第43話α(1) 引けない理由(わけ)


「先輩...」



 桐は、よくわからない感情のまま、達海に声を掛けた。しかし、達海は反応しない。

 

「...その...すいません」


「...謝るな」



 桐が二言目を発したところで、達海はようやくそれに答えた。その声は、ほんの少し怒気が混ざっている。



「...もともと、桐を守るって決めた日から、いつかこんな日が来るとは思ってたんだよ。常に誰かの命の生死と隣り合わせの世界。討たなければ討たれる。だから討つしかない。世界から争いが無くならない理由なんて、きっとそんなもんだ。...だから、終わらせようとしてるんだろ? ソティラスって組織は」



 達海は、自分が発している言葉が、その声音が、どこまでも深く冷たいものに感じれた。

 しかし、それに恐れを抱くことはなかった。


 もはや、それが当たり前になっていたのだから。


 

 つまるところ、人を殺める、その行為で、達海の中でセーブしていた何かがこと切れたのだった。



 自分は、殺人を犯した。理由はともあれ、その事実に嘘はない。

 目の前に転がっている零の死体が、なによりもの証拠だ。

 あらためて、確認する。



 もう、戻れない。



 ならば、自分を残虐非道の凶悪犯だと思い込む。

 そうすれば、まだ心持ちはなんとか保てた。



 代わりに、大切な何かを失うが、それでも、ずっと胸に響く誓いだけが、達海を達海でいさせた。



「...先輩が殺す必要は、なかったんですよ?」


「ああ。...それでも、俺はたぶん自分から殺した。...たぶん、まだ戦いは続く。こんなことで躊躇うようじゃ、俺は桐と同じ未来を見れないんだよ」



 そう言ってるさなか、達海は獅童のことを思った。

 


 仲間であり、自分の大切な人だった舞を殺した人間。

 しかし、同じようなことを、達海は獅童に対してやったわけだ。



 どこにいるのかわからないものの、もうお互いまともに言葉を交わすことはできないだろうと達海は区切りをつけた。



 湯瀬 獅童は敵だ。最後の、倒すべき敵。


 そう割り切ることしか、心を失いつつある達海にはできなかった。




「...それじゃ、行くか。桐」


「待ってください。先輩、けがの手当てを」


「ん? ああ、そう言えば」


 

 零の命を奪ったその瞬間から、達海は痛覚というものを無くしていた。

 今、猛烈に足の傷は痛いはずなのに、それを全く感じない。



 けれど、感じないなら問題はない。

 達海は桐に断りを入れようとした。



「いや、いいよ。痛くないんだ」


「ダメです」



 桐は、達海の足元にしゃがみ込んで、上目遣いで達海の目を見て答えた。

 その目には、ゆるぎない意志が籠っている。




「アドレナリンが出てるから、そう思ってるなら、間違いです。...きっと、今の先輩が痛みを感じないのは、それ以外もあると思いますが。...ともかく、傷をそのまま放置するのは、後々に響きます。相手に集中的に狙われるのは間違いないですし、ほっとけば壊死にもつながります。...舞の言ったこと、覚えてますよね?」


「...万全な準備、か」



 舞は、なにからなににおいて、中途半端を嫌っていた。

 一つ戦うにしろ、それに至る準備は万全であったし、体調不良の一つ見逃さなかった。


 そんな舞の事だ。今、目の前にいれば、きっと桐と同じことを言っていただろう。


 

(いや、違うな)


 

 目の前にいるのは、舞だ。

 桐の中に生きている、舞の面影。



「はぁ、分かったよ。...お願いできるか?」


 達海はおとなしく桐の忠告を聞くことにした。

 言われてみれば、桐の言っていることはごもっともなのだから。



「了解です」



 桐はそう言うと、自分のポーチから包帯や消毒液など、治療に必要なもろもろを取り出した。

 

 まず、消毒液を付けた布で患部を拭く。そして、その上から包帯を巻く。


 やっていることは、小さな切り傷を負ったときと同じことだった。

 小さいとき見て学んだものが、こんな風に生きることを、達海は知らなかった。


 つくづく、基礎は大事なのである。




「...終わりです。痛くないですか?」


「たぶん、大丈夫だと...」



 確認のため、達海は数歩歩いてみる。

 アドレナリンが切れたのか、さすがに痛みが走った。


 その苦痛に、達海は表情を歪める。



「大丈夫ですか?」


「大丈夫じゃない...かもしれないけど、止まるわけにはいかないんだ。こんなところで。...桐、鎮痛剤くれ」


「あれですか?」


「ああ」



 気が付けば、いつか舞に渡された薬に頼るように達海はなっていた。依存症と言われても不思議ではないくらいには。


 けれど、自分がおかしくなることに、ためらいはなかった。




「分かりました」


 桐から小瓶を受け取り、達海は三粒ほど薬を体内に放り込む。

 効力というものは案外早く回るもので、たちまち達海の体は痛覚を受け取らなくなった。




「...よし、行けるぞ」


「分かりました。急ぎましょう」



 達海は桐と顔を合わせて、一度うんと頷き、互いを確かめ合って、再び走り出した。





---




 あちこちで戦いが激化しているのか、昼間にも関わらず市内各所で煙が上がったり、火が上がっていたりなどしていた。この様子であれば、一般人にも影響は出ているだろう。

 けれど、それすら些事なことだった。世界の命運がかかっている戦いの前では。




 美しかった、白飾市の町並みは、きっともうない。

 達海は、それが悲しいとは思わなかった。



 それこそ、初めからこの光景は想像していたのだから。



「...先輩、ストップ」



 路地から路地を駆け回り、もう少し行けば、少し開けた場所につく、といったところで、桐は達海にストップを要請した。



「どうしたんだ? なにかいるわけでも...」


「...すいません。私のわがままです」



 桐は、詳しい説明の前に、達海に一度謝った。達海は理解できないままそれを受け取る。



「...おそらく、次の戦いが、最後です。...なので、ちょっと気持ちの整理をしておきたくて」


「気持ちの整理、ね...」



 言われてみれば、達海も深くはしていなかった気がしていた。

 というよりは、しないようにしていた。


 向き合ってしまえば、足を止めることが怖かったから。


 けれど、今、目の前には桐がいる。

 その限り、おそらく大丈夫だろうと、達海は一度深呼吸をして胸に手を当てた。



 目を閉じ、思い返す。

 これまでに結ばれた縁。大切な人。




 まず、両親の事。

 さよならを告げた瞬間から、両親のことは考えないでいた。


 けれど、家族の縁というものはそうそう切れるものではないと、達海は痛感する。

 考えて、胸が苦しくなる。


 自分が間接的に奪うその命に、両親も入っているのだ。

 二人のことが嫌いではなかった分、達海にはつらい事実である。


 それでも、戦う理由は、それ以上に大切な人がいるから。

 それだけだった。






 陽菜、弥一のこと。

 達海は、自分を信じてくれていた人間を裏切ったわけだ。

 弥一とは言葉を交わしたものの、陽菜とは何もコンタクトが取れていない。


 それ以上に、今二人の目の前にどんな顔をして現れればいいのか、達海は想像できなかった。


 皮肉なことに、その方がありがたかった。

 中途半端に顔を合わせてしまえば、裏切る勇気が消え去ってしまう気がしたから。






 そして、これまで出会った人間すべて。


(いい人だった。多分)


 それ以上は考えない。

 いい人であろうと、悪い人であろうと、敵になればそれまでなのだから。


 昔以上に、人間の見方は敵か味方か、に寄るようになった。




(大丈夫)


(逃げない)


(俺が叶えるのは...ソティラスの野望なんかじゃない。俺の恋物語を叶えるために、戦う。それが、俺だけの戦う理由だ)



 気持ちに区切りがついた達海は、目を開けて、顔を上げた。

 目の前には、同じようにしている桐がいる。




「...すいません、時間取っちゃって」


「いや、大丈夫。...俺も迷い、吹っ切れたからさ」



 そうして達海は軽く微笑んで見せた。桐も答えるように笑顔を見せる。



(この戦いが終わったら...ちゃんと桐に好意をぶつけよう)


(一瞬でもいい。桐と過ごせる時間があるうちに、ちゃんと好きってことを行動で示そう)


(...ああ、楽しみだ)



 それが、達海の芯の強さ。

 

(誰にも...邪魔はさせない)



 頬を一度バチンと叩いて、達海は桐に声を掛ける。



「...それじゃ、行くか?」


「...」


「桐?」


 桐からの反応がないことが気になった達海は桐の顔をのぞいてみる。

 桐は、ひどく青ざめた表情をしていた。


 それは恐怖の念。

 桐は、ひどく何かを怖がっていた。


 

「おい、桐。どうしたんだ? 桐...」


 言ってる途中で、達海も気づいた。

 自分を追い詰めるような、底知れないプレッシャーに。



「これ...は!?」




 達海は、自分の背後から感じるプレッシャーの正体を確かめるべく、振り向いた。




 そこには、見えない瘴気が漂い、揺らめいていた。

 目が赤く光っているような錯覚。

 気を緩めれば、一瞬で切り裂かれそうな緊迫した空間。


 これまで体験した戦いよりも、はるかに格が違った。



 そして、達海の目に映るその人間を、達海は知っていた。

 


 その名を、恐る恐る口にする。






「黒谷...さん」



 

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