二話目

「よう庄司、元気そうだな」


 デスクが隣の加藤は俺の同期であった。同期と言ってもさほど仲は良くなかったため今日のように声をかけられることは珍しかった。


「まぁぼちぼちな」


 家族がいる俺と独り身の加藤じゃ話はあまり合わないだろうと、俺はあまり普段から加藤に話しかけないのだ。


「今日飲みに行かないか?」

「お前とか?」


 意外な誘いに俺は驚いた。


「たまにはいいじゃないか、せっかく隣の席で長いことやってきてるんだから」


 俺は何か裏がありそうだと加藤を疑った。


「何が狙いだ? 女なんて紹介しないぞ?」


 俺の返答に加藤はははっと声を出して笑った。


「そんなつもりじゃないさ。ただ少し聞きたいことがあったんだよ」

「ここでも聞けるじゃないか」

「ここで聞いて困るのはお前だぞ」


 そう言って加藤はにやりと笑った。俺は目を細めて加藤を見た。まさか、俺の秘密がばれたのではあるまいな?


「そんな顔するなよ。とにかく今日の夜のみに行こうぜ」


 加藤は俺の肩をポンっと叩いて歯を見せて笑った。俺は自分の心臓がきゅうっと締め付けられる思いがして、この場にいるのすら辛かった。呼吸をする度肺が痛む。


 俺はそのまま冷静さを取り繕いながら仕事をした。何かをしていないと居てもたってもいられず逃げ帰ってしまいそうだった。


 就業時間が終わり加藤は俺の作業するパソコンを覗き込んだ。


「もう行くのか?」


 俺は自分の動揺をくみ取られないよう必死で、声の調子に気を配りながら聞いた。


「俺はもう行けるよ」


 カバンを掲げて加藤は言った。


「わかった」


 俺はパソコンにデータを保存し、今日の仕事を終えた。スマホを開き『今日急に飲み会が入った。すまん、夜ご飯は要らない。』そう妻に送った。


「奥さんに連絡か?」


 歩きながら加藤は聞いた。


「ああそうだ」

「所帯持ちってのは大変だな。その点独り身は楽さ」

「俺から見れば、独り身である方が大変そうだ」

「体裁は悪いが責任を持ちたくないんだよ」

「金を稼げば問題ないさ」


 会社を出て少し歩いた先に呑み街があった。俺たちはてきとうな飲み屋に入りてきとうに注文をした。


「で? 聞きたいことってのはなんだ?」


 生ビールをおいしそうに呷った加藤に俺は聞いた。ぷはーっと息を吐きグラスを置いた加藤は枝豆をつまみ俺を見た。


「お前、援交してるだろ?」


 俺はすべての動作を停止させ加藤を見ていた。頭も回っていなかった。


「やっぱりな」


 俺と打って変わって加藤はのんきに枝豆をつまんでいた。


「お前、それどこで……」

「深夜にお前が若い子を口説いているの見たんだよ」


 はぁ、と俺はため息をついた。


「別に誰にも言わないさ。そんなことには興味ない」

「じゃあなんでわざわざ俺を今日ここに誘った?」


 俺は身を乗り出して加藤に聞いた。焦っていた俺は若干の威圧感を持っていたと思う。


「俺とお仲間なのかもなと思ったんだよ。とりあえず食えよ。俺はお前をつるし上げたりなんかしないし、お前の家族にもこのことを話すつもりはない」


 加藤は俺に唐揚げの乗った皿を差し出した。俺は箸で唐揚げを取り口に運んだ。脂っこくて胃もたれがしそう。俺はそれをビールで流し込んだ。


「お仲間ってどういうことだ?お前も援交しているのか」

「俺は歳の差がある女には興味ない」

「俺だって別に好んで年下とやっているわけじゃない」

「ほう? つまりはどういうことだ?」

「自分の性癖を押し付けるのが好きなだけだ」

「そうか」


 声のトーンを落として俺は話した。


「いったいどこがお仲間なんだよ?」

「性的倒錯があるってことだよ。俺も」


 俺はじっと加藤を見た。彼を良く知らないので、嘘か誠かは見た目では分からなかった。


「本当だって。疑うなよ」


 加藤は笑って言う。


「俺がお前のことを責めたりしないのだって、気持ちがわかるからなんだぜ。まぁ俺には妻はいないが」


 妻がいるのに援交なんてしている、と俺はちくちくと小さなナイフで腹を攻撃されている気分になった。


「仲良くしようぜ。部類は違えど共通の趣味を持った仲間のようなもんだろう?」

「まぁそうだな……」


 これまで必死に隠していた秘密がこうも簡単に暴かれてしまうのはいい気分ではなかった。


「ちなみに、お前はどんなのが好みなんだ? 俺はフロツーリズム、ピロフィリア、デフロランティズム、トロイリズム、サディズムとか」

「おいおい、ちょっと待ってくれよ」


 俺は聞いたことのない言葉についていけなかった。


「どうした?」

「俺はそんなに知らないよ。ただ単に俺は痛めつけることが好きなだけさ」

「へぇ~」


 加藤は目を細めて俺を見ていた。


「なんだよその顔」

「知らないだけさ、お前はきっとドはまりするよ」

「何に?」

「異常な性行為に」

「もうすでにドはまりしているんだよ」

「いや、まだまだだな。この世の中にはお前が思っている以上に異常な性癖があって、お前はきっと理解に苦しむさ」


 俺は加藤の話を聞いて段々自分の性癖があまり異常ではないような気さえしていた。


「世の中には火にさえ欲情する人間がいるんだぜ」

「そうなったら人間もう終わりだ」

「そんなことはないさ。むしろ悟りを開いたかのように新しい快感に溺れるさ。俺がそうだったように」


 加藤も俺と同じで、自分の性癖を欠点とは見なしていないようだった。まるで自分の誇りのように自分の性癖について語っている。


「ところで庄司は自分の奥さんには自分のことを話しているのか?」


 加藤は自分と妻の性事情が知りたいらしかった。


「いいや、妻に自分の好みを押し付けたことはない。俺にとって妻はそんなぞんざいに扱いってよい女性じゃないんだ」

「奥さんにはそんな気起きないのか?」

「違うよ。俺は妻を愛しているんだ。だからこそ俺は妻に美しく綺麗なままで居て欲しいんだ。妻の美しさを崇拝していると言っても過言ではないほど俺は妻が愛おしいんだ」

「ふぅん」


 加藤はあまり俺の返答を気に入らなかったようで、ビールを呷った。


「そんなに綺麗なら見せてくれよ。写真とかないのか?」


 俺は自分のスマホのフォルダーからよく妻が映っている写真を選び加藤に見せた。


「ほぉ……」


 加藤は口元に手を置いてじっと俺の妻を見ていた。次第に加藤は口元を緩め始めた。


「なにニヤニヤしているんだよ」


 俺は次第に不愉快になって加藤に写真を見せるのをやめた。


「いや……。そんなに綺麗な奥さんの前で、よく自分の性癖を出さずに生きてられるなぁと思って。俺なら無理だ」


 始終顔を隠し肩を震わせる加藤をぶん殴りたいと思った俺は、妻への執着が並み大抵ではない。俺にとって妻は、聖母マリアのような存在なのだ。


「すまん、すまん。つい驚いてしまったんだよ。こんな偶然があるなんて思わなかったんだ」


 俺は背もたれに寄りかかり、顎を引いて加藤を見た。


「そんなに怒るなよ。今日は奢るし。これからいい場所にも連れて行ってやるよ」

「いい場所って?」

「俺の一押しの場所だ」


 きっと加藤の好みの子がいる風俗とか、そういうところだろう。

 しばらく経ったのち、俺のスマホが震えた。


『飲み会中にごめんなさい。琴が熱を出しちゃって。少し早めに帰ってこれる?』


 遠慮がちな妻からのLINEだった。


「すまん加藤。俺もう帰るわ」


 俺はそう言ってコートを羽織った。


「どうした?」

「子供が熱出したんだ」

「そうか、分かったよ」


 加藤は約束通り会計を一人で済ませていた。


「いいのか? 俺も出すぞ?」

「いいんだよ。独り身の俺に任せとけ」

「すまない」


 俺は加藤に礼を言って店を出た。そしてタクシーを止めタクシーに乗り込んだ。すると何を思ったのか加藤も同じタクシーに乗り込んできた。


「どうした?」

「いや、お前の家族に会って見たくてな。お前の家、確か高田馬場の方だったよな。俺近いんだ」


 加藤は運転手に高田馬場までと告げた。


「まぁ、いいが」


 俺はやけに馴れ馴れしい加藤に少し違和感を覚えながらも、一刻も帰りたかったため加藤に反論しなかった。


「お前、普段から何かあるとすぐに家に帰るほどのいい父親なのか?」


 加藤は横目で俺をちらっと見た。


「別に普通だろ、これくらい」

「罪悪感からか?」


 運転手に聞かれていることもあり間接的だったが加藤は、家族がいながらも自分の暴走する性的嗜好を止められない俺のことを責めているようだった。


「確かにそれもあるが、でも俺は家族を愛しているんだよ。悪人にも大切な人がいたっておかしくはないだろう?」


 家庭を持っていない加藤にはきっと分からない感覚だろう。


「庄司には娘がいるんだよな?」

「ああ、一人いるよ」

「夜な夜なほっつき歩いている子と自分の娘が被らないのか?」


 俺が性の欲求を満たす相手も、また誰かの大切な人なのだと考えていた時期も確かにあった。娘を初めて抱っこしたとき、この子を全力で守りたいと思った。でも。


「夜な夜なほっつき歩いている子供たちは親からそんな風に大切にされてはいないさ」

そう俺は自分に言い聞かせた、自分の娘とその子たちは違うのだと。


「自分の娘はそんな風にはならないとでも思っているんだな」


 ふっと加藤は笑った。


「家庭を持っていないお前には分からないさ」

「わかりたくもないねぇ」


 加藤はもう俺のことは見ていなかった。何故俺が悪者であるかのような扱いを受けているのか分からなかったが、俺はもう話すことをやめた。

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