第42話α(1) 再戦、そして...


 恐ろしいほど早くに、達海は目が覚めた。

 時刻は五時くらいといったところだろうか。


 朝の光が十分に差し込む前に、目が覚めたのだ。


 理由は分かっている。

 今日が、最後の日であること。


 計画が失敗しようと、成功しようと、今日が生きる最後の日になる。

 達海がそれに気づくのに、時間はかからなかった。


 それでもって、恐怖心がないことに達海は気づいた。



 今日が最後だから、なんて簡単な言葉で済まされることではない。

 たとえ今日が最後になっても、傷つけば痛いし、苦しい。



 そんなものにさえ、恐怖を感じないのだ。



 もし、それに理由があるとすれば。

 今、達海自身の隣にいる一人の少女。



「...」


 桐もいつの間にか起きており、窓の外から世界を見ていた。


「起きてたんだな、おはよう」


「おはようございます」



 顔も合わせないまま、二人は挨拶をする。達海は立ち上がって、朝食を、と、桐を見向きもせずキッチンに向かった。



 こなれた手つきで包丁を、その他食器を扱う。

 なんだかんだ言って、途中からは舞に厨房を任されていた達海は、いつの間にか、自分が出来てた以上のことが出来るようになっていた。


 それだけではない。

 自分の戦闘感覚にしろ、基礎を積み上げることで、着実に成長していた。


 それが、達海の中で生きる舞の姿。

 

 最後に残された言葉だけが、舞の生きた証ではないことを、達海は口に出さずとも実感していた。



「すべては基礎から、か」



 それを見落とすから、人は失敗するのだろうと、達海はしみじみと思った。

 急がば回れ、という言葉が、まさしくその通りだ。



 では、今日の作戦は、果たしてどうなのだろうか。



 達海の中に、疑問が生まれる。


 それと同時に、桐が食堂に現れ、そのまま自分の席に座った。



「先輩、今日の手はずは」


「大丈夫、事前に戌亥さんに連絡を受けてる。コアの座標? も、一応配布されてる。ただ、なんだったかなぁ...。確か、コアって一度見ないとそれがコアだと分からないんだって?」


「そうですね。だから、一度見て、これがコアだと認識しなければ、気づかずに素通りしてしまう、という可能性もあるそうです」


「なかなか複雑なものだよなぁ...。概念的に存在する、だとか、一度見ないと分からない、だとか」


「ほんとです。...けど、そんなことは言ってられないですからね」


「全くだ」



 桐も、これまでのことを思うと、十分落ち着いているように達海は思えた。

 傷に関しては本人から聞くほかないが、動くには問題なさそうだということは、すぐに認識できた。



「桐、体は大丈夫か?」


「はい。...ただ、昨日言った通りです」


「そうか」


「だから、最後までバックアップ、お願いします。...二人で、戦いましょう」


「ああ」



 二人で。

 長年桐とともに寄り添った舞はもういない。

 その枠を、今達海は求められているのだ。



 その責任は、想像しているより遥かに重い。

 けれど、それは達海自身が望んだ結末、望んだ道であった。


 だからこそ、達海は後悔などしない。



「っと、危ない」


 話に熱中するあまり、料理の方を全く見ていなかった。

 幸い、早いうちに気づけたので、大事には至らなかった。





 出来上がった三人分の料理をテーブルに並べる。

 



 あれから、そこに舞がいないと分かっていながらも、食事は三人分作ることにした。


 本当に、おこがましい話だと達海は思った。


 人間の滅亡をもくろむ、世間から見たら悪の組織の人間が、こうして誰かの死を悼んでいることなど。


 それでも、彼らは自分が悪だと思っていない。なら、こんなことをする権利だってあるだろうと。

 そういう話なのだ。



 それぞれに正義があるから、分かり合えない。

 分かり合えないなら、もう武力でもなんでもいい、自分たちの正義を証明するしかないのだ。




---


 食事を終え、軽く身支度をして、外に出る。

 肌を切るような、けれども優しい風が、達海の体にぶつかった。


「...さて、と」


 腰に短剣を携え、アスリートのごとく軽く準備運動を行って、指定された座標へと足早に駆け抜ける。


 この間、達海らは何度か、能力をもっていそうな人間とすれ違っていた。

 おそらく、それは、敵も、味方も。


 戦闘者としての勘が、明らかに強くなっていたのだ。




 けれど、そんなものも、もはやどうでもいいと、足早に割って駆け抜けた。

 桐と交わす言葉もなく、達海はただ風を切る。


 そうしていると、次第に達海に鳥肌が立ってきた。

 何かの予知だと、達海は一瞬で判断する。




「...桐」


「来ます...ね」



 先日感じた熱量と全く同じ。

 肌をもって、能力者の現れを感じた達海は、二三歩後ろに下がった。

 それが誤算だったのか、威圧感の正体は堂々と姿を現した。



「久しぶりね、藍瀬君。数日ぶりかしら」


「お久しぶりです。先日はどうも」



 少し怒り混じりににらみつつ、かといってその感情を前に出さない。

 たとえ挑発が飛んで来ようと、そのスタンスは変えないつもりでいた。


 桐もそれを察したようで、精一杯歯を食いしばりながら、達海の背中を見続けた。



「どいてくれませんかね、会長」


「...あなたたちがこれから何をするのか、おおよそ予想はつくわ。だから、私はここにいるの。今度こそ、あなたたちを」



 言葉の途中で、零は身構えた。



「あなたたちを、殺すために」


 本気の殺意が達海に向いた瞬間、達海は自分の意志でゾーンへと潜った。




 時を止めるような能力者に、直感では勝てないことを、達海は先日、身をもって学んだ。


 ここからは、理屈の勝負だ。

 止まった空間の中で何が働いて、何ができるのか。



(欠陥のない能力なんてそうそうない。...なにか、大きな弱点がきっとある)


(だからまずは...能力を見定める...!)



「先輩! いったん距離を取って...!」


「...悪い!」


 桐の言葉を無視して、達海は先陣切って零に向かう。

 零はニヤリと笑みを浮かべて、余裕ぶって呟いた。



「...そう、がっかりだわ。そんな単純な攻撃しかできないなんて」




 零は、何かにつけて余裕を見せたい人間だった。

 だからこそ、能力を使う。



 圧倒的な力を、見せるために。



 達海は、それを分かっていた。

 分かっていて、踏み込んだ。


 その能力を見定めるために。




「うおおおおっ!!!」


 右のこぶしを、達海はわざとらしく振り上げる。



 その瞬間、零は目をつぶった。




 これが、能力使用開始の合図。


 達海は、そう見切りをつけて、体に10トンほどの重力を掛けた。





 そのタイミングで、時が止まる。









 止まった時の中で、零は歩き出した。

 達海の胸元にナイフを当てようと、一歩ずつ近づいてくる。



「全く...この空間で動けるのは私しかいないこと、分かっているでしょうに」


 そうして、勢いよく腕を伸ばす。

 


 しかし、その腕は、達海の胸元直前1メートルほどで止まった。



「えっ...」


 瞬間、零の腕に、10トンの重力がかかった。



「!!!!」


 

 それに驚いた零は、即座に後ろにのけぞろうとした。

 しかし、その瞬間、止まっていた時間が動き出した。




 零の能力は、その繊細さあまり、零の集中状態でほどけたり、強くなったりする。

 それが、達海がひたすらイメージした先に掴んだ弱点だった。




「そこっ!」


「しまっ...!?」


 達海は、後ろへ離れようとする零の腕をつかんだ。

 そのまま自分の側へ引き寄せる。その体の距離は抱きしめあうカップルと相違ない。


(この距離なら...十分だ!)



 零は、達海の重力変化の届く範囲にエンゲージしていた。

 つまり、今の零には、達海の重力を付与することが出来ていた。

 






 相手に重力を付与する。

 その能力を見つけたのは、桐だった。


 そう、始まりのかの日。

 あの日は、きっと今のためにあったのかもしれない。




「桐!! 頼む!!」


 達海は、そのまま零の体を上に放り投げた。

 戦いにおいて素人の自分が、目の前の強敵を倒せるなどと達海は思ってなかったのだ。

  

 だからこそ、そのとどめを桐に託す。




 二人で戦う。


 その言葉に、嘘はないことを、達海はその行動で示した。



「くっ...! この...!」



 重力圏を脱し、どうにか体勢を整えようとする零だったが、空中での身動きには限界があった。

 

 対して、好機をうかがっていた桐は準備万全であった。相手のどこを狙えばいいか、その判断が十分にできるほどには。




「...先輩、ありがとうございます」



 桐は、何かに感謝をした。

 それはこのチャンスを作ってくれたこと、舞の敵を討つために鼓舞してもらったこと、それら以外のすべて。


 自分の人生のけじめを、自分で決めさせてくれること。




 桐は、力強く飛び上がった。自分で発生させた風で背中を後押しして、さらに高く高く飛ぶ。

 空中で短刀を構えて、そのまま零に向かう。




 刹那。



 決着は、一瞬だった。

 まるでそれは、居合の達人同士の戦いのように。




「...」


「...くっ」



 お互いが地上について、先に膝から崩れ落ちたのは零だった。中腹部に深い傷を負っているその姿が、達海の目に映る。零の着ていた白の服が、次第に鮮血に染まっていく。

 


 にじみ具合から察するに、その深さは、おそらく致命傷ほどのものだった。




 そのまま立ち上がることなく、零の体は地面にうつぶせに倒れる。

 



「...」







 そのままピクリとも動かない零の様子が、達海は少し気になった。

 だから、そっと近づいてみる。



 瞬間、その姿から何かを察したのか、桐が声を上げた。



「先輩下がって!!!」


「えっ...!?」


 

 その瞬間、零は手にしっかり握りしめていたナイフで、達海の足を切り裂いた。



「っっ!!!!!!」



 声にならない叫び声とともに、激痛が走る。

 ゾーンの切れかけのタイミングと重なり、神経が敏感になっているのが、またいけなかった。


 達海の足から、噴水のように血が噴き出した。どうやらかなり太い脈を切られたみたいだ。

 腱を切られていないのが幸いといったところだろうか。



「ぐっ...あぁっ...!!」



 達海の体もバランスを失う。かろうじて、片膝をついてその場にとどまった。

 達海は、その痛みに耐えながら零を睨みやった。


 零は、残念そうに、小さな声で呟いた。




「...そう。私の負けね」



 その攻撃が、どうやら鼬の最後っ屁というものだったらしい。

 達海は、最後まで戦う意志を投げなかった零に、尊敬と畏怖の念を払いつつ、痛みをこらえながら答えた。



「すいません......俺も、引けない理由があるんですよ...先輩...」



 足が感じている激痛を気にもせず達海は立ち上がり、ふらふらと歩きながら、零にもう一度近づいた。今度は、奇襲に気を付けながら。


 一歩、また一歩。

 血で道を作りながら、達海は短刀を鞘から抜き、しっかりと握りしめて、零の目の前に立った。


 そうして、達海は零の背中の上にまたがった。

 抵抗されないように、両腕と足を抑えながら。


 場が落ち着いたあたりで、一度達海は桐の方を向いた。



 桐は何も言わない。

 ただその瞳で、「お前がとどめを刺せ」というのを伝えるのみだった。



 桐はなぜ、何も言わないのだろうか? 達海は気になった。

 もう、満足したのだろうか。それとも、今度は達海にけじめをつけるチャンスを与えようとしているのか。



 その真意を、誰も知らない。



 誰も知らないまま、時間は進む。




 うつぶせのまま、達海に四肢を抑えられている零は、少し上から押され気味の肺から、絞り出すように声を出した。


「...命乞いはしないわ。...あなたたちが人殺しをするように、私たちも多く人間を殺してきた。この道に足を踏み入れた瞬間からね、命乞いする権利なんて、私たちにはないのよ...」


「そうですね。...きっと、俺がその立場でも、そう考えると思います」




 感情を無にして、達海は答える。

 とどめをためらわす感情は、必要なかったのだ。


 今ここで、零の命を奪うことは、覚悟の証明。

 引けない。


 達海は、引くことが出来ないラインまで、足を進めていたのだ。




「...ああ、でも、最後に一言、いいかしら?」


「......なんですか?」



 一度桐にアイコンタクトを取って、達海はそう返した。





「きっと、私とその子は...境遇が一緒。...一体、どこですれ違ったのかしら」





 零の言っている言葉が、達海にはにわかに理解できなかった。

 理解できなくてよかった。



 それを知ってしまったら、きっと同情が生まれていただろうから。

 そうなってしまっては、刃をふるうことはできない。





「...そんなの、知らないです」


 達海は冷たく、言葉を吐き捨てて。



「...では、さようなら」






 息を吐くように、その刃を背中から突き刺す。



 肉の中を刃が進んでいく感触に、達海はそっと目を閉じた。



 しかし。



 断末魔など、一切聞こえない。

 全て音が聞こえない。




 なぜだろう、と達海が戸惑うと、背中から少し強めの風が吹いていることを体が感じた。



(桐が、消してくれたんだろうか)


 そんなどうでもいいことを思いつつ、目の前の光景に達海はもう一度目をやる。






 そこには、屍となった、零の体が転がっていた。

 流れる血が、地面に大きな海を作る。


 その血を眺めている達海の手は、震えるばかりだった。




 目の前で死体を見るのは別に問題なかった。大切な人を看取った記憶が、まだ残っているのだから。




 ただ、目の前の零を屍にしたのは他でもない達海自身だった。

 それが怖くて、むなしくて、震えが止まらない。








 守るべきもののために、誓いを破った。

 そうしてしまった今の達海には、もはや空虚しか残っていなかった。




 














 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る