ジェレフちゃんと詩人くん

「この戯曲を書いたのは誰だ」

 広げたままの巻物が折れ曲がるのも構わず、ジェレフは詩人達の詩作部屋の戸を押し開いて怒鳴った。

 中にいた数人の詩人たちは、文机にかじりついて何かを書いている様子だったが、やってきたジェレフを見上げて、驚いた顔で静止していた。

「ああ」

 結い上げた髪からほつれ毛が洩れている、だらしない風体のくたびれた詩人が、ふと納得したように、そんな声をあげた。

「僕です」

 長衣(ジュラバ)の開いた襟元から首を掻きながら、彼は答えた。

 それがいつも自分の英雄譚(ダージ)を任せている詩人だったので、ジェレフは愕然とした。

「お前?」

「エル・サフナールと、あなたの恋愛譚でしょ」

「恋愛?」

 こういうのも恋愛のうちに入るのか?

 そう訊ねたつもりだったが、詩人は真顔でこくりと頷いた。

「いやあ、良かったですよ。皆に猛烈にうけましたから。近来まれに見る自信作です」

「撤回しろ、こんなものは事実無根だ」

 部屋に押し入って、ジェレフは敷物に胡座をかいて座っている詩人の膝に、巻物を叩きつけた。

「事実かどうかなんて、問題にならないです。大切なのは、いかに出来事の真髄をとらえているかです。愛が描けていれば、それでいいんです」

「愛?」

 ほとんど叫ぶようにジェレフは聞き返していた。

「これが愛? ただ破廉恥なだけだ!」

「だからいいんです。僕が思うに、本物の愛は究極の欲望のなかにこそ宿るもので」

「ただの品性下劣なエロ戯曲だ!」

 しかも勝手にひとの名前を使いやがって。

 サウザスの領事館からサフナールが送った文書は、それほど詳しい話ではなかったはずだ。少なくとも戯曲一作分もあったと思えない。鷹が持って飛べる文章量であるはずだし、それを書く時間もさほどなかったはずだ。

 この詩人が、一を十にして、あることないこと書きやがったのだ。

 それが本当に事実無根なのかは、確かに記憶がないので何とも言えないが、自分がこんなことするわけがないという信念で、ジェレフは断言していた。

 信念。いや、願望というか。一縷の望みだ。

「エル・ジェレフ」

 投げつけられた彼の名作を、詩人はくるくると巻き戻して、丁寧に絹の紐を巻きなおした。

「あなたのダージは、部族の戦史だけでなく、エロ戯曲の歴史にも残るかもしれませんね」

 そう結んで、詩人は、はいどうぞ、と巻物を差しだした。

 それは。

 それは大変な屈辱だった。

 ジェレフはなぜか巻物を受け取ってしまった。

「何とか、ならないのか……」

 ほとんど縋り付く目で、ジェレフは訊ねた。詩人はにっこりと微笑んだ。

「無理ですね。玉座の間(ダロワージ)での演奏回数、乞われてすでに三桁ですから」

 俺が留守の間に、なんの断りもなくか。そんなことは訊くだけ虚しかった。

「みんな、なんだかんだでエロ好きですねえ。まったく、けしからん世の中です」

 結い上げた髪の隙間を指先で掻きながら、詩人は笑い、また文机に向き直った。詩作に戻っていく詩人はとても幸せそうだった。

 どこかで詩人たちの奏でる琴の音が響いているのを、ジェレフは朦朧とした頭で聴いた。

 お定まりの結びを、誰かが詠っていた。

 英雄達の戦いは、なおも続く。新たなる物語は別の巻にて、息を呑み耳をそばだてて聴くダロワージの静寂に、いやなお晴れがましく響き渡るであろう。

 まさしく一巻の終わりだった。


《おしまい》

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