第5話 過ぎたるは

 前にも増してぐったりとした様子のアルーフはスイコに言われるがままになっていた。手を挙げろと言われれば挙げ、口を開けろと言われれば開け、上着を捲れと言われれば捲る。今は背を丸めて見立てが終わるのを大人しく待っているところだった。


「う~ん……乗り物酔いってよりも魔素酔いね。子供ならまだしも、大人でなる人は初めて見たわ」

「魔素酔い?」


 難しい顔のスイコは式術の刻まれた指輪の反応を確認し終え、アルーフの背中に当てていた手を下ろした。


「魔素をたくさん摂り過ぎて体内でぐるぐる回ってる状態ってこと」

「あー……かなり思い当たる節が」


 捲った上着を整えつつ、拵えた傷を確認するアルーフ。

 避けたと思った攻撃を全て紙一重のところで食らっていた分怪我も多かった。魔素を取り過ぎて気分が悪くなった事は今まで無かったが、思っていたよりも過剰だったのだろう。ばつが悪くアルーフは頬を掻く。


「普通は時間が経てばそのうち排出されるんだけど、土地の魔素と相性が良すぎると留まり続けちゃうこともあるのよね。……はい、コレ飲んで」


 手慣れた様子でアルーフに渡されたのは藻のような色をした水薬だった。瓶の中で揺れる液体からは既に危険な気配が漂っている。恐る恐る栓を開ければ、薬草の腐ったような青臭さと清涼感の混ざった臭い。

 本当に飲んでも大丈夫なものなのか疑わしいその香りにアルーフは鼻に皺を寄せる。


「こ、これを……?」

「導きの女神アリアの遺したありがたーい秘薬よ。効き目は王都のお偉い先生のお墨付きで、古代から伝わる貴重な調合書の──」

「よっ、さすが押し売り名人! 殺し文句がそんじょそこらの輩とは──いてっ!」


 横で何やら手伝いをしていたソウキの茶々によりスイコのデコピンが炸裂した。正面からまともに食らったソウキは赤くなった額を押さえる。骨が折れたのではないかと思わんばかりの音がしてアルーフは面食らっていたが、スイコは全く意に介していないようだった。


「でもそうね……今すぐ死ぬってものでもないし、飲みたくなければ飲まなくてもいいわよ。自然回復するまで二日はかかると思うけどね」


 二日間苦しむか、今この一瞬苦しむか。

 選択を迫られたアルーフは迷いに迷って水薬の瓶を傾けた。若干とろみのある刺激物を思い切って呑み込めば、後味だけが口の中を満たす。


「あれ、意外とおいしい」

「あらそう? そんなおいしいものじゃなかったはずだけど……」

「この臭いと見た目でか?」


 予想外の反応に興味を惹かれた二人は残った数滴を指で掬って舐めとり、同時に髪の毛を逆立てて動きを止めた。


「まっっっっっず!」

「騙しやがっ──てないの逆にやべえな!」


 見た目と臭いの通りの青臭い強烈な苦みと、痺れを伴う謎の刺激が二人を襲う。揃って荷台の床に突っ伏す程度には衝撃的な味だ。騙されたと憤ったソウキだが、アルーフには何かを我慢しているような素振りは無い。


「え、アリアの薬にしては全然飲みやすいよ。口の中で爆発したりしないし」

「それ水薬じゃなくて爆薬だろ」

「味はともかく……どう? 効き目の方は」


 アルーフは不快感が渦巻いていた胸の辺りをさする。違和感は残っていたが、また今すぐにどうという事は無さそうだった。


「さっきよりも大分マシかな」

「それなら良かったわ。砂都に着くまで大人しくしてれば段々楽になるはずよ」

「ありがとう。ちゃんと大人しくしとくよ」

「やーね、お礼なんて良いのに。貰うものは貰うわけだしね」


 そう言ってスイコは人好きのする笑顔で片手をアルーフに差し出した。強かな彼女にアルーフは引きつり笑いを浮かべ、手元に戻って来た荷物の中身を探る。金目の物を持っていたか記憶は確かではないが、革の入れ物の底に小さく光る物があった。


「こ、これで勘弁してください」

「十分過ぎるくらいね。おつりは渡せないけど、今度はタダで見てあげる」


 小指の先ほどの銀塊を受け取ったスイコは上機嫌にその場を立ち去ろうとして足を止めた。


「あ、そうそう。ソウキも気を付けなさいよ」

「は? なんでオレ?」


 急に名前を呼ばれてソウキは肩を揺らす。


「この人の魔力の型、ソウキと似てるんだもの。ここら辺で治癒式使いすぎると同じ目に遭うと思うのよね」

「別にオレ怪我とかしませんし~」

「わたしの目は誤魔化せないわよ。これ、事前にいっとこうかしら?」


 スイコが手にしたのは例の危険な色をした水薬だった。口元には笑みを浮かべているが、目はすっかり据わっている。わざとらしく目を逸らしたソウキは動きを悟られないようにそろりと立ち上がる。


「あ、ああ~……そろそろクロと馬車の操舵、交代してやらないと~」

「待ちなさいこら! わたしは真剣に──もう!」


 がたつく馬車の上で戯れに始まった追いかけっこはアルーフが割って入るまでしばらく続いた。


 ◇◇◇◇


「開門! 開門ーっ!」


 男の太い声と共に巨大な扉が重々しい音を立てて口を開ける。

 石を積み上げて作られた堅牢そうな壁だ。広がる荒野と同じ色をした壁は、飾り気もなく高くそびえ、無機物らしい威圧感を醸し出している。アルーフは故郷にあった獣避けの門とは異なるその様相に興味津々で上から下まで隅々眺め続ける。

 門の上には声を上げた男以外にも幾人かの姿があるが、衛士のように制服を着ているわけでもなく統率にばらつきが見えた。


「ククク、凄まじかろう! 斯の盾門は我らが英知にて──って聞いておらんではないか」

「聞いてる聞いてる」


 荷台から身を乗り出したアルーフはクロの与太話を聞くよりも、通りすぎていく街中の光景を隈無く目に入れるのに忙しかった。

 日干し煉瓦で作り上げられた砂色の街。外からはただの岩山に見える要塞じみた街だ。

 一転して中に踏み入ればがらりと様相は変わる。色とりどりの布がはためき、鉱物を砕いてちりばめた灯りが夕日の茜を反射して星のように煌めく。

 アルーフは女神が語っていたままの風景に心躍らせていた。だが、話に聞いていたよりも人気ひとけがない。他の都との交易が盛んと言うには些か寂しい人影の数だった。

 強くなり始めた風に揺られてカラカラと立つ鳴子の音が、周囲を探るように立てられたアルーフの耳に響く。次第にその音の中に喧噪が混ざり始めた。市場の活気付いた賑わいではない。


「ソウキ! よかった、帰ってきたんだな!」

「俺たちゃもう限界だ! 新月の日なんか待ってらんねえ!」


 門から続くうねった道の先。崩れた彫像を中心に据えた広場に人がひしめいていた。皆武器を手にしている。ある者は剣を。ある者は斧を。ある者は鍬を。子供ですら棒きれを手にして振り上げている。丸耳ブレウェ大耳マグナウリスも関係なくだ。


「おいおいおい、どうした!? まだ作戦の日じゃないだろ」


 夕暮れに反して熱気は高まりを見せる。ソウキは馬車を急に止め御者台から飛び降りた。スイコまでもがソウキに倣って走り去って行く。どうやら集まっている人々とは顔見知りのようで何やら話し込み始めており、すぐに戻ってくる気配はない。


「あれなんの集まりだ?」

「横暴領主に対する抵抗組織といったところじゃな。知らぬ顔も多いし、今日はちと妙な雰囲気じゃが……」


 束ねられた声がクロの声を掻き消すように響く。繋がれもしていない馬は落ち着かなそうに耳をばたつかせていた。石畳に蹄を打ち付けており、このままにしておいたら物音に驚いて暴走しかねない。

 せめて御者台に誰かいた方がいいだろう。と、アルーフが身を乗り出した瞬間、外套を力任せに引っ張る者がいた。想定外の事態にアルーフはバランスを崩し、そのままの勢いで荷台から転がり落ちる。石畳の地面に叩き付けられて視界には星が飛んだ。


「痛っ~~~~!」


 鼻の奥で軋むような痛みにアルーフは目眩すら覚えた。だが地面にうずくまっていられたのも束の間。首根っこを掴まれ、強制的に身体を起こされる。


「み、見下ろしやがって……お前、お前が狼煙か」


 アルーフの背後には縦にも横にも大柄な男が立っていた。比較的長身のアルーフと比べても更にデカい。

 一見すると、広場で声を張り上げている群衆と比べて冷静なようにも見えたが、いまひとつ焦点の合っていない目は飛び出さんばかりに開かれ血走っている。

 アルーフは全て視線を動かすだけで状況を把握する他なかった。首元に当てられた冷たい刃物は既に薄皮を裂いている。刃はよく研がれていたのだろう。瑠璃紺の襟元は滲む血でじわじわと黒く変色していく。

 男が腕を引いただけで終わる。誰の目から見ても明らかだ。


「待って! その人は協力者で──」

「う、ううううるさい! オレは聞いたぞ! あいっ、あいつら、薬は無いと言ったくせに、金持ち連中には売っていやがる」


 外界へは死にに来たようなものだが、何の変哲もないナイフで死んだ場合にどうなるかはアルーフにもわからなかった。ただ無駄死にするだけなら良い方だ。行き場も制御も失った竜の毒が領域からも溢れ出して、全て塗り潰す可能性の方が遙かに高い。

 死ねば全て丸く収まる。そう漠然と考えていたはずのアルーフの身の内で急速に変化が起こる。身体を生かす必要があると、爪の先まで一気に血も魔素も■■■もが巡り始めていた。


「薬さえあれば治るはずだったのに! もう、娘は!」


 激情のままに血走った眼の男は腕を引いた。遠目からでも赤が散るのが見え、誰からともなく悲鳴が上がる。

 後戻りはできないと皆覚悟した。だが地に落ちたのはアルーフの身体ではなく、ナイフの方だった。一瞬だけ訪れた静寂の中に金属音が高く上がる。


「は、な……?」


 花。男の手があったはずの場所には花が咲いていた。

 紅玉の色をした波打つ花弁が紫混じりの黄昏の中で輝く。人の顔よりも大きな、この世ならざる大輪の美しさは人々の目を奪った。馬の足元まで滑っていったナイフの周りもその花弁で彩られている。


「うああ゛っ!」


 花を目の当たりにした男と、アルーフの呻きが重なる。舞った赤が血潮ではなかったことに人々は安堵の息を漏らしかけたが、なにか異様な雰囲気が漂っていることに気付いた。

 男の手元に花が咲いたのではなく、男の手が花と化している。ようやく事態を理解した人垣にどよめきの波が発生し、端まで伝播していく。

 混乱の中、ごほっ。と、湿った咳がアルーフの喉から鳴った。足元には黒く染まった血だまり。咳き込む度に体積を増していくその上にアルーフはうずくまる。

 視界は血泥ちどろに遮られ、泥遊びでもしたかのように汚れたアルーフの手は石畳を何度も掻く。爪が割れようが肉が削げようが、身体が内側から爛れる不快感には及ばない。


「魔力暴走……!」


 見覚えのある景色に焦るスイコが人垣をかき分けるも壁は厚い。その間にもアルーフからは血が流れ続ける。

 馬がいなないた。足元に触れた血泥に驚いて前足を高く上げ駆け出そうとした瞬間、泡を吹いて倒れ込む。痙攣を続ける異常な馬の行動に人垣が四方八方に解けていく。荷台の端に寄っていた人々も慌てふためいたクロに連れられて消えた。

 これ幸いと肉壁を抜けたスイコの前には黒赤い海が広がっていた。本当に血液だったならばとっくに失血死していてもおかしくない量だ。


「ソウキ! 早くこっち!」


 人波に飲まれてソウキの姿はスイコからは遠くなっていた。街の中心から騒ぎに駆けつけた衛士を口八丁手八丁で追い返すのに手一杯だったが、スイコの焦り様が目に入るなり衛士の手を振り払う。入れ替わるように殺到する人だかり。途切れることの無い人影に遮られて衛士はソウキを取り逃がした。


「手貸して。物理的に」

「なんだ? 何する気だ?」

「溢れてる魔力をソウキに移すのよ」


 当然の事のように簡単に告げたスイコは手際よく式術を展開する。ソウキの返事も待たずに前に進めば式術の簡易結界の効果で血泥が二手に分かれていく。

 何をするのか理解が追いついていないソウキだったが、急ぐスイコの背に寄った。

 アルーフの意識がまだあることを確かめたスイコは抜いた細身の剣で式術の陣を描いていく。有機的に絡まった紋様の中心に剣が突き立てられた。


「ソウキ、剣の柄を握っておいて。上手くいくかは五分五分だけど、協力者を改めて探すよりはよっぽど確率は高いはずよ」

「お、おう。なんか仕組みとかよくわからんけど、他にすることねえの?」

「そうね……耐えてとしか言えないわ。流れてくる魔力がどれだけのモノかわからないもの」


 言葉を聞いたアルーフは二人から距離を取ろうとしたが、身体が思うように動かない。暴走状態に陥った魔素が自身の体内を滅茶苦茶に破壊して回っていた。


「……あ、ぐ……」


──無茶だ。


 竜の毒も混ざった魔力など一時とはいえ簡単に預かれる代物ではない。耐性のない者がそれを浴びればどうなるかは、ナイフを振りかざした男を見れば一目瞭然だ。だが止めようにも声は呻きとなって消えていく。


ekefiki akvomark陣よ、その力を発せよ


 スイコのかけ声に呼応して、剣に刻まれた細かな模様から地面に刻まれた陣へと魔力の滝が形成される。


「よし繋がった!」


 喜色を浮かべるスイコと反比例するようにソウキの顔色はみるみる間に青くなっていく。ギリギリのところで保たれていたアルーフの意識も途絶えた。


「すっげー気持ちわりいんだけど、これ大丈夫なやつか?」

「他人の魔力を無理に捻じ込んでるわけだから、魔素酔いは避けられないわね!」

「元気よく言うんじゃねえ……」


 波打つ泥。少しずつ重くなっていく負荷。ソウキは掴んだ剣を杖代わりに立っているのがやっとだった。

 かといってスイコに全く影響がないわけでもない。想定以上の魔力の量と密度。無秩序に暴れ回る魔力の流れを調整するだけでも相当に気力も体力も削られていく。垂れがちな目は釣り上げられ、額には冷や汗が滲む。

 あと少しだけ足りない。その予感にスイコは膝を折りかけるが、秩序を取り戻しかけた魔力は次第にアルーフの核へと収束し始めた。

 流れが出来てしまえば、あとは成り行きだ。スイコは無理に固定していた式術の発動を止めた。それでも収束に向かう魔力の流れは乱れることはなく、ほっと胸を撫で下ろす。


「な、なるほど……これが魔素酔いな……」


 一方でソウキはといえば、真っ青を通り越し白くなった顔色でふらふらと道の端に寄ってへたりこんだ。数刻前のアルーフと同じ状況だ。

 太陽が姿を隠して紫紺色に染まった通りからは人の気配は絶えていた。

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