第38話γ 親子の時間


 目の前の男に話をすることすら気が引ける行為だったが、この時達海はどこからか湧いてくる勇気のおかげで強気でいられることが出来た。

 そこまでくれば後はもう勢い次第でどうにかなる。


 細く鋭い目に抗うようにぐいっと前に出た。



「貴様に話す舌など持たん。時間の無駄だ。どけ」


「嫌です。俺は氷川美雨のパートナーです。...だからこそ、氷川の正義について知る権利もある」


「...生意気な小僧だ」


 相も変わらず冷たい目だったが、そこに攻撃の意志はなかった。

 それを見透かしていたのか、美雨はほっと息を吐く。


「お前が美雨のパートナーか」


「そうです」


「貧相な面構えだな」


「お父様...!」


「存じておりますのであしからず」


 自分への皮肉さえもう痛くもかゆくもない。達海はいつのまにか屈強な精神を手に入れていた。

 それも、美雨のパートナーであることの賜物かもしれない。


「...話とはなんだ」


 少し諦めの色を見せた美雨の父親は方向転換し、達海の話に耳を傾けようとした。それをいいことに、達海は聞きたいことを順に聞くことにした。



「氷川家の行動理念。正義。そういったものについて教えてほしいんです」


「それは、言ったところで何になる?」


「俺が美雨のことをもっと深く知れるようになります。そうすれば、俺はもっと強く美雨の隣で歩ける」


「...ふん、ばかばかしい」


 とは言いつつも、美雨の父親は一つ鼻息を鳴らして不服そうに語りだした。



「氷川は代々受け継がれし武家の家。コア発見時から守護職というものを賜っている名家だ。それすらも知らないとは言うまいな?」


「分かってます」


「人の明日は等しく人に与えられなければならない。誰もが生きる権利を持っている。だからこそ、私たちは明日を守るのだ。...その上で、その権利を阻害しようとする者がいるのならば、私たちはそれを排除する。ただそれだけだ。私たちの行動理念は」


「そうですか」


 聞いておきながら、達海はどこか違和感を感じていた。


 以前美雨に聞くほどより理念の包み方は穏やかであり、到底極度の排他的な理念ではないと思えた。

 ならばなぜ、美雨はあそこまで畏怖し、怯えていたのかと達海は思う。


 すると、刹那、達海の喉元によく尖れた刀の刃先があてがわれる。

 その距離約1cm。動けば間違いなくその刃は達海の喉元に突き刺さる。


「っ!!!?」


「ただ、私たちは守護者だ。ゆえに妥協は許されない。いくら美雨が認めていようと、お前が甘ったれた存在であるのならば、私は今すぐにでもここで殺す」


 それは、いつかの美雨と全く同じ行動だった。

 しかしはっきりと言えることは、あの日より明確な殺意が部屋にわたっていた。

 

 その殺意で、達海は殺された気になっていた。

 それでも、ここで引くこと自体が死を意味することを達海は知っていた。


 達海は、自分と刃先との1cmの距離をさらに詰める。


「!?」


「覚悟はありますよ。俺にも、俺の掲げる正義があるんで」


 一歩間違えれば死に至る行為。されど、恐れるものはそこにはなかった。

 美雨の父親は少しばかり顔を引きつらせ、やがて口の端を引きつらせたまま笑顔を作った。


「...面白いな。ここまで度胸のある若者は久しぶりだ。...といっても、氷川家の掲げる正義とは真逆の立ち位置だと思うが」


「気づいてたんですか」


「ああ。目を見ればわかる。お前のような人間は、他人の犠牲に敏感だからな。...たとえそれが、人間の滅亡を目論むソティラスの人間であろうと」


「明日は生きてこそ紡がれるものだと、俺は思ってるんですよ」


「それを諦めて、他人ごと終わらせようとする人間を庇う必要はあるのか?」


 先ほどまで不気味な笑みを浮かべていた男はそこにはなく、先ほどのように鋭い目つきの美雨の父親だけがそこにはいた。



「庇いはしませんよ。ただ、人間は死んじゃない。それをその手の連中に伝えたいんですよ、俺は」


「綺麗事だ」


「百も承知ですよ。だから、人は傷つけあう。俺が望んでるのはその果ての理解です」


「...やはり甘い、な」


「若者ですから」


 それが理由になるわけではない。

 けれど、希望を捨てて現実を見ることだけが正しいことではないのだと、達海はそう伝えたかった。


「若者、か。理由にならんな」


「でも、理想を語る人間がこの世に少しでもいなければ、リアリストだらけの世界に変わりますよ」


「いかんのか?」


「いけないでしょう。なんせ進展がない。進展がなくて生きる意味がありますか? 停滞した明日を明日と呼んでいいんですか?」


「...時代は変わるものなんだな」


 諦めきって、美雨の父親はため息を吐いた。その上で、今度は体をくるりと回転させ、美雨の方を向く。



「美雨、お前はどう思ってるんだ」


「私、ですか?」


「ああ。...パートナーがこの男なんだ。どうせ私の知らないところでお前も変わってしまっている」


「...すみません」


「謝るな。まずはお前が今どう思ってるかを教えてくれ」


「お父様...」


 普段はこうではないのであろう。その態度に美雨は困惑をのみ示していた。

 その言葉を信じて、美雨は恐る恐る語りだす。



「前までは...氷川家に課せられた正義、使命のみが正しいと思ってました。...でも、こうして他人と触れて、もっと違う在り方があるんじゃないかって...思うようになって、全てを退けた、唯一絶対の正義。それが正しいって...今は思えなくて」


「なら、お前は何を掲げてるんだ?」


「...私は」


 いまだに言うに抵抗があるのだろう。すんなりと言葉は出てこなかった。

 それでも、美雨がくすぶっていることを達海も美雨の父親も分かっていた。だからこそ、その言葉が発せられるのを待つ。


 ほどなくして、小さな声音でそれは紡がれる。


「生きるのを追い求めることが間違いじゃないって...明日を生きる権利は人に等しくあるって、そう伝えたい。分かり合えないからあきらめるんじゃなくて、違った見方があることを教えたい。それだけで世界が変わるわけじゃなくても...生がなければ明日はない。だから」


「分かった。もういい」


 ほんの少しばかり残念そうに美雨の父親は息を吐く。そのまま明後日の方角を向いて誰とも問わず語りだした。



「...全く、歳はとりたくねえな。頑固爺になっていけねえ」


「お父様...?」


 普段弱音を吐くことすらなかったのだろう。初めて聞く愚痴のような言葉に美雨は思わず聞き返してしまった。


「氷川家に生まれてもう40年と少しか。俺はずっと、あれが正しいと思って戦ってきた。多くの人間の犠牲の先に俺は立っている。...別にこれが間違いとももう思っちゃいない。言い切れるんだよ、これが俺の正義だって」


「分かり合えないなら殺すことも正しいんですか?」


 言わせておけばと、少し頭にきた達海は思わず口走る。美雨の父親はいたって冷静だった。


「そうだ。...いいか、小僧。年を経ることに人に染みついていく考えってのは、そう簡単には変わらん。呪いみたいなものだ。まだ俺の半分も生きてない人間には分からんだろう」


「だったら、俺の半分以上も生きて、あなたは何を学んだんですか?」


「...そうだな。何も学んじゃいないさ。何も学ぼうとしなかった。見ればわかるだろ、この世界を。もう、変われないところまできてるんだよ」


「まだ世界は変われる! なんで...信じないんですか」


 達海は思わず声を張り上げる。それでも美雨の父親は態度を変えず、くるりと達海の方を振り返り、まっすぐに伸ばした人差し指でその胸をついた。


「言ったろ。俺は呪いにかかってるんだ。そう簡単に世界を信じろなんて言われてももう俺にはできねえよ。...だから、ここから先はお前の時間だ」


「...は?」


「お前が世界を信じろ。お前が信じる正義で世界を変えてみろ。それはお前ら若者にしかできん。俺は正義を曲げるつもりはない。お前もそうだろう? お前の正義が人を信じることなら、それを最後まで貫いて見せろ。それは、まだ呪いを知らない若者にしかできないものだ」


 それは、一種の願望のようなものだった。 

 一瞬理解できなかった達海だったが、その言葉が砕かれて自分の中へスッと入ってきたとき、嬉しくて思わず頬が緩んだ。


 認められた気になった、とまではいかないものの、分かり合えたのかもしれないとほんの少し希望を持てた。

 上がり調子のまま返事をする。


「はいっ!」


「それと、美雨もだ」


「私...ですか?」


 コツコツと革靴をならし、再度美雨の父親は美雨の元まで詰め寄る。

 そして、そのごつごつした手で、そっと美雨の頭を撫でた。


「...俺は美雨を娘としてじゃなく、氷川家の人間として育てた。...だから、お前はたぶん人のぬくもりってもんを知らんだろう。...現に、俺がそうだからな」


「...」


「だから、さっさと終わらせろ。この戦いを。...来るといいな。お前が望む世界が」



 それは一瞬。

 されど確かな、親子の時間だった。


 今度こそ美雨の父親は用が済んだと部屋の外へと出ようとする。



「もういいんですか?」


「ああ。こういう場所に爺は似合わん。それに、ここに寄ったのもついでみたいなもんだからな」


 眉にしわを寄せて、険しい顔で淡々と美雨の父親は答える。


「...甘ったるい空気を作れるほど、今の状況はよくない。お前たちがここでくすぶってる間、話は先先進んでいる」


「任務的なものですか?」


「ああ。...首脳陣がソティラスの本部ビルの攻略作戦を立てている。決行は明日。流石にこんなところで悠々はしていられん」


「本部攻略って...もうそこまで来てるんですか?」


 反応したのは美雨だった。


「ああ。...小僧、お前が独房にいた三日で世界は大きく変わっている。コアの膨張もかなり激しく進んでいる。...美雨、お前の体調不良もそれが理由だ。...言い方は悪いが、下手をするともう死に体だ。早く終わらせんとな」


「...美雨」


「分かってる。私たちは甘えすぎていた」


 こればかりは達海も同意だった。

 人を殺さないとのたまったからか、悠長に物事を考えすぎていたと反省する。


 それほど世の中は甘くない。自分の軽率さに達海は歯を食いしばった。


「私が言うことはこれくらいだ。あとはどうにでもしろ」


 いよいよ急ぎなのか、美雨の父親は部屋から退出していった。

 場には二人と張りつめた緊張感だけが残る。



「...美雨、動けるか?」


「今日のところは歩くので精いっぱいだと言われている。...明日から動くのなら、今日は休ませてくれ。...代わりに、絶対に直してみせる」


「分かった。じゃあ、俺は黒谷さんのところへ行ってみる。話を聞かなきゃいけねえからな」


 お互い、そこに笑顔はない。

 同じ方向を向きつつある正義を貫くために、今は感情を捨てる。



 達海は美雨の父親の後を追うように部屋をあとにした。






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