ダロワージ習作集(2008年)

ある陰謀の顛末(前編)

 無口な男だと思っていたが、付き合ってみると、そうでもなかった。イェズラムは気が抜ければ案外よく喋った。日頃の沈黙の反動みたいに。

 たぶん、普段ほとんど喋らないのは、迂濶なことを言って、相手に弱味を握られないためだ。

 宮廷では、ささいな一言が身の破滅を招くことがある。それを良く知っている者は大抵無口で、貝のように口が固い。平気で秘密を呑んでいられる点において、沈黙の男エル・イェズラムの右に出る者はいない。

 そして、たまに気が抜けて口をきいた時の人の悪さが、案外ひどいのも、エレンディラが知る限り、他の男でイェズラムの右に出る者はいない。

 たぶんそれを自覚していて、黙っているのだろう。自分の性格の悪さを、玉座の間(ダロワージ)で自ら暴露しないように。

「お前はよく食う女だなあ、エレンディラ。いつまで食っているんだ。下手な男より大食らいなのではないか」

 会食の膳から平らげていると、先に食べ終えていたイェズラムが、心底感心したらしい口調で、突然の余談を挟んだ。

 そういう自分は、同じかそれ以上の量を平らげており、しかも早飯だった。

 小さな事だが、それは重要な点だった。イェズラムは健啖で早飯。しかも、どこでも眠れるし、眠らなくても平気だった。

 それにひきかえ自分はと、エレンディラはいつも我が身を引き合いに出した。

 食事が遅い。朝は眠い。神経質なのか、戦陣では目が冴えて眠れない。

 さっさと食い、さっさと戦い、さっさと寝る男が、宮廷でも戦場でも自分を出し抜くのを目の当たりにし、ほぞを噛みつつ考えてみると、エル・イェズラムは宮廷でも戦地でも、容赦なく勝つための闘争の申し子だ。

 彼と同じか、それ以上に努力もし、能力もあるはずの自分が、この男に勝てないのは、案外こういう、食べるのが遅いというような、些細なものごとが響いているのではないかと、エレンディラは疑っていた。

 それを証すように、イェズラムはもう、食べ終えて書面を読んでいる。

 食いながら読むような自堕落を嫌い、この男が一緒に食事をする誰にもそれを許さないので、このわずかな時間差に、また一歩先へ行かれるわけだ。

「わたくしは大食なのではありません。ゆっくり食べたいだけです」

 まだ食べながら、エレンディラは、つんと澄まして答えてやった。イェズラムは膳をはさんだ向かいで、書面を見ながら頷いていた。

「そうか。それでこの布陣図の件だがな、将軍が右翼を譲らないので困っている。リューズは魔法戦士隊を突入させたいらしいが、将軍が怖いらしい」

 布陣図を見せて、イェズラムはとうとうと話した。わたくしはまだ食事中ですと、エレンディラは口を挟もうとしたが、相手が話を継ぐほうが、一呼吸早かった。

「それでな、エレンディラ。お前が部隊を率いて右翼へ行け。そして現場の判断で突っ込め。部隊にはお前の弟(ジョット)どもをそろえていい。成功したらリューズは報償を出すし、失敗しても責任は問わないらしい。どうだ、いい話だろう」

 にこりともせずに、イェズラムは話した。

 弟(ジョット)どもと言っても、エレンディラの派閥にいるのは、みな女戦士だった。宮廷での慣習に従い、男子のように遇されるだけだ。

「それで将軍は納得されるのでしょうか。魔法戦士がお嫌いなのに?」

 将軍がお嫌いなのは、魔法戦士ではなく、イェズラムだ。卵と鶏で、どちらが先かは謎だが、とにかく貴族出身のその将軍が、長老会のイェズラムを敵視していることは誰もが知る事実だった。

「納得は、しないだろうが、あいつは女に弱いらしいから、お前なら許すだろう。戦闘で怖くなって混乱したとでも言って、涙のひとつも見せてやれよ」

 食後の果物を口に入れかけたまま、エレンディラはあんぐりとした。

「わたくしは、女ではありません。あなたと同じ英雄です。泣き落としなどしません」

「化粧してるだろう」

 まっすぐ目を見て、イェズラムは断言した。

 確にしていた。エレンディラは桃を食べた。食事をして、紅が落ちているだろうと、不意に気になった。ゆっくりと果物を食べ終えてから、エレンディラは反論にとりかかった。

「それは私の趣味です。あなたにとやかく言われる筋合いではありません」

「とにかく、お前はせっかく綺麗な顔をしてるから、それを使え。必要なら将軍の夜の相手でもやってやれ。それで話が円滑に行くなら、安いもんだろう」

 けろっとして言う相手に、エレンディラは目を瞬いた。イェズラムはこちらが同意するものと思い、返事を待っているらしかった。

「あのですね……」

 口直しに水を飲み、エレンディラは杯についた紅を懐紙で拭い、ついでに口許もふいた。

「ひとつ問題がありますわ」

「なんだ、それは」

 見当もつかないという顔を男はしていた。

 この鈍い男の鉄面皮を、無口で渋いと思う馬鹿な小娘が、派閥の中にはいるらしく、そんな話をしてるのを耳にした事がある。

 嘆かわしいことだと、エレンディラは思い、確かになんの甘さもない男の顔を見返して、答えを返した。

「わたくしは処女です」

 エレンディラがきっぱりと伝えると、イェズラムはいっとき虚脱したような真顔になって、それから盛大に顔をしかめた。

「嘘だろう」

「本当です」

「何歳なんだお前は」

 歳は知っているはずだった。子供のころから競い合ってきた間柄で、毎日、長老会の部屋(サロン)で顔を合わせていたのだ。

 別に、誕生日ごとに歳を数え合うような、微笑ましいことは一切無かったが、イェズラムはずっとこちらの歳を知っていて、それでずっと年上風を吹かせてきた。

 だからこれは質問ではなく批判だ。エレンディラも顔をしかめた。

「まずいぞ、それは。そんな体で行ったら、懐柔するどころか、なめられて、お前の負けだろう。なんで誰か適当なのと、さっさと済ませておかなかったんだ。何かにつけ後手だなあ、お前は」

 どこから怒っていいやら、見当もつかない話だった。仕方ないので、エレンディラは質問の部分にだけ回答した。

「誰か適当なのがいなかっただけです」

「誰にも口説かれなかったのか」

 余計なお世話だった。

「口説かれませんでした」

「お高くとまりすぎで、可愛いげがないからじゃないか。お前は昔から、長老会の絨毯を踏んだことのない者は、人ではないみたいな顔で、偉そうだったろ。それで男がその気になるわけがないだろう」

 果てしなく余計なお世話だった。諭すように言うイェズラムの口調に、エレンディラは自分のこめかみが、ぴくりと震えるのを感じた。しかし相手はそんなことにはいっさい気付いていない様子だった。

「誰も来ないなら自分で口説けばいいだろ。小娘みたいにぼけっと待ってないで。お前は見た目はいいのだから、誘えば誰でもついてくるさ」

 請け合うイェズラムの顔を、エレンディラは恨めしく見つめた。昔から時折、この男は自分に、お前は容色がいいという話をする。最初、お前は美しいなと言われた時、ぎょっとしたものだったが、それが事実だから言っているだけで、どうも深い意味はないらしかった。無礼極まりない話だった。

 この男は平素から、人を誉めるのに衒いがないらしく、誰にでも、お前はここが良い、ここが優れていると、教えてやっているらしかった。それに自信を与えられるせいか、イェズラムの舎弟(ジョット)たちは、どうにも居丈高で、鼻持ちならない。兄貴分(デン)の権勢を笠に着て、エレンディラの派閥の娘たちにも手を出してきて、泣かされたり、じたんだ踏まされたり。まったく、ろくな男がいない。

「自分から誘うのも難しいのです、私の場合。まずい相手を選ぶと政治的な敗北ですから。どうしたもんかと思ううちに、ますます難しくなってきて、今に至っているのです」

 心底唖然という顔をしているイェズラムを、エレンディラは睨んで話した。わたくしにだって、派閥の長(デン)として、面子があるのです。他の娘たちのように、しょうもない男にひっかかって、めそめそ泣いている姿など、誰にも見せられないのです。誰もが、さすがはエル・エレンディラと納得するような相手で、なおかつそれが、私の権威を高めるような男でないと、相手にしてやるわけにはいかないのです。

 たとえばと、幾度かは絞り込んだことのある玉座の間(ダロワージ)の人物一覧を、エレンディラは頭の中で引っ張り出した。様々な逡巡と試行錯誤の朱墨が入ったその表で、最後に残る名前はいつも同じだった。

 わたくしが敗北しても、新たな恥にならない男。そんなものがいるとしたら、それは、これまでの生涯でたったひとり、わたくしを打ち破った男。かつて最後まで長老会で競い、私の人生の全てと思えた、新星の射手の座を、さっさと持っていった男。それは今、目の前に座っている、この男。

「この際ですから、あなたでいいです。エル・イェズラム。どうせ秘密をばらしましたし、将軍の件もある。私にそんな話を持ってきた責任がありますわ。あなたが問題点を解決してください」

 この数年来、先延ばしにしてきた提案を、エレンディラは持ち出してみた。

 イェズラムは驚きもしない渋面のままだったが、しばし沈黙して、杯に残っていた水を飲んだ。

「眠気も一気に吹き飛ぶような話だ」

 悔やむように言って、イェズラムは顔をしかめたまま伏し目に目をそらし、何か計算しているような面持ちになった。

 眠かったのかと、エレンディラは驚いた。そういう風には見えなかった。いつものように、さっさと話を切り上げて、それじゃあ俺は寝ると、言わなかったではないか。

「あのな、エレンディラ。この際だから言うが、俺はこの三日ほとんどまともに寝ていない。いくら二十二年も処女だからといって、三徹明けの男とやろうというのか、お前は」

 なんだか無茶苦茶な話だった。

 現況を客観的に見ようと思い、エレンディラも渋面のまま首をかしげた。

 なにをしていて三徹明けなのかは、詮索しても分かりかねるが、とにかく三日も寝ていない男が、初めての相手というは、なんとなく厭な予感がした。この男は本当に、暇ができればどこでも仮眠するし、それを誰が見ていようが、まったく気にしていないらしい。

 いや、全くというのは不正確かもしれない。イェズラムは自分の敵の見ている前では眠らない。だから、どこでもという訳ではない。自分の見ている前では、よく寝ている。そんなような気が、エレンディラにはしていた。だから、わたくしの部屋の寝床でも、この男はぐうぐう寝るに違いない。

 さっさと戦って、さっさと寝るのが得意技だから。

 それは何とも。理想からほど遠い。きっと、わたくしは、惨めな気持ちになるのだわと、エレンディラは想像して、さっさと惨めな気持ちになった。

「いやならいいです。別にわたくしは、あなたに頼み込んでいるわけではありません。他をあたります」

「それだと話が堂々巡りしているだろう。お前は二十二年も他をあたって、誰もいなかったから、未だに手つかずなんだろう」

 うっ、とエレンディラは呻いた。その通りだが、よくもそんな事が言える。

「二十二年も、と言われるほど、二十二歳は手遅れではありません。いやならいいと言っているのです。試しにちょっと提案しただけです。派閥も競合していないあなたなら無難だし、年も釣り合うし、どうせ秘密は話したし、秘密だけ渡して、わたくしの弱みと思われるよりは、都合がいいかと思いついただけです」

 ぺらぺらと話し、エレンディラはまた水を飲んだ。

 なんの話だったか。右翼から突入がどうのこうのだった。それで将軍がどうのこうの。困っているので、共謀したいといって、暇がないから昼飯時に。しかし広間(ダロワージ)では人の耳もあってまずいので、派閥の部屋(サロン)の一室で。半時しかないからと言って、慌ただしく呼びつけられて、慌ただしく食事をしたのだった。

 そしてこんなことに。

「別にいやではない。お前は美しい女だし、うまい話だ。ただな……」

 考える顔をして、イェズラムは一呼吸黙った。

「明後日……」

 そしてまた一呼吸。

「いや、やっぱり三日後の……」

 そしてまた言いよどみ、頭の中の予定表を繰る顔をして、イェズラムは目を閉じた。

「何時かわからんが、深夜でもいいか」

 半時しかないから、急げといって、慌ただしく現れるのが、目に見えるような気がしてきて、エレンディラはあんぐりとした。

「わたくしは、夜は極力寝ます。肌が荒れるので。なぜ、あなたの予定につきあって、いつになるか判然としない深夜帯の来訪を、待たなければならないのですか」

 内心ちょっと震えながら、エレンディラは訊ねた。

「お前が、俺を付き合わせてるんだ。だからお前が待つのは、当然だろ」

 さも当然そうな真顔で、そう言われてみると、それが正論なような気がしてきた。それに、これ以上なにか身の毛もよだつようなことを、この男に言われたくなかった。

「わかりました。ではそれで手を打ちます」

 渋々と、エレンディラは同意した。イェズラムはかすかに頷いた。

「右翼での強行突入の件は、それで借り貸しなしだな」

 は、と端的に訊ね返す自分の声が、ぽかんと間抜けに響いて、エレンディラはさらにぽかんとした。

「なぜ、そうなるのです? あなたの頼みをきいて、無茶な突入をやろうというのですよ。その後始末のために、あなたとですね、その、一夜をともにしようと、そこまでやるわたくしに、あなたへの貸しはあっても、借りはないはずです。ましてですね、まして、わたくしは初めてなんですよ」

「それがどうした、それはお前の不始末だ」

 いかにも大失敗みたいな言われようで、エレンディラはぎょっとした。

「二十二歳でも処女は処女ですよ。それをとっとと早食いして、一片のありがたみも責任も感じないような男なのですか、あなたは」

 思わず疑問系で言った自分を、エレンディラは愚かだと気付いた。こいつはそういう男だった。もしも、それに有り難みや責任など感じようものなら、自分の弱みになる。そういう時には何も感じない。本当に感じないのか、感じていないふりをしているのかは、本人にしか分からないだろうが、とにかく傍目にはそういう男だ。

「都合のいいときだけ、女になるな、エレンディラ」

 批判する口調で言われ、エレンディラはまた、ぐっと詰まった。

「俺とお前は同じ英雄で、対等なんだろ。処女がそんなに偉いのか。だったら俺だって童貞だ」

 しれっとした真顔で、イェズラムは対抗してきた。

「よくもそんな見え透いた嘘を」

 ぎゃっと叫びたい気持ちで、エレンディラは声を押し殺して答えた。

 別に確たる証拠があるわけではないが、とにかくそれが嘘だというのは確かだった。小娘たちの部屋(サロン)の噂にのぼるような、出所の怪しい噂は、いくつも耳に入っていた。

 しかし大声でなじるわけにもいかない。そんなことをしたら大恥だ。

 なにしろここはイェズラムの派閥の部屋(サロン)で、隣室にはこの男の手下どもが、うようよいるのだ。こんな剣呑な話題に聞き耳を立てられないうちに、さっさと話を切り上げて、とっとと去らねば。

「どうして嘘だと分かるんだ。やってみても血が出ないからか。それっぽっちのことで俺の純情を踏みにじるとは、お前はそういう女だったと言いふらしてやろうか。しかも二十二にもなって……」

「もういいです! わかりました。借り貸し無しで結構。もともとリューズ様からのご依頼でしょう。あなたなんかどうでもいいです。わたくしは玉座のために身を挺してお仕えするだけです」

 すっくと立ち上がって、エレンディラは出ていくための扉を睨んだ。

「帰ります。ごきげんよう」

 慣習に従って男装した長衣(ジュラバ)の裾を払って整え、エレンディラは相手の返答を待たずに歩き出した。

 こちらが聞いていないせいか、イェズラムは挨拶をしなかった。

 聞いていないのだから、なにも言う必要はないし、言ってきたところで無視してやるが、それでも何も言わないのは無礼ではないのか。

 そういう気がして、戸口で足が止まり、エレンディラはじろりと振り返った。

 膳の前の席で、イェズラムが笑いを堪える顔をしていた。

「お前が、処女か」

 それがたまらん冗談だというように、イェズラムはつぶやいて、突如として膳にがくりと項垂れ、一応こらえているつもりか、肩を震わせて笑いだした。余程耐え難く可笑しいらしかった。この男が声をあげて笑っているのを見るのは、滅多にないことだった。

「誰にも言わないでしょうね」

 かっとして、エレンディラは思わず叫んでいた。イェズラムは笑いながら首を横に振った。

「誰にも言うか。言ったらお前の弱みにならないじゃないか。一生、俺だけの秘密にしておくよ」

 そう言われて、エレンディラはざっくり突き刺さる矢を受けた気分がした。

「それにしてもお前が俺に惚れてたなんてなあ。まったく想像を絶する話だよ。俺も精々気合いを入れて行くから、お前も可愛い服でも着て待ってろ」

 何がそこまで可笑しいのか、イェズラムはひいひい笑っていた。

 これ以上の致命傷を負わされないよう、エレンディラは可能なかぎりとっとと去った。

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