第41話α(1) 最後まで


 桐に意志が戻ったのはいいものの、体は万全の状態とは言えなかった。

 達海という素人の目であるが、回復までまだ二日ほどはかかる。


 その間、達海はあれやこれやと調べごとに精を出した。

 先人の知恵、過去の戦いの歴史。能力者の歴史。この星の在り方の哲学。


 そんなことで強くなるはずがないことは分かっていながらも、無力であることが嫌だったのだ。


 桐は前を向いた。

 自分も前を向く時だ。


 そんなことを思って、そうして精を出していた。


 そうしていると、ある時、自分の携帯端末が元気よく音を立てた。




「あれ?」


 ディスプレイには、戌亥の文字が書かれていた。

 この事実に、達海は首を傾げた。


 こちらから指示を出す、ということこそ戌亥に言われていたが、定期的に連絡をよこせと言われたきり、戌亥から連絡をよこしたことはなかったのだ。


 それが、このタイミングで、戌亥からの連絡。


 何か重大なことだと気づくのに時間はいらなかった。



「もしもし、藍瀬ですが...」


「おう! 出てくれたか! ちょっとまずいことになったんでな!」


 

 戌亥は珍しく大きな声で話していた。

 その後ろから、怒声が、金属音が、かわりがわりに聞こえる。



 まさか、戦闘中なのだろうか?



「戌亥さん!? 戦闘中ですか!?」


「ああ! 悪い! 俺自身は今問題ないんだが、近くで起こってな!」


「向かいましょうか?」


「やめとけ、向こう、数で押してんだ。お前ひとり来たらハチの巣にされるぞ」


「でも...」



 力になろうと決めても、力になれないのはもどかしい。

 達海は心の底から歯がゆさを覚える。


 ただ、それ以前に気になるところがあった。



「なんで戌亥さん、現場にいるんですか?」


「本拠地を襲われてんだ」


「...え?」



 そこで、達海は辻褄が合った。

 戌亥が、もうここには来るなといった理由。


 それは、こうなることを予期していたからであった。



「向こう、大掛かりな反抗作戦を開始してきたんだ。今じゃあのビル、跡形もねえよ」


「そうですか...」


「それでもってお前に電話を掛けたのは他でもない。明日、桐と戦場に出てもらう」


「桐と、ですか?」


 少なくとも、桐の状態は万全ではない。

 戦えと言われれば戦えるかもしれないが、本調子には程遠いだろう。


 しかし、事態は一刻の猶予も許さなかった。



「おそらく、これが最後の、ああ、一番の大仕事になるな。言い訳は無しだ。出てもらうぞ!」


「分かってます! ...けど、何をすればいいんですか?」


「...明日な、コアの破壊工作に出る」


「...ということは!?」


「簡単に言えば、明日が天王山だ。明日の作戦が失敗すれば、ソティラスは崩壊し、この世の破壊者の烙印を押される。中途半端なところで捕まって、磔になるのがオチだろうよ」


「...失敗は、許されないですね」


「そこで、だ。お前と桐は、本体の露払いをしてもらう」


「警備をつぶす係、といったところですか?」


「ああ。相手は自軍が攻勢に入っていることで、こっちが防衛一方になってると思ってるはずだ。そこを奇襲で潰すってことよ」


 確かに、それは一番理にかなった作戦だった。

 強盗を犯すときに、わざわざ警備員がいる時にしないのと一緒だ。


 けれど、こればかりは、多大な犠牲が出るのは必至だった。



 それでも、承認しなければならない。

 舞のために。桐のために。



「任務了解しました。...座標は」


「明日までに送る。...っと! 悪い! こっちも気づかれたみたいだ! 切るぞ!」


「あっ...」



 達海が何か言おうとする前に、戌亥は通話を切った。それほど切羽詰まった状況なのだろう。

 達海はそっと端末を収めて、桐のいる部屋へと向かった。



 以前より重苦しさのなくなった扉を、達海は開ける。

 桐は、安静にするべく、自分のベッドで横たわっていた。


「...先輩、本当に扉開けるの躊躇わなくなりましたね」


「変な喜び覚えたからな」


「何ですかそれ。...それで、本題は何ですか?」



 任務のことについては桐も敏感みたいで、すぐさま達海の表情で自分に与えられた任務があることを察した。



「...戌亥さんから連絡だ。明日、作戦があるらしい」


「明日、ですか?」


「ああ。明日だ。...でも桐、今日はおろか、明日になってもその傷は治らないだろ」


「さすがに...本調子とまではいきませんけどね。...けれど、戦えます」


「...そうか」


 せっかくモチベーションが上がった桐を、達海は落とすわけにはいかなかった。



「...じゃあま、今日は休め。明日、戦うんだろ?」


「はい」



 達海は、桐のベッドの近くに腰かけた。

 その予想外の行動に、桐は少し驚いてため息をつく。



「帰らないんですか?」


「部屋に帰っても、やることがないんだよ。それに...」


「それに?」


「戌亥さんの口調的に...明日、すべてが終わる。ソティラスという組織が死ぬか、はたまた人間が滅ぶという、ソティラスの目標が叶うか、その境目が明日になる。...だからさ、ちょっと怖いんだよ」


「...そんなので、どうするんですか」


「分かってる。...というより、俺が怖がってるのはその作戦そのものじゃないんだ」



 達海は、このまま桐に思いをちゃんと打ち明けれずにいることが怖かった。

 舞に向き合えと桐に言ったように、自分にも、好きだと思っている桐と向き合わなければならない。


 あいまいな気持ちをごまかして戦うのは、もう不可能だから。



「もしさ、明日すべてが終わるなら、その前に、桐と最後の日ぐらい過ごしたいんだよ。それができずに明日を迎えることが怖いってこと」


「...そうですか」



 桐は、特に変化を見せなかった。

 ただ自分のベッドより、天井を見上げている。


 そうして桐は、何気なく呟いた。



「それって前も言った、私が好き、ってことですか?」


「うん、そう」


「躊躇わないんですね」



 というよりかは、躊躇う必要が達海にはなかった。



「俺は、桐が分からないって言っても、何度でもいうつもりだぞ? 俺は桐が好きなんだ。それ以上も、それ以下もない。だから、認めてもらうまでは、こうするつもり」


「...今なら、分からないわけでもないですけどね」


「え?」


「いえ、私の話です。...けど、逃げるのはもうやめます。分からないからって、先輩の気持ちをそのままにすることもやめます。私が強くあるためには、そうするしかないので」


「そ、そうか...?」


 まさかの、聞いた側の達海が驚く始末。

 それに畳みかけるように、桐ははっきりと言い放った。



「...先輩が選んでくれたのは、私です。...舞という、自慢の親友が先輩に好意を抱いていながらも、先輩は一心に私に好意を向けてくれました。...だから、ですね。私も言います」



 桐は、一度深く息を吸って、真剣なまなざしで達海を見つめた。



「私は、藍瀬 達海さんのことが好きです。きっと、ずっと前から。だから...もし、よろしければ、最後までお付き合いください」


「...そうか」



 達海は、何とも言えなかった。

 全てが、遅すぎたのだろうか。


 これからの桐の関係も、どのみち明日で終わる。

 そうでないなら、桐が幸せを感じている姿を、もっと舞に見てもらいたかった。


 そういった全てが、遅すぎたんだろうか。



(...いや、遅いとか早いとか、そう言った類の話じゃないよな)


(今の俺の気持ちだ。大事なのは。だから)



「...ありがとう、桐」


「え?」


「その一言で、俺はもっと頑張れる」


「...」



 桐は驚いて目を丸くしたが、やがて、例にもよらぬ優しい瞳をして見せた。



「私もです。先輩のためなら、きっとこれ以上に頑張れる。だから、最後まで」


「ああ、最後まで、な」




 お互いの気持ちの距離を測るのに、それ以上の言葉はいらなかった。





---



 夜になった。

 それ以降、二人が特別何かをしたわけじゃなかった。


 彼氏彼女の関係ともいえない二人には、また、組織の重要人物である二人には、そうしたことで浮かれる余裕などなかったのだ。


 それは桐も、達海も十分に分かっていた。




 一人とこについて、明かりを消した天井を、達海は一人見上げた。



「...明日、か」



 考えれば考えるほど、これまで歩んだ人生が思い出される。


 能力を持つことで何かが決定的に変わったあの日。

 変わってしまった自分を、それでもと認めてくれた弥一。

 それらを裏切ってまで、ソティラスとしての自分を貫いた今日まで。


 桐、舞との出会い。別れ。


(...ああ、もう十分だ)



 自分の置かれた状況のせいで思考回路が狂ったか、達海は今の自分にどこか幸福を覚えていた。


 もとよりそれほど欲もなかった、生きる価値も少なかった人間が、こうして生きがいを感じているのだ。

 十分だ。



 だからこそ、これ以上先を生きたいとは思わない。

 目的を叶えるのは、舞や桐だけのためじゃないのだ。




「あの...」


 ふと、達海の部屋の扉の外から声がかかる。達海が返事をすると、ガチャリと音を立てて桐が入ってきた。



「どうした?」


「いえ...その...」


 桐は何やらぬいぐるみを片手に持っていた。それで達海は察する。



「...寝れない、って?」


「すいません」


「じゃあ、ベッド使っていいよ。床で寝るから」


「そ、そうじゃなくて」


 桐は少しばかり頬を赤らめて、声をしぼめた。



「...一緒に、寝てくれませんか?」


「...ああ、そういう」



 それがどういう意味かを理解した達海は、ベッドの端の方に体を寄せて、一人分のスペースを作った。シングルベッドではあるが、小柄な体をしている桐と自分では、十分にスペースがあった。


 桐がベッドに入り込む。流れた髪が微かに達海の肌をくすぐった。



「舞にも、こうしてもらってたのか?」


「はい。...といっても、半分は舞が寝静まったあとですが」


「やっぱり...トラウマ、ってのが残ってるのか?」



 その背中越しでも、達海は桐が頷いたのを確認できた。



「けど」


 しかし桐は、それを自らの声で上書きする。



「私が今日こうしたのは、それだけじゃなくて...」


「そうか...」



 それをすべて聞かずに、達海は桐の体をそっと抱いた。




「じゃあ、こういうことだよな?」


「はい」



 かすかに嬉しそうな声が聞こえる。

 けれど、それまで。



 達海にも、桐にも、それ以上のやましい思いは一切なかった。

 達海は、「こうすることで桐が安らげるなら」と思って行動したまでだったのだから。



「じゃあ桐、おやすみ」


「はい、おやすみなさい」







 決戦前夜の白飾の夜は、恐ろしいほどに静かだった。





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