第6話
その日も練習が終わり、各員はめいめいに道具の手入れをしたり、手早く着替えをしていた。そんな時、茅場が永原に声を掛けた。
「永原君」
永原が声のする方を向くと、眼前に第二体育館の鍵をぶら下げた茅場がいた。
「悪いんだけど、第二体育館の鍵を閉めた後、職員室に鍵を返しに行ってきてほしいんだけどいいかな?僕は今から執行部の方に顔を出さないといけなくてさ」
「え、この後はバレー部の番だろ?」
「いや、男バレは他のところに練習に行ってるから使わないんだって。だから僕らが最後」
「うん・・・わかった。返しとくよ」
「悪いな、助かるよ。じゃあよろしく。お先に」
鍵を永原に預けると、茅場はカリマーのバッグを肩に引っ掛けて体育館を後にした。
「慶介。どうした?」
学生服に着替えた姫沢と花岡が歩み寄ってきた。
「尊、花岡。悪いけど校門の辺りで待っててくれないか?俺、茅場に施錠と鍵返すの頼まれちゃって」
「あぁわかった。早くしろよ」
「わかってるって」
永原は肩にバッグを引っ掛け、第二体育館を飛び出した。
永原は渡り廊下を伝って校舎へと急いだ。
普段卓球部が練習に使っている第二体育館は、第一体育館を挟んで校舎の北側に位置していた。校舎、第一体育館、第二体育館はそれぞれ簡素ではあるが渡り廊下で接続されており、いちいち外靴に履き替えなくても行き来することができる。今はちょうど下校時間であり、バッグを背負った生徒たちがところどころで帰る準備をしているようだ。
永原が第一体育館の脇に差し掛かった時、入り口前に数人の男子生徒の姿が目に付いた。ユニフォームの色や形から、それが男子バスケ部に属する数人であると認識するのにさほど時間はかからなかった。宮田の言葉ではないが、まさしく英名轟くと言っても差し支えないほどの活躍を見せるバスケ部である。嫌でも目についた。
さぞ和気あいあいと男子卓球部の悪口で花を咲かせているのだろうか、と永原はひねくれた予想を立てた。しかし、実際はそういう和やかな雰囲気とは真逆の雰囲気のようである。
「お前さぁ、今日のあのパスどうなってんの?あれのせいで流れ変わったじゃん」
「・・・すまん」
苛立ちを抑えつつ詰る声は紛れもなく宮田である。悔しいことだが宮田は声までもがイケメンだ。低く深みのある声は心の奥底まで入り込んでくる。その宮田の両脇に、下卑た笑いを浮かべた数人の部員がひっついている。見たところ一年生の姿もあるようだ。
そして彼らと対峙しているのは、信じられないことに安積であった。いつもの憂いを含んだクールな笑みは消え失せ、代わりにふがいなさが滲み出ているかのような無表情が顔全体を覆っている。
構図としては、宮田とその取り巻きが尊大な態度で安積一人を責めている、というものだ。
その様子を見つけた永原は知らず知らずのうちに立ち尽くしていた。しかし、彼らの誰しもがそれに気づいた様子はなかった。永原は安積を心配する感情に突き動かされ、彼らから見えない柱の陰に自分の体を隠した。
「安積、お前二年生だよね?一年の足引っ張って恥ずかしくないわけ?一年の平田は大活躍してるっていうのに」
宮田は隣にいる部員の肩をぽんぽんと優しく叩いた。それを受けて、その部員も「ありがとうございます!」と覇気に満ちた返事を宮田へ返した。一年生についてはあまり詳しくない永原であったが、恐らく彼が平田なのだろう、と勝手に予想した。平田と呼ばれていた男子生徒は宮田と同じかやや大きいくらいの身長を有しており、自信に満ちた凛とした雰囲気を醸し出している。
「こいつはショルダーパスは正確だ。しかもここぞという時のディフェンス力も秀でている。お前よりもな。だが、無能なお前がそれを潰ちゃあ意味ないだろ?」
「それは・・・」
「お前、このままじゃこのレギュラーも危ういってことわかってる?」
「・・・わかってるよ」
「わかってねぇじゃん。だからあんなプレイできるんだろ?」
安積は終始平身低頭で、上半身をへこへこと何度もくずおらせてしおらしくしていた。バスケ部内では権力の強い宮田にあれだけぎゃんぎゃん罵られてはそれも仕方がないことだろう。
「いいか?今後平田の方がいいってなれば、お前はレギュラー落ち。ボール拾い、点数ボード係含め雑用にまわってもらうからな」
「・・・ごめん。次はちゃんとやる」
最後に、安積は大きく深々と頭を下げた。
「うーん、宮田が安積にねぇ」
帰宅途中のバスの中で、自分の顎を親指で触りながら姫沢は唸った。
言うべきかどうかは迷ったが、一緒に帰宅していた花岡がバスから降車した後、永原は姫沢に先ほどの一件を打ち明けた。
「別に情が移ったとか、判官びいきって訳じゃないけどさ、安積が可哀そうになるくらいだったよ」
「そうか・・・あいつ中学の時はバスケ部のエースだったし、森部のバスケ部でも上手くやってると思ってたんだけど・・・なかなかうまくいかないもんだな」
永原は隣に座る男を見た。その顔には何とも言えない哀愁の念が滲み出ていた。
姫沢の言う通り、中学時代の安積はまさしく七面六腑の活躍ぶりだった。
安積がバスケを始めたのは中学生からである。だが、安積は驚異的なスピードで才能を発揮し始めた。中学入学時点で、小学校のスポーツ少年団からバスケを継続してやり続けているという人間は何人かいた。しかし、安積の成長は彼らの経験値というアドバンテージを軽々と凌ぐものであった。それは安積の生まれ持ったセンスに依るところもあったし、中学生の平均身長を遥かに上回る高身長を天から授かったという部分も大きいだろう。その結果、安積は中学バスケ部のエースとして活躍し、最後の大会では県大会準優勝という輝かしき成績を残すほどであった。
安積がありったけの称賛を浴び、ついでに女子からの人気を勝ち得る様を、もちろん中学時代の永原と姫沢はとっくりと見ていた。よくよく思うと、そういう立場にあったからこそ、安積は平々凡々かそれ以下の自分たちとは距離を置いたのかもしれないな・・・永原はふとそんなことを思った。
だから、森部高校に入学し、安積がバスケ部に入部したと聞いた時も永原は何ら疑問は抱かなかった。中学での功績を参照すれば部側が安積を欲しがるだろうし、安積にとっても自分の得意とする分野で戦うことを積極的に拒む理由もなかっただろう。まさしく当然の摂理と言えることであった。ただ、それ以降は安積と永原たちは本格的に疎遠になってしまったので、永原は詳しい状況というのは知らずにいた。まぁ、あの安積のことだから上手く活躍してるんだろう・・・それくらいの気持ちでいた。
「やっぱり、部活って俺らが思う以上に残酷なシステムだよな」
「え?どうしたいきなり」
「いや、何というか・・・」
姫沢自身、かなりクサいセリフを吐いてしまったと思ったらしい。照れ隠しに小さく笑いを零した後、言葉を続けた。
「安積のように中学校で活躍した選手でもさ、高校に入ってレベルが上がると昔のように活躍することはできないこともある。いくら努力をしたところで、部活っていう閉じた関係の中でいたって事務的に低い順位を付けられていく。それを悟った時、多かれ少なかれ自分の人格を否定される。強豪の部活に入部したらその傾向はなおさらだろうよ」
姫沢がやたら真面目な顔で語りだすので姫沢は吹き出しそうになったが、納得できる部分はあった。
いくら仲の良い部活動であっても、ひとたび練習や試合が始まればそこはレギュラーの座を掛けたバトルロワイヤル本会場に変貌する。誰もが他の誰かを蹴落とし、部内でより高位の順位を目指す。成績によって部内での順位付けがなされ、ある者は天国を味わい、別の者は地獄へ突き落される。
部の中では、その順位付けが全てだ。いくら頑張っても、その順位が低ければその努力は一切報われない。もちろん、そんなことは永原だって先刻承知済みだ。というより、その部分を割り切れなければスポーツなんてやってられない。
一方で、永原はそのランキング至上主義を完全には飲み込めない部分もあった。
順位が低い人間の努力は、果たして本当に意味の無いものなのだろうか?
とはいえ、それを考えては元も子も無いので、永原は適当に話を合わせた。
「そこで踏ん張れる奴がずっと部に残るんだろうし、踏ん張れない奴が脱落していくってことか」
「安積も今そういう瀬戸際にいるかもしれないなぁ・・・もちろん、部外者の俺らにはわからないし、関係ないことだけど」
それを言っちゃあ身も蓋もないだろうが。
永原はそう思ったが、姫沢の最後の言葉はいかようにも回答が出しづらい問題をひとまず有耶無耶にするのにはうってつけなセリフだった。仮に永原たちが未だに安積と親友関係にあったとしても、それぞれの部室へ赴き、そこで部員として活動するからには、互いの行動は不可侵なものに変貌する。そこは他の部活からすればいわば聖域なのだ。
永原の心の中に伏せがたい異物感が生まれた。バスケ部の連中がこちらの活動に介入してくるなら話は変わってくるが、だがそれ以上は姫沢の言う通り、バスケ部の事は永原たちにとっては「関係ないこと」なのだ。もどかしいが、ここは静観するよりほかない。
どうにかこうにかもやもやの落としどころを暫定的に見つけた永原だったが、ふと姫沢から鋭い眦で睨まれていることに気づいた。
「ん?何?そんな怖い顔して」
「安積のこと心配してるけど、お前はどうなんだ?」
「え、俺?」
「お前、最近調子悪いだろ?それも夏の暑さのせいとか一時的なもんじゃなく、ガチめの不調だ。違うか?」
永原の心臓は胸を突き破らんばかりに大きく鼓動した。突然、姫沢は自分の気にしていることに切り込んできた。永原には心の準備ができていなかった。
「え・・・不調・・・まさか」
「慶介。お前俺にまで嘘つく気かよ」
姫沢は永原に目線を合わせなかった。だがその語り方とこれまでの友人としての経験知として永原にはわかった。この男は冗談でこんなことをのたまっているわけではない。永原の中で揺れ動く心を狙いすまし、捕えようとしている。
「最近のお前の練習見てればはっきりと分かるんだよ。下回転の処理も甘いし、何より攻守の切り替えがなってない。あとなんか最近球を打ち上げること多くない?正直、ちょっと前まではお前のプレイに押されることも多かったけどな、今となっちゃあ、お前の卓球は何も怖くない」
「いや・・・それは・・・」
そこまで見ていたのか・・・永原は内心狼狽した。
「茅場とか米倉さんの前では誤魔化してたみたいだけどさ。このままじゃ、お前そのうち花岡に負けるぞ?なんかあったんなら、話してみな?」
永原が上っ面の言葉を垂れ流すことしかできないのに対し、姫沢はきっちりと言葉を選んで永原にぶつけていた。まるで、普段の姫沢が仕掛ける苛烈な攻め立てぶりと永原の迷いに満ちた不甲斐ない守りを舌戦でもまた再現しているかのようだった。
すっかり打ち据えられた永原は、唇を噛みしめて俯いた。
「お前の言う通りだ、姫沢」
ぼそぼそと呟くように言いながら、永原は右手を握ったり開いたりした。
「ラケットを握った時にさ、なんか違和感がある。今まではしっくり来てたんだけど、今は違う。何というか、手の中のラケットの柄が落ち着かないというか、人差し指の置き場所が安定しないというか・・・そんな状態だから感覚もすごい鈍ってきているような気がしてさ。そういうのを押し殺して練習に臨むんだが、やっぱそんな中途半端な状態じゃ上手くいかなくてさ。」
気付くと、永原は今まで抑え込んでいた思いをあれこれ垂れ流していた。姫沢は相槌を打ちながらそれを静かに聞いていたが、永原の言葉が止まったのを確認してから口を開いた。
「そういうことか。まぁ、俺も一時期そういうことがあったから、お前の気持ちは痛いほど分かる。だが・・・」
姫沢は隣に座る永原に向かい合うように、上半身を無理のない程度に捻じった。
「お前のラケットって中学時代からのラケットだろう?今になって違和感が出てくるってのは、ちょっと困ったな。何か原因で思いつくことはあるか?」
「それが分かれば苦労しないよ。俺だってこんなことは信じたくないけど」
永原には言い返す言葉が無かった。頭が真っ白になり、言葉が詰まる。
「いずれ、明日坂城さんに来てもらって色々と教えてもらうことだな。きっと、その違和感とやらの正体も分かるだろうさ」
「・・・ありがとう。そうだな。坂城さんに色々と教えてもらえれば少しは良くなるかもしれないな」
やおら、永原の声は明るくなった。バスはもう少しで永原たちが降車するバス停に到着する。その前の長い坂を上る最中、車内の後ろ側からディーゼルエンジンの低く唸るようなエンジン音が聴覚を満たした。
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