第8話 策は力なり
アルーフは一人部屋に残されていた。
魔動機械を壊しに行くというソウキの作戦を頭の中で反芻しながら、固まった身体を伸ばしていく。
不安と安堵の間でアルーフの心持ちが揺れる。
金持ち共は皆殺しじゃー! とは言われなかったのにアルーフは心底ほっとしていたが、半ば運任せの突撃ともとれる実行内容には不安しか無い。一ヶ月も準備期間がとれる状況ならば作戦内容を練ることもできるし、時間を必要とする仕掛けを作ったりもできる。だが数日のうちに決行する事を考えれば致し方ない気もしていた。
「いたたたた……」
考え事をしているようなしていないような中途半端な頭の働かせ方をさせていると、筋に鈍く引き攣れた痛みが走る。三日も寝ていたせいなのか、魔力暴走で体組織がいくらか壊れた弊害なのか。少し前屈をしただけでこれだ。
隔離された領域内にいる間は身体なんてものはあって無いようなもので支障は無かったが、外ではそうもいかないようだった。
やり過ぎても良くない。
ひと通り身体を解して、アルーフは開け放たれた窓枠に肘をかけた。
相変わらず風が吹いている。乾いた風は熱気を吹き飛ばすようで心地よい。景色も匂いも全く異なるが、風の強さは故郷に似たものがあった。
砂色の街を改めて眺めていると、やはり今いる屋敷は大きいとアルーフは再認識した。大きさだけでなく、造りも立派だ。庭先の空間が広く確保され、門まで構えられている家はアルーフから見渡せる範囲にはなかった。
それもそのはず。屋敷は外周区域の北西側の地区一帯のまとめ役をしていた、スイコの父の持ち物だった。最近父親も死んでからはスイコが引き継いでいる。
建物は一帯の集会所の役割も果たしており、二階建ての大きな屋敷の大半は公共の施設だと言っても過言では無い。建物の大きさこそあるものの、純粋に一家が居住できる場所はむしろ少なかった。
先ほどからずっと沢山の人の気配がしているのはそういう訳があってのことだ。それに加えて現在は保護した人々を一時的に住まわせているとあって、人口密度はかなり高くなっている。
ゴウ、と、風を切る音が屋敷の外から響いた。
何の音だろうかとアルーフは窓枠から身を乗り出す。下を覗けば庭先にソウキの姿があった。どうやら何度も響く音の発生源はそこらしい。
鈍った身体を強制的に叩き起こすようにやたらめったら木刀を振りまくっており、スイコに見咎められたら土間に吊されること間違いなしだ。足元にはひしゃげた木刀が何本か転がっていた。体格の割に随分と力が強いようで、木刀の方が衝撃に耐えられなかったのだろう。
アルーフは不思議な縁のようなものを感じていた。竜の毒の混ざった魔力を一時でも預かって平然──とまではいかなくとも、数日であれほど身体を動かせる者はそういるはずもない。命を狂わせる竜の力は気合いでどうにかできるものでもなく、かなり特異な体質をしているとしか言い様がなかった。
話半分に聞いていた、別の世界から来たというソウキの言い分がアルーフの中で信憑性を増していた。
そのまま鍛錬の様子を窺うアルーフ。
精が出るなあ。と、ぼんやり見ているうちにふと違和感に目を留めた。
木刀の振り方が明らかにおかしい。力は相当強いようだが、あの振り回し方では剣を持たせても斧を持たせても丸太を持たせても変わらないだろう。それともそういう流派なのか。
──わからない。
剣槍弓の扱いをひと通り教わりはしたが、武技に精通している訳でも無い。手合わせでもしてみたらわかるものだろうかと、アルーフは身を起こした。
◇◇◇◇
「ソウキ、ちょっと打ち合ってみたいんだけど、いま暇?」
脚の長さ程度の棒きれを手にしたアルーフが庭先に顔を出す。
ソウキはちょうど休憩していたのか、水に浸した布で熱くなった身体を冷ましているところだった。アルーフの申し出が意外だったのか、丸い目を軽く見開いている。
「おー、平気平気! 作戦の前に肩慣らしくらいはしときたいもんな」
軽快に答えるソウキは本調子ではなさそうだが、具合が悪そうな様子もない。
「まあ……相手は魔物だけじゃないかもしれないから」
「ははっ、計画っていうわりに適当すぎるってか」
からからと声を立てるソウキ。気分を害した訳でなく、作戦の内容が行き当たりばったりで運任せだという自覚もあるようだった。
怪しげな場所を一か八か叩いてみる。
ソウキの策は強攻と呼ぶべきものだった。もはや策と呼んで良いのかどうか。
強攻とはいっても、十割方筋肉に物言わせる訳ではない。前々から企てていた計画から確実性を放り投げただけだ。──というのはソウキの主張だった。
そもそも、アルーフが人狩り達の手から助けられたのも偶然ではない。あの日の襲撃は事前に人狩り達が通る道筋を予測してのことだった。予測された地点は数カ所あったため、ソウキ達に遭遇したのは偶然であったが。
元々、スイコ達は過去何度かに渡って人狩りに抵抗していた。北西側の地区一帯と主に取引を行なっていた集落や離れ里にまで手が及んでいたからだ。
始めのうちこそ一方的に被害に遭っていたが、追跡を重ねるうちにある程度先回りできるようになっていた。街の有志だけでやったにしては成果は挙がっていると言える。
精度を上げていくスイコ達の追跡。大耳や尖耳が集められていると思しき場所に当たりがついていく。魔動機械──もしくはその動力を得るための魔力炉があると思われる地点は三箇所に絞られた。
廃棄市街と呼ばれる地下遺跡と、鉄の国の付近にある水辺、それに領主私有の旧鉱山跡地。
いずれも人が生活しているような場所ではない。十中八九、攫われた大耳達は人体から魔素を取り出すという怪しげな技術の犠牲になっていることだろう。
厄介なことに、情報の確度としては三箇所とも同じ程度だった。できることならば三箇所を同時に攻めて落としたいところだったが、そんな事ができるだけの人手も技術も無い。
それでもソウキ達は廃棄市街に行くことを決めていた。外れだった場合のリスクや侵入の難易度を考慮してのことだ。
領主私有地など警備が大量に配備されていることなど火を見るより明らかであり、そもそも侵入が困難。襲撃が露見した後、領主に目をつけられる速度も速いだろう。あからさまな敵対行為になるからだ。
鉄の国は訪れた人物の消息不明率が群を抜いている。
魔動機械を買い付けた先が鉄の国である時点で領主との繋がりは確実にあるが、それ以上に鉄の国そのものが危険だった。捕獲した魔族を人形に改造しているという噂もあり、クロなんかは近付くだけで危険を伴う。
ソウキは影の国から渡ってくる最中に一度訪れた事があったようで、拒絶反応を示していた。
比べれてみれば廃棄市街への侵入は容易い。
魔物の過剰増殖を防ぐという名目で衛士が派遣されることもあるが、頻度も数も多くない。一般人が食糧や素材欲しさに魔物のいる廃棄市街に立ち入ることもままあるわけで、万が一かち合ったところで咎められるということもなかった。
他の二箇所と比べれば、脅威として上回っているのは魔物の多さくらいのものだ。腕っ節でなんとかなる上、魔動機械を特定するまでの間で衛士と揉めたとしても、魔物との戦闘中に揉み合いになったなどと言い訳をすることもできる。
言い訳できるだけだが。
衛士と戦闘になる可能性を考えると気の進まない部分もあったが、アルーフとしても概ね作戦には賛成だった。
本当に魔動機械を破壊することで流行病が治まるのかは実際に見て確認しなければならない。だがもしも魔動機械がその病の発生源になっているのであれば、早急に破壊する必要がある。
件の流行病はアルーフの故郷でも発生したものと同じものだった。本来は竜が大地の活力を喰らってしまうことに由来するはずの病。今の環境であれば発生しないはずの病が存在しているというのは看過できない。
帝国内に入るためという理由を差し引いてもアルーフは協力するつもりだった。そのためにも、今の自分の状態も仲間の状態も正確に把握しておくべきだ。
「三本勝負でどう?」
「いいけど……アルーフって剣使えんのか?」
「基本の動きくらいだけど、たぶん。昔習っただけだからどうかな~って思って」
アルーフの言葉尻が小さくなっていく。
棒を単純に振り回しているだけのソウキになら、何か教えられる技があるんじゃないか。そう思いもしたアルーフだったが、いざ木刀を手にした瞬間からその気持ちは萎え始めていた。
長剣なんて手にするのはいつぶりか。そもそも達人ほどに使い込んだわけではなかった。くるくると木刀を手で弄んでみるが、吃驚するほど手に馴染まない。
「んじゃ、軽く打ち合うだけやってみるか。ダメそうだったら途中でやめりゃいいしさ」
言いながらソウキは手にしていた布を元の位置に放り投げ、木刀を構えた。楽しげに手の平を返した状態で手招きをする。どうやらアルーフの方からかかってこいという意味らしい。
アルーフが一歩踏み込んだ。何の変哲もない振り下ろしは造作も無く木刀で受け止められる。続けて振り上げた切っ先はソウキが上体を反らしたことで空を切り、逆にアルーフの胴に隙ができる。
ソウキは木刀を振らなかった。しばらくは様子を見るつもりらしい。動く打ち込み台にでもなるつもりのようだ。
そのつもりなら。と、アルーフは跳ぶように一歩下がって突進するように木刀を突き出す。鎖付きの短剣でも似たような動きをするため、技の精度は高かった。
伸ばしきった身体の先。ソウキの首元に木刀はぴったりと吸い付いていた。何度か目を瞬かせ、ソウキは諸手を挙げる。
「お……これは一本だな」
ソウキには、本気で避ければ避けられたのではないかと思わせるような余裕が見えた。
「んで、ちょっと聞いておきたいんだけどさ。なーんで衛士が使うような技使ってんだ?」
ソウキの表情は不敵な笑みに変わっていた。不快げな雰囲気を隠そうともしない。
馬車で隣り合わせになった少女の反応といい、少なくともこの地域周辺では衛士というのはだいぶ嫌われているようだ。
「弟から習ったんだよ。……衛士だったんだ」
教わったのは事実だし、嘘はついていない。アルーフは心の中で弁明した。
「ふ~ん。じゃあその技、あとでオレにも教えてくれ……よっ!」
今度はソウキの方から仕掛けた。
少しばかり重くなったソウキの一撃にアルーフは腹の底が冷えたが、受け流しつつ反撃の機会を窺う。
隙を見てアルーフが攻勢に転じようとする度にソウキの剣筋は速く、そして重くなっていく。比例して荒さも目立つが、技量を上塗りするだけの力があった。
木刀でこれほどとは。荒削りな攻撃を受けるだけでアルーフの両手は痺れていた。
アルーフは体勢を立て直そうと片足を下げる。瞬間、張り出していた木の根はアルーフの視界には入っていなかった。よろめくアルーフの身体。中々決定的な隙ができないことに焦れていたソウキは機を逃さない。
振りかぶられていたソウキの木刀が横薙ぎにアルーフを襲う。すんでの所で引き戻した木刀の柄でアルーフは防御に出たが、嫌な音がした。
まずい。と、次の瞬間にはすでに木刀にヒビが入っていた。頭に直撃するのを防ごうと側頭部を左腕で庇う。堪えきれるような打撃でもなく、打ち返される球のようにアルーフは屋敷の外まで飛んでいった。
少しでも衝撃を軽減しようと転がるように受け身を取ろうとするが、それでも勢いは殺せない。何度か転がって、ようやく向かいの家の前で止まった。アルーフの世界は逆さまになっていた。
何度か瞬きを繰り返すうちに砂埃は収まっていく。
──全然駄目だこれ。
軽い木刀同士でこれということは、やはり実践で自分が剣を取るのはやめておいたほうが良い。けったいな格好と相反してアルーフは冷静に思った。
「おやおや。そこのお方、ご無事ですかな?」
影が射した。
無様な格好でひっくり返ったアルーフに声をかけたのは、大きな箱を背に負った痩せぎすの男だった。目は落ち窪んでおり、骸骨の魔物のようにすら見える。
「だ、大丈夫です。すみません、ぶつかりましたか」
「いえいえ。
アルーフが軽く土埃を払って立ち上がろうとするうちに、男は荷を解いていた。小さな引き出しから油紙に湿った薬草を塗りつけた湿布を取り出し、アルーフの手に載せる。
「こちら、打ち身によく効きますのでな」
「あ、えっと……いまお金とか持ってないんですが」
戸惑うアルーフに男は笑いかけた。口を閉じたまま口角を目一杯まで引き上げる独特な笑顔に恐怖を覚えるのはアルーフだけではないだろう。
「余り物のようなものですな。お代などいりませぬよ」
「え、ああ……。ありがとうございます」
生気の無い風体とは対照的に光る爛々とした男の目。品定めをされているような気分になってアルーフは半歩後ずさった。
礼だけ言って場を後にすべきか、もう少し言葉を交わすべきかアルーフが迷っているうちに、ソウキが慌てて駆けてくる。
「悪い、やりすぎた! 大丈夫か!?」
薬売りの男の姿を認めるなりソウキの動きが止まった。
「……ドロス? こんな所で何してんだ?」
どうやら顔見知りらしい。ドロスと呼ばれた薬売りは場に不釣り合いなほど恭しく頭を下げる。
「なになに。ただの野次馬でございますよ。いやしかし本当にあの節はどうもありがとうございました。危うく衛士に斬り殺されるところで御座いましたので、再び渡り商人として商いができるとは望外の喜びでしてな」
「ついでで助けただけだし、そんな畏まらなくていいっての。水薬も安く売ってもらってるし、お互い様ってことでさ」
「お心遣い痛み入ります。ところで……」
なぜかドロスは視線をアルーフに向けたままだった。しっかりと目が合っている。
「こちらのお方の目を頂くことはできませぬかな? いやはや翡翠の中に空色とは珍しい。魔力の貯蔵量も……これならば白化の治療薬も──」
「駄目ですけど!?」
アルーフのここ一番の瞬発力が発揮された。思わず片目を塞いで勢いよく後ずさる。
「? 片方だけでもよろしいのですが」
「なんで片方なら良いと思ったんですか!? 駄目に決まってるでしょう!」
「おやおや、それはそれは……誠に遺憾でありますな。ではまあ仕方ありませぬ。この辺りでお暇致しますかな」
まるでこちらがケチ臭いかのような反応だ。
アルーフの反応など意に介せず、ドロスは再び大きな箱を背負った。
「気が変わりましたら、次に水薬をお届けする時にでもお申し付けくだされ。ソウキ殿も、いつでもお待ちしておりますからな」
「絶対変わらないんで」
アルーフとソウキの声が重なった。薬売りは早々に背を向けていたため、その声は届いたかどうか。
なんとなく手渡された湿布を使う気にはなれず、アルーフはソウキに押し付けようとしたが、自然に突き返される。
「あの人……なに?」
「たぶん大勢で揉み合いになった時に流れで助けたんじゃねえかな?」
ソウキは渋面だ。よかれと思われていそうな分、無碍にできないらしい。もしくは助けた者には情が湧いてしまうのか。
自分なら全力で遠ざけるところだが。と、アルーフは首を捻った。
「あそこまで畏まられることしてないっつうか……。中心街の情報も持ってるし、助かるっちゃ助かるんだけど、普通に怖えよ。たまによくわからん薬持ってくるしさ」
二人が小声で会話を交わしながら屋敷に戻ろうと振り返ったその時、門の前で仁王立ちしている人影があった。スイコだ。口だけ笑みを浮かべているが、目元がピクピクと引きつっている。
これはまずい。アルーフとソウキは二人揃って顔を青ざめさせた。
「あんったたちねえ!」
スイコの怒りの声が屋敷中に響き渡った。
◇◇◇◇
薄明の中、国一番の屋敷の一室に人影があった。
風がよく通るようにと設計された衣服には金糸の豪奢な刺繍が施され、庶民には到底手の届かない品であることが一目でわかる。それを身に纏う壮年の男は豪奢な衣装に着られることもなく、背筋を堂々と伸ばし、目の前で平伏する小太りの男を睥睨した。
その視線に耐えきれず、意匠の異なる簡素な衣服に身を包んだ小太りの男からは大量の汗が噴き出し、足元の絨毯を汚す。
「も、も、申し訳ございません領主様! どうやら運び屋が賊に襲撃されたらしく、燃料の手配に手間取っておりまする。どうか今しばらくお時間を戴きた──っ!」
早口でまくし立てる男を、領主は落ち窪んだ鋭い瞳で一睨みして黙らせた。
「貴様、あれほどの金を積ませておいてまだ稼働できぬと言うのか」
「ひぃい! お許しを!」
領主の地を這う低い声とは対照的に、小太りの男からは叩かれた家畜のような声が上がる。芸も無くひたすら地に額をこすりつける男を一瞥し領主は背を向け、大きく貼りだした窓外に視線を移した。
「アレには私の全てがかかっている。次にしくじったならば貴様の首が飛ぶと思え」
見計らったように射した陽光が、領主の腰に提げられた剣の柄を照らす。それと同時に小太りの男は転がりながら部屋を後にした。
男の騒がしさと入れ替わるようにして眼下の門前が騒がしくなる。皆似たような形の衣を纏っていた。色鮮やかな人の群れ。毎朝の光景だ。
領主の輩下の者達以外にも、陳情に来たのであろう見知らぬ顔もいくつか見て取れた。鮮やかな波の中では色褪せた襤褸切れはよく目立つ。
「無駄な事を……」
領主は眉間に皺を寄せ、音が鳴るほどに拳を握りしめた。
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