第11話 招かれざる客

 開けた視界とその眩しさ。アルーフとクロは真昼の明るさに目を眇めた。

 だがやはり外ではない。

 天井は高く、地下らしからぬ大きな空間が広がっている。落ちてきた場所と似た雰囲気はあるが、あの場所よりも更に広々としていた。横の広がりはさして変わらないが、遙か地下に続く深さが比べものにならない。

 人工的に切り出された岩壁には無数の魔鉱石が輝き、立っている場所よりも下方にある大きな像からも光が溢れているが、それらに照らされても穴の底は見えなかった。


「魔動機械……?」


 アルーフの呟きが穴に落ちた。

 空中路が繭を吊り下げるようにして入り組んでいた。中心部にあるのは大きな像。誘われるようにあなぐらから続く路を覚束ない足取りで進んでいく。通路の真ん中辺りまで来たが、魔動機械と思しき像からは大分距離がある。

 手すりの無い端にへばり付くようにしてアルーフは下を覗いた。


 開いた蓮の花の上に蕾がのったような不思議な造形。光を湛えるその像には蔓が巻き付いていた。何本もの曲がりくねった無骨な金属製の管だ。

 長く伸びる管の行方はわからない。底知れぬ大穴へと続くものもあれば、張り巡らされた通路に絡みつくようにしてその奥へと消えているものもある。中心部の純粋な美しさとはちぐはぐな印象だった。


「もしや、領主の買った魔動機械というやつかの?」

「領主の魔動機械を実際に見たことは?」

「見たことはないのう。噂の魔動機械かどうか、スイコならわかるはずだったんじゃが……」


 もしもあれが領主が鉄の国から買ったという噂の魔動機械なら喜んで破壊するところだが、確認できないうちに壊すわけにもいかない。万が一砂都周辺の水路や魔素の流れを制御するような役割を担っていたりしたら大変なことになる。

 そうでなくとも全く関係ない魔動機械に手を出すのはまずい。禄に警備もいないことからすると、放置されているだけのものという線もあるが。


「場所だけ覚えておいて二人と合流してから確認しようか」

「うん? もう少し調べておいたほうがよかろう? スイコ達に説明する時にも楽ではないか」

「あー……それもそうか……」


 クロの真っ当な提案にアルーフは頭を抱えた。後々の事を考えれば確かにいま調べておくべきだ。

 詳しい構造まではわからなくとも、どういった属性や基本的な式が組み込まれているかといった断片的な情報くらいは拾えるだろう。ちょっと調べただけで、「ただの巨大な照明でした。」なんてことが発覚する可能性もある。


 わかってはいるが、あまり長居をしたくなかった。

 おそらくこの辺りの魔素が濃いのはあの魔動機械のせいだ。稼働に必要な魔素が周辺に集まっていた。いままで通ってきた中で、この空間が一番魔素の濃度が高い。


──ちょっとだけ。ちょっとだけ調べよう。


 逡巡の末、アルーフはそう決めた。

 クロの具合は悪くなっていないことからして、通常であれば人に害があるような濃さではないのだろう。ここに寝泊まりするくらい長居するわけでもなし。ちょっとくらいならきっと大丈夫だ。


「でもあそこまでどう行ったら良いんだ?」


 いま足をかけている通路をそのまま真っ直ぐ行っただけでは、大きな空間を抜けて再び地下通路に潜るだけのように見える。


「向こう側で繋がってたりしないかの」

「じゃあ、とりあえず行ってみるしかないかな」


 岩壁の向こう側でそれぞれの通路が繋がっていたとしても、ここからでは何もわからない。どこがどう繋がっているかは予想つかないが、足を運ぶしかないだろう。


 先頭を代わってアルーフが前を行く。先に行き過ぎないようにと、クロはマントの裾をしっかり掴んでいた。

 穴の開いた岩壁を過ぎても通路は延び続ける。明るい所から暗い所へ急に移動したせいで目はまだ慣れない。壁に手を当てつつ歩みを進めるうちに、壁の感触が無くなる部分があった。


「クロ、曲がるぞ」


 付いてくるクロに念のため声をかけて直角に曲がる。

 右に折れた狭い通路を進んでいくと、再び右に折れる箇所に行き当たる。元の場所に戻るなら曲がるしかない。黙々と進むうちに上り階段が現れるが、すぐに下りになるかもしれないという一縷の望みをかけてアルーフはそのまま進んだ。


「こ、これは……」

「むしろ遠くなっとるんじゃが………」


 願い虚しく、すぐに現れる明るい空間。目的の魔動機械は一回り小さくなっていた。壁に空いた穴は無数。その一つ一つを探りながら目標地点まで辿り着くにはどれほどの時間がかかるのか。

 眉根を寄せていたアルーフは一つ手を叩いた。


「……よし。飛び降りよう」

「えっ」


 足場にできそうな箇所を確認しようとアルーフは身を乗り出した。

 一段上から見ると、始めに通ってきた通路は他の路に比べて幅が広い。迷いに迷っても最初の路を見失うことはなさそうだ。なさそうだが、あまり悠長なことをするつもりもなかった。

 足場を確認し終えると、アルーフはクロを小脇に抱えた。


「危ないから掴まっておいて」

「えっ、えっ──」


 クロは混乱のままアルーフに掴まる。

 ほぼ同時に宙空へと投げ出される身体。


「ぎいぃやああ!!」


 襲い来る浮遊感にクロは絶叫した。囲む岩肌に何重にも悲鳴は反響する。

 直下の通路まで一息に跳んだが、足半分ほど足りない。クロの分が思ったよりも重かった。


「あっ」

「あっ。ってなんじゃ! あっ。って!? ──ひぃええっ」


 つま先だけは石造りの路にかかったが、乗り切らない踵から後ろに向かってアルーフは滑り落ちる。半端に足がかかったせいで身体が回った。ひっくり返る視界に青ざめるクロ。

 アルーフの方は大して焦りもせず、手にしてあった鎖を橋桁部分に引っ掛けて足が下になるように体勢を立て直す。

 予定には無かった足場に一度着地すると、勢いが死なないうちに確実な距離にある平場に次々と足をかけて跳んでいく。脚力だけでは届きそうにないときには鎖を使って振り子の要領で渡れば、魔動機械はもう目の前だった。


 石で出来た祭壇と硬い靴底のぶつかる音。輝く魔動機械の手前にアルーフは降り立った。他の歩廊とは違って足場は広い。アルーフはクロを下ろしてやり、目の前の魔動機械を眺める。

 想像よりも大きかった。空の青を映した水を固めたような透き通る素材で形作られたそれは機械と言うよりも芸術品かなにかに映る。よく見てみれば、無骨な管は後からつけられたもののようだった。


「綺麗なもんだな」


 思わず口にしたアルーフの脇腹に弱々しい拳が入る。 


「な、なに、なにを呑気な事を言っとるんじゃい! もう、もう二度とあのような思いはしたくないと言ったばかりじゃのにこの馬鹿者!」


 再びクロの声が大きく反響する。生まれたての子鹿のようにクロの足はわなわなと震えていた。

 大人しく言うことを聞いて掴まっていたから平気なのかと思ったらそういうわけではなかったらしい。途中からなんの声も発していなかったのは、もしや気絶していたのか。


「悪かったよ。落ち着くまで休んでて」

「言われなくてもそうするわい!」


 ふてくされてクロは足を踏みならし、祭壇に続く石段へと腰を下ろした。


 アルーフは魔動機械に手を伸ばす。身丈の三倍はありそうな巨大な魔動機械だ。つぎはぎしたような意匠は意図したものではなく、複数の機械を繋ぎ合わせたせいか。

 外殻を形成している網目状の金属部分に触れたが、何の反応も無い。どうやら本体は宝石のように輝く新緑の内部だけらしい。魔動機械を扱う専門の職人なら見ただけでどのような機能を有しているのかわかるだろうが、式に直接触れて見なければアルーフにはお手上げだった。


 刻まれている式を見るのは諦めて周囲をぐるりと回る。動力が完全に落ちてしまわないように魔素は集まっているが、挙動を見るに稼働はしていない。繋がる無数の管の内部には■■■に近い濃い魔素が滞留しているようだった。命の気配すらする程。

 嫌な気配にアルーフはその場に座り込んだ。床を走る管に手を押し当て、耳を澄ませる。


「クロ。当たりだ」


 アルーフは低く唸った。領主は病を発生させる魔動機械を買ったのではない。このガラクタを動かすために人々の命が削り取られていただけだ。

 恐らくはこの管の繋がる先に動力源となる何かがある。そこで大耳達は命の燃え滓になっている事だろう。今では手に入らないはずの力を得るため、彼方に手を伸ばした代償として。

 砂都周辺で流行っていた白化の病は、それでなお足りない分を埋めるために起きたに過ぎない。竜が大地の活力を、命を食らってしまった時と同じ。

 最悪だ。

 彼方からは竜が来る。せっかく塞いだ穴を誰かが開けた。今すぐ見つけて殴り飛ばしてやりたかった。


 アルーフは思考停止しようとする頭を叩いた。

 当たり散らしたところで何も変わらない。今は目の前の事をなんとかしなければ。


「ということは、この場で破壊してしまって構わぬということか?」

「そう。少し離れて魔術で……は、駄目か」


 魔動機械を魔術で吹き飛ばしてしまおうとして思いとどまる。今はまだ単純に具合が悪いという範疇に収まっているが、あの魔素を大量に浴びたらどうなるか。

 命の元となる濃い魔素は竜の好物だ。器に収まりきらなくなったら魔力暴走などという可愛いものでは済まなくなる。


「……やっぱりソウキ達に頼んだ方がいいかな」

「ならばここまでの道はきっちり覚えておかねばならぬな。飛んだりせずに。飛んだりせずに!」


 クロは浮遊感が余程嫌だったのか、念を押しまくる。あの荒技は体重が軽くなければできないから、帰り道でそれをするつもりはなかった。後々人を引連れるのなら、誰にでも通れる道を残す必要がある。


 二人は魔動機械に気を取られており、迫る足音には気付いていなかった。


「何をしている」


 心の臓が揺れるような低い声。不意に響いた声にアルーフとクロは硬直する。つい先ほどまで人の気配は無かったはずだ。

 振り返る二人の前に立つ壮年の男の威圧感は並々ならない。深く刻まれた眉間の皺。獲物を狙う鷹の目。砂の国らしいゆとりのある衣服の上からでもわかる固い肉。豪奢な布地は着飾るためでなく、剥き身の刃を覆う鞘の役目を果たしているとすら言える。


「何をしている。と、聞いている」


 予想外の邂逅に固まっていたアルーフ達に再び問いが投げかけられた。三度目は無い。本能的に感じ取れる気迫だった。


「……道に、迷ってしまって」


 そのついでに探りを入れていたわけだが。

 それとなくクロを後ろにやりながらアルーフは掠れる声で答えた。壮年の男の他に何人か護衛らしき者もいる。相手は既に武器を構えていた。

 警戒は当然だ。いくらなんでも怪しすぎる。


 壮年の男は動かない。だがその護衛達はジリジリと逃げ道を塞ぐように横へ展開しつつある。魔動機械の管に遮られているおかげで直ぐさま取り囲まれるということはなさそうだが油断はできない。

 目の前の男から目を逸らしたその刹那、首元から血が噴き出す。

 熱くて冷たいその感触にアルーフは全身の毛が逆立った。


 実際には刃は届いていない。男からは十歩以上の距離がある。常識で考えれば反応できる距離だ。だがアルーフは武器に手をかけることもしない。

 腰の剣。極端に長いわけでもないが、こちらが妙な動きを見せれば一瞬で喉元に届くだろう。おそらくは護衛の誰よりも速い。


「どこから入り込んだ。結界で入れぬようになっているはずだが」

「あちらの地下遺跡から街の方に移動してきたんです。結界は書き換えて通り抜けました」

「書き換え……なるほど、魔族か」


 壮年の男の意識はアルーフからクロの方へと向いた。正確にはクロの頭の角にだが。

 アルーフの外套にしがみついていたクロはその背から顔を少しだけ覗かせるよう、じりじりと後退している。

 男は顎髭を撫でだした。威圧感は若干薄れたが、油断できるほどの隙は無い。


「捕らえよ」


 短い号令。良く訓練された護衛達は一糸乱れぬ動きで一歩前へ出た。鷹の目をした男との間に壁が出来たということだ。

 息を詰め、アルーフは護衛達に背を向けて後方へと飛んだ。抱えたクロの絶叫は聞こえないふりをして、空中路をまっすぐ駆ける。道が何処に繋がっているのかはこの際どうでもいい。距離を取って身を潜められれば、この迷路のような空間で早々捕まることはない。楽観的にみればだが。


「遅いな」


 声がした時、既に外套は剣で床に縫い止められていた。胡桃色の髪が何束か落ちる。男の動きは年を感じさせないものだった。手加減される程度には力量差がある。

 背中から肩口を踏みつけられ、身動きも取れない中でアルーフの背に冷たいものを感じていた。

 男に殺気は無い。殺気を出さずとも結果は出せる手合いの者だろう。外周区域で襲ってきた素人とは違う。


「だが私に向かって来ないだけの判断力はあるか。若造だが、中々見所はあるな」

「見所に免じて逃がしてくれたりしませんかね」

「私もそこまで甘くはない。……しかし、ふむ」


 声の調子が変わった。事務的な勧告に温度が加わる。


「先ほど結界を書き換えたと言っていたな。それは結界以外の式術にも使えるものか」

「簡単なものだけですよ」

「では取引だ。この場での命は見逃してやろう。その代わりに、あの魔動機械を動かしてもらいたい」


 取引と言っているが、実質命令だった。低く落ち着いた物言いだが、アルーフ達に選択肢が無いことを知っている。決裂すれば、突き立てている剣を横に薙ぐだけで首は落ちるのだから。

 アルーフは詰めていた息を吐いた。


「……わかりました。中心部に触れて見なければ何とも言えませんが」

「その時はその時だ。よろしく頼んだぞ」


 外套から剣先が引き抜かれた。下にはクロもいたはずだが、血は一筋もついていない。男は腕の動きだけでアルーフ達に立つよう促した。


 男は口の端を片方だけ上げる独特の笑みを浮かべ、友好的に手を差し出す。男の底知れ無さに耳を伏せつつ、アルーフはその手を握り返した。律儀にも、牙を剥いているクロとも握手を交わしている。

 その間に護衛の者達も追いついたようで、騒がしい足音がすぐ側までやって来る。


「領主様! ご無事でいらっしゃいますか!」

「大事ない。丁度良い運動になったところだ」

「領主……」


 余裕綽々で領主と呼ばれた男はアルーフ達に背を向けた。想像していた姿とは違うが、状況からして、まあそうだろうと予想していた二人に大きな驚きは無かった。


「本人があんな強いなんて聞いとらんぞ」


 袖を引っ張りながらクロが小声で文句を言っている。

 アルーフも全く以て同感だった。ソウキは、「パッと行ってサクッとやって」なんてことを言っていたが、これが相手ではむしろこっちがサクッとやられる。素人が百人でかかったところで死体の数が増えるだけだ。


 アルーフが肩を落としている隙に手に縄がかかった。縄の先端は護衛の男が握っている。


「なぜ俺だけ?」

「用があるのは魔族の娘だけだ。この場で処断しても良いが、それで言うことを聞かなくなっても困るのでな」


 ご丁寧にも領主本人からの言葉だった。


「なに。大人しくしていれば命までは取らん」

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