鋼の森のアリス
仮名仮名(カメイカリナ)
手稿『白鳥有栖』
夕方、あの橋の近くでチェシャを見かけた。
人ごみの中に遠く見え隠れする、垂直に立った黒い小さな三角耳に気付いて直ぐ、私は思わずそれを追うように歩き出していた。その時間の川沿いは人がとても多く、掻き分けて進みながらも過ぎ去っていく人々の多様さと量に圧倒されて、結局それがチェシャであるかも分からないままだった。
前しか見ない彼女の小さな背を、ふと辺りを見渡したときに見失う。私が視線をチェシャの居た方に戻した時には、もう彼女は何処とも知れぬ場所へと歩み去ってしまっているのだ。それは彼女がウサギと一緒に過ごしていた頃から変わらなかった。
無論あれはチェシャでなかったのかもしれない。彼女がこの街以外の何処かで生きているのなら、それに越したことはないし、だとしたらあれは私の懐かしさが見せた錯覚か、ウサギやチェシャの辿った道をこれから歩いていく、新たな世代の『街』の住人の一人なのだろう。あの幾つかの手稿をしたためた日々からは、数えきれないほどの月日が過ぎ去っている。
けれどチェシャを見失って立ち尽くす私が道路脇の、内装の灯りが落とされたオフィスビルに目をやった時、一面の暗い硝子張りの向こう側から過去の自分がじっと見返していることに気付くのだ。愛想や社交辞令も身に着けていなかった、敵意と不機嫌を全身から撒き散らしていた頃の白鳥有栖が。
かつて私の部屋のクローゼットには、無印で買った水色のシャツワンピースや、ジーンズに白のカットソーのような服ばかりがかかっていた。それは当時の私の趣味というより周囲から浮かない為の無難な選択で、着飾ることや誰かにもてはやされることに興味はなかった。
彼女は基本的に現実に存在するものよりは、書面やディスプレイの向こう側、そして頭の中にしか存在しないものの方が好きだった。けれど今も着飾った服の内側にある『私』はあの頃と何も変わっていやしない(そう考えるのはただの願望かもしれないが)私の背は平均よりも高く、中学くらいで身長の伸びが止まるまでの間は全身がひどい成長痛で動けない時もあった。今では直ったけれど趣味の時間や勉強の時もずっと猫背ぎみで、視力が落ちて眼鏡をかけるようになったのも、そのせいだったような気がする。
けれどこうして筆を執り、今となっては当たり前になってしまった色々なことの経緯(いきさつ)を思い返そうとすると、あまりに多くの記憶を忘れ去っていることに愕然とする。その当時何をして、どんな動機でそれをしたかと問われて答えることはできる。けれど過ごしてきた日々の詳細な五感的な記憶も、その当時抱いていた無知による何かへの盲信も、今となっては遠く霞んで思い出すことができなくなっている。
かつて自分を自分たらしめていた記憶も、ただ何が起こったかということだけを覚えていて、その時の私の身体が受け取った感覚や、出来事の前後に何を感じていたかということを、時を経るにつれ忘れていく。
今この瞬間のこれらの感覚も、つまりは当時の有栖を形作っていたものを忘れ去っていくことへの恐怖すらも、私はいずれ忘れ去っていくのだろう。だから、私は消えゆくそれらを一片の言葉に替えて、こうして繋ぎ留めようとしているのだ。まだその想いが風化していないうちに、その時々の手稿という形で。
今しがたチェシャらしき人影を見失った私は、往来の人種が日没とともに入れ替わりつつある、東西を突き抜ける歩道を歩いている。夕暮れ時はビルの隙間から眼に差し込む光が眩しく、陽の沈みゆく西側へ向かうのは私一人だけだった。私は落書きされた壁の前を、川の畔で飲み明かすグループ、コンビニ前のベンチに座って虚空を見つめる中年の前を、そして路上パフォーマンスに沸く人だかりの前を、声帯遺伝子の置換により鳥のような歌声を獲得した獣人が唄う、流行りの歌のコピーを聞き流しながら通り抜ける。
赤信号から切り替わる直前のエアポケットのような交差点を、飛び過ぎる鳩の群れを横目に、私は行き交う人込みから少し離れた場所で立ち止まる。ビルの屋上に据えられた、錆びたトタン張りのペンションに西日が差す。街の何処かで必ず工事が行われていて、赤いクレーンが天を衝くように伸びている。待ち合わせ場所や旅行客の被写体になる珍しいオブジェに、ずっと同じ場所に立っている初老の駐車監視員やガードマン。アパレルの集まった百貨店、銀行と消費者金融のビル、生きる人よりは遅く、死人と郷愁の記憶よりは早く姿を変え続ける街並みの景色。車のエンジン、ブレーキの音、クラクション、話し声が宙(そら)へと抜けて行く。吹き付ける風、踏みしめる足の地面の感触、未だ蒼さを残した空には鳥の群れと白んだ月。
後ろから歩いてくる人が、自分にぶつかってこないかと気にかかり、私は再び歩き出す。すぐに上がる息、肩にのしかかる鞄の重さ、寝不足やカフェインにホルモンバランスといった些細なことで、しょっちゅう機嫌を損ねる内臓たち、片側に重心をかけるせいで痛めた手足の付け根の関節。タクシーに行き先を告げる誰かの声、ここが『街』となる前の昔から使われ続けているであろう『○○通り』の錆びた看板、爆音で風俗業の求人曲を流しながら走り抜けるトラック、自動ドアが開いた瞬間だけ漏れ出てくるパチンコ屋の騒音とタールの臭い。
私はふと思い出して髪の乱れを指で直す。少し汗ばんだ根元から先端までを指でなぞるようにして、自らの髪の感触を手に感じさせながら。私は生まれた時から、ずっと自分だけを見ていた。誰かと触れ合う時、触れている相手の身体ではなく触れられている自分を感じて、誰かと会話する時も、自らの耳に入る言葉を聞いて思考し自らに向けた言葉を発するだけで、決して目の前の相手と言葉を交わしているのではなかった。だから私は何処へ行っても誰と居ても心の中で、この世界に生きている人間は自分一人だけだと考えていた。それはこの騒然たる街の性質に適応したことによるものではなく、故郷を去るよりも前、幼い頃からの変えがたい私自身の性質であったように思う。
この国のものでない言葉で張り上げられるドラッグストアの路上宣伝の声と、宣伝のため実用度外視の構造で立てられモニュメントと化した数々の商業施設。私は街の中心にある堀を越えるとき、夥しい通行人で足の踏み場もないような真ん中の橋を避けて、人のまばらな隣の橋から向こう側を行き交う人々を眺めた。それは思考様式も生態も外見も異なる夥しい生命の群れ、猫や犬、鳩や雀、蛇や毒蜘蛛と、そして鋼とコンクリで出来た樹々と、なんら変わりはしない。
私にとってそれらは景色の一部であり、時に利益をもたらすが警戒すべき相手であり、この森の生態系を担うそれぞれの種族であり、それ以上でも以下でもなかった。総体としては一定の規則に基づいて何度も繰り返される同じ景色、騒音の中に垣間見える荘厳と汚濁にまみれた尊厳、そして殺菌消毒された華やかさの同居する混沌の街。私は長らく私にとって唯一人の、この不可思議な世界の中に迷い込んだ『人間』だった。
だからこそ、たった一人で生きる鋼の森の中で、この一人きりで歩んできた生の中で、私以外の『人間』に出会った日のことは忘れようもない。それは私が大学二年生だった頃の十二月、『街』の異常気象で大量発生したフユムシ(雪片のような白い蠅の一種)が道行く人々の視界を覆い尽くし、口の中に飛び込んでくる阿鼻叫喚の騒ぎから数週間過ぎていた、そして初雪が降るよりは少し前の金曜の夜だった。
私がチェシャと呼ばれる猫人の少女と、ウサギと呼ばれていた雪のように真っ白な男と出会い、『不思議の国』へと迷い込んだ日のことを、これから物語として書き留めようと思う。
これ以上、あの記憶が風化していく前に。
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