第33話γ 予兆の波


 あたりが落ち着き、達海は少しばかり高揚していた胸が静まっていくのを感じた。

 そうして冷静になって初めて、次にとるべき行動が分かる。


 しかし達海は、動くのをためらった。


 今、一番に必要なのは、抱きかかえている美雨の治療である。

 しかし、それは自分一人では到底できるものではない。深くまで開いた穴を埋める能力など、達海は持ち合わせていないから。


 頼るべき機関が必要である。しかしそれは、一般の病院ではない。

 能力者である以上、組織の人間である以上、平静を装って一般の病院に紛れ込むことなどできない。差し当たっては、専門の機関に頼らざるを得ない。


 つまり、美雨を治療するには、ガルディアの本部、その機関へ運ぶ必要があった。

 だからこそ、達海は頭を悩ませずにはいられなかった。


 今、自分が本部に戻ったらどうなるか。


(いや...違うな。どうなるかじゃない。どんな顔で戻ればいいか...)


 組織の一員となった手前での先日の行動。当然、許されるものではないだろうと予想は出来ていた。

 最悪、命まで奪われるかもしれない。それほどまでに、責任重大な行為だったのだ。



 しかし。


(...守りたいものを守る。そのために死ぬ覚悟も出来てるっていうなら...美雨を届けることくらい、造作もないことだよな)


 それで自分の正義になるのであれば、達海はそれでよかった。



 それに伴って、少し震える指先でかけ慣れないコードへ電話をかける。

 相手が今何をしているかなどお構いなしに、達海はその人を呼んだ。


『...藍瀬君か』


「こんばんは、黒谷さん」


『...ああ』


 深く、低く、重たい声。何か暗い感情を孕んだ声が、機械越しに達海の耳を打った。

 それに臆することなく、達海は続ける。



「...急な話ですけど、今から救護班動かせますか?」


『氷川君か?』


「はい」


『...状態は』


「よく...はないです。呼吸も乱れ乱れで、心臓の動きも小さい。意識もありません。...生きているには生きているが、といった状況です」


『...その割には、君は幾分と冷静だな』


「焦ってもどうにもならないことは、もう学びましたから」



 いかなる時も冷静に。

 それは、数々の失態の先に達海が学んできた教訓の一つだった。


 場合によっては冷徹だの、不愛想だの色々言われるかもしれない教訓。しかし、それこそが強くある一つのポイントだと、達海は解を得ていた。



『救護班に連絡を入れておく。本部に帰投後、3番の入り口から入れ。詳しい話はあとで聞かせてもらうぞ』


「はい」


 業務連絡のような通話はそこで途絶えた。

 

 お互い、話したいことはまだたくさん存在していた。けれど、それの全てを押し込めて、大事なことだけ話す。

 そうしてまたあたりが静かになると、達海は美雨を背負って、一目散に本部を目指して走り出した。




---




 3番の入り口で負傷状態の美雨を医療班に預けて、達海は数日ぶりにガルディアの本部へと帰投した。

 

 医療班に伝言で聞かされた黒谷の居場所へ向かうその道中には、人の一人もいなかった。それにありがたみを覚えつつ、達海は指定された部屋の扉をコンコンと叩いた。



「...入れ」


 奥から低い声が響いたのを合図に、達海はその扉を開く。

 中では、黒谷がデスクの前で腕を組んで仁王立ちのごとくたたずんでいた。



「...随分と遅い帰投だな」


「申し訳ありません」


 達海は素直に頭を深々と下げる。

 その頭を上げ始めたとき、ふと嫌な予感を達海が襲った。

 

 それに間に合うように、体に重力と力を籠める。

 そして、顔が上がり切ると、



「ガッ!」


 

 先の予感通り、顔を上げ切った達海のほほを、黒谷が容赦ない右のこぶしで殴り飛ばした。力を込めた達海の身体だったが容易に右に振られ、地面にたたきつけられた。



「申し訳ないで済む話だと思っているのか!!」


「...」


 殴られた右のほほを抑えたまま、達海は黙秘を続けた。

 今は何も言えないでいた。結局、自分が行った行為の重さはそれほどなのだから。



「貴様1人が野垂れ死ぬのは場合としては構わん。だがな! ここは組織だ! 貴様もその一員なら、そこにある責任くらい知っているだろう!」


「...はい。申し訳ございませんでした」


 達海が同じように返事をするなり、黒谷は達海の胸倉をつかみ上げ、今度は左のほほを殴り飛ばした。



「ふざけているのか!」


「...ふざけてなど、ないです。俺の取った行動は言えば間違いなく軍規違反。反論の余地もないです。...謝罪で済む話でなくても、謝罪をするしかないんです。しかし仮にもし、謝罪、責任の取り方が死だというのなら...」


「だったら...なんだ」


「どうぞ殺してください」


 達海は一切の迷いを捨てて、澄んだ瞳で黒谷を見つめた。

 ここで投げ捨てるような命ではないと分かっている。しかし、覚悟とはそうしたものとひっ迫したところにあることもまた事実だった。なら、避けて通ることは出来ない。


 黒谷はこめかみの血管を浮かせたまま、少し冷め始めた脳をまわしつつ答えた。



「...死ぬ覚悟は、出来ているのか?」


「命ぜられれば、なんなりと」


「...。そうか」


 そうして黒谷は三度達海の右のほほを殴り飛ばしたが、そのまま自分のデスクに備え付けられた椅子へ座りなおした。




「...軍規違反への制裁は以上だ」


「...申し訳ありませんでした。本当に」


 同じ言葉を繰り返すが、もう黒谷が椅子から立ち上がることはなかった。しかし冷たい声音のまま、達海に説教をつづける。



「君への制裁は本来ならこんなものでは済まされない。それこそ、殺すことも視野に入れていた。そこは承知しているな?」


「もちろんです。...俺の取った行動は、離反に等しいものととらえられても不思議ではないので」


「しかし、今回の一件はただでは済まされない。君が組織を離れた数日間、ほかの組織の人間と接触を取っていたというケースも考えられなくもない」


「...いわゆるスパイ容疑ってやつですか?」


「そうだ」



 厳かな顔で、黒谷は頷いた。



「確認だが...君は、寝返ってなどいないな?」


「もちろんです。...日常的にかかわりを持っていた琴那とも、縁を断ち切りました」


「そうか...。だが、それが信用に値するかどうかは正直判断しかねる。君にはこの話の後、重要監視者として三日間懲罰を受けてもらう。...軍のような話だが、独房で謹慎だ」


「...はい」



 思うほど現実は楽なものではなく、達海は懲罰房行きを命じられた。

 しかし、それで抱えている責任を帳消しにしてもらえると考えると、まだかわいいものに達海は思えた。



「...さて、その上で今は君に話さなければいけないことがある」


「お願いします」


「まず、ここガルディア本部に海外視察組が帰ってくる。近日な」


「その海外視察組がどうかしましたか?」


「ああ。視察組はいわば全体参謀の役に近いものの集まりだ。...つまり、彼らが帰って来次第、私たちの行動は大きく変わる」


「変わる...ですか。けどそれは、どういう風に」


「ああ。簡単に言うと、ガルディアの行動理念をコアの防衛からソティラスの殲滅に切り替える」


「...!」



 殲滅と言う言葉を聞いて、達海の体表はここぞとばかりに鳥肌を立て始めた。

 つまりそれは人の死を意味する。ましてや、それが組織レベルとなれば。


 しかし、達海は殺すなとは言えなかった。

 達海はまがい物でない自分だけの正義を掲げている。しかしそれは達海の正義であって、ガルディア自体のものではない。


 正義は相反する。その中で、妥協というものを見出さなければならない。

 ガルディアの明日のためなら犠牲をいとわないという姿勢は達海の求めるものとは遠いものであるが、生きることに意味がある、そのための明日を守るという理念は、達海の掲げる正義と同じなのだ。


 であれば、妥協をするほかなかった。

 

 もちろん、達海自身が考えを変えるつもりもなかったが。



「どうしても、殺さなければならないんですかね?」


「やむを得ないことだ。...怖気づいているのか?」


「そうではないです。ただ...。いや、何でもないです」


 口答えなどできることなく、達海は口先まで進んでいた言葉をかみ砕いて飲み干した。



「分かりあうって、難しいですね」


「当然だろう。...簡単に人間が分かり合えるなら、戦争なんてどこでも起きてなどいない」


「けど俺は...いつか分かり合えると信じてます。俺が明日を守るのは、そのためですから」


「...そうか。変わったな、面構えが」


「え?」


「覚悟を持った目をしている。...組織から離れた間に、何かあったか?」


 何かあったかと聞かれても、特別何かがあったわけではなかった。ただ言えることがあるとすればそれは...



「自分の本心に向き合っただけですよ。俺がやりたいこと、俺の正義とは一体何か...悩んで、向き合っただけです。それ以外は、何も」


「そうか...。ただ、案外それが、正解なのかもしれんな」


「え?」


「なんでもない。...とりあえず、君は三日間懲罰房で謹慎だ」


「分かりました」


 少しずつ暗い方向へ進む事態だったが、それでも胸のもやもやを晴らした達海はどこかすっきりとした気分でいた。


 これ以上話すこともないと、達海は黒谷に背を向ける。その時、黒谷は慌てて達海を呼び止めた。


「藍瀬達海!」


「なんですか?」


「君は氷川美雨のパートナーだ。...その責務はきっちりと果たせ」


「分かってますよ」





 そうして達海は扉をくぐり、温かい心持で冷たい独房へと身を進めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る