タンジール・サウザス往復書簡(5)

早急なるご返信、ありがとうございます。

当方の事情をお察しいただき、貴殿に感謝します。

一族をあげて殿下の到着をお待ちしています。


某月某日。

リューズ・スィノニム・アンフィバロウ(族長印璽)



 鷹は立て続けに二羽やってきた。

 争うように南行してきたのだろうか、日付は至近だったが、後から飛び立ったと思われるほうも、ヘンリックの執務室のすぐ傍にある鷹小屋に、ほぼ時を同じくしてたどり着いていた。

 二通目のほうを開き、ヘンリックはそれをじっと見つめた。


貴殿の文体は簡潔に過ぎ意味不明なり。

友よ、返信にて決定の詳細を乞う。当方にも支度がある故。


某月某日。

リューズ・スィノニム・アンフィバロウ(族長印璽なし)



 上手い字だった。これはリューズの肉筆ではないかとヘンリックは思った。

 そういえば過去、リューズの字を見たことがあっただろうか。思い出そうとしたが、記憶はあいまいだった。同盟やら条約やらの調印の折りに、大使でなくわざわざ本人が出張ってきた時には、自筆で署名していたのだから、字を見たことがあるはずだ。

 でも、それはどんな字だったか。

 思い出せない。

 だが印璽のないほうが、たぶん間違いなくリューズからの手紙だ。いかにもあいつが言いそうなことではないか。

 一体何が言いたいのだ、それじゃわからん。もっと詳しく話せ、ヘンリック。こっちにも準備というものがあるのだぞ。

 まあ、そんなところだ。

 それにしても何故、同じ用件で二通も送ってきたのだろう。早くも耄碌したのか。初対面のときには、あいつは十八だったが、今ではお互いいい歳で、息子たちも始末に終えなくなってきた頃合いだ。

 執務室の扉を叩く音が聞こえ、入室を許すと、やってきたのはイルスだった。

 大使としてタンジールに送るので、その前に顔を合わせておくことにして、呼びつけた。

「族長」

 他の誰もと同じ挨拶で、イルスは大仰でない仕草で胸を打つ敬礼をした。夜警隊(メレドン)の制服を着ていた。愛用の剣を帯びて立つその姿は、もう子供とは言えなかった。

「タンジールへ行け」

 詳しい話は知っているはずなので、ヘンリックは単刀直入にそれだけ命じた。イルスは黙ってうなずいた。こいつは、いつでもそうなのだ。一見、従順そうに見える。内心どうあれ、反発らしい反発はしない。

「なにか伝言は」

 さも当然のようにイルスが聞くので、ヘンリックは首をかしげた。

「誰にだ」

「向こうの族長にです」

 イルスが妙な顔をして、そう付け加えた。リューズに伝言か。

「無い。用件があれば、いつでも鷹通信(タヒル)を送れる。正式な挨拶はお前に口上を述べさせる。あとで誰かが内容を書いて持ってくるだろうから、憶えていけ」

 イルスは小さく二度頷いた。

 その仕草が、上の空のときのヘレンにそっくりだった。

 イルスがまだ何か言うのではないかと思って、ヘンリックは言葉を待ったが、息子はなにも言わずに、ただ執務机のまえに突っ立っていた。

 話はこれだけだった。

 何も言わないのなら、ただ退出の許しを待っているのだろう。

「気を付けて行け」

「はい」

 そのまま敬礼して去るのかと思った。しかしイルスは机の上にある二通の薄紙を、ちらりと見つめ、そしてまた口を開いた。

「友達なんじゃないんですか、親父殿と族長は」

「リューズがか?」

「そう聞いています。初めてタンジールに行った時に、そう言われました。お前の父は古い友なので、お前は息子のようなものだと」

「リューズがそう言ったのか?」

 口の上手いあいつの言いそうなことだった。

 ヘンリックは思わず険しい顔をしていた。全く、どいつもこいつも、イルスにとっては父親のようなものだな。そのうち、こいつに親父面するために、ぞろぞろ行列して待たないといけなくなるのではないか。

「それは世辞だ、イルス。いちいち真に受けるな」

「違うと思います。向こうは本当に親父殿のことを友人だと思っています。だから何か一言でも伝言があれば、俺が持っていきます」

 イルスが真顔でそう言うので、本気なのかとヘンリックは苦笑した。

 なりは大人になっても、まだまだ餓鬼っぽいな。

「伝言はない。どうしても何か言いたいのなら、俺からの伝言はなかったと言え。もう行っていいぞ」

 イルスは何か困ったように、顎のあたりを小さく掻いた。

 それから敬礼して、部屋を出て行った。

 あんな甘っちょろい調子で、あいつは夜警隊(メレドン)をまとめられるのだろうか。師匠の直伝で、腕は立つようだが、小手先の剣では、猟犬たちは満足しないだろう。

 イルスは、あれの兄と違って、族長冠への野心があるようには全く見えない。たとえ、あったとしても、イルスは不向きだ。竜の涙のために、いつ死ぬやら知れないし、それを隠し通さねばならないとなると、骨の折れる話だからだ。

 兄を補佐して生きていくのが良いだろう。仲が良いようだから。

 それが順当だろう。

 ヘンリックは机のうえで微かに風にゆれている薄紙を見下ろした。その、印璽のないほうを。

「お前はどう思う、リューズ」

 薄紙に綴られた、宮廷人らしい円やかな筆跡に、ヘンリックは訊ねた。

 友よ、と呼びかけるのが、いつもあいつの口説き文句で、向こうもどこまでそんなことを本気にしているのだか。族長冠をかぶっている者に、そんなものがいる訳がないのに、馬鹿なことを考えて何の足しになるのか。

 あれはあれで、イルスとは少々違うにしろ、甘っちょろいのだろう。毒だとわかっていても、舌に触れる味がよければ、笑って飲むような酔狂なやつだ。

 イルスがタンジールに着く頃合いに、リューズに鷹通信(タヒル)を送ってみようと、ヘンリックは考えた。たまにはこちらからの用件で、鷹を送り返さなければ、エサばかり食って鷹が太る。

 俺の息子をどう思う。お前の目には、どういう男に見えたか。

 それを教えてくれ。お前らしく率直に。

 女に書かせたような、妙な修辞でごまかさず。

 もしもイルスが屑に見えたら、屑だと言っていいんだ。

 用件の済んだ鷹通信(タヒル)用の薄紙を、ヘンリックは部屋の暖炉のとろ火に投げ込んだ。二枚の紙はしばし悶えるように舞って、火の中で一気に灰になっていった。

 でももし、あいつが息子を屑だと言ったら。

 ヘンリックはその有様を想像してみた。

 途方もなくむかつく。もう友ではない。お前に何が分かると言ってやりたい。無節操にぼろぼろ子供を産ませやがって、そんなに面倒みきれるものか。そのうえ他人の子まで奪おうとするとは。まったく、お前は欲の深いやつだよ。

 そこまで考えると、なにか可笑しくなった。

 ヘンリックは薄く笑いながら火の側をはなれ、執務机で仕事に戻った。

 タンジールには、正使を送った。

 返事を書く必要は、もうなかった。だから往復書簡は、これで終わりだ。

 また次の用件ができる時まで、鷹たちも翼を休めるだろう。それが、ゆっくりとなのかは、国際情勢しだいだった。



《おしまい》

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