第44話α(1) 例え傷つき、身果てようと


 黒谷は、顔色一つ変えず、達海に声を掛けた。


「...残念だよ。君とは、もっと話したいことが、いっぱいあったんだけどね」


「...黒谷さん...!」



(ああ、だめだ)


(どんな顔すればいいんだ...)



 自分の表情がぐちゃぐちゃに崩れているのに達海は気づいた。

 恐怖、後悔、迷い...そういった全てが混ざって、混ざって。


 苦しくなって、達海は、笑った。



 もう、すべてがおかしかった。



(なら、いっそ壊れてしまえ)



「...く、はは」


「先輩...?」


「...そうか。それが君の答えなのだな」



 乾いた声で、笑い声を響かせる。

 壊れてしまいそうな心を、全力で表に出す。



「だめだ! もう無理! ...平気でなんか、いられるもんか」


 一つ息をついて、じっと黒谷の体を達海は見つめた。

 別に弱点を探そうとしているわけではない。


 というよりは、弱点など存在しないことに、達海はとっくに気づいたのだ。



(ああ、分かってるさ)


(勝てない。間違いなく、この人には勝てない)



 能力が、とか、そういう問題ではない。



(...この人の生きてきた人生は、あまりにも重すぎる)




 貫禄、重圧、全てにおいて勝てる要素がなかった。

 なにより、黒谷は達海自身を見ていない。



 もっと先の、自分のやるべきことしか、黒谷は見ていないのだ。




 達海は、不覚にも後ろにのけぞってしまった。

 前に踏み出す勇気が、湧いてこない。



「...逃げても、いいのだぞ?」


「...そんなこと」



 達海は、悔し紛れにそう呟いたが、やがて言葉を失った。


 そして、気づく。


 さっきまで近くにいたはずの、桐がいなくなっている。


(桐!!?)


 達海は、その姿を必死に目で追った。

 そして、見つける。


 桐は、奇襲と言わんばかりに黒谷に攻め入っていた。



 瞬間で黒谷の背後に回り、空中から勢いをつけて自分の短刀を振り下ろす。

 


 その一連の流れは、まさしく『風』だった。






 いつか、桐が言っていた言葉を、達海は思い出す。



『風より早く走れたらって、思ったことあります?』




 今の桐は、きっとそれだ。

 思い描いていた、自分になっている。




(いけ...! 桐!)


 挑むことが無謀だと分かっていながら、達海はいつの間にか桐を応援していた。

 もしかしたら、桐がどうにかしてくれるかもしれないと、そんな淡い期待を胸に寄せて。




「はぁあああああ!!!!」


 桐の短刀は、黒谷の頭の上に振り下ろされ...





 そして黒谷は、その短刀を片腕で受け止めた。



「...え?」


「ふむ...」



 腕で受け止める。

 それは、常識の範疇において全くと言っていいほど、信じられない行為だった。



 空中からの振り下ろし。体重がかかっているだけでなく、桐の場合は風速によるバックアップもある。空気の調整で、より切れ味も増せれる。


 それを、片腕で受け止めるのだ。

 さすがに怪我一つないわけではないが、普通なら腕一本切り落とされるような攻撃を防ぐだけで、戦意をそぐには十分な好意だった。



(でもなんで...わざわざ攻撃を受けて...?)



 達海は、無理やりにでもゾーンに入ろうとした。

 とりあえず、相手の情報を持っておいて損はないのだから。


(黒谷さんの...能力は)



 そうして思考が研ぎ澄まされようとしたその時、黒谷が少しばかり動いた。



「...やっかいな子だ。消えてもらおうか」


「...え?」




 言葉と同時に、桐の体が後方に勢いよく弾き飛ばされた。





 桐の体は近くにあった建物の壁に激突し、衝撃を受け止めきれなかった壁はひび割れて壊れた。



「桐!!!!」


「...」



 桐から返事はない。壊れた壁のがれきに埋もれて、桐の姿も見えないでいた。

 さきほどまで研ぎ澄まされようとしていた思考が、一気に乱れる。


 それと同時に、数えきれないほどの負の感情が達海に流れ込んできた。


(能力は? 反射? それとも使ってない? 桐は無事なのか? 俺は何ができる? 距離をつめる? 桐を連れて逃げる? とにかく俺一人じゃ無理だ! 戦えない! 死ぬ...死ぬ...のか? 俺は、ここで)



 けれど、達海は最後の力で踏みとどまった。



(死ねない...そう言っただろ。すべてが始まったあの日に。...ああそうだ。俺は...俺は死なない!!)



 初めて能力を得たあの日。


 戦いなんてがむしゃらだった。

 けれど、結果だけ見れば、男は地に伏していた。


 それはきっと、達海の信念が勝ったから。


 まだ死ねないという、芯からの信念が。







「...死ぬなよ、桐」


 達海は、桐がいるであろうがれきの方から目を離し、今度こそ前に一歩足を踏み出した。少しではあるが、黒谷との距離を詰める。


 迷いの一切を振り払い、生への執着心だけで戦う。

 それで勝てないと分かっていても。

 あがく意味は、きっとあると信じて。



「...向かってくるのか」


「あなたを殺す、...なんてのは言いません。きっと、そんなことは出来ないから」


「なら、なぜ進む? なぜ止まらない?」


「俺には、叶えるべき夢があるんです。あなたが世界の平和のために戦うように、俺には俺だけの戦う理由があるんです。...かなえるまでは、死んでも死にきれない。...だから、戦う!!!」



 そして、もう一歩。

 二歩目は、さきほどよりも大きく前に進んだ。


 目の前に大きな敵がいると知りながら、臆することなくまた一歩。



 残り五歩ほどといったあたりで、達海は足を止める。

 別に臆したわけではない。


 ここが、間合いなのだ。




(...ゾーンなんてのは、もういらないよな)



 目の前にいる相手は、理屈で勝てる相手じゃない。



(別の戦い方だってあるんだ。それを、俺に教えてくれた人がいるんだ)



 基本の体の動き。刃の振るい方。

 そんな小さな基礎を大切にした師が、達海にはいる。



(...一緒に戦ってくれ、舞...!)



 ふと、




「仕方がないですね」



そう、言葉が風に流れて達海の耳に入った。


 

 空耳だったかもしれない。

 けれど、達海はその言葉を後押しにして、一気に駆け出した。



「はぁっ!!」


 右足を出すと見せかけて、もう片方の足で攻撃。

 しかし、黒谷はフェイントに惑うことなく、その攻撃を受け止める。





「能力は使わないのか!」




 一方的に腕と足での攻撃を繰り返す達海。黒谷はそれを平然と避けて、軽く受け流しながら声を上げた。


「使っても、あなたにはきっと意味がない!!」


「ほう!」


 

 黒谷は軽快なステップで攻撃をかわし、自分に合った間合いを作ると、反撃と言わんばかりに右のこぶしを達海の胸目掛けて突き出した。


「! なんの!!」


 達海は、丁寧にその手を両腕で受け止めた。



「...! くっ!!」



 攻撃を受けた両腕をバッと離す。両腕は、体感したことがないほどしびれていた。

 たかが一つのパンチを受けただけで、これである。


 片腕であれば、一撃で壊れていたかもしれない。



(なんとか耐えれたけど...いちいち攻撃を防いでたらきっと...)



 自分の腕に、自身があるわけじゃない。

 足についてもそうだ。


 自分を過大評価しない達海だからこそ、その分析は早くに行えた。




(とにかく、隙を生んだらダメだ! 防戦一方でも!)






 そこからずっと、達海は攻めに攻めた。

 守ることを全く考えていないボクシング選手のように、殴って、蹴る。


 しかし、有効打など出るはずもなかった。



 達海ばかりが消耗するばかりで、黒谷は息すら上がっていない。



「はぁっ...! はぁっ...!」


 目に見えて疲労が現れる。自分の動きがだんだんと鈍くなっていることを達海は感じた。



 その一瞬、一瞬だけ戦闘から目を離した瞬間、強烈な黒谷の蹴りが入った。



(まずい! これは避けられ...!!)



 コンマ数秒の判断の遅れで、達海はその攻撃を防げなかった。

 黒谷のつま先が、達海のあばら骨あたりを直撃する。




 ボギッボギッ




 明らかに骨の折れる音が、達海の耳を内部から打った。



「があああっ!!!!!??」


 

 先ほどの裂傷よりもはるかに鋭く、深い痛みに、達海は絶叫せずにいられなかった。


 そのまま患部を抑えながらうずくまる。砕けた骨の破片が、達海の手の置いた部分にはあった。



 苦しみながら目を上にやると、黒谷の足が達海自身の頭の上にあった。

 



(まずい...! よけ...ないと...!!)



 しかし、達海の体はもはや脳内思考と分離したように言うことを聞かず、達海の

頭はたちまち黒谷の足の下に収まった。

 

 ギリギリと踏まれ、ミシミシと頭蓋骨が音を立てる。

 


「ぐ、あああ!!」



 黒谷は、達海の頭の破壊のみを狙っていた。



 直前に頭にかかる重力を引き上げた達海はかろうじてそれを防いでいたが、うまく調整できないでいた分、黒谷の足からかかる重力を防ぐのでやっとだった。




(俺は...死ぬ、のか...)



 少しずつ踏みつける力が強くなる。



(こうやって、みじめに、中途半端に、なしえるものの一つもなく、誰かにほめられることもなく、ただ相手に取られた将棋の駒みたいな扱いで...)


(それで...死ねるのか?)



(...いやだ、死にたくない。まだ、まだ、まだまだまだまだ...俺は死ねない!!!)


(こんなところで寝てるんじゃねえよ! 藍瀬 達海! お前が桐を守るんだろ!!? こんなところで...)



「こんなところで...終われるか!!!!」



 達海は、見知らぬ力に動かされて、奥底から湧いてくる力に任せて起き上がろうとした。

 

 上からかかる黒谷の力にも負けず、達海の体はふらふらと起き上がることに成功した。



「まだ立つだと...!」


「ああそうさ! 俺は死ねない! まだ桐と、何もできてないからな!!!」




 欲望のままでいい。

 自分勝手でいい。


 好きだから、頑張れる。

 好きだから、戦える。


 それでここで力尽きても、何度でも立ち上がってやる。




 だから...



「...さあ、かかってこいよ」



 どこからそんな自信が湧くのだろうか。達海自身も分からなかった。




(けど...なんだ)


(負ける気がしねえ)




 おかしくなった達海は、心の底から笑った。

 


「...死にたいなら、そうしてやる...!」



 黒谷は目つきを変えて、今度こそとどめを刺すといわんばかりに達海に向かってきた。


 達海は、ぼろぼろの体で身構える。




 そして、黒谷の足が達海目掛けて振られた瞬間。




「...え?」






 達海の目の前に、一人の男が現れた。


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