2・罰

「明日、罪人の死刑が執行されます」


そう執事に聞かされた日の夜は、

興奮して目が冴えてしまう。

私は新鮮な空気を吸うため、窓に近付いた。


窓から見える無数の灯火一つ一つに命がある。

多種多様の命が平然と生活する。

悠々と闊歩する。

だが、全ての命が生に見合う訳ではない。

死んで当然の奴も勿論、いる。


この村の王である私は、

何人もの最期を目の当たりにしてきた。

殆どの罪人は生きる意志を無くし、

ぷかりぷかりと空に漂う風船を従順に撃つ。

だが、面白い奴も中にはいた。


「もう一生、殺しません。魔が差したのです」

「死んだアイツが悪いんだ、信じてよ」

「頼むから見逃してくれ」


そう言って地に捻じ込むほどの土下座をし、

処刑を拒む罪人達。

あれは惨めなほど、滑稽だった。


–––そうかそうか、死にたくないか

–––残念だが、御主の懇願は叶わぬ、放て!!


私は容赦なく大切な人が乗った風船を放つ。

罪人は「あぁ…」と情けない声を出し空を見る。

死者の怨念が浮力となり、

風船は肉体から抜け出した魂の如く上昇する。

だが、魂と少し違う点がある。


「俺を巻き込むなよ!助けろよ」

「おい、逃げるな」


風船からは罵倒が絶え間なく聞こえる。

そして天と地の間で衝突が起き、

大切な対人関係が人生の最期に崩れ去る。

それを王座で見ながら飲むワインは格別だった。

人間の醜さが隠し味になるからだろう。


こんな愉快な処刑を考えた私は我ながら天才だ。

処刑中、私は常に笑いを堪えている。

ああ、明日が楽しみだ。

私は甘美なるひと時を待ちわびた。


ベッドに潜る。

明日の期待に満ち満ちた睡魔が襲った–––––




やけにワインが不味い。

前夜の期待を悉く裏切る処刑となりそうだった。


今日の処刑人は「ジャン・シュバルツ」

妻と息子を持っていた罪人だ。

町で有名なほどの美男でもあり、

人気者でもあった。

鋭い眼に軽く掛かる黒髪はとても綺麗で、

身体も戦士のように鍛え上げられている。

だが、自慢の顔には無精髭が所々生えていて、

少し窶れた印象を与えていた。


ジャンは妻を撲殺し、殺人罪で起訴され、

四日前に死刑が確定した。

動機は妻への憤懣・激情らしい。

また、息子を守るためという情報もあったが、

そんなの知らん。くだらない。


死刑囚としては妙に従順なジャンには、

二度の不可能な言動がある。


死刑確定当日、ジャンは

「唯一の願いだ、死刑を二日後にして欲しい」

そう懇願した。

死刑に支障は来さないため、受け入れた。


二日後またジャンは

「最期の願いだ、執行を二日後にできないか」

二度目の懇願だった。

「流石に無理だ」と最初は聞き入れなかったが、

ジャンには雨と共に幸運が降った。

〈バルーン・ベイビー〉は

雨天にできない欠点があった。

丁度、死刑予定日は豪雨だった。

ので、止むを得ず、二度目の懇願も受け入れた。


ジャンの不可解な言動に私は訝るが、

執事は「死に慄いたのですよ」と呑気に言った。

私は平和に死刑を執行できない気がした。

伊達に王様の地位にいる訳ではない。

王様の勘というやつだ。

何故か、妙な胸騒ぎがした。


–––ジャンは大切な人に「息子」を選んだ


午後二時。

晴天の下、死刑が始まった。

「最期に言い残したいことはあるかね?」

所長がジャンに優しく聞いた。

「まったく。息子をよろしく頼む」

牢獄にいる時と何ら変わらない態度に驚いた。

只の痩せ我慢か。

息子の前では最期まで格好良くありたいのか。

私は驚いたが内に潜む感情は軽蔑が勝った。


表面的には息子を保護すると言っているが、

それは真っ赤な嘘で、後で息子もしっかり殺す。

罪人の息子なんて、村の害虫同然だ。

そいつを野放しにするなんて有り得ない。

ジャンの三度目の懇願は、

残念ながら叶わず終いだろう。


ジャンの息子の悲鳴と、

草原の葉擦れのざわめきが辺りに響く。


「放て」


風船が空へ飛んだ。

蒲公英の綿毛のようにゆうらりゆらりと浮かぶ。

息子の悲鳴がどんどん遠ざかっていく。

所長はジャンに銃砲を渡した。


「撃つか、撃たないか、決断しなさい」


受け取るとジャンは、不気味に微笑んだ。

ゆっくりと銃口を風船に向ける。

–––来た!

私はとても高揚した。

つまらない処刑でもこの瞬間だけは、

楽しくて楽しくて堪らなかった。 

口内に溜まる唾液を音を立てて飲み込む。

–––撃て!

私はジャンの人差し指に意識を集中させた。

いつ、引き金を引く。

無性に時間が長く感じた––––


何故だろうか。


なかなか、引かない。

息子はもう助からない位置まで浮かんでいる。

目線をジャンの顔に移す。

死に怖がる様子ではない。

呆然と突っ立っている訳でもない。

只々、風船を鋭い目付きで見つめている。


「撃たないのなら、銃砲を返しなさい」

と、所長はジャンに忠告する。

「邪魔をするな」

ジャンは芯のある声でそう言った。


もう手遅れだ。

今、風船を撃てばジャンの心臓も破裂し、

息子も落下する。

シュバルツ家は全滅する。

私からしたら仕事が一つ減るので都合は良いが、

嫌な予感がした。


突如、銃口の向きを変えた。

向いた先はジャンの口だった。

そして人差し指が動く。


バンッッ……–––––


乾いた音を立てて、ジャンは倒れた。

弾は頸を貫通し、血を大量に噴き出している。

青々と茂った草原の一部が赤黒く染まった。


予想外の事態に言葉が出なかった。

まさか銃口を口に入れ、

自殺するとは誰も思わなかった。


私は王座から立ち上がり、死体に駆け寄った。

首に手を掛ける。

当然、事切れている。

ジャンの手元を見た。

硬直する左手に白い紙がはみ出していた。

破れないようにそっと引っ張る。

紙には綺麗に綴られた短い文章があった。

私はそれを一読して、戦慄した。


–––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––

お前らに愛する息子は渡さない。

王様、四日間の猶予を本当にありがとう。

四日もあれば風向きは変わる。

盲点だったな。

善良な友に息子を届けることができそうだ。

息子の命と私の意志は絶対に撃ち落とされない。

温かな手に抱擁されるのだ。

–––––––––––––––––––––––––––––––––––––––––


私は空を見上げる。

兵士は風船に向かって連射する。

だが、弾は当たらず、

銃声だけを草原に響かすばかり。


風船は落ちそうにない。

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バルーン・ベイビー o_o @aruha_1129

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