第8話
坂城の練習は終わりを告げた。
練習開始時と同じように、部員たちは横一列に並んだ。別に順番を決めたわけではなかったが、左から順に茅場、姫沢、花岡、そして永原という並びになった。
向い立つ坂城は額の汗をポールスミスのハンカチで拭ってから、四人をゆっくりと見回した。
「みんな、この暑い中練習お疲れさまでした。私がこの学校にいるときは卓球部があるとは知っていながらも皆さんの様子を見ることができなくて、とても後悔していました。でも、今日はこんな素晴らしい卓球部があるんだということが知れてとても良かったです。ありがとう」
坂城が小さく頭を下げると、オウム返しのように部員たちも頭を下げた。
この時、坂城はちらりと体育館上部に据え付けられた時計に目をやった。
「まだ少し時間に余裕があるかな・・・それじゃあ、ここからは一人ずつ私の所感を語っていくとしようかな。まずは、茅場君」
「はい!」
「君はカットマンだったよね?私が見たところ、足の運び方と台からの距離に難があるが、そこが直ると伸びると思うよ」
「ありがとうございます」
茅場は上半身を直角にせんばかりの勢いで礼をした。この男にとって高名な指導者から指導を賜るのが長年の夢だった。それが叶い、しかもそこそこ評価されたのであれば有頂天だろう。
その後も順繰りに坂城の総括が述べられていった。それぞれプレイスタイルや経験値も違うのだが、唯一の共通点はと言えば、これまでの三人は、修正すべきポイントなどをいくつか指摘されながらも、おしなべて好評価だったということだ。
しかし、永原の番になるとここに来て坂城の顔に影が射した。
「君ねぇ・・・うーん、何というか・・・」
言葉を濁らせる坂城に、永原は一瞬一抹の不安を覚えた。目の前にいる指導者の声は、明らかにトーンダウンしている。
「卓球をやってきた年数に対して少し地力の付きかたが遅い気がするなー。前陣速攻の選手にしてはブロックやツッツキも甘いし、攻撃に転ずるときに迷いがあるように見えるなぁ。折角のチャンスボールなのに、何でその打ち方なの?って思うこと何度かあったし。あ、もしかして、最近ラケットとかラバー変えた?」
「い、いえ・・・」
「そうか・・・うーん困っちゃったねぇ。そうだなーこの感じだと発展的な練習をしてもあまり意味がない気がするなぁ、基本に立ち返って練習したらどうかな?」
それまでの笑顔から一転、永原のプレイを批評する坂城は困り果てているようだった。
永原にしてみても、思った以上に手痛い意見が飛んできたという印象だった。他の部員らは「全体的に悪くないけどここを直すと伸びる」という論調だったが、永原に対してはもはや具体的でピンポイントなアドバイスを送ることもできないほど芳しくないようだ。
ここまで言われたからには仕方ない。長らく続くこの違和感のついても思い切り聞いてしまおう・・・永原は臍を固め一歩踏み出す。
「先生、あの・・・!」
「ん?どうしたのかな?」
「実はラケット握った時・・・」
「坂城先生」
永原の意を決した言葉をかき消す緊張感のない声。その声の主は米倉だった。
「もう数分でタクシー来ますので、そろそろ・・・」
「あぁ、そうかそうか。永原くん、申し訳ないんだがもう時間だそうだから、そろそろ私は行かせてもらうよ。みんなも今日はありがとう!また機会があったら一緒に卓球しよう」
坂城はそそくさと荷物をまとめて体育館から去っていった。永原を除く三人は汗染みのできたYシャツの背中に対して感謝の言葉を投げかけた。しかし、永原には何故かそれがうまくできなかった。
永原はこれ以上なく絶望感に満ち、惨めな思いに打ちひしがれた。
自分の右手とラケットの違和感について、もっといえば自分と卓球の関係性について、坂城は何らかのありがたいヒントをくれるのではないか、という淡い期待を寄せていた。しかし、それは木っ端微塵に砕かれた。
他の連中は試合で相手に勝つための実践的な足取りやリサーブの仕方、あるいは敵陣のできるだけ手前でツッツキを返すにはどう肘を使うか、などを身ぶり手振りで教わっていた。だのに、自分はまるで次元の低いふわっとした意見しかもらえなかった。何なら花岡よりも初歩的なことだ。
居丈高でいるわけではない。だが、永原はもう五年近く卓球を続けてきたし、中学の時点で基本はしっかり押さえた上で練習に励んでいるつもりだった。元々霞みつつあった永原のプライドは完全に掠れきってしまった。
「正直言うとな、俺はこういうことになるんじゃないかと思ってたよ、慶介」
帰りしな、永原の肩を叩きながら姫沢が言った。
「お前がたくさん練習してるのを俺はよく知ってる。調子が悪いってこともな。だけど、パッと来た坂木さんにはそれがわからない。見たままありのままで判断を下すしかない。それが悪いとは言わないけど、いくら坂城さんが目利きだとしても、大まかなところしか言えないだろ。何より、お前のスランプの原因をお前自身が分かってないみたいだしな。分からない人間と分からない人間が顔つき合わせたって、何もならないだろ」
姫沢はいたって淡々と告げた。まるでその日にやるべき課題の内容でも連絡しているかのようだ。
永原は昨日まで希望の光を幻視していたのだと思いしった。同時に体の底から恥ずかしさに起因する熱がこみ上がってくるのを感じた。姫沢の言う通り、一時間かそこいらで見て原因が分かるような不具合であればとっくに永原自身で解決できているであろう。しかしそれができないということは、永原の卓球プレイヤーとしての活躍を阻んでいるのはもっと根深くて見えにくい何かなのだ。それがパッとやってきた人間に解消できるのであれば楽なことはない。
姫沢の言い分は正鵠を射ていたし、永原もそれはごもっともだと思ったのだが、やはり自分の浅はかさに抗いたい自分がいた。
「それはそうだけどさ・・・俺は何がなんでもこのスランプから脱却しないといけないんだよ。だから今日練習に坂城さんが来てもらえると聞いて、藁にもすがる思いだったさ。だけど・・・」
そんな一縷の光はあっけなく圧倒的な暗闇に減衰された挙句消えてしまった。永原は期待していたものを何も手に入れられなかったのだ。代わりに手元に残ったのは、基本的な練習を繰り返せというピントのずれた写真のようなアドバイスだけ・・・。
言葉が絶えたのを見て、姫沢はため息を吐いた。
「やっぱりさ、目の前のことを愚直に練習し続けるしかないんじゃない?お前が要領よく技術を見に付けられるような男だとは思えないしさ。まぁ、そういうとこがお前のいいとこでもあると、俺は思ってるしね・・・」
姫沢はざっくりと切り込んだ。姫沢はいつだって的確なことを言ってチクチクと永原の心を刺した。悔しいことだが、今回もまた姫沢の言うことは正しかった。
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