パスハの南(16)

「妻がわがままを言ったそうだな」

 族長の執務室にも、やはり玉座はなかった。大きく窓をとった明るく白い部屋に、大きな木製の執務机が置かれ、黒い革張りの椅子があるだけだ。

 それらの調度品は洗練されてはいたが、やはり実用本位だった。

 それに座る族長ヘンリックも、夜会のときよりさらに地味な出で立ちだった。絹を纏っているのも、王族としての申し訳を立てる程度ではないかとジェレフには思えた。

 彼が身につけているもので、いちばん華美なのは、その剣帯に提げられている剣の鞘を飾った、色鮮やかなエナメル装飾だけだ。

 タンジールの王族は、装飾品として太刀や短剣を身につけるが、彼が帯びている剣は、よく使い込まれていて、それもやはり実用品なのだと見えた。

 きっと寝るときだって、この剣を抱いているに違いない。

「治癒者を残留させるよう、ご所望でした」

 ジェレフは、ばれない程度に微かなため息をついた。暑かったからだ。

 湿気の襲う海辺の空気の中で、肌着に襦袢と、礼装用の長衣(ジュラバ)を重ねた民族衣装で、そのうえ竜の涙を隠すための頭布(ターバン)まで巻いているのだから、暑くないわけはなかった。

 族長に謁見するのだから、それ相応の出で立ちでやってくるのは礼儀のうちだが、いかにもあっさりした格好で涼しい顔をしている相手と向き合うと、自分の姿は、なんの我慢大会だと思いたくなる。

「率直に申し上げまして、正妃様のご病気は魔法で治るものではありません。それでも日々のご不快は取り除けると思いますし、延命も図れるかと思います。しかし我々竜の涙は部族の戦力であり財産ですので、我らの族長の許可無くして、こちらでお役に立つことはできません」

「リューズに聞けということだな」

 そうです、と返事をしかけて、ジェレフはあわてて口をつぐみ、一礼した。

 タンジールの王宮では、竜の涙は準王族として扱われ、王族の名を呼び捨てても、対等な口をきいても、咎める者はいない。しかし一歩領境を出れば、相手がどう感じるかは曖昧だった。

 尊大に振る舞うつもりは、ジェレフにはなかった。無用の軋轢を避けたかったからだ。

「誰が残るのだ。お前か」

「そうなるかと」

 覚悟を決めて、ジェレフは答えた。正使ではないサフナールに居残り役を押しつけるのでは男が廃る。可愛い顔をして、とんでもない人だったが、それが恨みで置き去りにしてきたと後ろ指さされたら、不名誉きわまりなかった。

「妻は、もうひとりのほうを所望のようだ。あれは女なのか」

「いいえ。違います」

 きっぱりと、ジェレフは族長ヘンリックに答えた。するとヘンリックは妙な顔をした。

「お前は女なのか、男なのか」

 あぜんとして、ジェレフは聞き返した。ヘンリックは苦笑した。

「お前は男のように見えるが、妻を癒やしたというのが、男だというなら、男女がどのへんで分かれているのか、俺にはさっぱり分からん」

「竜の涙には、男子しかおりません」

 部族の建前を、ジェレフは異民族の族長に教えた。

 ふうん、とヘンリックは納得したとも、疑っているともつかない相づちを打った。

「まあいい。リューズからして女のような面(つら)だからな」

 そうだろうかとジェレフは意外だった。不本意だが、異民族からはそういうふうに見えているのだろう。

「息子達はどうだった」

 本題と思える事を、族長ヘンリックが尋ねてきた。ジェレフは頷いた。族長は、予定外に彼の長男まで診察されたことを聞き及んでいるらしかった。

「ご長男は心臓がお悪いようです。これも根本的には解決できません。生まれ持った素養です。療養に努められれば、魔法を頼らずとも、ご健康を維持することは可能です。もちろん治癒術の効果は、一時的なものとしては大いに期待できますが」

 ジェレフの顔を見つめ、ヘンリックはおとなしく頷きながら耳を傾けていた。

「ご三男は、我々と同じです。魔力を用いますと石が成長します。いずれはそれに殺されます。個人差がありますが、寿命は三、四十年ほどです」

「苦しむか」

 簡潔な質問を、ヘンリックは口にした。余計なことは言わない人なのだなとジェレフは思った。

「苦しみます」

 そういう相手に、砂糖衣をかけた言葉を与えても仕方がない気がした。

「治す方法はあるか」

「ありません」

 その言葉が相手を深く傷つけすぎないように、ジェレフは小声で答えた。

 ヘンリックは初めて顔をしかめた。そんなはずはないだろうと言いたげな表情だった。それでも彼は激昂する気配もなかった。ただ黙って、こちらを見ていた。

「その布をとって、お前の石を見せてくれ」

 意外な要請に、ジェレフは一瞬、答える言葉を失った。海辺の者たちは、竜の涙を不吉なものとして恐れているはずだ。人前では絶対に隠し通すようにと厳命されてきた。

 しかし相手が待っているので、逆らう理由も思い当たらず、ジェレフは頭布(ターバン)を解いて、自分の竜の涙をヘンリックに見せてやった。

 海辺の族長は、青い目を細め、険しい顔でジェレフの頭をじっと睨んできた。

 淡い紫色の石が、額から始まって、側頭を這うように成長している。結った髪に隠れている部分もあり、まだ自分の石は、それほど人を威圧するような気配は持っていないはずだ。

 しかしヘンリックは、どこか痛々しそうにこちらを見ていた。

「お前はいつ死ぬ」

 あまりの質問に、ジェレフはぎょっとした。だが、それが面白半分に訊かれたものではないことは、すぐ理解できた。彼は自分の息子がどれくらいまで生きられるか知りたいのだろう。

「分かりませんが、あと十年のうちだと思います」

 そう答えてみると、短い一生だった。

「その限られた時間を、このサウザスで費やしていいのか」

 目が離せないのか、族長ヘンリックはひたすらジェレフの石を見つめたまま、そう尋ねてきた。ジェレフはまた、返答に窮し、答えるべき社交辞令を頭の中で探した。

「我らの族長がそう命じるのであれば、喜んで従います」

「帰れ」

 端的にそう命じて、目を逸らすためだろう、族長ヘンリックは椅子から立ち上がって、執務室に作られたテラスのほうへ歩いていった。

「息子達も妻も、お前の話によれば治りはしない。だったら時間を無駄にするな。予定通りの滞在がすんだら帰れ。リューズには、俺が喜んでいたと伝えろ」

 情けをかけられたような気がしたが、あるいは単に、これ以上の政治的な借りを族長リューズに作るのが嫌なだけかも知れないとも思えた。

「ありがとうございます」

 それでもジェレフは礼を述べた。ヘンリックは微かに頷いたようだった。

「お前は、その石に殺されるのが怖くはないのか」

 茫洋とした海を背景にして、ヘンリックはこちらを向いた。

「怖いです」

 ジェレフは正直に答えた。

「では、イルスも怖いのだろうな」

「そのはずです」

 ジェレフの答えに、族長は小さく首をかしげ、こちらを眺めた。疑っているのではなく、それは彼の癖のようだった。

 しばし考えてから、ヘンリックは小さなため息をつき、乾いた唇を舐めた。

「お前は少しも恐れていないように見える。勇敢だな。お前がその恐怖とどうやって戦うか、息子に教えていってくれ」

 そう頼んで、族長ヘンリックの話は終わりだった。

 あっさりしたものだとジェレフは思った。

 自分たちが崇める族長のような、人を酔わせる甘いものは、彼の言葉にはいっさい無かった。それでも彼は、この海辺の、荒ぶる野蛮な部族を、難なく治めているのだった。

 気さくなところがいいのかな、と、ジェレフは考えた。愛想がいいとは言えないが、彼は命じる時でも、隣に立って話しているような気配がする。タンジールで跪く自分たちは、遠くに輝く星をまぶしく振り仰ぐように族長を崇めるが、この海辺の者たちは、あの夜会の席でそうだったように、親しく並んで歩くこの男を、友を助けるようにして仕えているのかもしれない。

 そういうのも、また一つの王朝か。

 納得しながら、ジェレフは深々と一礼し、退出しようとした。

「おい」

 後ずさろうとするジェレフに、ヘンリックが木訥に声をかけ、族長冠をした彼の額を、指でこつこつと叩いてみせた。

「出てるぞ」

 頭布(ターバン)を解いたままだった。

 ジェレフは恐縮して、また一礼した。そして手早く頭布(ターバン)を巻きなおそうとしたが、その姿を眺めてテラスにいる男が、喉を鳴らして笑いはじめたので、焦ってしまって中々上手くいかなかった。

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