エンドロール

 目の前の男、たしかナラサキとかいったっけ。そのナラサキが自分はペリエの炭酸水しか飲まないみたいなことを言ってたけど、私は石原さとみが出てる連ドラの録画予約をしたかどうかが思い出せなくて、ナラサキの話はまったく入ってこなかった。

 ペリエなんてその辺の大学生だって知ってるし、さっきからチラチラ見せてくる時計もオメガの安物だ。せめてシャテルドンとかオーデマ・ピケとか、そのくらいのレベルで自慢して欲しい。このレストランだって、星もついてなければ特別美味しいわけでもない。ただ、ビルの最上階にあって値段がバカみたいに高いだけだ。

 それでも私は無知なフリをする。こんな場所に慣れた女なんて男にウケないから。目を輝かせて「すごい」「初めて」を連呼していれば事は足りる。それはベッドの上でも同じだ。

「でさ、その友達がクルーザー持ってるから、今度小笠原にでも一緒にどうかな?」

「えー、すごい。私、イルカを生で見たことないんですよー」

 だったらその友達を紹介してくれよ、そう思いながら赤ワインの入ったグラスに口をつける。このワイン一瓶で、アフリカの飢えに苦しむ子供たちを何人救えるだろうか。そんなことを考えているとゾクゾクして濡れてきた。


 私は海の見えない田舎で育った。周りの女連中は海に強い憧れを抱いているようだったけど、私はあまり興味がなかった。男どもは事あるごとに女を海に誘った。内陸の女を海に連れていけば、なんとかなると思ってる男は多かった。私も何度か海で告白されたことがあったけど、全て断った。そんなことで結ばれるなら、私はどうにかしてファイトクラブの頃のブラピを海に誘い出す。タイラーみたいな男だったら、アナルにぶち込まれたってかまわない。


「それでね、そこの社長が前祝だってくれたのがフェラーリの車。もちろんオモチャだよ? 子供が遊ぶものだからね。それでも30万くらいするんだから。友達もビックリしてたよ。まさか親子二代でフェラーリ乗ることになるなんてって」

「へぇ、すごいねー」

「あと、知り合いのテレビ局のプロデューサーがさ――」


 話がそれてしまった。とにかく、なにをするにしても芸も品もない連中に飽き飽きしてた。一刻も地元から出たくて、私は東京の大学を選んだ。金さえ払えば、誰でも入学できる貞操観念の緩い私立大学だ。

 新生活に胸を躍らせていたけれど、都会での現実は散々だった。女子大生らしくバイトやサークル、合コンにクラブに勤しんだけど、そのほとんどが退屈なものだった。地方から出てきた連中は言うまでもなく、都内出身の男連中は女と前髪の作り方にしか興味のない鼻につく連中ばかりだった。親のBMに乗って大学に来る男を初めて見た時は声を出して笑ったっけ。

 所属していた映画サークルの副部長も、合コンで知り合った読者モデルも、私の顔面とセックスのことしか頭になかった。もし内面がみえてるってんなら、絶対私なんかと付き合いたいはずがない。良い寄ってくる男にはあまり興味が湧かなかった。私に無関心な男、そういう男を振り向かせる方が楽しかった。美人ほど男の下心には敏感だと思う。男と女の友情が成立するって女は、ヤリマンか頭の弱い奴だけなんじゃないかな。それでも、大学時代は何人かの男と付き合った。横田基地のクラブで働いてる男や、バイセクシャルのダンサーなど、それなりに退屈はしなかった。クラブの男はクサやMDMAを分けてくれたし、ダンサーはセックスが抜群に良かった。

 

「このお店はさ、なんといってもパスタが美味いんだよね。ほら、ちょうど来た。うん、そっちは彼女に」

「ほんとだ、美味しそう」

「タリアテッレのミートソースって、けっこう珍しくない?」

「タリアテッレってなに?」

「ああ、ごめん。平打ちだよ平打ち。フィットチーネとはまた違うんだけどさ。でね、このミートソースは子羊の挽肉を――」


 大学を卒業してから、私は大手自動車会社に就職した。まともに就活なんてしてなかったけれど、合格できたのは多分見た目が良かったからだと思う。私より良い大学を出て、面接での受け答えも完璧だったコは落とされてた。世の中は本当に不条理だ。だからこそおもしろい。はたから見れば、ルックスしか取り柄のない私は受付の担当になった。

 そこから二年間、いろんな人間の顔を見て過ごした。個人的に名刺を渡してきた連中の一人と付き合ったりもした。早々に働くことに飽きてしまっていたから、すぐにでも結婚するのもいいかもしれないと思っていた。その男は、いかにも学生時代にサッカー部のエースだったような雰囲気を持った爽やかな男だった。大手広告代理店の新入社員で慶応卒のエリートらしかった。男は、私の隣で受付嬢をやってるエリカちゃんにも連絡先を教えていた。それが決め手となって、私はその男をものにしようと思った。

 男とは一年ほど付き合った。やはり浮気性な男で、いろんな女と遊んでいるようだった。いつか捨てられるかもしれない、そう考えるとドキドキした。でも、男は必ず私の元へ帰ってきた。挙句、結婚しようとまで言い出した。指輪まで買って。もちろん断った。私はどうあがいても、悲劇の主人公にはなれなかった。


「やっぱり、ワインとパスタの愛称は抜群だね。ミートソースにはやっぱり赤かなぁ。ミディアムの方が後口が良い感じがする」

「そうなんだ」

「赤坂の有名なワインバーのソムリエが言ってたんだけどさ――」

「ねぇ」

「ん?」

「あなたの話を聞かせてよ。さっきから、他人の話ばかりでつまんないんだけど」


 私は映画の中の主人公になりたかった。あの刺激的で叙情的な二時間を、私の人生で体現したかった。心の醜さはどうあれ、他人のスクリーンに映る私が劇的であればそれでいい。演じることで、人生が彩られていくような気がした。

 私は広告マンの男と別れてから、高円寺のライブハウスに立ち寄った。恋人と別れて、ふらっとライブハウスに立ち寄るシーンなんて絵になると思った。バンドは私の趣味じゃなかったけど、そこで面白い男に出会った。曲は激しいロックンロールナンバーだというのに、男は一人佇んだまま涙を流していた。私は一瞬で男に惹かれてしまった。声をかけ、ライブハウスを出てから連絡先を交換した。男はヤナギダと名乗った。「そこは下の名前でよくない?」そう言うと、ヤナギダはぎこちなく笑った。

 ヤナギダはロックスターになるという夢を追って上京した。もちろん夢は破れ、現在無職の二十七歳という有様だった。おまけに上京してからはヒモ生活で女に食わしてもらっていたという。全てが私の琴線に触れた。この男しかいないと思った。

 しばらくして、どちらかが告白するでもなく私とヤナギダは恋人になった。ヤナギダはまさに映画の中から出てきたかのような男だった。退廃が美しいのはフィクションの中だけだと有名な劇作家が言っていたけど、そんなことはなかった。ヤナギダは美しかった。彼の一挙一動が私を興奮させた。まるで自分が映画のヒロインになったようだった。

 小さな出版社に就職したものの、薄給で借金もあってか彼のアパートはボロく、苦学生のような生活を送っていた。堕落したその日暮らしの生活、灰皿一杯の吸い殻、たまにギターを鳴らしては安酒を飲む。型の古い扇風機の風を浴びながら、二人でアイスを食べた夏。それらを目の当たりにして、私の生活はどんどん潤っていった。

 けれど、そんな生活も長くは続かなかった。いつからかヤナギダは煙草を吸わなくなり、ギターも弾かなくなった。無精髭を剃るようになり、長かった髪も切ってしまった。ヤナギダはフリーのライターになっていた。その仕事がうまくいっているらしく、自分の生活を改める余裕ができ始めたらしい。私の存在が自分を変えてくれたとも言っていた。借金も返し終え、私と同棲するためにマンションまで借りるようになった。

 頭の中ではもうエンドロールが流れ始めていた。会社を辞めて引っ越しを済ませ、私はヤナギダの世界から姿を消した。ヤナギダと過ごした二年間はかけがえのないものだったし、毎日がキラキラしていた。始まりがあれば終わりがある。映画も同じだ。残酷なようだけど、いい映画はエンディングが美しい。だらだら続編を垂れ流すほど、私は蒙昧でもなければ優しくもなかった。

 映画は終わった。あとはとびきりの金持ちと結婚して、優雅で楽しい人生を送っていこう、そう心に決めた。


「え? ごめん。なんて?」

 ナラサキはそう言って、泣き笑いのような表情を浮かべた。

「聞こえてたでしょ? だから、あなたの話を聞かせてって言ってんの」

「ごめん、なんか怒ってる? 怒らせたてたら、ごめんだけど」

「謝る必要もないのに、何回も謝らないでよ」

「えっと、それはどういう意味かな?」

 私はため息をついて席を立った。

「そういう意味よ」


 外に出ると夜風が冷たい。もうじき吐く息も白くなるだろう。呆気にとられたナラサキの顔を思い出すと思わず笑いが込み上げてきそうだ。婚活サイトやマッチングアプリを使い始めたものの、ハズレばかりを引かされている気がする。つーか、年収3000万以上の項目を無視してんじゃねぇよ、バカ。

 大通りからひと気の少ない道に入ると、場末の雰囲気が漂う。タクシーを拾おうとも思ったが、自宅からそう距離はなく歩くことにした。タクシー代を貰うまで我慢できなかった自分への戒めだ。飲み屋の裏口にP箱が並んでいて、そこにトラ柄の野良猫がいた。思わずしゃがみ込み、猫の頭を撫でてみる。

「人懐っこいんだね、あんたは」

 クルーザーのお友達と知り合えないのは少し痛いけど、来週末はベンチャー企業の若手社長との食事が控えてる。もしかすると最後までいくかもしれないから、グースベリーの下着をチェックしとこう。そんなことを考えていたら、急に目の前が大きな影に覆われ猫が慌てて逃げていった。次の瞬間、振り返る間もなく後頭部に鈍い衝撃が走った。地面が近づいてきたのではなく、倒れたのが私だった。血だまりが自分のものだと気づいた時には、もう意識を失いかけていた。霞んでいく視界の中で、猫がどんどん小さくなっていくのが見えた。

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