第34話γ 弱さ、強さ
冷たく、窓のない鉄部屋に達海は移送される。そのまま扉が閉ざされると瞬く間に音がなくなった。
「今日からここで三日か...」
本当に牢と呼べるほど部屋には何もなかった。ドアの下にある小窓はおそらく食事の受け渡し用。外と通じるものはそれ以外はなかった。トイレも部屋に内蔵されていると考えると、本当に部屋から出すつもりはない部屋らしい。
自分の行った罪に対する報いがこれであると言われれば、達海はまだ耐えることが出来る気がしていた。
少しかび臭いベッドの上に腰かけて、目を閉じてこれからのことを思う。
(さっきの黒谷さんの話を聞くところ...これからとんでもなく大きな戦いが始まる。大勢の犠牲が出ることは間違いない...か。俺が殺さずの誓いなんか立てたところで、焼け石に水だ)
しかし、焼け石に水であっても、やること自体に意味がある行為だ。
(明日は消させない...。けど、千羽が言った記憶の話が本当なら、ただ明日を守るだけではダメだ。...だからこそ、俺の正義がある。...そう信じよう)
それ以上特に何かできることもなく、達海はあおむけになって目を閉じた。
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三日という時間は、思うよりも短く過ぎていった。
特に何かができるわけではない環境。やることがあるとすればせいぜい体力づくり程度の空間は、暇と呼ぶにふさわしかった。
「...おい、出ろ」
達海が入っている独房の重苦しい鉄の扉が開かれ、達海は久しぶりに外の空気を吸った。
「...お前への疑いが完全に晴れたわけではない。これからも、適宜監視をする方針だ。分かっているな?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
達海は独房を開けた看守のような人物に深々と頭を下げた。あまりにも素直な態度に看守は困惑したのか、バツが悪そうによそを向いた。
「...分かってるならいい。ああ、それと、お前が知りたがってる情報があったな。ついでに教えておいてやる」
「...!」
達海はこの三日間、氷川 美雨にまつわる情報を聞けないでいた。
厳罰の意味が込められている三日間であったため、達海は美雨との接触を避けられていたのだ。
だから、生死も知らなければ、現状も知らない。達海はこの三日間、ただそのことだけが、唯一の気がかりだったのだ。
「氷川はもう目を覚ましている。...といっても、それは今日の朝方の話だがな。...が、まだ状態は安定していない。回復にはまだ数日要するだろう。...あいつとパートナー関係にあるのは一応お前だ。その数日間、お前が何をしようと、文句を言うやつはいまい。...最も、軍規に触れなければ、な」
「そうですか。...お気遣い、感謝します」
「感謝なんかいらねえ。...それよりほら、さっさと行くんだな。次に独房入れるやつが控えているんだ」
「えぇ...」
意外と、この組織の軍規は厳しいらしい。
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解放されるなり、達海はすぐに美雨が療養している医療室へ向かった。
薬品の匂いが漂う空間を抜けて、達海はそのベッドへ向かう。どんな顔をして会えばいいのか、などは考えることもなかった。
会えば全てがわかる。達海は、ただそんな気持ちをのみ持っていた。
取っ手が付いたスライドドアを開けると、こじんまりとした部屋に、一つのベッドが置いてあった。
その上で一人体を起こし、ぼんやりと窓の外を見つめている美雨が、そこにはいた。
「氷川」
「藍瀬...か」
達海の声を受けて、美雨は少し驚いたように声を出して、そのまま気まずそうにうつむいた。そのまま声を発そうともせず、ただ足元に目線をやる。
しびれを切らして、達海は自分から口を開いた。
「あの、氷川。俺さ...」
「待ってくれ。...今、お前の話は...聞きたくない」
「え?」
「私...分からなくなってるんだ。本当に自分が何をすべきか、本当の自分は何をやりたいのか。...だから、正義なんて言葉は、発さないでくれ」
それは例にないほど弱気な言葉だった。取り乱すことこそしない美雨だったが、抱えている問題が相当大きなものになっているのか、真っすぐないつもの姿勢はまさに折れようとしていた。
(...こんなに後ろ向きなのは初めてだ...。...仕方がなくもない、とは思うけど)
しかし、仕方がないで済ませれるほど悠長な話ではないのもまた事実であった。
氷川 美雨という人物は、必要とされていた。
それはガルディアという組織にだけではなく。
『藍瀬 達海』自身が、氷川 美雨という人物を欲していた。
達海はいつからか胸の奥で思っていた。これは好きという意味なのか、と。確かrにそれは間違いではないとも、すぐに答えは出た。
しかし、それは恋心という簡単な言葉で片付けることが出来るほど、軽いものではなかった。
自分の正義を貫く時、隣に美雨がいてほしい。達海はそう思っていた。
(だから俺は...お前を知りたいんだよ...氷川)
「...善処はする。けど、聞けない願いだな」
「どうして」
感情が抜けているものの、少しばかり冷たい視線で美雨は達海を睨んだ。しかし、そこに畏怖の念は存在せず、達海は堂々と思いの丈を口にした。
「俺はお前が必要だからだよ、氷川」
「...? 何を言ってるんだ? お前は」
「...んー、なんていうかな」
はっきりとこれを伝えていいものなのかどうなのか、達海は頭を掻きながら悩む。好きであることは事実。抱いている感情がそれ以上なのも事実。
けれど、好きであることに変わりがないなら、言ってしまってもいいだろうと、達海の口は流暢に動いた。
「...俺は、お前が好きなんだよ、氷川。...まっすぐでひたむきなその在り方も、不器用だけど優しいところも、正しさを愚直に求める姿も、...女性としてのお前も、全部」
「は...何馬鹿を」
「嘘に見えるか?」
達海はゆるぎない覚悟の目を美雨に向けた。どうすることもできないまま、美雨はその視線から顔をそらす。
照れか、あるいは単なる拒絶か。しかし達海はそんなことどうでもよかった。
「お前が今何を迷ってるか、なんで悩んでるか俺には分かる。...なんたって、数日前の俺にそっくりだからな。...けど、氷川は逃げてない。足りないものを分かって、向き合おうとしてるんだ。それは俺と違う。...やっぱり、どこまでも強いんだよ、氷川美雨ってやつはさ。...だから、好きになった」
「やめろ...待ってくれ...。これ以上、困らせないでくれ...!」
「いいや、やめないし待たない。...逃げてばかりでは答えが出ないこと、俺も知ってるからさ。...だからちゃんと、迷った先にある氷川の答えを聞かせてほしい。それが知れるなら俺はいくらでも待つ。...それくらいの覚悟は、ある」
「...」
苦しそうな表情をのみ、美雨は浮かべる。本気で悩んでいることは達海でも簡単に理解できた。
目は右に左に泳ぎ、手で顔を覆っては首を横に振り、美雨は悩む。
小数分ほどたって、ようやく口を開いた。
「...好きとか、嫌いとか、...異性としてのそんな感情、考えたことなかった。だから...私自身が今お前についてどう思ってるか...私自身も分からない」
「だろうな。...覚悟はしてた」
「でも...分かることがあるとすれば...、今はお前に、ここにいてほしい。...私だけじゃ私のことは分からないから...。私のことを、知ってほしい。お前に」
「...!」
それは、美雨が自身の閉ざしていた心の一部に達海の入るスペースを与えた証拠の言葉だった。
無論、それは達海が好きだという言葉とは遠くかけ離れている。しかし、いわば前進とも呼べるその現状に、達海は心なしか嬉しさを覚えていた。
これまで掴むことが出来なかった壁に、指をかける隙間が出来た。それだけで山を登れないことは分かっていても、可能性が開けたことに大きな意味があった。
「それで一緒に考えてほしいとお願いしたら...お前は聞いてくれるか?」
「もちろん。それは俺が望んだことだ」
「そうか...」
美雨は表情を示さない顔を味のない天井に向けて、届けるつもりのない言葉を呟く。
「...ずっとこうして、誰かに頼らずに生きてきたんだな、私は」
「氷川...」
「だから弱い。掲げた正義も折れる。...今の私は、空っぽの器だ。コアとなる意思も持たないで戦ってきたんだ。...当然か」
悔しさを前面に押し出す言葉。けれどそこには涙も怒りもなかった。
本当に、空っぽ、だった。
「だから」
「!?」
美雨は天井を見上げていた虚ろな目を達海に向け、その手を取った。
「...お前に打ち明ける。私の過去。...そこから、一緒に考えてほしい」
達海はゆっくり、大きく一度頷いた。
「あれは、私が六歳の時の話だ」
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