第7話 濁った企み
息苦しさと暑さを感じて、今度こそアルーフは目を覚ました。
目を開けた先には土を固めて作った砂色の天井。身体の下には固い感触。土床に毛足の短い絨毯が敷いてあり、その上に転がされていることが確認できた。
汚れた服は着替えさせられていた。袖の広がった単純な
アルーフが唯一締めつけを感じていたのは首回りだけだった。衣服ではなく治癒式の施された包帯だ。魔素を多く取り込んで治癒を促進させる性質のものではないため、魔素酔いは起こさないとの判断で巻かれたのだろう。想定していたよりも首の傷は深く切れていたらしい。
息苦しさの原因はといえば……誰かの足が腹にのっている。傷む身体に無理はさせずにアルーフが視線を下ろすと、それはソウキの仕業だった。
何重かに布を折った枕らしきものはアルーフの顔のすぐ横にあったが、ソウキ本体は足元のほうで斜めに転がっている。よほど寝相が悪いのかもしれない。逆を言えば、それだけ元気はあるということか。
アルーフは寝転がったままソウキの重い足をどかし、辺りを見回す。どうやら寝かされているのは比較的広い建物の一室らしい。
耳を澄ませると、隣の部屋や下の階は賑やかだった。子供のはしゃぐ声。大人達の忙しない足音。風と共に木の打ち合う音を立てる鳴子。
木戸を開けた窓からは乾いた風が常時吹き込んでいる。風の通りが良いお陰か、外の凶悪な陽射しのわりには暑くない。涼しいわけでもないが。
しばらくそうやってぼんやりと砂色の天井を見上げていた。
スイコとソウキが魔力の流れを制御しようとしたところまでは記憶にあったが、そこから先は知らない。全身に残る痛み以外には何事も無かったかのように時が流れている事がアルーフは不思議でならなかった。
「なーんでまた変な所で寝てるのよ」
革で作られた室内履きのパタパタと立てる音が近付いてくる。顔を覗かせたのはスイコだった。毎度のことなのか、ソウキは上体を抱えるように引き摺られ、体勢を整えられていた。
枕元に来た瞬間、スイコとアルーフの目が合う。
お化けでも見たかのようにスイコは息を呑んだ。その拍子に力が抜け、ソウキの上体が絨毯に叩き付けられる。短い呻き声が上がった。
「おっ、起きてたなら声くらいかけなさいよね」
「ああ、うん……おはよう」
「おはようって時間じゃ……まあ、三日も寝てればそんなもんかしらね」
スイコの手の甲がアルーフの額に当てられた。自分の額の温度と比べているが、むしろアルーフの方が冷たいくらいのものだった。
ついでといった様子で、同様に熱を測られているソウキは全身で不満を露わにしている。
それもそうだろう。固い床に叩き付けられるというダイナミックすぎる方法で起こされれば誰だってそうなるに違いない。
絞られた布が額にのせられる前にソウキは勢いよく身を起こした。
「寝てりゃ治るって言ってるだろ。ちょっと気持ち悪いだけだし大袈裟なんだよ」
「ついでよ、ついで。だいたい、ついさっきまでふらふらしてたじゃないのよ。階段から落ちて無駄な怪我増やすし」
「いやもう完全に元気だって」
元気である事をアピールするようにソウキはその場で跳んで見せた。二度三度と問題ないように見えたが、不意によろける。手を突こうと肘を引いたのが悪かった。
「ヴえっ!?」
「うわっ、悪ぃ!」
肘が寝そべっていたアルーフの鳩尾にめり込む。油断しきっていたところに突然衝撃が加わり目を剥いた。
よりによって肘とは。一点集中の打撃に全身の鈍い痛みすら吹き飛んだ。
「だ、だい……大丈夫……」
「全然大丈夫じゃないわよー!」
蚊の鳴くような声で辛うじてアルーフは無事を告げる。転がったままの体勢のソウキを
スイコはほっと一息つくなりソウキの額に再び強烈なデコピンを食らわせた。
「絶対! 安静! 勝手に部屋から抜け出すのも禁止! 守れないなら手足縛って土間に吊してやるんだから!」
「悪かった! ほんと悪かったから!」
「謝る相手はわたしじゃない!」
「アルーフごめんなさい!」
喜劇のように進む二人のやり取りを前にアルーフはすっかり置いていかれており、急に話を振られて反応が遅れた。
「いえ……どうぞお構いなく……」
そのうちに怒りが鎮火してきたのか、スイコは肺の中の空気を全部吐き出すようにして身を折った。
「二人とも目が覚めたんだったらご飯持ってくるから。それまでほんと大人しくしててちょうだいよね」
「でもまだ食欲が」
「体力回復させるならちゃんと食べなきゃだめよ。食べられなくても一口くらいはね」
後ろ手に手を振りながらスイコは戸の無いとば口から出て行ってしまった。どうやら拒否権は無さそうだ。
隣を確認すると、ソウキは大人しく寝そべっていた。布枕を抱えてうつ伏せになっている。
「……別にいつもこんなんじゃないからな」
ぼそぼそと不明瞭な声がアルーフの耳に届く。
「え、なにが?」
「さっきのオレとスイコがだよ。毎回あんな、姉ちゃんに怒られるみたいになってねえってこと!」
母さんではなく姉ちゃんなのか。そして恥ずかしいのか。
アルーフは見守るような生暖かい笑みを無意識のうちに浮かべていた。いくら余裕があるように振る舞っていてもそういう年頃なのだ。ソウキは威嚇するように歯を剥いていたが、心なしか耳の先が赤い。
「そんな目で見るんじゃねえー!」
枕が音を立ててアルーフの顔面にぶつかった。
◇◇◇◇
「……多くない?」
アルーフとソウキの目の前には巨大な鋏が横たわっていた。人の腕ほどもある鋏が皿にまるごと載っかっている。熱を通されて赤く色付いているが、その形状はもしかしなくても
「わたし達もここで食べるからね。話さないといけないこともまだまだあるわけだし」
スイコは自分とクロを指差して言いながら灰砂蠍の鋏をひっくり返す。一見まるごと蒸されているように見えたが、鋏は事前に半身にされていた。鎧の素材にもなるような殻であることを考慮すると、そうしておかなければこの場で武器を構えることになっていたはずだ。
身離れは良いようで、匙と
始めは気付かなかったが、鋏の下には黄色い粒が敷き詰められている。他の三人の様子を見るに、この黄色い粒と砂蠍の肉は一緒に食べるらしい。一見すると米のようだが、粒は米よりも随分小さく、掬うとボロボロと溢れやすかった。
アルーフがなんとか食材を溢さないように口に運ぶと、海産物のような風味が広がる。粒々はパサついた食感で飲み込みにくく……。
「ゲホッ……!」
「お爺ちゃんしっかり!!」
ふざけた事を言うソウキに一言言ってやりたいところだったがそれどころではない。細かな粒が変なところに入ったようで、アルーフはむせ続けていた。スイコとソウキに背中をさすられる間も咳は止まらない。
顔を真っ赤にして四苦八苦している所にクロから杯が差し出される。白く濁った液体が器になみなみと注がれており、それが何なのか確認もせずにアルーフは一気に飲み干した。肩で息をする姿は戦闘直後のような状態だ。
「……ありがとう。本当に」
「んな大袈裟な」
食事台の上に手をついて頭を垂れたままのアルーフから出たのはそんな言葉だった。ちょっとむせたくらいで何を言っているんだ、と、スイコもソウキも小さな笑いを溢す。ただ、アルーフは下を向いたまま軽く首を振った。
「今のじゃなくて、魔力暴走の時とか……。あの時、なんで助けてくれようとしたんだ」
「だって魔族なんて滅多にいないし、それで更にわたし達に協力してくれる人っていったら奇跡だもの」
スイコの答えは人によっては顔を顰めるような明け透けなものだった。単純な実益目的だということだ。
アルーフはといえば、むしろ分かりやすいその言葉に安心した様子を見せた。対価が不明の方が恐ろしい。
「ふふん、我のような上級魔族がいれば万事事足りるのじゃがな! 万が一ということもあろう」
「いやお前、『属性が合わんから無理』とか言ってたじゃんか」
なぜか自慢げに胸を張ってアルーフに対抗するクロへと即座にツッコミが入る。そんなキレを見せるソウキだったが、匙をくわえたまま肘をつきながら気まずそうに目を泳がせた。今までの様子からすると似つかわしくない仕草だ。
「魔剣作るのに手を貸して欲しいってのも本当なんだけどさ、実は他にも手伝って欲しいことがあるんだよな~……」
アルーフとしても半ば予期していた事だった。剣を作るのにちょっとばかし手を貸すだけで、帝国にすんなり入れるというのも虫の良すぎる話だ。
なんせ、入るのに命がいくつあっても足りないと言われたくらいなのだから。
「つっても、どう話したもんかな」
「前提として、結界を壊すための魔剣を作るのに手を貸して欲しいってことは変わらないのね。ただほら、剣を作るには鉱石が必要でしょ? 帝国の結界に干渉できるくらい強い術を纏わせるにはかなり純度の高い特級魔鉱石を使うのだけど、領主のせいで手に入らないのよ」
スイコは悩ましげに腕を組み、ぽつりぽつりと話し出す。
砂の国では奇妙な病が流行っていた。
病が不治であることに変わりは無いが、領主が認めたという薬を服用すれば進行は遅くなるとされていた。
月が巡る度に必要になる薬は、砂の国の平均的な住人が得る毎月の収入の半分ほどの値がかかる。蓄えのあった者ならなんとかできる程度の値だ。
だが罹患した者が増えるにつれ薬の値段は上がり、とうとうその値は十倍に跳ね上がった。薬の効能はわかっていても手が届かない。そんな状況が続いていた外周区域では薬売りに縋ったところで、薬は〝無くなった〟ことにされていた。
その上、中心街の方では高価な新薬で治った者がいるという噂まで立っているという。
奇しくも病の流行り始めは、領主が鉄の国から大型の魔動機械を買い付けたと噂になった時期と一致していた。
薬が手に入らず丸耳ばかりが倒れていく中、その穴を埋められるのは残り半数の
だというのに、増加する一方の被害を領主や衛士団に訴えても相手にされないという。過去の反乱がどうとか、逆に目を盗んで不穏な集会をしているなどと難癖をつけられて終わりだ。
そうこうして魔鉱石の採掘場が放置されている期間が長引くにつれて、鉱山には魔物が棲み着いてしまった。細々とでも採掘を続けるには衛士に物理的な感謝の気持ちを渡す必要があり、魔鉱石を採掘しても雀の涙程度しか働き手の手元には残らない。
道中人狩りに遭う可能性も考えればそんな中で採掘をしようという者はおらず、必然的に産出する魔鉱石は手に入らない状況が生まれていた。
特級魔鉱石ともなれば尚のことだった。
話の内容としてはそんなところだ。
人狩りの被害に関しては、砂の国の中でも砂都と呼ばれる領主の膝元以外でも広く出ているとのことだったが、アルーフは現在の地理に詳しくない。離れ里や集落の位置と名前や情勢を一発で把握するのは難しく、大まかな状況を理解するに留まった。
「例の暴走してたおっさんから聞き出したんだけど、今の状況で領主が更に税を上げようとしてるらしいんだと。薬の情報持ってる渡り商人から教えられたってさ」
「えーっと……その、大丈夫そうだった?」
「泡吹いてぶっ倒れてたわりにはピンピンしてたぞ。さすがにもう武器は握れねえけど、日向ぼっこしてりゃ腹一杯になるってよ。オレが見に行った時も庭でぼけーっとしてたし」
本当にそれは大丈夫なのだろうか。
アルーフは若干不安になったが、ひとまず命に別状は無いようで胸を撫で下ろした。自業自得とまではいかないものの、少しやり過ぎだったのではないかと引っかかっていたのだ。
「それなら良かっ──いや、良くはないか」
「いい方だろ。反撃されても命までは取られなかったんだから。殺す気で挑んでるなら、それなりに覚悟はしてるはずだろ」
そもそも気構えのある戦士や衛士ならともかく、追い詰められた一般人にそれを求めるのも酷なのではないか。と、アルーフは渋いような暗いような何ともつかない表情を浮かべた。
理性的に考えられるほどの余裕が残っておらず、覚悟も何もないまま凶行に及んだだけとも考えられるが……と、思考がどんどん違う方向に飛んでいきそうな所でアルーフは首を振った。
今はそんな事を考えている場合ではない。
「それにしても、なんでわざわざ自分の国の力を削ぐような事を領主はするんだ?」
沈黙を埋めるようにして投げられた疑問。スイコは肩をすくめてみせた。
「さあね。聞いた話じゃ、みんなからむしり取った財で夜な夜な宴会し放題の買い物し放題らしいわよ。鉄の国から買った魔動機械もそのひとつみたい」
「まあ領主と金持ち達の悪巧みなんてよくある話だろ。領主をぶっ殺せば終わりってんならオレがパッと行ってサクッとやって終われるんだけどな」
「いやいやいや、いきなりそんな物騒なことしなくても、まずは話し合いの場を設けてみるとかなんとか……」
最終手段が真っ先に出てくる発想にアルーフは諫めるように手を前に出した。逆にソウキはそんなアルーフを鼻で嗤い、片眉を上げる。
「なに綺麗事言ってんだよ。殺やらなきゃ殺やられる。だろ?」
ソウキの目は冷たい。
年相応に見える反応をしたかと思えば、こうやってまたちぐはぐな様相を見せるソウキがアルーフには掴めなかった。馬車の中で出会った大耳の子供のようにわかりやすくスレて当たり散らされた方がまだマシだ。
「まあ、そんな真っ正面から行くほどバカじゃねえけどさ。貴族街には訓練された衛士共がわんさかいるわけだし、勢いで突っ込んだところで無駄死にするだけだ」
「うむ。だが三日前の様子を見るに、あやつら何時また暴走するかわからんぞ」
「そう考えるとあんまり時間は無いわよね。アルーフにも手伝ってもらいたいし、もう少し情報を集めてからやりたかったんだけど」
意味ありげにアルーフへ寄越される視線。
「……やるって、何を?」
できる限り穏便な内容である事を祈りながらアルーフは聞き返す。すると先ほどとは打って変わって、ソウキは愉快なイタズラを思いついた悪童のように歯を見せて笑った。
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