第10話 地下の光
クロに火種を取ってきてもらう間にアルーフは荷を広げていた。荷物の状態を確認するには十分な光が結界越しに注ぐ。
「結構無事みたいだな」
いくつも並ぶ荷物の前にしゃがみ込むアルーフ。手に取った懐中時計も羅針儀と同様に正確な動きを見せる。耐水性の容れ物に入れてあったので奇跡的に無事だったようだ。
今いる場所こそ自分たちが大穴を開けたせいで陽の光が入ってきているが、ここは地下だ。方向や時間など勘を頼りにしていたらすぐに狂ってしまう。
一安心したアルーフは適当な素材で簡単な物干しを組んでいく。折れた欄干や長い枝など素材は豊富だった。試しに、水を吸って重くなった外套をぶら下げてみても崩れることはない。物干しの出来には満足していた。
「これでよしっと」
アルーフは下の階層を覗く。
空中で交差している通路も踊り場らしき箇所も闇雲に重なっているため下の様子をその隙間から覗くことができた。二階層下辺りでクロが枯れ枝を拾っているのがアルーフの目に入る。特に問題は無さそうだ。
緑が育つための光も水もこの地下には存在していた。むしろ水は地上よりも豊富なくらいだ。おかげで焚き木用の枯れ枝には困らない。
淡い光と豊富な水で育った植物は地上とは異なる植生をしていた。慎ましやかに茂るシダや苔を照らすのは魔力を含んだ鉱石の光。岩肌に直接埋まっている原石は薄らぼんやりと光を放っている。人の手が加えられたものは灯籠として設置され強く輝いていた。
灯籠の多い祭壇近くには光をより必要とする木が実をつけており、やろうと思えばしばらくこの地下で暮らせるかもしれない。そう思わせるような穏やかな空気が漂う。
「大漁じゃ大りょ……うおおう!? 貴様なんで服を着ておらんのじゃ!?」
クロは目を見開く。焚き木にできるような枝を両腕に抱えて戻って来るなり化け物にでも遭ったような反応だ。
アルーフは心外だと眉を顰めた。
当面の危険は無いとはいえ屋外で全裸になるほどの勇気はない。着たままでは乾きそうになかった上着や
「着てるって。ほら」
「下着は服に入らんわ! そんな格好で街中をうろついとったら衛士に捕まるじゃろうが」
「クロがそれ言う!?」
全身を覆うローブを脱いでしまえば申し訳程度の布しか身につけていないクロの方が余程通報されそうなものだ。
「我が装束は一族伝統の戦闘装束じゃからの。常時戦場に身を置く心構えを養うためじゃ。一緒にするでないわ!」
「だったらそれ着方間違ってるんじゃ……」
地下に入って気温が下がったお陰か、クロはだいぶ元気を取り戻していた。いつも通り偉そうに胸を張っている。
その時、ぐう。と間抜けな音が辺りに響いた。
「ぬ、ぐ……」
打って変わって頬を赤くするクロ。丁度昼時か。正確な腹時計だった。
「なんか食べるか。クロ、持って来た枝、石で囲ってある所に置いて、終わったらこれ食べられるように薄く切っておいて。そのままじゃ固いから。え~っと、半分の半分……の半分くらいかな」
「うむ。任せるが良い! 跡形も無くなるほどに刻んでくれよう!」
「程々の薄さで頼むよ」
アルーフからクロに手渡されたのは油紙に包まれた塊。薄い紙を剥がせば燻されて茶ばんだ白い肉が出てくる。灰砂蠍の肉だ。
あの群れが狩られた後、街の人々の手によって灰砂蠍の残骸はしっかり回収済みだった。素材は余るほどあり、家によっては三食砂蠍を食っている状況にある。だが余るほどあってもそのままでは数日もしないうちに腐ってしまうのが難点だ。そのため、こうやって日陰干ししたり燻製したりして保存が利くように大半の肉は加工されていた。
不器用に肉を削ぐクロの横でアルーフは火を起こそうと枯れ枝を手にとった。
表面を薄く削っていくと木の皮が丸く捲れ、羽毛を集めたような形になる。そこに火花を散らせば程なくして火がくすぶり始めた。
火を起こす式術でも使えればもっと楽なのだろうが、複雑な手順や構成を覚える気にはなれず使えずじまい。誰にでも使えるのなら、道具も何も使わず指を鳴らせば火が出るとかまで簡単になればいいのに。
なんてアルーフが心の中でくだらない愚痴を言っている間に火が育つ。太い枝を入れても勢いが衰えることはなく、周辺も暖まり始めた。
「見事なもんじゃの」
アルーフの背後からクロが顔を出す。ちょうど灰砂蠍の燻製を削ぎ終わったようだ。上手く切れなくて形も厚みもバラバラだったが、なんとか食べられるような大きさにはなっていた。
「ちょうど良かった。軽く炙った方が美味しいってスイコが言ってたから」
「む。スイコの奴、なぜ我にそのような重要な事を教えぬのじゃ」
クロは火の側に腰を下ろした。削がれて薄くなった砂蠍の燻製を一つ掴む。燃えさかる火に近づ──けるまえにアルーフがその手を掴んだ。
焦るアルーフ。不服そうなクロ。
「スイコが教えないわけだ!」
「なんじゃ急に」
「その近さじゃ燻製と一緒に手まで火炙りになるから! ちょっと待ってな」
アルーフはまだ余っている枯れ枝の中から曲がりの少ないものを選ぶ。ナイフで切り込みを入れ、その間に砂蠍の燻製を挟む。足元が土なら棒の先を地面に挿してしまいたかったが、剥き出しの岩肌では適わない。アルーフは一寸迷った後、何本か作ったものをそのまま握っておくことにした。
「炙らなくても食べられるみたいだし、先に残りを食べておきなよ」
「アルーフは食わぬのか?」
「お腹減ってないからいいや」
「そうか……?」
クロは気まずそうに肉へ齧り付いた。相当固いようで、鋭い牙を剥き出しにして格闘している。噛み付いたまま何度か引っ張ると、ようやく一口分が千切れる。反動で頭が思い切り仰け反った。
「うむ、旨い!」
食べるのは大変なようだが、クロは笑顔である。普段はフードで隠れている羊のような角が晒されているのもあって、凶暴な魔族の片鱗が覗き見える気がした。
「魔族も普通に人のご飯食べるんだな」
「なにを当たり前の事を言っておる。そもそも貴様も魔族であろうが。……魔族じゃよな? 角は無いが、魔術を使っているわけじゃし……」
「ああうん、そうだ。そうだった……」
話の流れで魔族だということにしていた事をすっかり失念していた。決まり悪くて耳裏を掻いていると、クロから憐れんだような視線が向けられる。
「あのな、母上の教えによると、物忘れには魚を食うと良いらしいのじゃ。こう見えてアルーフは老体じゃから労ってやらねばならぬと聞いていたが、本当だったんじゃな。スイコにも教えてやらねば」
「そんな事いつ吹き込まれた!?」
誰が言っていたのかは大体想像がつく。
「アルーフがずっと寝てた時にソウキが言っておったぞ」
「いますぐ忘れるように。いいな?」
「ぬう。皆好き勝手な事を言いよる……」
クロは不承不承のまま再び肉を囓り始めた。辺りにはたき火の爆ぜる音だけが響く。揺らめく光に照らされたクロの顔に翳りが生まれる。
「……スイコ達は無事じゃろうか」
「二人とも強いし大丈夫じゃないの?」
「確かに強いが、我がついておらねば……」
いつもの調子に乗った発言という訳ではなさそうだった。
アルーフは丁度良く焼けた砂蠍の肉を火から下ろしていきながら思いを巡らせる。正直なところ、十人力を発揮する二人の姿しか見ていないアルーフにはクロの不安がどの程度のものかピンときていなかった。
だが自分よりも付き合いが長いはずのクロが心配しているのなら楽観視はできない。強化術はものによっては気休め程度だが、クロの強化術は効果が高いのだろう。
灰砂蠍の群れと遭遇したときの事を思い出す。クロの手から放たれた矢のようなものは恐らく強化術だったはずだ。
ソウキはともかくとしてスイコだ。魔力の流れを調整するのが得意なようだったから、特段クロの術と相性が良いということもある。
アルーフは空中路を見て考える。
どちらが確実か。一瞬、廃棄市街の方向に行った方が良いのではないかと気の迷いを起こしかけたが、首を振る。
「まずは街に戻ろう。二人とも戦力に不安があるなら無理に進んだりしないだろうから。……しないよな?」
「二人とも蛮勇を奮うような者ではないのう。何かに巻き込まれていなければ、戻るじゃろうが……たぶん」
「街に二人がいなかったら馬でも調達して、元来た道を戻ってみよう。引き返す途中の二人に遭うかもしれない。焦らずにいこう」
どんな危険でも薙ぎ払えるような力でもあればソウキ達とはぐれた場所へと今すぐに向かうだろう。現実はままならない。勘を頼りに廃棄市街に向かって何日も彷徨う羽目になったら、今度はクロが飢え死にしかねない。
こんなことなら、事前にはぐれたときの打ち合わせでもしておけば良かった。
「俺達が無事なんだから、ソウキ達も大丈夫だって」
誰に向けて言ったのか。
アルーフは立ち上がった。火の近くに持って来ていた物干しの様子を見れば、元々大して濡れていなかった荷物類はすっかり乾いている。厚手の服は怪しいところだったが、着れないこともない。
「それもそうじゃな! 別に心配はしておらんが、ちょっと言ってみただけじゃし。我はいつでもゆけるぞい!」
残りの肉を口に目一杯詰め込んで、クロも元気よく立ち上がる。
「服も乾いたし、さっさと街にもどってソウキ達を探しに行きますか」
「おー!」
「おー!」
クロにつられてアルーフも拳を挙げた。
通路が本当に街に繋がっている保証は無かったが、こういう時は空元気も必要だ。
水を補充した水筒で火を消すとアルーフ達はその場を後にした。
◇◇◇
古ぼけた通路はやはりと言うべきか、所々崩落して通れなくなっている箇所があった。行き止まる度に元の道を戻って別の道を探し、しばらく進んでは再び通れない場所に遭遇し戻り、また新たな道を探す……といったことを二人は繰り返していた。
落ちてきた地点のように大きく開けた空間にはまだ行き当たっていない。ずっと地下道らしい閉鎖的な通路が続く。
几帳面に積み上げられた石造りの壁には、等間隔に照明代わりの魔鉱石が設置されている。そのお陰で比較的先の方までうっすらと確認できるものの、段々と方向感覚も距離感覚も狂うような心地。
──また行き止まりか。
アルーフは数ある照明のうちから拝借した灯りを口に咥えると、手元の紙束にこれまで歩いてきた道を書き付けていく。正確性は怪しいところだったが、無いよりはマシだ。同じ所を巡らないようにと通路に印もつけていた。
照明を持ち替えて今まで描いた軌跡を確認していくと、進路が少しずつ東にズレている。街の方向に向かっているには違いないが、東にズレすぎると鉄の国に近付いてしまう。
アルーフは軽く舌打ちをした。ポーチに入れたままだった刻計を確認する。既に十二ある目盛のうち三刻目を回っていた。もし順調に地上を歩けていたならそろそろ街についても良い頃合いだ。
「待ていアルーフ! ちと速い……!」
ようやくアルーフに追いついたクロの息は弾んでいた。小走りで後ろをくっついて回っていたのだが、いかんせん脚の長さが違いすぎる。
「あ、ごめん。少し休もうか?」
「休まなくとも良いが、もう少しゆっくり歩いてくれぬか」
アルーフが歩調を合わせない限り、クロはずっと小走りで移動する羽目になるのだ。
知らず知らず気が急いていた。焦らずにいこうなどと言っておきながら、自分の方が焦っている。
気付いたアルーフはクロに歩み寄り、膝をついた。
「今、進路が東にズレてきてるみたいなんだ」
「東……左ということじゃな?」
「左? あー、なるほど。南に向かってるから左か」
一瞬なんのことかと思ったが、クロとしては方角よりも前後左右の方がわかりやすいらしい。
気を取り直して紙束を持ち直す。
「真っ直ぐ移動できてたら街に着きそうな時間なんだけど、たぶんまだ半分くらいしか来れてない状態だな」
「うむ。それでどうするのじゃ? なにか解決策があるのじゃろ」
「いや。まだ半分以上残ってるから頑張りましょうって話で……ございました」
ソウキの真似事のような喋りになってしまって照れの入るアルーフ。
クロの肩にアルーフの手が置かれた。クロは苦い胆でも食べた顔をしてアルーフを見下ろす。
「致し方あるまいが……我が先を行く。それで良いな? また置いて行かれても困る故な」
「心配だけどそれが良いか。あんまり離れないようにローブは掴んでおくけどいい?」
「そのくらいは許してやるのじゃ」
考えようによっては、ずっと見える位置にクロがいた方が安全か。
アルーフはクロが要求するがままに照明を手渡した。装飾の施された棒の先に魔石がついただけの簡単な造りの照明だ。重さはたいしたことはない。
だが受け取ったクロは歩みを進めようとしなかった。アルーフの顔をじっと見つめたまま動かない。
「どうかした?」
「どうもこうも、顔色が悪いぞ。我はまだ平気じゃが、貴様は大丈夫なのか?」
クロの指摘通り、アルーフの顔からは血の気が引いていた。
全身の痛みが増してきたせいだ。周辺の魔素の濃度が高いせいか、取り込もうとしていなくとも魔力の足りていない身体に魔素が入り込んでくる。あの時のように暴走を起こして制御できなくなるような気配はなかったが、身が少しずつ内側から裂けそうな不快感。
休んで良くなるようなものなら今すぐにでも休みたいところだが、むしろゆっくりすればするほど悪化する類いの症状だろう。
アルーフは膝についた砂利を軽くはらい、クロの背を軽く叩いた。
「動けない程じゃないし、休んでも良くならないと思う」
早くこのような場所からは抜け出してしまいたかった。こんな状態ではとてもソウキ達を助けるどころの話ではない。街に戻る選択をしておいて良かった。
「……動けなくなる前にちゃんと言うんじゃぞ」
口を尖らせたままだが、クロは足を前に出した。アルーフもそのすぐ後ろに続く。
一つ前の分かれ道まではすぐだ。引き返してきた道に印をつけてから別の道を行けば、上り坂が続いていた。
クロの歩調に合わせる行軍はゆっくりだった。
ここに来るまでに魔物や罠には遭遇しなかったが、アルーフは聞き耳を立てて前方の警戒は怠らない。今まで大丈夫だったからといって、ここから先も大丈夫だという保証は無い。
不意にクロの歩みが止まった。
「へぶっ!?」
「クロ!?」
何かにぶつかったように尻餅をつくクロ。傾斜も手伝ってか派手に転んだ。照明が揺れて二人の影が揺らぐ。
「なにか、壁が……」
鼻っ柱をぶつけたクロは涙目で訴えた。鼻血は出ていないが、鼻の頭が赤くなっている。
アルーフはクロの二の足を踏まないように手を前に翳しながら数歩前に出た。掌には硬い感触がある。確かめるように二、三度叩いてみれば、淡い光が波紋のように広がっていく。
「また結界か」
「なんでこんな、あちこちにあるんじゃい」
「さっきのやつと同じかもな」
手を滑らせることで浮かぶ式。溺れかけた時に見たものと同じ、単純な造りのものように見える。結界を複数設置しているのか、大きな結界が円形に張り巡らされているのか。ただの古い祭殿にしてはどちらにしても違和感がある。
「……うん。通れそうだ」
クロの手を引いた状態でアルーフは結界に干渉し始めた。一度抜けた結界だからか式の書き換えは簡単に進み、腕を押し込むようにすればあっさりと結界を通り抜ける。
魔力は消費されたはずだが、身体の痛みは取れない。魔力量と比例するわけではなさそうだと、アルーフは少し気落ちした。
「なんか、妙に明るいのう」
言われてみれば結界を抜ける前よりも一段明るい。特に前に行けば行くほど明るいようだった。一瞬外が近いのかと思いもしたが、風は吹いていない。
遠くに目を凝らしてみても、ただ明るいという事以外はわからなかった。
「ちょっと行ってみようか」
どのみち一本道だ。戻らないなら行くしかない。
目の前に空間が開けた。
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