第35話γ ここから、もう一度


 美雨は例にもなく、落ち着いた声音で達海に語りだした。


「これまで何度か、お前に私の昔の話をしたと思う。...今から話すのは、その全てと言ったところか」


「すべて...か」


 信頼の欠片のようなものを感じて、達海は少しばかりの嬉しさを覚える。しかし、話に茶々を入れないよう、口を紡いでただ耳を傾けた。



「私の家はかなり昔から続いている...まあ、よく名家と言われる部類で、私はその氷川家に生まれた、長女だった」


「氷川ってでも...うん、聞いたことないな」


 白飾が元の出身地なら知っててもおかしくないし、仮に違うとしても名家であれば多少なり耳にする話もあるはずであるが、達海はそれに心当たりがなかった。

 それに補足するように美雨が続ける。


「名家といっても、あまり表には出せないようなことで名家になった家だからな。...言えば武士の時代からあった家だ。...それが形を変えて、今はコアを守るに先立って守護職という役を得ている家になってるんだ」


「守護職だなんて...聞いたことないぞ」


「ガルディアという組織が出来上がったのは、コアが発見されて数年してからの話だ。...が、私の家自体はもともとコアが発見された瞬間から、発見者から守護職という役を賜っていてな。以来、氷川家はそれに殉じている。私もその一人というわけだ」


 語る氷川に表情はない。


「が、一つの家が守護を行ったところで、対抗組織がでかくなればいずれそのパワーバランスは崩れる。...そこで氷川家は、当時発足してすぐのガルディアという組織に目をつけ、与する方針を決めた。氷川家とガルディアの結びつきは、それ以来の話になるな」


「...つまりお前の意志は関係なく、生まれたときからガルディアのようなものだったってことか」


「簡単に言えばそうなるな」


 そこで初めて達海はこれまで聞いた美雨からの話のつじつまが合ったことに気づいた。

 氷川美雨という存在は...家に、組織に動かされて働き、力を振るってきただけだった。

 幼いころからそうしていたためか、それに抵抗すらない。それはまるで...




「洗脳みたいなものじゃないか...!」


「有体に言えば、そうなるかもな。...分かってるんだ。普通はおかしいはずなんだ。...なのに、私は今の私の生き方が当たり前だと思ってる...! 正義のためと言って、何人も何人も大勢の人間を殺して。...いつ、私がそれを望んだんだ」


「氷川...」


 力なく美雨の握りしめた右腕が震える。


 先日の千羽との一件で何かあったのか、美雨はいつものように他者の意見を冷たく切り払うことなく、自分の中に抱え込んで悩んだ。

 縛られた世界から、ほんの少し体をのぞかせた態勢でいることに、達海は気づいた。


「...けど、ここまで進んでしまったんだ。...本当の正しさの意味も知らないままで。私が生きてきたこの17年は...一体何だったんだ」


 なおも悔しそうに、美雨は震える。

 そんな美雨を、達海は見たくなかった。


 だからこそ、達海はいつかの美雨の言葉を堂々と言い張った。



「死んだとき、自分の正義は正しかったって思える生き方をしたいんだ」


「...!」


「これ、お前の言葉だったよな」



 達海はふつふつと湧いてくる感情を顔に出す。気が付けば、それは笑顔に変わっていた。


「こんなこと言うのもなんだけどさ...、この言葉、俺の中に今もしっかり残ってるんだよ。あの日お前がくれた言葉が今こうして俺を作ってくれている。...だから、感謝してるんだよ」


「でも...今の私は」


「...どうすればいいか分からなくなってるのは分かってる。...氷川の隣に立てないで、一人目を背けて逃げていた俺もそうだったから。...正義、か。それは、誰かが決めた者じゃないよな、きっと」


「誰かが決めたものじゃ...」


「そう。氷川はこれまで抱いていた正義を自分のものとして、正しいと胸を張ってきた。...でも、その正義は、本当に氷川が望んだものなのか?」


「それは...」


 達海がこうも堂々と言えるのには理由があった。

 先ほどの話で、美雨の掲げてきた正義は美雨のものではないと確証を持つことができていたのだ。


 古くから伝わる名家のしきたり。親の教え。それが根を張らして、氷川美雨という存在に張り付いていた。

 前提条件を絞られたうえで決めた正義など、真の意味で誰かのものではない。


 美雨も今となってはそれが分かるようで、十秒ほど悩んで確かに否定を口にした。



「...多分、違う。意見の違う誰かを認められない生き方が本当に正しいなんて...、そんな悲しい話が、正義であっていいはずがない」


「そうか」


「でも」


 そこから先は氷川美雨が自身で抱いている正義だった。


「自分が間違いだと思うものは...ちゃんと間違いだってことを教えたい。正したい、まではいかなくても、そうじゃない見方があることをちゃんと教えてあげたい...。分かり合えなくてもいい。私が絶対などと相手に思われなくてもいい。...でも、それだけが正解じゃないってことを、私は教えてあげたい」


「...なんだ、やっぱり氷川はすごいな」


「え?」


「俺なら...そんなすぐに答えは出せなかった。...何もないところから自分を形成した俺より早く、過去の自分を否定して新しく生きようとすることが出来るって...ほんと

、すごいよ」


「そんなこと...あるのか?」


「ああ。それに、そうして過去の自分が間違ってるって認められることは、氷川が真の意味の自分の正義から逸れずに生きているって証拠じゃないかな?」


 達海の激励に対して、美雨はどこか居心地が悪そうにうつむいた。


「...でも、それに気づくまで、私は多くの人を殺してきた。相手の思いを知ろうともせず、私が正しいと思い込んで、何人も」


「...そうだな。...そしてそれは、もう取り返しがつかない」


「...」


「だからって、止まったままでいることの方が、よっぽど恥ずかしくないか?」


「...!」


「俺さ、思うんだよ。人間生きてる限り変われる。生きてこそ、つながれる未来がある。...誰かの命を奪った事実は変わらないから、奪った命の分まで俺たちが変わる、誰かを変えなきゃいけないんだよ。きっと」



 それは、実体験に基づく達海の正義。

 人を殺めた際に、達海はその人間の思いを受け取った。変わらなければならない。


 殺してしまった人間の分を、自分が生きるべきだと気づいたのは、その時だった。


 それが、達海の正義。

 守りたい誰かを守る。それでもって、人は殺さない。生きて、変わる可能性に賭ける。


 傲慢で、きれいごとかもしれないそれだが、間違いなく一つの正義と呼べるものだった。



「俺は生きてる。生きてるからこそ、俺の守りたい人間の幸せを守りたい。それでもってもう誰も殺さない。生きてる限りは誰でも変われる。分かってくれる、変わってくれる相手じゃないとしても...俺はそうしたい」


「それが...お前の正義なのか?」


「ああ。あの日答え損ねた、俺の正義。...そんでもって」


「?」


「その隣には、お前がいてほしいんだよ、氷川」



 先ほどの告白に、もう一枚言葉を上乗せする。

 美雨もその本心がどこまでも本物だと分かったのか、ポツリと呟いた。



「...私も、同じようなものだ。...お前があの時いなくなって、少し心が痛んだ。初めての感覚だった。これまで誰かにかまけて生きてきたことなどなかったのに...お前が遠く離れるのが、寂しくなったんだ」


「氷川...」


「分からなかった...。けど、今ならこの思いが好きと言われたら...信じられる」


 胸に手を当てて、美雨は目をつぶる。口にした答えは、達海への肯定だった。

 しかし、達海は浮かれることなどできなかった。ここで恋人になったとして、本筋は変わらない。戦いはまだ続いている上、何よりこれから激しくなる見込みなのだ。


 本意で好きになるのは、きっとその後だ。

 そのためにも、今を、明日を守るための戦いをする。その覚悟が、達海は出来ていた。


 それを受け止めて、氷川は体を無理に起こして達海の肩を両手で持った。


「ちょ、無理すんな!」


「...私は、間違えたくない。私だけの正義を見つけたんだ。...それが、間違いじゃないことを証明したい。...だから、隣にいてくれないか?」


「氷川...」


「私もお前が...藍瀬達海が好きだ。でも、その好きを伝えるのは今じゃない。...全てが終わったら、私は本当の意味でお前の隣に立てる気がするんだ。...だから」


「はいはい、分かったよ」


 そうとだけ答えて、達海は美雨の頭を自分の右肩側に、抱き寄せた。そして少しばかり固くなった手のひらで、その頭を撫でる。


「だったら今はこれくらい...許してほしい」


「...仕方がないな」


 顔色の良くないほほを赤色に染めて、美雨は微笑む。



 しかし、その顔は一瞬にして、苦痛に一転した。



「くっ...あっ...! あああ!!!」


「どうした!? どこが痛い!?」


 達海の悲痛な声に変身することなく、美雨は言葉を止める。


「...あ」




 たちまち意識を失うように美雨はその場に倒れこむ。

 両手で押さえられていた心臓からは、ただならぬ冷気が漂っていた。







 

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