第1話 何気ない日常


 心地よい眠りから目覚める。窓の外からは柔らかな朝日が差し込んでいた。


「...くぁ」


 達海は小さなあくびをして、ベッドの上で横になっている身体の上半身を持ち上げた。

 そのまま軽く背伸びをして、少し視界が開けてきたあたりでベッドから降りる。


 食事を取ろうと向かったダイニングの机の上には、『勝手に食べろ』とかかれた、見慣れた書置きと小遣い程度のお金が置いてあった。


「...ま、いるわけないよな」


 そういって書置きの隣においてある金を、近くのハンガーにかけてあった制服の胸ポケットにしまっておいた。



 この街、白飾は完璧なほどにノー残業を徹底している。夜八時くらいには、どこのオフィスビルも明かりを失っているのだ。

 夜を主戦場とする飲食店も、大体九時には皆閉まる。それまでに客足が途絶えるからだ。


 そんなノー残業が徹底されている裏には、勤務開始が早いという現実があるのだ。


 達海の両親もそれに当てはまるのだが、どちらかというと超早勤なのだ。朝起きる時間には当然家にはいないし、帰ってくればすぐに寝てしまうので達海が学校から家に帰る頃には眠ってしまっているのだ。

 そのため、朝、昼、夜分の金が全て含まれた食費がおいてあるのである。



 まあ、別に寂しいとは思わない。

 むしろそれが日常になっている分、逆に親がいるほうが不思議なのだ。



「んじゃ、道中で適当に何か買うとして...時間は...」


 達海は制服に着替えながら壁にかけてある時計を見る。そこに表示されていたのは、無常なる時の流れだった。



「8:30...。...ん? 待て待て。おいおいおい! 何やってんだ!?」


 指し示された時間は、学校の点呼の時間をとうに過ぎていた。いわゆる遅刻と言うやつである。


「あかん! 遅刻や!」


 時すでに遅いのは分かっているが、それでも達海は全力疾走で学校に向かうのであった。





---



「結局...、朝飯...食いっぱぐれた...」


「ドンマイだね。寝坊するのが悪い」



 結局学校に着いたのは九時だった。しかし、普段なら15分でつけるはずの通学に、ここまでかかるのにも理由があった。



 まず、家を出た時間が最悪なのだ。

 白飾は世界で一番文明が発展している街として有名であり、その名に恥じない設備が整っている。


 達海が通っている私立白飾学園、通称白学は山の上に立ててあるのだが、普段は近場から出ているモノレールで一直線にいけるのだ。


 しかし、通常の登校時間を過ぎると、極端にその本数が減ってしまうのだ。

 なので、達海が家を出た時間から次の便を待っては、かなり遅れが出てしまうのだ。


 そこで今回、達海は普段使わない自転車で登校をすることにした。

 これがまた、まずかったのだ。


 まず、学校そのものが山の上にある時点で自転車で登るという行為が体力的にキツい。電動自転車を買っておけばまだ楽になるのだが、あろうことか達海両親は『運動不足にならないように』と通常の自転車を買ってしまったのだ。


 この二択にせまられた達海は後者を選び、そしてこの時間に学校に辿り着いた。けれど結局この時間であれば、モノレールを待っても同じ時間でこれるのだ。


 完全に推測ミス、である。



「でも珍しいよね、たーくんが寝坊するなんて」


 そう言って達海の目の前で笑っている女性、生野いくの 陽菜ひなは、ちょんちょんと自転車で崩れた達海のアホ毛を触った。



「昨日生徒会の仕事手伝った分で疲れて、家帰ってシャワー浴びた後にそのまんま眠ったんだ、確か。...ってことは、昨日の晩も食べてないじゃん」


「また生徒会のお手伝い? お人よしだねぇ」



 少しからかうように陽菜は昨日の話をする。

 まあ、達海は別段お人よしと言うわけでもなかった。


 ただ単に、暇人、なのだ。

 家に帰ってもやることはないし、部活動に所属しているわけでもない。


 なら、少し仲のいいメンバーがいる生徒会を手伝うか。といった風に生徒会のお手伝いをしているのだ。

 かといって生徒会にもろもろ所属するのかと言われたら、それはモチベーションが出ないからと却下している。


 空気みたいな存在と言えば聞こえがいい、それが達海なのだ。




「会長が人手を探してたからな。...あー、流石にしんどい」


「大丈夫? おなか空いてない?」


「空いてる...。けど、ここから授業三つあるし、時間に余裕はないだろ」


「うーん、まあ、そうだね」


「というわけで、限られた予算で昼飯をたらふく食べる!」


 昨日の夕飯の代金も浮いているので、おそらく贅沢できるだろう。



「ところで...陽菜、昼飯は学食?」


「うん、今日はね」


「じゃ、一緒に行くか」


「そだね」


 陽菜は二つ返事でOKを出した。


 達海がこうやって躊躇いもなく女子を誘えるのは、おそらく陽菜くらいだ。

 

 陽菜は、幼い頃から達海と面識がある。いわゆる幼馴染というやつなのだ。小中と同じだと、仲はよくなるものなのだ。

 その仲のよさ故に、恋愛感情はわきあがらないのも現状だが。


 そんなこと、達海からすればどうでもよかった。






 やがて昼になると、約束どおり達海は陽菜と学食に向かった。...一名、ガヤを引き連れて。



「なーなー、達海ぃ、帰り遊んで帰らねえか?」


 背後から駄々をこねるような新妻にいずま 弥一やいちの声が聞こえる。鬱陶しい。



「却下って言ってるでしょうが。今月お財布ピンチなんだから」


「食費浮かせばいいじゃない」


「うるせえ! 今日は食べるんだよ!」


「晩朝抜いちゃってるからね、たーくん...」



 廊下で人とすれ違うとき、ひそひそと何か聞こえたりするのだが、幼馴染の陽菜と、こう見えて親友の弥一、そして達海と、この三人組はどうやら、一種の学校名物となっているらしい。

 

 とはいえ、それは達海個人が注目されているわけではないので、達海の存在空気に変わりは無い。



 そしていつものように三人で席を取り、好き好んでいるものを学食で食べる。これがほぼ毎日のルーティンなのだ。たまに陽菜が弁当を持ってくるときもあるが、学食で食事を取る行為自体は変わらない。



 ただたまには冒険してみようと、達海は麻婆丼を注文した。

 その行動に、少し引いたような仕草をみせつつ、弥一が口走った。


「麻婆...丼...? お前、まじで?」


「たまには新しいもの食べてみたいしな。...んで、なんで引いてるんだよ」


「あれ? たーくん、うちの学食の麻婆本場よりも辛いの知らない?」


「なにそれ、初めて聞いた」


「ちなみにこの学校で麻婆豆腐を頼むと、まわりからおいおいあいつ死んだなといった目で見られるらしい...。まあ、下に米がある丼ならまだましだといわれてるけど...」



 あぁ、地雷引いたなと、達海はこのとき初めて実感した。


 結局、とんでもなく食べるのがしんどかったというのは言うまでも無い。









「はぁ...。食べきったけど、食べた気になれない...」


 20分後、達海の目の前には空になったどんぶりが置いてあった。苦節20分、なんとか食べきったと言う感じだ。


その辛さは正直言って以上だった。


「お疲れ。はいこれ」



 コトッと音を立てて、水が入れられたコップが目の前に現われる。陽菜が入れてくれたんだろう。


「おぉ...大天使陽菜様...」


「そんなたいしたこと無いよ。ただ水を入れただけだし」



 とは言いつつも、陽菜はほめられて嬉しそうな表情を浮かべる。



「なんだかんだ食いきったんだな、すげえよお前」


 これには弥一も驚きの声を上げる。




「...そういや、そういえばたーくんに話して無かったね」

 

 陽菜は自分の分の水を一口飲んで、何かを思い出したのかそう語った。



「ん? なにが?」


「今日、朝のHRで言われたんだけどね、明日転校生が来るみたいなの」


「ふーん...えらく急だな」


「...感想それだけ?」


 

 左隣に座っている、普段から馬鹿面の弥一は呆れた表情を浮かべた。弥一に言われるのはなかなか腹が立つがここはぐっと飲み込む。


「別に俺のクラスに来ようと来るまいと関係ないんだけど...」


「そうじゃない。...ほら、うちの都市伝説、語られてるじゃん。極端に外部からの来客が少ない話」


「あぁ、そういえば」



 うちの街、白飾は、観光客も、移住者も全くといっていいほどいない。

 不思議ではあるのだが、きっと深い事情があるのだろう、で高校生は片付けてしまうのが現状だ。


 けれど、弥一の話によると、今回の転校生はまるっきり外部かららしい。

 つまり、上記の過程が崩れる。


 確かに、妙な話ではある。



「これは...白飾に新たな動きがありそうですねぇ」


「ま、何度も言うけど俺の知った話じゃないな。ただ、質問攻めは止めとこう。失礼だしな」


「うーん、そうだね」



 別に転校生が来るからといって、達海は特別お近づきになるつもりはなかった。

 やっぱりなんにしても、無難であることが一番なのだから。




---




 翌日のHRは、朝からちゃんと参加できた。そもそも達海は寝坊癖がある訳では無いので、連日寝坊することの方が珍しいが。


 達海のクラスに転校生が入ると言うのもあって、同クラスのメンバーはやはり浮き立っているのが伺えた。



 やがて、始業のベルがなると同時に、我が学校の紅一点、担任の野沢のざわ ひじり先生が教室の中へ入ってきた。


「はい、みなさんおはようございます」


 教室のあちこちでおはようございますという声が返る。



「はい、というわけでみなさん、今日は転校生がうちのクラスに入ってくると昨日伝達してましたね。...というわけで、入っていいですよ」


 

 そしてガララという音が聞こえて、一人の女子が入ってきた。



 そのままその少女は教室中央の教壇の部分まで歩き、それを見計らって野沢は漫画のように黒板に名前を書いた。



 そして名前を書き終わり、前を向きなおして名前を伝えた。



 氷川ひかわ 美雨みう。それが彼女の名前のようだ。




「はい、というわけで氷川さんが今日からこのクラスの一員となります。...ああ、それと」



 担任の野沢は説明の最後に満面の笑みで、どこか胸に突っかかる言葉を述べた。







「彼女の出生については、一切質問しないでくださいね」

 


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