第2話

 その後の練習は、永原の意識外のところで進んでいった。ここのところの不振による精神的ショックがもろに心を蝕んだ。練習に目標を持ってそれを履行するという余裕はなく、ほぼ全自動で夏の日の練習は進んでいった。そして次の部活へ場所を明け渡す時間になり、練習は終わった。

 永原、姫沢、茅場、花岡の卓球部四人は森部高校の校門を通り過ぎた。森部高校は杜山市郊外の小さな丘の上に立地している。バス停は丘を下ったところにあるため、そこまでは歩いていく必要がある。桜並木が坂の下まで等間隔に植えられている。春であれば満開の桜が学園ライフを演出するのだが、今は枝一杯に茂った緑の葉が空を覆っている。葉と葉の隙間から太陽光が差し込み、アスファルトの上に斑模様の陰影を落とし込んでいる。

「あちぃな」

「そうっすね・・・もう夏っすね」

「この暑さはやばいでしょ。スポーツしていい気温じゃねぇよ」

 永原、姫沢、花岡が何ということもないことを呟いた。体に涼を与えるべく、それぞれがYシャツの襟元を掴んでばさばさと動かす。しかし、その程度では気休めにしかならない。

「しかし、あれだな・・・もうちょっとで大安高校との練習試合だな」

 森部高校男子卓球部部長、茅場が口を開いた。茅場は卓球部の中で誰よりも背が高いので、体の小さい永原が茅場の顔を見ると、茅場のスポーツ刈りの向こう側に太陽が重なり、霞んで見えた。

「みんなはどうだ?調子の方は?」

 その言葉を聞き、永原は心がしくりと痛んだ。

「うーんまぁまぁかな・・・」

「俺も大体そんな感じっすね」

 姫沢、花岡はアンニュイな表情を浮かべ、肺に溜まった空気の余りで吐いたような間の抜けた声で答えた。その答え通り、この二人はかなり調子が良い。花岡は高校から卓球を始めたのだが、カットやツッツキで粘り、相手の甘い球を見逃さずに確実に打ち込んでいくスタイルを既に自分の中で確立しつつあるようだった。経験が浅いゆえに空振りなどのミスも多いが、磨き上げていけばあるいは化けるかもしれない・・・そう思わせるものであった。

 そして姫沢は、花岡と同じプレイスタイルだが、経験に裏打ちされた安定した卓球に進化しつつあった。ミスも少ないので確実に点数に繋げることができるのも姫沢の強みだ。永原は姫沢と同時期に卓球を始め、最近まではほぼ互角の戦いを繰り広げてきた。しかし、姫沢が今まで不得意としていたネット際の球の処理がここ数か月で一気に上手くなり、永原は大きく水を開けられていると言わざるを得ない状態だ。当然、二人で模擬試合をやれば永原側に黒星が付くことが多い。

 二人については、少なくとも調子が悪い、という様子は見受けられない。

「永原。お前はどうだ?」

 だから永原もこの場で、「俺もまぁまぁだね」とえへらえへらと半笑いでもしながら呑気に答えられればいいのだが、残念ながら永原の調子はすこぶる悪かった。だが、チームメイトを心配させるわけにはいかない。

「・・・俺もまあまあだよ」

「そうかそうか!それは良かったな」

 永原は平然と嘯いた。自分でも恥ずかしくなるほどの白々しさだったが、それを聞いた茅場は丸眼鏡の下でほくほく顔をしている。ふと、永原は姫沢の方を見た。姫沢は自分の足元を見ながら何も言わずにいた。

「でも茅場さん・・・」

 一年生の花岡が、まだ中学生らしい幼さの残る顔を不安そうに歪めた。

「大安高校といえば、県下でもトップクラスの実力を持った高校ですよ?俺たちみたいな弱小卓球部とまともに相手してもらえるんですかね・・・?」

 花岡の言葉にはっとしたのか、茅場はうぅんと唸った。その裏低い声色は、頭上から降り注ぐ蝉時雨の大音声にかき消されることなく、永原たちの耳に届いた。

 大安高校は杜山市に隣接する滝上市にある高校である。県大会出場校を決める地区大会では、必ず大安高校と戦い、県大会出場の切符を奪い合わねばならない。大安高校は、高校の規模としては森部高校よりも遥かに小さいのだが、こと男子卓球部ということに関しては事情が違った。大安高校卓球部は県内でも古豪として名を馳せており、中学時代に活躍した選手が軒並み大安高校に入学していく。部には三十人近くの部員たちが籍を置いており、内部では実力のある選手たちが切磋琢磨に明け暮れ、熾烈なレギュラー争いが続けられている。

「大安高校は部員もそうだが、設備もきっちりしているからなぁ。専用の卓球練習 

場、インターハイ出場経験のあるコーチもいる。僕ら森部高校卓球部にとっては喉から手が出るほどほしいものが、そこにはある!」

「なぁ知ってるか?あそこの練習場、クーラーが付いてるらしいぜ?」

「いいなぁ、クーラー。俺らは扇風機の予算すら下りないってのに」

「俺たち貧乏卓球部とは格が違いますよね・・・」

「せめて、卓球台とネットくらいは新調したいよな・・・」

「ネットしまってるぼろぼろのケースあるだろ?あれに「昭和60年購入」って書いてあったときは、僕は涙が出てきたよ」

「まずもって部員が少ないのも問題だよな、なんか貧相に見える」

 卓球部四人は自らの境遇に対して愚痴を言った後、大きなため息を吐いた。

「でも、仕方ないんじゃないか?」

 しょぼくれる他三人の顔を見ながら、永原が呟いた。

「うちの高校の部活で、まともに県大会出場したことがないのって、俺たちくらいだしな。そりゃあ、学校側の覚えがめでたくないのも致し方ないことだろ」

「でも、だからといって県大会に出るには大安高校のチート級プレイヤーを倒していかなくちゃいけないしな・・・まじ無理ゲーすぎだろ」

 四人は自分たちの部活動の弱さに絶望した。夏らしい入道雲が天高く形を成し、気持ちのいい青空に揺蕩うこの夏の日に、彼らの未来だけは暗く沈んでいる。

 現状に対して、永原は忸怩たる思いを感じていた。永原はまったく器用な方ではないし頭も良くない。だが、自分の持てる最大限の力を最大限に振り絞ってこれまでやってきた。それは勉強もそうだし、もちろん卓球もだ。

 だが、それでもどうしても結果が付いてこない。いくら汗水垂らし、専門誌を読んで効果的な練習方法を自分なりに考えて取り入れ、ラケットを振っても、大安高校に勝って県大会出るという誰の目から見ても明らかな結果をつかみ取ることができない。

 

 一体彼らとの差は何なのか?

 永原はその問いの答えを渇望していた。

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