パスハの南・帰郷編(3)

 朝儀は終わりそうで終わらなかった。

 大人の話はきりがない。特に石のない連中は、いつまでもだらだらと長話ばかりだ。時間の惜しさが分からないからだろう。

 食い下がる田舎貴族をやっつけた族長が、玉座を立って退出していくのを、ギリスはほっとして見送った。昔はもっと朝儀は長引いたという話だから、きっと皆、退屈で辛かっただろう。

 族長リューズはせっかちなのがいいところで、叩頭礼も略式にしたし、無駄な口上は省かせ、余計な話はさせず、朝儀の最中でも人が広間を出入りすることを許していた。自分の話の邪魔にならなければ、廷臣どうしの私語ですら許した。

 先代のころまでは、果てしない朝儀が終わるまで、皆が皆、黙りこくって広間(ダロワージ)に平伏していなければならなかったのだというから、想像するだに足の痺れる話だ。

 帰ってきたのに気付かないはずはないのだから、さっさと退出してきてくれればいいのにと、ギリスは王族の席にいるスィグルを柱の陰から恨めしく眺めた。スィグルが途中で席を立ったところで、族長はまったく気にしなかっただろう。

 焦れたギリスとしては、席まで迎えに行きたいところだったが、スィグルはそれを許してくれないだろう。広間(ダロワージ)で隣にいてもいいのは晩餐の時だけだ。近づこうとすると逃げられ、話しかけようとしても無視された。

 三々五々散っていく王族たちの煌びやかな姿を遠目に見ながら、ギリスはおとなしく待った。

 礼服の懐には、とりあえず持ってきた真珠の首飾りが隠してあった。旅先で、エル・サフナールの買い物につきあって宝石商に行った時、その店でいちばんの品だというそれを、ギリスはとても気に入って、サフナに譲ってもらったのだ。

 どことなく暗さを帯びた純白の粒を、何連も連ねたもので、本来は海辺の部族の女が、大きく胸のあいた夜会服の首もとを飾るためのもののようだが、あの白い首にも似合うと思った。

 しかし肝心のスィグルは、こちらを見もせずに、つんと澄まして広間(ダロワージ)を横切っていき、さっさと大扉を出ていこうとしていた。

 やや遅れて、ギリスは仕方なく後をついていった。

 なんとも惨めだったが、どうせいつものことだった。向こうは気付いていないわけではなく、ちゃんと知っている。追ってきているのを。

 複雑に入り組んだ道を、スィグルは延々と行った。部屋に帰るわけではないようだった。それは向こうがギリスの追跡に気付いている証拠でもあった。スィグルは自分の部屋にも決してギリスを近づけさせない。試しに何度か訪ねてみたことがあるが、その度に、戸口に現れた女官が、帰れと冷たく言った。

 なんだか切なくなって、ギリスは立ち止まり、追うのをやめた。

 それから数歩行ったところで、スィグルも立ち止まった。ふりかえって、こちらを斜に見るスィグルの顔を、ギリスは遠くから見つめた。

「せっかく帰ってきたのに、お前は俺のことは全然待ってなかったみたいだな。俺がいない間、なにしてたんだよ」

 問いかけると、スィグルはしばらく、物言いたげに黙っていた。

 やっぱり行かなきゃよかったよと、ギリスは内心に独語した。せっかく捕まえたと思った新星は、もう手をすり抜けていったんじゃないか。

 やっぱりあの、海辺の街で見た黒猫にそっくりだと、ギリスは思った。冷たくて、どこか馬鹿にしたように俺を見て、追いかけても逃げていく。

「お前がタンジールを出てから、広間(ダロワージ)の時計は二千六百十二回の時報を打った。その間、僕がなにをしていたか、教えてやろうか」

 金色の眼でこちらを見つめて、スィグルは淡々とそう言った。

「毎日、鷹通信(タヒル)を待っていた。お前が送ってくるはずの」

 スィグルが口にした、想像もしていなかったその答えに、ギリスは唇を開いた。しかし言葉は出てこなかった。

「お前こそ客地で何をしていたんだい。たったの一行も、なにか知らせようとは思わなかったの?」

 あんぐりとして、ギリスはなにか答えなければと、ほとんど呻くような声をあげた。

「でも……鷹通信(タヒル)を私用に使っちゃいけないんだぞ」

「それは建前だ」

 静かな声で、スィグルはギリスの答えを叩き返してきた。なんだか横面を殴られたような気が、ギリスはした。

 確かにスィグルは正しかった。

 戦場で用いられる鷹通信(タヒル)は貴重な連絡網で、族長の許可がなければ個人的な目的で使用することは許されなかった。いざという時に使う鷹が、くだらない用件で飛び立った後では、戦に差し支えるからだ。

 しかしサウザスにある領事館から送ろうと思えば、それは簡単にできた。ジェレフは時々、定期連絡を送っていたし、サフナだって、くだらない用事で送った。鷹たちは日々、行ったり戻ったりしていた。

 しかし、タンジールの外に知り合いのいないギリスは、普段、私用で鷹通信(タヒル)を送ったことなど一度もなかった。だから思いつきもしなかったのだ。自分も送れるということを。

「お前は、本当に、冷たい馬鹿だよ、ギリス」

 一言一言を投げつけるように、スィグルはそう言った。

 ギリスは胸が苦しくなって、今すぐ内蔵をぜんぶ吐くのではないかと思った。

「いない間に、お前の英雄譚(ダージ)を調べたよ」

 やっとこちらに向き直って、スィグルは言った。なにかを突きつけられているような気がした。

「ヤンファールでの褒美に、お前は父上に鷹通信(タヒル)をねだったらしいじゃないか。そういうものがあるってことは、いくらお前でも、知っていたってことだろう」

 スィグルが問いかける口調だったので、ギリスは頷いてみせた。王都に居残ったイェズラムに戦功を知らせるために、鷹を飛ばしたことがある。

 するとスィグルは、張りつめた苛立ちを含んだため息を、ゆっくりと吐いた。

「それじゃあ、旅があんまり楽しくて、タンジールでお前を待っている者がいることは、いっぺんも思い出さなかったってことだね」

 いじめないでよと、ギリスは思った。

 あんなに素っ気なく送り出しておいて、そんなの狡くはないか。鷹通信(タヒル)を送れなんて、一回でも頼んできたか。いい機会だから、旅して修行を積んでこいって、それしか言わなかったじゃないか。

 鷹ならタンジールにもいっぱいいただろ。お前だって、なんにも送ってこなかったろ。こっちがどこにいて、何をしてるかは、ジェレフの報告で知ってたくせに。

 どうして、何もせずにただ待ってたんだよ。

「思い出すって。俺はいつもお前のことを考えてたよ。毎日会いたかったんだよ」

 文句を言ってやろうと思ったのに、口を突いたのは別の話だった。ギリスはうなだれた。

 帰ってきたら、スィグルはにこにこして、すぐ会ってくれると思っていた。まさか喧嘩を売られるなんて、想像もしてなかった。まだ、お帰りとも言ってくれてない。

 懐にやった手に、真珠が触れて、ギリスはそのことを思い出した。うなだれたまま、懐からそれを引っ張り出し、ギリスは目の高さで首飾りを垂らしてみせた。

「これお土産。お前に似合いそうと思って。機嫌がなおったら、着けて見せて」

 そう言ったものの、どうやって渡そうかとギリスは困った。

 店の者は、真珠は傷つきやすいから、手荒に扱うなと何度も言っていた。投げ渡すわけにもいかない。かといって、こちらから渡しに行こうにも、なんとなく近寄りがたかった。

 沈黙がさすがにつらくなる頃、不意にスィグルが一歩踏み出した。それにギリスが目をあげると、スィグルは不機嫌そうな無表情のまま、通路を戻って近寄ってきた。

 すぐ目の前にある、純白の真珠の光沢を、スィグルの目がじっと眺めるのを、ギリスは盗み見た。

 お前もサフナといっしょで、物につられたの。

 そう思って眺める前で、スィグルは物珍しそうに、いくつも連なっている真珠の玉に、指を触れさせた。そうした姿を透かし見ると、やはり似合いそうな気がするのだった。

「走って帰ってきたにしては、ずいぶん遅かったね」

 受け取る気配のないまま、スィグルはなんとなく消沈した声になった。

「行きも帰りも嵐にあっちゃって、途中の港で何日も停泊だったんだよ」

「そんなの言い訳だろ」

 そうだろうかとギリスは思った。でもそうやって、スィグルに間近で見つめられて静かに断言されると、そうかもしれないという気がするから不思議だった。

「二千六百十二回もあるよ、ギリス。一時間に十回ずつとしても、不眠不休で十日以上かかるよ」

 そう教えるスィグルの声は、言い終える頃にはほとんど消え入るような小声だった。

 しばらく呆然としてから、ギリスにはやっと、スィグルが何をしてほしいのか分かった。

 華やかな礼服で飾られたスィグルの胸元に、真珠の首飾りを巻くため、ギリスは彼の首に腕を回した。それを許すために顎をあげたスィグルに、ギリスは口付けをした。その温もりに気をとられ、首飾りの留め金はなかなか掛からなかった。

「あと何回……」

「二千六百十一回だよ」

 わかっていたがスィグルに数えさせたかった。

 首飾りをさせていると、新星を捕まえたのだという気がした。

 素知らぬ顔でいるものと思っていたのに、スィグルが広間(ダロワージ)を過ぎゆく時を数えていたことに、ギリスは胸を揺さぶられた。

 旅立つ前には、こんなことはなかった。誘うギリスに手を引かれて、スィグルは大人しくどこへでも付いてきたが、愛するのはギリスの仕事で、スィグルはただそれを受けるだけだった。いくらでも水を飲む、底無しの穴みたいに。醒めた風でいて、スィグルはいくらでも欲しがった。果てしなく貪られるだけで、報いはないのだと思っていた。

 抱きしめて、口付けをし、目をのぞき込むと、スィグルがこちらを見返していた。その瞳が、自分を愛しているような気がした。それともそれは錯覚で、ただ一方的に与える苦しさのために、ありもしない幻を見ているのだろうか。

 求めたところで、きりがないのに。

「スィグル」

 結い上げた髪が崩れるのも構わず、ギリスは抱きしめたスィグルの項(うなじ)から指を梳き入れた。そこには熱がこもっていた。

「俺のこと好きか」

 そんなことを、誰かに訊いてみようと思ったのは、生まれて初めてだった。他人が自分を愛するかどうか、ギリスは考えたこともなかった。そんな者はいまいと、どこかで諦めて生きてきたような気がする。

「なぜそんなことを訊くんだよ」

 スィグルが答えた。怖いような気がした。

 ギリスは震えそうな指で、今は目の前にある華奢な体を、さらに強く掻き抱いた。

「好きだって言ってよ」

「どうして」

 聞き返してくるスィグルに、ギリスはまた口付けをした。

 王朝を支えるのは愛という名の忠節で、それには見返りを求めてはいけない。星を愛して眺めることは、誰にでも許されているが、星がいちいちそれに応えはしない。

 イェズラムはそう教えた。

 星ってなに、と訊ねたら、イェズラムはぎょっとして、ギリスを星空を望める地上層まで連れて行った。タンジール育ちのギリスは外を見たことがなかったのだ。

 そこからは確かに小さく瞬く沢山の光が見えた。美しかったが、あまりにも遠かった。そのために喜んで死ねるというほどのものとは、ギリスには思えなかった。皆がそうしていると言われても。

 イェズラムが言っている、皆が振り仰ぐ星とは、族長のことだと分かっていたが、族長はいつでも玉座に座っていた。口をききたいなら、朝儀で謁見すればいい。

 族長リューズは空の星と違って、いつでも宮廷をうろうろ歩き回っているし、飯も食えば、冗談も言う。イェズラムに至っては、部屋までやってきて怒鳴り散らしたりされていた。

 星ではない、ただの人で、振り仰ぐようなものではない気がした。

 スィグルだってそうだ。他と違うとは思えない。手に入らないと思えない。実際こうして抱くこともできる。スィグルが口付けを拒んだことが一回でもあったか。冷たい毒舌で刺しはするが、抱擁に応えるときは、糖蜜のように甘い味がする。

 どうしてそれを知った上で、一生やせ我慢しないといけないのか。

「……どうして?」

 口付けた唇が、また同じ問いを囁いていた。答えたらお終いだとギリスは恐れた。

 痛みと恐怖を、学ぶことになる。もしも拒まれたら。

「お前が俺を好きじゃないと、つらいから」

「いい気味だよ」

 喉をふるわせて笑い、スィグルは言った。そしてにわかに、礼服の襟をはだけたギリスの首に噛みついた。痛くはなかったが、そうとう強く噛まれている気がした。

 食われてる。びっくりして、ギリスはスィグルを抱き寄せている指を震わせた。

 しばらくしてから、スィグルは短いため息とともに体を離した。笑って舌なめずりする唇に血がついていた。人食いスィグルに食われてる。またびっくりして、ギリスはそれを見た。

「お前、ほんとに痛覚がないんだな、ギリス」

「血が美味いのか」

 鉄臭いその味を知っていたので、ギリスは平気で舐めているスィグルが不思議だった。

「僕には味覚がないんだ。お前が痛くないのといっしょで」

 知らなかったのかという顔で、スィグルは意外そうに言った。ギリスは驚いた。晩餐の時に王族に供される、あの贅を尽くした食事を、スィグルはいつも不味そうに食っていたが、ただ舌が奢っているだけかと思った。

「そんな妙なことがあるのか?」

「お前に言われたくないよ」

 心底びっくりしたという声で、スィグルが毒づいた。

「だって俺、土産に食い物買って来ちゃったよ」

「他のやつにやればいいよ」

 それが妥当だという口調で、スィグルは言った。

 タンジールに居残った派閥の連中や、幼い者たちにくれてやるような土産は、ジェレフが抜かりなく用意しているはずだった。

「他には俺の帰りを待ってるやつなんていないよ。イェズは死んだし……」

 旅先で聞かされた遺言の話を思い出して、ギリスは軽い目眩を感じた。

 そうかと呟いて、スィグルは何となく上の空のような動作で、うなだれているギリスの頭を抱いた。そこから与えられる温もりは、ギリスを深く安堵させた。帰ってきたと、唐突に思えた。

「じゃあ、僕が食うよ」

「味もわかんないのに?」

「どうせいつもそうだよ」

「わかんないんじゃなくて、そう思いこんでるだけじゃないのか?」

 痛みを感じないことには都合の良さがあるが、味が分からないことには不都合ばかりの気がする。同じ膳から分け合っている時に、同じ美味を味わっていると信じていたのに、そうではなかったことが、許し難い。

「それはお前も似たようなもんなんじゃないのか、ギリス」

「いや、俺は本当に痛くないよ。痛かったら薬無しじゃ我慢できないって。お前この石が育つとき、どんだけ痛いもんか知らないんだろ。みんな悶絶してんだから」

 自分にとっては普通のことを、なにげなく言って、ギリスは後悔した。スィグルが顔をしかめたからだった。

 竜の涙が感じる苦痛のことは、英雄達の恥部として隠されている。陰では苦しむが、王宮の回廊をそぞろ歩く時には、誰も皆、涼しい顔を作るものだった。それが無理な時には部屋にこもって出てこない。

 だから、従軍したことのないスィグルのような王族が知っているのは、広間(ダロワージ)にたむろする着飾った英雄達の姿と、英雄譚(ダージ)が伝える物語じみた勇姿だけだ。

「ごめん。でも、俺はほんとに痛くないから」

「それは幸運だったね。でもお前が僕の半分でも、つらいと思ってりゃいいのに」

「つらいって何が」

「時計が時報を打つことさ」

 困ったように、スィグルが答えた。

「今回は不覚にも、思い知ったよ。自分がいかに弱いか。お前にはすっかり、たらし込まれたよ。どうやってやったんだ……」

 自分が噛んだ、ギリスの首の傷を掴んで、スィグルは治癒の魔法を使った。熱いような魔力の流れを感じて、ギリスはスィグルのその手に自分の掌を重ねた。

「どうって……愛しただけだよ」

 答えると、なぜかスィグルが吹き出して、爆笑しはじめた。よっぽど可笑しいのか、スィグルはギリスに縋ったまま、身を揉んで笑い続けた。

 イェズラムみたいだと、ギリスは思った。

 人がなぜ笑うのか、ギリスには分からないことが多かった。声をあげて笑った事なんて、自分には記憶がない。

 スィグルがなぜ笑っているのか、ギリスには分からなかったが、それでも、彼が笑う声を聞いていると、自分の中でしばらく放置されていた空洞が、温かく満たされるような気がした。

「もっと笑って」

 笑いに震えている背中を抱いて、ギリスは頼んでみた。しかしスィグルはそれを聞いて、ゆっくりと笑い止んだ。まだどこかに笑い声の残滓のある静寂の中で、ギリスは少し早いようなスィグルの呼気を聞いていた。

「俺のこと好きかって、もういっぺん聞いてみて。答えてやるから」

 睦言のように囁きかけられた言葉を、ギリスは胸の内で反芻した。訊ねなくても、答えを知っているような気がする。新星は実際こうして自分の腕に抱かれているだろう。どこへも逃げなかっただろう。

 なのになぜ、訊ねないと不安になるのだろう。

「スィグル、俺のこと好きか」

「好きだよ」

 耳でなく、心臓に聞かせる声で、スィグルは抱かれたままギリスの胸に唇を押し当てて答えた。望み通りのその返事は、なぜかギリスの心臓を締め上げた。胸苦しさで、息がつまる。

「俺、我慢した。お前の勘定によれば二千六百十二時間も。誉めて」

「誉めるようなことなのか……」

 どこか苦笑する声で、スィグルが答えた。

「一日に一回で計算しても、百九回もたまってる」

「百八回だろ、今日はまだ終わっていないから」

 スィグルの返事を聞いて、なんの話か、分かっているんだとギリスは思った。廊下の先には、あの棕櫚の庭園に続く、赤い扉が見えていた。

「一日に十回ずつとしても、十日以上かかるから、相当頑張らないと」

「そんなの無理だろ馬鹿。現実的に考えろ」

 腕の中から、鋭く冷たい声で非難されて、ギリスは呻いた。

「緒戦ではかなり奮闘できると思う、なにしろ、二千六百十二時間は気の遠くなるような長さだったし、いろんな誘惑が旅にはつきものだったし。まず出足の戦績を見てから、計画を練り直すということで、頑張ってみるのでどうかな、この際、一致協力して」

「まあそんなところだろうね……」

 説得を受け入れて、スィグルは目を伏せ、懐いた猫のようにギリスの胸に頬を擦りつけてきた。渦巻く真珠が胸元を飾っていた。

 この首飾りはきっと、部族の衣装には似合わないわよと、買い求めた店で、エル・サフナールが忠告してくれた。でも大丈夫よ、ギリス。首飾りのほかに、なんにも着なければいいんだから。

 その話をする彼女の清純そうな微笑を見て、ギリスは絶対にサフナールには逆らわないようにしようと思った。そんなすごいことを思いつくなんて、きっとサフナは天才だから。

 どんな猫につける首輪なのと、サフナは笑って訊いていた。

 性悪なんだよと答えたが、これでしばらく捕まえておけるかな。時がくれば天空に駆け上るという新星を、生涯捕らえておけるだろうか。

「あと何回だっけ」

 顔を上げさせて、ギリスはスィグルに口付けをした。

「今ので、あと二千六百八回だよ」

「そうだっけ。俺忘れちゃうから、お前が数えて」

「いいよ。いいけど、だったら僕が寝ている時にはしないで」

 ああそうかと、ギリスは応えた。スィグルは弱くて、ときどき朦朧とする時がある。

「それは無理だから、数はだいたいでいいや。少なめに、見積もっといて」

 ギリスが提案すると、スィグルは頷いた。

 いつもの庭園まで、あと少しだったが、どうやって歩こうかとギリスは困った。

 スィグルはきつく抱きついていて、歩くためには抱擁を解かないといけなかった。だけど今の自分たちにとって、それはとても難しく思えた。なにせ二千六百十二時間は気の遠くなるような長さだったし、その旅の間じゅう恋焦がれていた麗しの故郷に、ギリスは今やっと戻ってきたばかりだったからだ。

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