第4話
四人は同じバスに乗り、色々と話をしていたのだが、茅場が三つ先、花岡が五つ先の停留所で降りると、永原と姫沢だけが残った。二人は森部高校のある場所から少し遠い場所に住んでいるので、もう少しバスに乗っている必要があった。普通であれば暇を持て余すところだが、幸か不幸か今日の二人には、漫然とした乗車時間を埋めるための話のタネがいくつかあった。
郊外に向かうにつれて徐々に乗客が少なくなってきた頃、姫沢が口火を切った。
「さっきも思ったんだけどさ」
「ん?」
通路側に座っていた永原は、窓際に座っていた姫沢を見た。彼の眉間には皺が刻まれていた。
「安積の奴、高校に入ってからなんか変わっちまったよな」
姫沢の声はどこか沈んでいる。永原にとっては宮田の嘲りと安積の態度は半々くらいの興味関心なのだが、姫沢はどちらかといえば安積のあのつっけんどんな言動が引っかかっているらしい。
「確かにな。俺たち昔は三人で遊んでたんだけどね。自転車乗り回したり、バス釣りに行ったりさ」
「そうそう、懐かしいな!でもさぁ、中学になって俺たちは卓球部、あいつはバスケ部に入ってからはちょっと疎遠になっちゃったよな」
姫沢が目を細めた。それと同じタイミングで、バスが国道から外れて進む方向を変え、車の中にはさんさんと日の光が侵入してきた。だから永原には分らなかった。姫沢が目を細めたのが、直射日光から目を守るためのものか、あるいは昔の美しき思い出を懐古しているためのものだったのかを。
「でも、確かにそうだよ。中学の頃から確かにちょっと距離はできてたけど、別にさっきみたいに俺たちを邪険にあしらうってことはなかったしな」
二人の間に安積と遊びに出かけた日々が思い出された。思い出というのはいつだって美しい。十数年しか生きていない永原ですら体感的にそれくらいは分かる。
「まぁね・・・あいつと俺らで全然違う環境にいるわけだし、時間が経つにつれて人が変わっていくのは至極当然のことだけどさ・・・」
姫沢は一つため息を吐いてから次句を継いだ。
「・・・やっぱさ、宮田の影響じゃねぇかな?」
「宮田?」
「あぁ。あいつバスケ部のエースらしいじゃん?だから部内でも結構幅利かせているらしいよ。全実質あいつがバスケ部を支配しているらしいし、自分の意思に沿わない奴はばっさり切り捨てるって、専らの噂だぜ。まさしく専制君主だよな」
ばっさり・・・つまり戦力外だと通告するということだろう。
「まぁ、強豪部の内部ってのは得てして競争的な雰囲気なんだろうけど・・・その過酷な環境を生き抜いていくためにあの安積も変らなくちゃならなかったのかもな」
「かもね。それにバスケ部を仕切っているのはあの宮田だからね。あいつと一緒に動いているところを見ると、性格的にもかなり毒されているんじゃないのかな」
「うーん、そうかもしれないけど・・・」
姫沢の意見は理にかなっていた。だが、永原はそれを認めたくない感情も併存していた。
宮田は永原を、もとい森部高校男子卓球部を卑下していた。同時に森部高校にあるまじき存在であるという認識すら抱いている節がある。先程のように卓球部に対してあれこれとケチを付けるのだって、何もこれが初めてではない。だから永原たちはうんざりはしてはいたものの慣れている部分もあった。
宮田はクズ。
そう割り切って宮田に対してもまた蛇蝎の如く忌み嫌えば済む話だ。
だが、そんな宮田の悪しき性質があの安積にも伝播しというのであればそうもいかなかった。
安積は二人にとって忘れられない友人だった。根性なしですぐに泣く奴だったが、途轍もなく優しい男だということも知っている。だからこそ二人は安積に対して断ち切りがたい友情を感じていたのだ。
だが、今は事情が違う。どうやら安積はすっかり宮田になってしまったらしい。
二人はため息を吐いた。もう、あの友情は戻ってこないのだ。
自室で卓球専門誌「卓球王国」を参考にしながらフォームの改善を画策していた永原を、窓から差し込んだ夕陽が真っ赤に染め上げていた。
扇風機を最大の威力にして稼働させているのだが、ラケットを振るたびにじとりと汗が噴き出してくる。そのたび、ベッドの上に置いたハンドタオルで汗を拭った。
午前の練習が終わり、そこから少しだけ昼寝をして、ラケットの素振りをしているのだが、練習の時に感じた違和感は残り続けたままだった。いくら振り続けてもその違和感は無くならず、むしろ永原の中では看過しきれない異物感のようなものだけが大きくなっていく。
「くそ・・・全然ダメだ・・・」
永原はラケットを机の上に静かに置き、体をどうとベッドの上に横たえた。仰向けになり、腕を両の瞼の上に乗せる。心臓が未だに早いペースで吸気と排気のサイクルを続けているのがわかった。
視界を奪われたことで、今日起こったことが色々と思い出された。
右手の違和感。姫沢、花岡の台頭。宮田の嘲り。そして、安積のこと・・・。
あまりにも酷い一日を振り返り、永原はへへっと自嘲気味に笑った。考えれば考えるほど、ろくなことがない日だった。これが高校二年生の夏休みだというのだから涙が出てきそうだった。十七歳の夏、もっときらきらと宝石のような毎日が連綿と続いていくようなものではないのだろうか・・・そう、例えば宮田たちが映画に行ってその勢いのままカラオケになだれこむように・・・。
そこまで考えて、永原はぶるぶると頭を振って馬鹿な考えを消しにかかる。宮田の憎たらしい顔が脳裏に浮かんだからだ。
それと同時に、安積のことも思い出された。
安積は永原や姫沢と同じ学区の出身である。小学生の頃から一緒で、夏休みになるとよく三人で遊んだ。当時から永原は後先考えずに突っ込むタイプで、姫沢は永原とベクトルは同じにしながらも永原にブレーキをかける、ということが多かった。一方、安積は体も小さく泣き虫だった。上級生に因縁を付けられて安積が泣いている時は、永原が腕を振り回して突っ込んでいき、上級生から返り討ちに遭うというのが常であった。昔から永原は不器用そのものだったが、その全力の行動が姫沢や安積からの信頼を得ていたし、それが三人の固い結束になっていたといっても過言ではない。
しかし、時の流れは彼らの関係性を変えてしまった。
中学に入ってから、永原は小学生の時分からほとんど身長が変わらず、身長はクラスでもワーストに近い部類であった。一方、安積は中学生になってからぐんぐんと大きくなり、平均的な成長を続けている姫沢と比べても明らかに背が高くなった。そしてこの頃から安積はバスケを始め、それなりにいい成績を出すようになっていった。
最初は今まで通りの関係を続けようとした三人だったが、どこかから安積が永原と姫沢に対して距離を置くようになり、中学を卒業する頃には小学生時代が嘘であったかのように疎遠になっていた。
一体どこで変わっちまったのか・・・永原はベッドに伏しながらそんなことを思った。
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