ある陰謀の顛末(後編)

 結局、右翼での強行突撃は行われた。

 族長リューズは起死回生の新戦法として、魔法戦士だけで組織された突撃部隊を敵の中央に切り込ませる作戦を、ちかごろ盛んに試していた。

 しかしそれは旧来の戦い方を守る軍部の権力層には不評もあり、将軍たちの中には、あからさまな抵抗を示す者も少なくない。

 それを絶対的な権力で押さえ込むにしては、族長はまだ若く、即位したてで、毎度相手がひれ伏すとは限らなかった。族長冠にも畏れ入らず、玉座の間(ダロワージ)か戦陣で、うるさく噛みつく輩もいた。

 そんな熱のある反発をされると、族長は大抵、やんわりと笑って、そなたは怖いやつよと、からかうような軽口を与えるだけで、その場から撤退していた。しかしそれでは埒があかない。

 そんなときにご登場なさるのが、その族長に戴冠させた張本人、武闘派の魔法戦士エル・イェズラムで、正面きっての戦闘から、夜討ち朝駈け、小狡い奇襲まで、あらゆる戦法を駆使して、族長の意向を通させる。

 イェズラムは守護生物(トゥラシェ)の襲い来る敵陣よりも、味方の陣営のほうに、敵が多いと言われていた。守護生物(トゥラシェ)は彼だけを狙い撃ってはこないが、味方の中にはそういうのがいる。

 乱戦のどさくさで、どんな矢が飛んでくるやらと、イェズラムはいつも冗談を言っていたし、彼の派閥の者たちは、そのきつい冗談に笑いながら、いつでもその長(デン)に複数の治癒者をはりつかせていた。

 それが本当に使われているのかどうか、イェズラムは戦場ではいつも頑健で、負傷していても、していなくても、変わらずけろっとしているので、想像がつかない。どうせ、どこにいようが、自分が血を流すより、相手に流させるほうが、得意な男だ。

 エレンディラは、負傷した自分を見舞いにやってきた男を、天幕の中の簡単な寝台に横たわったまま見上げた。

 赤糸が血のような具足姿で、まだ髪も乱れたままのイェズラムは、どこか爛々とした目で、煙管を吸っていた。戦って、戻ったばかりとのことだった。この男は戦闘中、自分から最も遠い左翼を預かり、そこで自分と同じように敵陣に突撃したはずだった。

「勝ったぞ、エレンディラ」

 端的に自軍の勝利を伝える相手に、エレンディラは頷いて見せた。

「そうですね。それで、族長はご無事で」

「ぴんぴんしている。玉座の間(ダロワージ)にいるときより顔色がいいくらいだ」

 顔をそむけて、イェズラムは煙を吐いた。それからやっと、寝台のそばに用意された腰掛けに、腰をおろした。

「将軍はさぞかしお怒りでしょうね。泣き落としに参りましょうか」

 苦笑を向けて、エレンディラは訊ねた。

 傷はあるものの、痛みはなかった。戦闘後の魔法戦士には、麻薬(アスラ)が大量に与えられる。それで気だるくて、横になっていただけで、つらいわけではなかった。

 逆に、酔いのせいで気分が高揚していて、今ならどんな芝居も打てるだろう。日頃ならありえないようなのでも。

「その必要はない。将軍は、名誉の戦死を遂げられた」

 煙管から麻薬(アスラ)を吸いながら、そう教えるイェズラムの顔を、エレンディラは目を瞬いて見つめた。

「どうしてですか」

「喉に自軍の流れ矢を食らったらしいよ。急げば間に合ったろうが、右翼からお前が治癒者を根こそぎ連れて、突撃していった後だったからな。気の毒だが、仕方がないだろう。死ぬときは死ぬのが、人の定めだからな」

 答えるイェズラムが、いやに饒舌なような気がして、エレンディラは彼が酔っているのだなと思った。

「まったくあの、うるさい爺が、喉を射抜かれて、一言も発せずに死ぬとはな」

 気味が良さそうに言い、イェズラムは薄く笑っていた。

 将軍は爺というほどの歳ではなかったが、イェズラムは、壮年以降の者を老境にあるように揶揄する癖があった。竜の涙である自分たちにとって、三十代は晩年で、四十代は手の届かない死の向こう側だった。それより先を生きていく者たちのことが、彼は無意識に許せないらしかった。

「その矢は、あなたが射たのですか」

 エレンディラは試しに訊ねた。

「どうやって射るんだ。俺は左翼にいたし、敵陣に突撃していた。将軍の死を知ったのも、ついさっきだぞ」

 そんなことは言われるまでもなく推察できる。

 本人が射たかどうかという話ではない。

 どうしてそんな無駄口をきいて、とぼけているのですかと、エレンディラは訊ねる目をした。

 あの将軍は、長らくあなたには敵で、うとましかったでしょうし、この機に始末したのですか。せっかくの、この勝利感に、水をさされたくなくて。

 あるいは、今さら、私の泣き落としを見るに堪えない気がして?

 そういう目に応え、イェズラムは深いため息をついた。

「あのな、エレンディラ。お前の期待はわかるが、俺は自軍の将を戦闘中につけねらいはしないよ。それでもし敗北したら、どうやって責任をとるんだ。俺たちが争うのは、部族を勝利に導くためで、己が勝つためではないだろう」

「あなたがそんな殊勝なことを言うなんて、感銘を受けましたわ」

 エレンディラは皮肉のつもりでそう応えたが、口に出してみると、案外本当のことだった。

 イェズラムは争うとなると、鬼畜のごとく敵を撃つが、それは総じて玉座のためで、ひいては部族のためだった。

「将軍の死は、言うなれば、お前への死の天使の加護さ。王都に戻ったら、返礼の祭礼でも捧げろ」

 冗談らしい口調ですすめ、イェズラムは余裕の顔で、煙管を吸っていた。その土埃に汚れた額には、汗が浮いていた。

 それが、彼が苦痛をこらえているせいか、薬の副作用に酔っているだけか、ただの戦闘後の気の高ぶりか、何なのか分からなかった。

「損をしたな、エレンディラ。無駄な血を流して」

 煙を吐くイェズラムは、顔をそむけるため、こちらから目をそらしていた。

 エレンディラは考えた。

 約束の日の深夜、ずいぶん遅くなってから、イェズラムは居室を訪れた。

 事は上首尾だったが、思ったより血が出て、男は参ったらしかった。それしきのことで、とっとと帰るわけにいかなくなったのか、彼はしばらく居ついており、先に寝こけたのはエレンディラのほうだった。

 よっぽど気まずかったのか、イェズラムは後朝の文を寄越してこなかったし、用件があって顔を合わせれば、忙しいと言った。

「別にかまいませんよ。わたくしも流れ矢に当たったと思って、我慢します」

「我慢」

 煙管をふかして、イェズラムは感慨深そうに、そこだけ反駁して言った。

「痛烈だよなあ、お前の攻撃はいつも。お前に手を出そうという男がいないのも当然だよ」

 深く納得したように、イェズラムが言うので、エレンディラは顔をしかめた。

「失礼な男ですね、あななたは。突然なにを言うのです」

「お前とそれらしい雰囲気になっても、しょうがないだろう。お前に俺に匹敵する自制心があるなら止めはしないが、やめとけ、お前は案外、可愛い女らしいから。化けの皮を脱がれて、俺は死ぬかと思ったよ。お互い血迷って派閥の運営に差し支えるようじゃ困るだろ。治世はまだまだ、伸るか反るかの正念場だぞ」

 眉間に皺を寄せた顔で、独白めかして言い、イェズラムは椅子から立った。

「とにかく、今はお前の仕事はなくなったから、ゆっくり休養するといい。それで回復したら、化粧してもいいが、脇目もふらずに仕事をしろ、エレンディラ。お前は男で、派閥の長(デン)で、戦場では雷撃の英雄で、王宮では玉座を支える俺の共闘者。そうだろ?」

「そうですよ」

 今更なんでそんなことを言うのだろうと、エレンディラは混乱して答えた。

「そうだよ。だったら俺がお前に無礼なのは、我慢しろ。俺は誰にでもこうなんだ。お前にだけ、他の顔はできないんだよ」

 そんな不調法なと、エレンディラは思った。

 しかし確かに、考えてみれば、エル・イェズラムはどこか不器用なようなところのある人物だった。

 常勝不敗のような顔をして、常に居丈高ではいるものの、実際に不敗なわけではなかったし、単に執念深く勝つまで戦うだけだった。芯から武闘派で、懐柔するとか折れるとか、そういったことは滅多にできない。にっこり笑えばすむところを、持ち前の気位と鉄面皮が阻む。それで無駄な苦労をしている。

 そんな愚かな有様が、彼を長(デン)として崇める若造や、うちの派閥の小娘たちには、渋いと思えるらしかった。なんて嘆かわしい、馬鹿な子たちと、傍目に見ていてエレンディラはいつも腹が立った。

 しかし不思議なもので、長老会の部屋(サロン)で争っていた頃、ただひたすら憎かったこの相手が、ある日きゅうに、ふと思いついたように、お前は美しいなと言うので、その驚きに打たれて、エレンディラは気づいた。

 そういえば、この男は頭も良いし、教養もあり、序列も申し分ない。それに見かけも悪くはないし、戦場でも、王宮でも、脇目もふらずによく働く。皮肉屋で、口は悪いけれど、目下の者には結局優しいし、食事は早いし、着ているものの趣味もいいし、それに背も高い。いいところばかりだと。

 もし、ほんのちらっとでも、わたくしに微笑んで見せれば、おそらくは、それで完璧。これまで争ってきた確執も、憎しみも、全て甘く溶けて、わたくしは恋に落ちる。ほかの女たちが、いつもやっているという、なんとも甘く、時に切ないらしいその感覚に、どっぷり身を浸して酔える。それによって、この男に打ち負かされた敗北感から、癒されることができるかもしれない。

 そういう予感がするものの、イェズラムは一向に微笑みはしなかった。こちらには勿論だが、他の誰にも、エレンディラの見る限り、そういう顔はしなかった。どこかよそでは、隠れてにこにこしているのかもしれないが、外面を見る限り、そんな姿が想像もつかない、むすっと不機嫌な顔ばかりだ。

 日頃その顔と鼻を付き合わせており、時々ふと、この顔が誰か別の、意中の女には、余裕でにっこり笑うのかと思うと、エレンディラはなんとも腹が立った。都合の良いときだけ、お前は美しい女だなと言い、また別の都合がある時には、お前は男だろと言う。そんな身勝手を許してなるものかと思い、先だって部屋にやって来た時には、軽口を真に受けて、女の服を着ておいてやった。

 それに相手か怯んだのを見て、それには勝算がある気がして、エレンディラは日ごろ鍛えた強気を引っ込め、痛いといって泣いてやった。実は本当に泣けたのだ。十五、六の小娘でも、みんなやっているような事なのだし、どうせ大したものではあるまいと、たかをくくっていたものの、実は大したことだった。

 エレンディラの迫真の泣き落とし作戦の効果のほどは、かなりのものだった。イェズラムは難しい顔をして、何だかよく分からない汗をどっとかいていた。そして結局、ほとんど一言も喋らなかった。それはこの男が、相当に追い詰められたことを物語っていた。

 しかし、結局それきり、にこりともしない。

 同衾すれば、さすがのイェズラムも、優しげに笑うのではないかと思ったが、当てが外れた。男がみんな、そういう時に、にこにこ腑抜けた甘い顔をしているわけではないのかと、拍子抜けがした。

「あなたは一体、どういう女が好みなのですか、エル・イェズラム」

 去りたそうな男に、エレンディラはものの試しで訊ねてみた。ここには他の者もいなかったし、戦陣の慌しさと気楽さが相まって、案外イェズラムの口も軽いのではないかと思えたからだ。

「そうだなあ……深く考えたことはないが」

 あわただしい夜の天幕の外を見ながら、イェズラムは燃え尽きた煙管をまだ銜えたまま、考え込む難しい顔をしていた。

「もしかすると、頭が良くて、美しい顔をしていて、俺に敗北すると本気で悔しがる、だらだら飯を食うような女ではないかという、いやな予感がした夜はあったな」

「はあ……、それは、わたくしのことですか」

 びっくりして、念のため、エレンディラは訊ねた。

 するとイェズラムは首を横に振った。

「いや、もののたとえだ」

「そうでしょうか。まるで、自分のことのように聞こえましたが」

「それはお前の自意識過剰だろう。そうでなければ、初物を食わせてもらった礼だ。ちょっとばかり薹(とう)が立ってたが、それもまあ味のうちだったよ」

 意図して嫌味を言っているのだと、考えるまでもなく分かったが、意図されたとおり、エレンディラはむかっとした。

 それを隠さず顔に出すと、イェズラムは微かな短い息のような笑い声をもらし、照れたように笑った。

 今まで見たことがない顔だった。

「それではな、女部屋の長(デン)、俺は今夜も寝る間もなく働くが、お前は綺麗な肌が荒れないように、極力眠るがいいさ」

 親切にも休養をすすめるイェズラムは、すでに、エレンディラのよく知る意地悪そうな顔だった。さっさと態勢を立て直したらしい相手を、エレンディラはあきれて睨んだ。

「わたくしも働けます、大した負傷ではありませんでしたから」

「無理するな。少々気張ってみたところで、俺に勝てるわけではないから」

 そう答え、男は寝ていろ寝ていろと宥めつつ、悠々と天幕を出て行った。

 エレンディラは、寝台に座ったまま、あんぐりとしてその後姿を見た。

 王宮での宮廷服姿もまあまあ良かったが、戦地での具足姿のほうが、もう一段、男前なようだった。

 英雄たちが戦うと、派閥の娘たちはそれを戦友の顔をして眺め、陰ではいかにも尻軽にきゃあきゃあ言っていた。それを敵視し、男どもより強力な魔法を振るうわが身を誇りとして、つんと澄ましているものも中にはいるが、自分は派閥の長(デン)として、一体どちらに共感したものか。

 エレンディラにはその双方の気持ちがわかった。

 イェズラムの、守護生物(トゥラシェ)殺しは格好がいい。あの火炎術には心底痺れる。そういう小娘の気持ちも正直いってよく分かるが、しかし遠い左翼に燃える火を見て、こちらも突撃しなければとエレンディラは思った。

 あいつに遅れをとってはならない。確かにわたくしの魔法では、一撃で敵の巨獣を屠ることはできないが、わたくしにはわたくしの戦い方がある。戦場に立つわたくしのことを、詩人たちはいつも、美しいと言った。

 遠望した右翼に閃く、わたくしの雷撃を見て、あなたはそれをどう思った。さすがは我が好敵手よと、感嘆し、あるいは、己の権勢に迫る力に身が引き締まり、それとも、友軍の振るう力の強力さに、深い安堵を覚えたか。

 そのどれだったろうかと、もしも訊ねれば、あの男はきっとこう言う。

 ああ、すまないな。戦闘で忙しくて、見ていなかった。

 そうでございましょうとも、と、エレンディラは想像の中の無粋な顔に、うなずきかけた。

 しかし見ている。実際には。

 そして、あなたがわたくしの雷(いかずち)を美しいと思い、俺も戦わなければと戦意を鼓舞されたなら、それでこそ、わたくしの敵。そうでなければ、争う価値がない。

 この度の戦では、どちらが一本とられたかと、エレンディラは分析し、ちらりと思った。

 今回はわたくしの負けかもしれない。

 さっきの恥ずかしげな笑みは、大変良かった。

 全然渋くはなかったけれど、見れば小娘たちも、きゃあきゃあ喜んだろう。

 しかし多分いまのところ、あれは滅多にない見ものであり、今回のわたくしの戦利品。それに心行くまで勝ち誇っていられたら、多分、大勝利だったのだろうけど。

 やけっぱちのため息をつき、エレンディラは枕を抱いて、ふて寝の構えに入った。眠いから寝よう。せっかくの大勝利なのに。

 照れたふうなあの笑みを思うと、胸が切なかった。まるで、お前は可愛いと言っているようで。切なく胸が苦しい。

 きっとお腹がすいているせいだわと、エレンディラは決め、目覚めたら何を食べようかと、夢中で思い巡らした。腹が減っては戦はできぬ。

 夜っぴて騒ぐらしい男どもの声が、陣営にうるさく響いていた。

 布団をかぶり、この馬鹿どもがと、エレンディラは呟いた。

 そして寝付かれぬ一人寝のまま、戦場の夜は更けた。

 慌しく、激しい、血の滾(たぎ)るような灼熱の夜だった。


《完》

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