流星群(1)

 次代を担うべき継承者のことを、新しい星に喩えるのは、この部族での古くからの伝統らしい。それが誰と目されているかを隠すために、長老会に属する最年長の魔法戦士たちは、その人物ことを、常に新星と呼んでいた。

 しかしエレンディラは、それが誰であるかをよく知っていた。

 たぶん、このタンジール王宮にいる竜の涙で、星の正体を知らない者はいない。

 アズレル様よ。

 長老会が押し立てている王族の名を、エレンディラは、深い誇りとともに胸に呼び起こした。

 ここ何日も、長老たちは部屋(サロン)に籠もって談義していた。いったい誰に、新星を与えるべきか。

 エル・エレンディラか。

 あるいは、エル・イェズラムかだ。

 自分たちの運命について話す、長老たちの声と、彼らが吐く紫煙に取り巻かれながら、エレンディラは自分が養育されてきた長老会の部屋(サロン)のすみに胡座していた。

 そこは薄暗い部屋だった。

 長老の中に、強い光を嫌う者がいたからだ。灯りを見ると頭痛が絶えないのだそうだ。

 頭を寄せ合って話す大人たちは、誰も彼も、たっぷりと誇らしげな竜の涙を頭に飾り付けていた。それは彼らの死期が近い事も意味しているが、彼らが歴戦の勇者であることも意味している。

 それに比べて、エレンディラの石はまだちっぽけなものだった。

 血の雫のような赤い石が、額にぽつりと浮き出ているだけだ。

 石に冒されるのは恐ろしい気もしたが、エレンディラは早く、英雄譚(ダージ)に詠われる英雄たちのような、冠のごとく髪を飾る竜の涙を自分のものにしたかった。

 きっと晴れがましいだろう。女神のごとく戦場を駈け、魔法に満ちた雷撃を操り、そして新星を我がものとする。

 与えられていた紙に書きつけるエレンディラの指は、ずっと休んだままだった。自分の想像に動悸がして、気が気でない。

 それなのに、目の前にいる少年は、黙々と何かを書いていた。

 待つ間に終えるよう、長老たちに与えられた課題の、暗号文への翻訳だった。

 よくそんな平気そうな顔をしていられることね、エル・イェズラム。

 むっとして、エレンディラは自分よりいくらか年上の少年の、無表情な横顔を睨んだ。

 その額には紫色の竜の涙があった。

 彼の石は年齢の割には大きいように見えた。

 それは戦場でご活躍だから。

 彼は火炎術を用いる魔法戦士で、アズレル殿下の一番のお気に入りだった。

 殿下は派手なものと、忠実なものと、有能なものと、従順なものと、そして赤いものがお好みだった。

 イェズラムの魔法と彼自身とは、その全てを網羅している。

 もしも彼の額にある石が、エレンディラのそれのように赤い色をしていたら、きっともっと完璧だったろうに。

 アズレル様は、わたくしの石を美しいとおっしゃった。

 でも、それだけ。

 有能でも、忠実でも、従順でも、わたくしは二番目。

 それは単純に、石が与える魔力が、イェズラムのほうが強いからだった。

 努力で何とかなるものでもない。

 でも、イェズラムは不調法で、宮廷での腹芸はしないのだから、ひょっとすると長老たちは、新星の補佐役として、わたくしを選ぶかも。わたくしのほうが若いし、きっとイェズラムより長生きする。

 頭だっていいはずよ。

 宮廷の博士たちは、こぞって私を才知にあふれていると誉めた。

 ふと目の前の少年が筆を置くのが見えた。それにエレンディラはぎくりとした。

 自分のほうは、すっかり手がお留守になり、まだ途中だったからだ。

 慌てて翻訳に戻ると、イェズラムが金色の蛇眼で、じっとこちらを見た。

 彼は笑わなかったが、エレンディラは嘲笑された気がして、その悔しさで頬が熱くなった。

「ふたりとも、こちらに参れ」

 急に呼ばれて、エレンディラははっとし、筆を落とした。床の敷物にインクの黒い染みが点々とついた。

 長老会が談義を終えたらしかった。

 では結論が出たのだ。

 エレンディラはきゅうに胸が苦しくなった。

 そのまま脚が竦んで立てずにいると、ゆるりと立ち上がったイェズラムが、長衣(ジュラバ)の裾を直していた。

 それと目が合うと、行こうと誘うような顔を、イェズラムはした。

 エレンディラは紙を置いて立ち上がった。

 そして車座に座る長老たちの間に、ふたりで並んで立った。

「エレンディラ」

 深い青の石を持った、長老会の長が、どこか嗄(しわが)れた声で優しく呼びかけてきた。

「そなたはよく頑張った。偉大な英雄になれる」

 エレンディラはその話を、項垂れて聞いた。隣でイェズラムがいつも変わらず、胸を張って立っている。

「新星はイェズラムに与えることに決まった。そなたは退出してよい」

 その話を横で聞いているはずの少年は、驚きも、喜びもしなかった。

 まるで当然の話を聞いているみたいだった。

 頭の奥が、かっと熱く燃えるのを、エレンディラは感じた。

「なぜですか……」

 思わず、言うべきでない言葉が唇をついていた。言葉を返すエレンディラを、長はかすかに微笑んで見つめていた。

「わたくしが、女だからですか」

 言ってはだめだと諫める自分の声が脳裏に響いたが、エレンディラは自制できなかった。

 かすかにイェズラムがこちらを見たような気がした。

「そなたは男子だ、エレンディラ。竜の涙に女はいない」

 頷きながら、長はそう教えた。言わずもがなの話だった。

 エレンディラは訊ねた己を恥じた。

 力及ばなかったから、敗北したまでのこと。それ以外の理由などないわ。

 エレンディラはきつく目を閉じる自分の顔を隠すため、膝をついて長老たちに深く平伏した。

 そしてそのまま、逃げるような早足で、長老会の部屋(サロン)を出た。

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