第32話γ こんなに残酷な世界だけど
覚悟を決めてからは、進む足も速かった。
昼夜問わず、街を縫い合わせるように、歩幅を進める。組織から離れ、一人当てもなくさまよっていた時と比べ、達海は間違いなく前向きに進めていた。
特別意味はなかった。しかし、達海にはもう一度、どうしても会うべき人間がいたのだ。
これから組織に戻るにしろ、組織から追われるにしろ、けじめをつけるためには一度会わなければいけないと、達海は分かっていた。
(返事...まだ返せてないからさ)
お前の正義とは何か。そう問われて返せなかった答え。
その解を、達海は得たのである。
もっとも、その言葉自体は今までと変わるものではなかった。
まだ自分が組織間抗争に巻き込まれる前、街でふと出くわした美雨に向けて放った言葉、それこそが達海の望む正義だった。
『自分が守らなければと思った相手を守り切る。手の届く範囲、自分の守りたいものを守る』
時の美雨は、ただの自己満足の傲慢な願いと言い放った。
(...実際、そうではあるとは思うんだよ、これ)
その言葉に、間違いはないと達海は断言出来た。けれど、同時にもう一つ言えることが存在していた。
結局、統一された思考、統一された正義などはない。言ってしまえば正義などと言うものは必ず誰かの者であり、それに当てはまらない人間もいる。どれもがどれも、全て個人の願いに過ぎなかったのだ。
ならば、傲慢な願いだろうとそれは正義に変わりない。
若干開き直りの精神ではあるが、達海はそれのおかげもあってか、自分の正義を正当化する行為を苦としなかった。
ふと、肌を切り裂くような冷たい風が、達海を襲った。
それはただの風でしかなかったが、達海はそれに微かな嫌悪感を感じた。
こういう時は決まってなにか望んでいないことが起こる。いわゆる悪寒のようなものに襲われた達海の足は、気が付けばスピードを上げていた。
行く当ても分からないのに、どこか体が導かれる。
その感覚に任せて、達海は体力のあるままに走った。この感覚に任せて走れば、答えにたどりつくかもしれない。
そうして、その予感は当たるべくして当たる。
達海の目の前では、二人の女性が対峙していた。
そして、その両方の人間は、達海の紛れもない知人。級友とまで呼べる仲の人間だった。
しかし、そこに驚きの声はなかった。
自分の正義を為すと決めたときから、相手が誰であるということは達海にとって関係のないものと変り果てていたのだ。
今なら、自分の親を相手にすることすら可能な気がしていた。
しかし、状況が変われば心情も変わる。
美雨が千羽から生えた羽に心臓を貫かれると、たちまち達海の心の中に動揺と焦りが生まれた。
(氷川...!?)
言えば、らしくないと思えた。
目の前の刀持ちの少女は少なくともやみくもに刀を振る人間ではないと達海は知っていた。そのためか、自分が今何をすべきかを見つけるのはたやすいものだった。
千羽は躊躇いなく美雨にナイフを振り下ろそうとしている。
であれば、達海がとるべき行動は一つだった。
(守るんだよっ...!!!)
達海はそのしがない右腕で、振り下ろされる前の千羽の手首を捕まえた。
「なっ、藍瀬君!!?」
「...らぁっ!」
掴んだ手首を払いのけ、その一瞬の間に美雨の重力を操作し、小脇に抱えてバックステップの後距離を取った。そのまま死にかけの美雨を道の小脇に休ませる。
「おい、生きてるか?」
「...」
返事こそなかったが、美雨は小さな力で一度ばかり頷いた。そのまま意識を失うようにぐったりと倒れこんだが、確認した心臓の鼓動が確かな生を刻んでいた。
それを達海は放置して、すぐさま目の前の翼人を凝視した。
「嘘...戦線離脱してたはずなのに」
千羽は明らかに驚いていた。それもあってか、翼のコントロールがぶれているのが目に見えていた。
「戦線離脱...か。してたな。してたさ。つい昨日くらいまでな。...けど今は違う。ちゃんと意志をもって、ここに立っている」
「...。...そう。あなたもやっぱり、そうなのね」
千羽はあきらめたようにため息をつくなり、目の色を変えたように鋭い目で達海をけん制した。
「で、その正義とやらの前に、あなたも刃を振るい、私を殺すの?」
「...さあな。ただ間違いなく言えることは、言葉で分かり合えないなら俺は迷いなく力を振り下ろすだろうな」
「...そう」
「ただ、殺しはしない」
「...は?」
千羽はおかしなものを見る目で達海を見た。口の端が引きつる。
「殺さないって言ったんだよ。もうこれ以上、お前も、お前の大切な人も、ソティラスの人間も、誰一人として殺さない」
「どういう...つもり?」
「言った通りだろ。殺さず戦う。そして分かり合うんだよ。言葉じゃどうにもならない世界だ。力によってその正当性を示すなんてことはざらにあるだろ。...けどそれは、示すだけじゃダメなんだよ。命亡くして相互理解は不可能だ」
「じゃあ、あなたは倒した相手が自分の思想に変わるとでも思ってるわけ? そんなの...」
「不可能って言いたいか? そうだな、可能性は低いだろう。...けど、0とは言い切れない。それにお前、さっき記憶が残るって言ったな」
「...だったら、何だっていうの?」
千羽は湧いて上がってきた怒りを鎮め、冷静さを装いながら達海に問い詰めた。その問いにさえ、達海は難なく返答する。
「相手のことをわかろうとする。記憶と言うものがどういう原理で残って、どうやって伝わるかなんて知らないけど、相手のことを分かろうとする気が無きゃ、記憶を受け取った生物はまた同じように争うだろ」
「!! ...そんな屁理屈!」
「...なあ、お前たちはどうしてそんなに世界を信じられないんだ?」
「それ...は...」
千羽は返答に詰まる。しかし、プログラミングされた回答を吐き出すロボットのようにすらすらと答えだした。
「人間は便利になりすぎたの。...その陰に、多大な犠牲があったことももう忘れられている。だから、私たちは咎を受けるべきなの。それは全ての人類。消え去れば、地球は汚染される前の元に戻る」
「なるほどな...それがソティラスの行動理念か...」
達海は一度考え込むように黙って、数秒してそれに対する答えを述べた。
「確かに、それには思うところがある。人間は膨張しすぎた。発展の裏に生まれた犠牲のことなど、忘れてる人間が殆どだろうな」
「なら!」
「でも、そうじゃない人間の思いをお前たちは踏みにじってるだろ? ...存在は希望だよ。生きてることに意味がある。全ての人間があるべき形を見失ったわけじゃない世の中で、人消しを断行するってのは...違うと思うんだ」
生きることに、意味がある。
人の命を奪ってしまった達海だからこそ、簡単に口にできる言葉だった。
生きているうちに人は変われる。生きていることで他人に影響を与えれるなら。
この世界は、捨てるにまだ惜しい世界なのである。
「だから俺は守るんだ。人の可能性にかけて、人が生み出すよりよい明日を信じるために、俺は明日を守る。それが俺の正義だ。...当然、生きてることに意味があるなんて言ってるんだ。俺は誰も殺さない」
言葉にすればするほど、達海は胸の内で昂る思いが強くなっていくのを感じた。そんな達海を千羽はただ呆れたような目で見ていた。
「はっ...そんなもの、ただの空想の論理でしかない。限りなく小さな可能性を、一体だれが信じるっていうの?」
「俺だよ」
「っ...! あなたは本当に...!」
ナイフを持つ千羽の右手はより一層その力を増す。怒りが顕著に表れていた。
「...いまから俺を殺そうとするなら...俺にも戦う覚悟はある。いつまでも弱い自分なんてのは嫌だからな。力を振ることは、もう躊躇わない」
達海は体と脳に血を巡らせやすい体制を取って、千羽の動きをうかがう。
しかし、千羽はどこか居心地が悪くなったのか、ナイフをスッとしまい、羽を引っ込め、くるりと達海に背を向けた。
その背中越しに、少し棘のある声音で釘を刺した。
「今日のところは引かせてもらうわ。...今のあなたと同じところに居たくなんてないからね。...けれど、覚えていて。私たちはあきらめない。野望を阻止するのであれば、あなたであろうと遠慮なく殺すわ。...あなたが殺さずの誓いを立てようと、人の可能性を信じようと知ったことではないわ。私は私の信じる者のために、あなたとも戦う」
「...ああ、分かってるさ。今回の相手は、一筋縄じゃいかない相手だろうしな」
「...ふんっ」
千羽はそれっきり何も言うことなく、すたすたと速足でその場を去ってしまった。それを確認して、達海は寝かせておいた美雨の元へ駆け寄り、肩に優しく手を置いた。
「...帰ろうか」
---
~side M~
何もできなかった。
琴那の言うことが、間違いだと思えなかった。
けどそれは、同時に私がこれまで生きてきた意味、正義の否定となる。
私は...戦う意味を無くす。
ずっと信じていた。自分の正義は、間違いなんかじゃないと。
そのためなら、全てを敵に回すことさえたやすかった。
けど今は...。
ひとたび羽の刃が私の胸を貫く。
倒れてなお、口先だけは威勢よく言葉を放つが、本当はどこか今の結果に納得していた。
なんせ私には、確たる正義などもうないのだから。
だから、心のどこかで、私は目の前の刃が振り下ろされることを望んでいた。
いずれにせよこの傷。浅いとは言えないこの傷のせいで、私は死ぬ可能性だってある。それは間違いなく、苦しいことだろう。
普段なら耐えることのできたはずの苦痛が、今は吐き気がするほど嫌だった。
やっとわかった。
私は...こんなにも弱くて...
きっと...何者でもなくて...
目をつぶって、冷たい刃が首元にあたるのを待つ。
しかし、音は別のどこかでなり、私の首が切り裂かれることはなかった。
藍瀬 達海。
私のパートナーがそこにいた。
張りつめた緊張の糸が断たれたためか、私の身体は一気に重みを増す。
意識を失うだけかもしれない。
ひょっとしたら、このまま死ぬのかもしれない。
けれど、どちらでもいい。私は...もう。
最後に耳から聞こえてきた言葉、何といっていたのかは聞き取れなかったが、私は力尽きるように一度頷く。
...。
そのまま私の意識は深いまどろみの底へ落ちていった。
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