第五章γ 揺るぎない正義、結び繋ぐ縁(美雨√)

第37話γ 未来への誓い


 主治医の言った通り、それ以上に美雨の状態は良く、達海が病室に入った時には美雨は倒れる前と何ら変わらない状態でいた。


 少々の不安はあるものの、達海はまず安堵した。

 美雨はと言うと少し気まずそうにしながらも、達海から目をそらすことなく、そのまま口を開いた。


「...結局、この説明もまだだったな」


「だな。...全部聞いたよ。その胸にあるもののこと。美雨がどういう状態か」


「...聞いての通り。ただ、間違いなく言えることは症状が進んでるってこと。...これまでよりもはるかにひどいところにある。...分かってたんだ。時間はあまりないって。最も、こんなに早くこうなるなんて思ってもなかったけど」


「...」


 達海は無言だった。

 しかし、その体は勝手に動いていた。


 美雨の身体がまだ十分に動かないことをいいことに、達海は真正面から抱き着いた。


「なっ、なな、何を!?」


「...ごめん。どうしても怖くて...。守る前にいなくなられたら...」


「...全く。少しは成長したと思ったら...」


 美雨は本当にあきれた様子でため息を吐いた。

 けれどこれまでとは違う点もあった。


 美雨は、達海に抱きしめられるがままになっていた。少なくともそれは、達海のことを少しは受け入れている証拠であった。



「...おい、いい加減放せ。鬱陶しいし恥ずかしい」


「...あ、悪い」


 さすがにやりすぎだったみたいで、美雨の声が一段階鋭くなったところで達海はその手をパッと放した。


「...はぁ。全く油断ならないな」


「悪い」


「いやまあ...悪くはなかったけど」


 美雨は照れてはいないものの、どこかまんざらでもない様子を見せていた。

 そこにほんの少しの自分の入る隙を達海は感じていた。


 一つ咳払いをして、美雨はただまっすぐさのみをともした瞳を達海に向ける。


「...こんな私でも、許してくれるか?」


「何をいまさら。守りたいものは守りたいんだよ。それがどんな状態だろうと、どんなハンデを抱えていようと、俺には関係ない。...だからせめて、ほんの少しでいい。...俺のこと、受け入れてほしい」


「...ふふっ」


 美雨は例になく笑った。


「何がおかしい」


「いや、なんでもない。ただ私はお前の事、もうとっくに受け入れてるつもりなんだけどな」


「そうなのか?」


「...弱い男だと、切り捨てたつもりだったんだけどな。あの時、私の前に現れてくれたお前は違った。...自分の正義に生きて、凛として立ってたんだ。眩しかったし、うらやましかった。そんなお前を、受け入れないわけないだろう? あれは、まさしく私の理想の姿だったんだから」


 正義を求める人間として、胸を張って立つことは何よりの理想であった。

 一度砕けた美雨は、一層それが分かっていた。


 掲げる正義が正しくなくてもいい。唯一絶対のものなどない。

 ただせめて、否定されようと自分の正義は間違いではないと胸を張ること。それが強さであると。



 言っておきながら、美雨は胸の中に悔しさを隠していた。

 その震える拳は、達海に抑えられる。



「...また、自分はダメだとか考えてるだろ」


「気づかれるか」


「当たり前だ。なんせ俺は、氷川美雨のパートナーだからな。これくらいお見通しだ」


「まいったな。...こんなに弱みを見せたのは、お前が始めてだ」


 困ったように笑みを見せる美雨を、達海はただ愛おしいと思った。

 本来ならずっとこうあってほしいと、達海は残念にも思った。


 けれど、過去は変わらない。美雨も自分も人殺しの人間である。

 普通の幸せにたどり着くことは果てしなく遠い道だと、その想像は容易にできた。


 ならばせめてできることは。

 こんな戦いの歴史を終わらせて、生まれてくる次の人間に幸せを紡ぐ力を託すことだろう。



 達海も美雨も、お互い思っていることは同じだったようで、だからこそ美雨がふと口を開いた時、達海もその気でいた。


「...明日から、私は戦線に戻ろうと思う」


「俺もそうするつもりだった。もともと、今日が謹慎明けだけどな」


「全くだ。...いずれにせよ、私たちはもう戦うしか手段がない人間だ。罪滅ぼしも贖いも、その中でしか果たせない。...掲げている正義が、そうなのだから」


「だよな。もう迷いはないよ。...ただ」


 言って達海はすんでのところで言葉を止めた。一瞬だけ、果たして言っていいものなのか迷う。

 しかし、美雨の目は語ってほしいと無言で訴えていた。その視線を、達海は真正面から受け止める。


「...ひょっとしたら、この戦いで美雨は死んでしまうんじゃないかって...思うんだよ。それは単純に殺されたり、とかじゃなくて、そのコアの欠片のせいで」


「...そうだな。正直、私もどうなるか分からない。本元のコアが砕けるのが先か、私のコアが砕けるのが先か」


 冷静さを装いながら、美雨はつぶやく。

 しかし、真の自分に向き合って恐怖を知ったのか、少しためらいを含んだ様子で続きの言葉を吐いた。


「...前は、その正義のために死ねるのなら本望だと思ってた。...でもあの時、はじめて死にたくないと思った。そして今も、そう思ってるんだ...」


「美雨...」


「死んだとき、自分の正義は正しかったと思える生き方をしたい。それは紛れもない私の言葉だ。その言葉に乗っかるなら、私はまだ死ねない。...それに、分かったんだ。私が今掲げる正義は、生きてこそ紡がれる。...だから、死にたくない」


 命の犠牲をいとわない美雨から零れた、命を大切にしたいという言葉。

 達海はそれを嬉しく思ったが、それを嬉しく思わない人間ももちろんこの世にいる。


 例えば、それが美雨の人格を形成するのに影響した、親のような存在であれば。

 果たして、今の言葉をどう思うだろうか。

 

 達海は、一度美雨の両親と話をしたいと思っていた。しかし、この状態ではそれすらも躊躇ってしまう。

 同じ方向を向いているように見えて、反対の性質の正義を掲げている。


(こういう時、なんて言えばいいのかな...)


 固く閉ざされた生き方をしてきた美雨に対して、やんわりとした気休めなど必要ない。

 もっとはっきりとした言葉を。揺るがない意志を秘めた言葉を。

 覚悟を。



「...ああ、もう、考えるのはやめだ」


「何だと?」


「俺がお前を守る。何があっても死なせやしない。全てから守る。それが俺の戦いだからな」


 美雨はあきれ果てたようにため息を吐く。


「それはもう何度も聞いてる。信じてるから安心しろ」


「ああ。そうする。...だからこそ、美雨、お願いがあるんだ」


「何だ?」


「今度、美雨の父親に合わせてほしい。...あって、話がしたい」


 前の美雨の人格を形成したのが美雨の父親だというのなら。氷川家の怨念のような使命だというのなら。

 それを達海は間近で感じたかった。


 絶対に受け入れられないと達海は分かっていた。それでも、伝えることに意味がある。

 これは、美雨が掲げた、美雨自身の正義にも共通する部分があった。

 だからこそ、そのパートナーである達海にも使命があった。


「...殺されるぞ? あの人は、私のエゴの部分を10倍ほど濃くしたような人間だ。氷川家に掲げられた正義をのみ真として動いている人間だ。故に排他的だ。前の私を見ればわかるだろう?」


「...それは、そうかもしれない」


 これまでの氷川よりさらに排他的であると考えると、さすがの達海でもゾッとするほかなかった。

 それでも、やるやらないは別の話である。


「けど、ちゃんと知りたい。相手の正義を、掲げる思いを。違った見方があることを伝えたいって言ったのは氷川、お前だろ」


「...それは、そうか」


「まあそれでも、正直怖いよ。だからその時は...一緒によろしく頼む」


「ああ。約束する。その代わり、と言っては何だが」


「?」


 美雨は冷たい手で今度は自ら達海の手を取った。


「私がどうなろうと...最後まで隣にいてくれ。生きる時も死ぬ時も、そこにお前がいてほしい」


「...え、なに、プロポーズ?」


「ば、バカ言うな! 気が早すぎるだろ!」


「ぶほぉ!」


 達海は、顔を赤らめた美雨の冷たい手で繰り出された張り手を大きな一発を食らう。 

 ジンジンと痛む頬を手で押さえながら、達海は笑った。合わせるように美雨も笑う。


「約束するよ。ずっと傍にいる。一緒に戦って、一緒に生きよう。俺も氷川の正義の形、最後まで見届けたいから」


「ああ。よろしく頼む」


 場の凍り付いた空気がほぐれたところで、もう一度ドアをノックする音が聞こえた。


「誰か来たみたいだな」


「俺が行くよ」


 達海は席を立って、入ってきたドアを開ける。

 そこには強い顔つきをした40代ほどのスーツ姿の男性が立ちふさがるように立っていた。


「え、えーっと...」


「お父...様?」


 後ろから恐れで満たされた美雨の声が響く。達海は、顔を見なくともその表情が蒼白であることが分かった。

 改めて男性を見る。言葉を発さなくても、強敵であることはすぐに分かった。



「美雨さんの...お父様ですか?」


「ああ」


 低く潰れたような声で短い返事が紡がれる。


「入らせてもらうぞ」


「え、あ...」


 防ぐことも出来ず、男は達海の横を通り過ぎる。


(...このままじゃ、ダメだ)


 どこからか湧いてくる使命感と恐怖。今ここで声を掛けなければ、とんでもないことが起こると、そんな予感がした。


 心より先に、体が動く。



「あの!」


「...なんだ」


 振り返る男の冷たい視線に負けないように、達海は明確な意思をもって問いかける。



「お話、しませんか?」




 






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