだった。術の完成までが今までとは比べものにならない程早い。そしてデカい。
遙か遠い彼方から■■■を引っ張り上げ、それを集めて形にするにはもっと時間がかかるはずだった。だがこの状況下、訳はわからなくとも都合は良い。
術の完成を見極めたスイコが鎧大百足から逃げる軌道を変えた。ソウキの待ち構える洞窟前へと突っ込むように加速するスイコ。接触する直前、横に逸れる。
スイコの動きに付いて行けなかった鎧大百足の頭上に巨大な剣が落ちる。
「とっととくたばりやがれ!」
己の装甲に自信があるのか、はたまた逃げるという知恵が働かなかったのか、百足は剣に向かって閉じた顎を突き出した。硬い身体の中で最も硬さを誇る部位だ。
だが相対するのは切断そのもの。バターに熱したナイフを入れるように鎧大百足の体は縦に二分割される。純粋な硬度が如何ほどであろうが関係はなかった。
輝く剣は完全に振り下ろされた。
「あれっ」
ソウキの口から不穏な一言が漏れる。
ぎょっとしてスイコが振り向いた瞬間、足元を支えていた地面が消えた。慣性のままに叩き付けられた特大の剣は直下の大地までも切り裂いていた。
「あんた何してんのよー!」
「わざとじゃねえー!」
鳴り響く轟音の中、盛大に落下しながら二人は叫ぶ。足元に開いた大穴は鎧大百足諸共二人の身体を呑み込んでしまった。
「ちょっお!? どこまで落ちんだこれ!?」
崖下程度まで落下する程度の事は想定していたが、それ以上に落ちていく時間が長い。
「ねえ、なにか音が──きゃあっ!」
不意に落下が止まった。落ちていた時間にしては衝撃が小さい。ぐんにゃりとした緩衝材が二人の身を包んだお陰だった。
思わぬ幸運に息をついたソウキは足元を確かめる。べたつくような感触があった。薄明かりの中で目を凝らすと、身体は先ほど真っ二つに割った魔物の肉に包まれていた。ねとついていたのはどうやら黄色っぽい体液のせいなようだ。
「うげ……」
「助かった。けど……素直には喜べないわね……」
ねとつく緩衝材──もとい鎧大百足の上から慎重に降りてソウキは周囲を見渡す。
地下空間にはいくつも穴が開いていた。不規則に開いたその穴は人が何人か並んで通れるようなものから、一人がぎりぎり通れる程度のものまで様々だ。自分たちの戦っていた位置からすると、地下にあるという廃棄市街の可能性が高い。
「随分落ちてきたな」
「さすがにアレを登るのは難しそうね」
上を見上げるとまだ細かな砂利が落ちてくる。目を凝らしてみれば何層も突き抜けて来たようだった。重い鎧大百足が落ちたことで穴が開いたのだろう。ようやく勢いが落ち着いたのがこの場所だったらしい。
スイコの言う通り登るのは絶望的だ。大百足が落ちる程大きいはずの穴が掌程度に小さくなっている。
想定外の方法でだが、目的の地に着いてしまった。戻るのが難しいのならこのまま進んでしまうべきかどうか。
ソウキは頭を下げて腕を組んだ。
「ねえソウキ、下からなにか聞こえない?」
「上じゃなくて?」
スイコに言われてソウキは音に意識を集中させたが、何も聞こえない。微かに、地表近くで鎧の擦れる金属音がするくらいか。
とんでもない音がしたから、たまたま居合わせた衛士達が慌てふためいているんだろう。
「小さい子が泣いてる、みたいな」
「お前、何おっかねえこと……いや、あり得るな」
一瞬、幽霊的なものかと背筋が寒くなったが思い直す。そもそも攫われた人たちがいるかもしれないと思ってここに来ているのだ。子供の声がしてもおかしくはない。
「ちょっとばかし探してみるか」
「右の方……かしらね」
スイコはゆっくりと行く道を探りながら足を踏み出した。ソウキはその後ろをできるだけ音を立てないようにして付いていく。
麦穂色の髪の間で良く動く大きな耳。見慣れているはずの光景なのにどこか違和感があった。何故だろうかとソウキは首を捻る。答えが出るのは早かった。
「なんか、スイコがそうやって耳動かしてんのって新鮮だな」
「ちょっと。あんまりじろじろ見ないでよね」
薄明かりの中でも頬が赤くなっているのがわかる。口を尖らせて両手で耳を押さえるスイコ。
「そんな恥ずかしいもんなのか? アルーフなんてしょっちゅう動いてるだろ」
「恥ずかしいに決まってるでしょ! 子供じゃないんだから耳を動かすなんて滅多にしないもの。……今みたいに事情があるときは例外よ、例外」
「つまりアルーフはお恥ずかしい奴だと」
「そりゃそうよ。あんなバカみたいに動かしてたら何考えてるか筒抜けじゃない」
言われてみればそうだ。
だが思い出してにやつくソウキとは反対に、スイコの顔には陰りが生まれていた。
「わたし達がついてなくて、クロは大丈夫かしら……」
「まあ、二人とも清々しいくらいポンコツだけどさ、案外アルーフも小器用だったりするし、意外と大丈夫なんじゃねえかな?」
「だからそのアルーフが不安なのよ」
尖った声色からして、クロと同じようにアルーフのことも心配しているというわけではなさそうだ。
「アルーフを疑ってるってわけだ」
「逆にあんたは怪しいとは思ってないわけ?」
「いや怪しいとは思ってるけどさ。遭った時だって怪しいから馬車に乗せたわけだし」
長く続いていた狭い
細かいことを考えなければ、ネジの抜けたお人好しという印象だった。大人も子供も関係なくこき使われ、得意でもない剣技を教えに来るような。
「歳も素性もわからなくて、魔族っぽく見えないけど魔術を扱って、何のために聖剣を欲しがってるのかわからなくて、隠し事が多いってだけで悪い奴じゃない気がするんだよな。うん。…………いや、改めて整理するとヤバさしかねえけど」
「不安しかないわね。むしろ疑わない方がおかしいわよ」
「でもさ、アルーフ見てると雰囲気的に故郷を思い出すってか……なんか妙に疑う気がなくなっちまうんだよな」
冷静に要素を挙げていけば、我ながらよく行動を共にしているなと思うような怪しさだ。自分も端から見たら怪しい奴だろうし、どこか同類めいたものを感じているのか。
「あんたとアルーフ全然似てないけど」
「オレが似てるとかそういうんじゃなくて! なんかこう、オレの住んでた地区ってぼけっとした奴が多い感じで、こう……なんつうか……やっぱいいや」
適切な言葉が見つからず、身体の前で魔素を練るような妙な動きを繰り返したソウキだが、結局諦めて腕を下ろす。
「ああほら! 帝国を作ったのは偽物の勇者で、実はアルーフが本物の勇者なんだけどどこかに封印されてて、今になってバーンと復活したとか。それで奪われた聖剣を探してふらふらしてるところをオレ達が拾ったって説とかアリじゃねえ? 勇者って魔術──精霊術だっけ? も、使えるんだろ」
これは妙案と、ソウキが指を鳴らした。ほぼ同時に素早く振り返るスイコ。その右手はソウキの両頬を捉えていた。親指と人差し指に力が込められ、頬の肉が口元に寄る。何度も頬は蹂躙され、ソウキが諸手を挙げて降参してもスイコの気が済むまで続いた。
「今はそんな与太話がアリかナシかの話をしてる場合じゃないでしょうが! 大事なのはアルーフが信用できるかどうかってとこ!」
「だったら今は信用するしかないだろ。オレらがすぐに助けに行けるわけじゃねえんだからさ」
ソウキは解放され赤くなった頬をさすって肩をすくめた。半ば諦めた落ち着き様。
スイコも肺の中身を全て押し出すようにして背中を丸めながら肩を落とし、吐き出した息を全て吸い込む勢いで大きく息を吸った。
「それもそうね。できるのは心配だけ……か」
「今のオレらが手助けできるとしたら、この先にいる人たちの方じゃねえかな」
それでも頭を過る心配事を振り切ろうとスイコは再び一歩を踏み出した。
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