パスハの南・帰郷編(2)
「皆様、お土産の真珠とお菓子ですよ」
一抱えある小箱を携えて、サフナールが部屋(サロン)の扉をくぐると、髪を編んでいたり、お喋りに興じていた懐かしい顔が、どれもみな花が咲いたように微笑んで、出迎えてくれた。
「お帰りなさい。底無しサフナの凱旋ね」
通り道に座っていた同い年の女戦士が、サフナから真珠の髪飾りを受け取りながら、そんなふうに冷やかした。
「いやだわ、その呼び名。まるで、わたくしの酒癖が悪いみたい」
この部屋(サロン)にやってくるのは竜の涙の女ばかりだ。皆、しきたり通り男装しているが、装身具と、甘いものと、男の噂には目がない連中ばかりだ。
どうだった、どうだったと口々に訊かれながら、エル・サフナールは海辺の街で買い入れた土産物を、惜しみなく皆に撒いてやった。船酔いしたり大変な旅で、二度と行きたくないけれど、こうして喜んでいる皆の顔を見たら、旅の疲れも吹き飛ぶわ。
いちばん気に入っている、豪華な帯飾りの真珠を取ろうとする誰かの手をぴしゃりと叩いて、サフナールは部屋(サロン)の奥にある上座に腰を落ち着けている人のところへ、空いた床を拾い歩きながら近づいた。
サフナを見上げて、煙管(きせる)をふかしていた長老エレンディラは、脇息にもたれたしどけない姿勢のまま、婉然と微笑んできた。
「戻りましたわ、我が兄上よ(エ・ナ・デン)」
すぐそばに腰を下ろして、サフナはエレンディラの見事な刺繍を施されてある飾り帯に、つややかに輝く真珠を挟み込んだ。それは思った通りの品があり、彼女によく似合った。
「うまくやったようね、我が弟よ(エ・ナ・ジョット)」
エレンディラは長い睫毛のある瞼を、何度か瞬かせて笑ったが、それはいい気味だという上機嫌の表情だった。うっふっふとサフナールは笑い返した。
「紫の蛇めの巣で育った者に、とうとう吠え面かかせてやったわよ」
ふうっと細く煙を吐き出して、エレンディラは独り言のように呟いた。
「まったく兄上(デン)はよっぽどエル・イェズラムに恨みがおありなのですね。いったいどんな経緯があったのですか」
遠慮無く胡座をかいて、サフナールは旅疲れした小さい自分の足から、礼装用の絹の靴を抜き取り、開放的な素足にしてやった。
「それは言えません、いくらお前にでも」
「まあそんな、けちんぼを」
「とにかくです。これで終わりと思わせないで、もっとどんどんおやりなさい。お前はどうして、あの悪童はほうっておいたの?」
火を消すように、サフナールに煙管を渡して、エレンディラは咎めるように訊ねてきた。
「エル・ギリス? あの子はまだまだ子供ですもの。それにお馬鹿さんですよ」
「まあぁ」
大仰に驚いてみせて、エレンディラは帯を飾った真珠に触れている。
「あの子は忠義なだけですよ。頭は悪くはありません。お前もまだまだ小娘ですね。ギリスは役に立つけれど、それもこれもイェズラムの言うとおりなのだから、まったくもって腹の立つこと」
「怒っていないで、お土産のお菓子をめしあがって」
箱に並んだ宝石のような菓子を差しだして、サフナールは兄(デン)をなだめた。
可愛さ余って憎さ百倍とはまさにこのことで、エレンディラは亡き首長に忠実であったのに、一方では、いやがらせばかりしていた。この人も、相手があっさり逝ってしまって、ふりあげた拳の落としどころがないのだわ。
「リューズ様に誠心誠意お仕えするように命じたのは自分のくせに、あの人は反逆ばかりでしたよ。挙げ句に宮廷を出て行って、おっ死んで戻るなんて、勝手にもほどがある」
「まったくもって、そうですわね、エレンディラ」
「お前の相づちは真心がなくて腹が立ちます」
錐で刺すようにエレンディラが言うので、サフナールはころころと笑った。
さばさばした性格の彼女は、女にしてはきっぱりしていて陰であれこれ言うようなところがなく、人に慕われて長年この派閥の長だった。彼女の庇護を求めて、主に女ばかりが部屋(サロン)に集まってきた。いつまにか長老会のひとりとして数えられる歳になっており、それをエレンディラは厭がっていた。
死ぬなんてつまらないわと口癖のように彼女は言っている。
サフナもそう思う。貴女が宮廷で死ぬなんてつまらないわ。どうせなら戦場で、皆で抱き合って死にたいわ。力が尽き果てるまで、わたくしが癒やしてあげる。
「イェズラムはギリスに新星を与えたそうですよ。サフナール、お前も新しいほうに鞍替えしたらどう。まだ若いのだから」
その話はサフナールには初耳だった。
それではギリスがいつも追いかけ回していたのがそうなのだろう。
どんな星だか知らないが、サフナには、今あの玉座に輝いている星がいつかは墜ちねばならぬのだということが、納得いかなかった。
ギリスったら、いやな子ね。
「わたくしはリューズ様が好きですわ。二君に仕えようとは思いません。どうせなら殉死でもしてみようかしら。そういうのは美しいと思うのですけど」
あらそう、とエレンディラは気のないふうに相づちを打ち、潮風で痛んだサフナの黒髪を咎めるような目で眺めながら、毛先を指でつまんできた。
「お前もっと髪を大事におし。命はともかく、髪を粗末にするのは女の名折れですよ」
そう言うエル・エレンディラの長い黒髪はつややかで、本当に見事なものだった。地下深くの闇のように黒々と、結われもせずに床を這っている。
それじゃあ湯殿にいって、髪にいい泥でも塗ってもらおうかしら。潮風と砂で肌も荒れたし。せっかく王都に戻ったのだから、せいぜい磨き立てようかしら。
土産物の菓子を口に放り込んで、サフナールは計画を立てた。異国の甘さが、舌の上でゆっくりと蕩けた。それを故郷で味わってこそ、最高の贅沢だった。
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