パスハの南(14)

 猛烈な頭痛にがっちりと頭を銜えられていた。

 目覚めた瞬間から続くその痛みが、はじめは何のことか分からず、石がまた成長してしまったんだとジェレフを悲しくさせた。

 麻薬(アスラ)を使わねばと考えつつ寝床から身を起こし、そして、やっと気付いた。それが単なる二日酔いだということに。

 昨日の礼服のまま、床でぐうぐう寝ているエル・ギリスの姿が目に入ったからだった。

 そうだった。

 酌上手のエル・サフナールに乗せられ、脳みそもとろけるくらい飲んで、途中から何も憶えていない。飲み直しはじめた時点でそうとう酔っていたはずだから、自分が昏倒するまで、もしかするとあっという間だったのではないか。

 寝床だと思っていたのは、居室の居間の敷物の上だった。いのまに解いたのか分からない黒髪が、ばさりと顔に落ちかかってきた。それを払いのけようとして、ジェレフは悲鳴を上げそうになった。

 半裸というか全裸だった。そこまでではないが、ほとんど裸だった。

 そんな細かいところに取りすがっても、この際意味がなかった。とにかく、同じくほぼ素裸のエル・サフナールと抱き合って寝ていた。

 床の上で。そして傍には空になった酒杯と酒瓶が。

 そして向かいの座には、礼服を着たまま高いびきのギリスだ。

 その上自分は何が起きたのか全く憶えていないのだった。

 頭が。頭が割れそうに痛い。顔を覆って、ジェレフは嘆いた。何をされたんだ。というか、何をしたんだ。したのか、されたのか判らないが、とにかくジェレフは参った。

 ううん、と甘くうめいて、目をこすりながらエル・サフナールが起きあがった。深酒の後だというのに、彼女の頬は健康そうにつややかで、胸も露わな裸身を隠そうという気配もなかった。

「あら。エル・ジェレフ。おはようございます」

 彼女が状況に気付いていないのではないかと思い、ジェレフは言葉が出なかった。

 自分に限って、まさかと思うが、酔って正体をなくした彼女を己の好いようにしたのではあるまいな。だとしたら彼女の挨拶に続くのは絶叫かもしれず、ジェレフは動くこともできずにただ身構えた。

 しかし彼女は口元を覆って、可愛らしい長い欠伸をもらしただけだった。それから小さく鼻をすすり、床に落ちていた自分の白い肌着を拾い上げて肩にはおると、ごそごそと床を這っていって、まだ深く眠っているギリスを揺り動かした。

「エル・ギリス。そんな格好で寝ていると、風邪をひくかもしれませんよ」

 自分たちが裸で寝ていて平気だったのだから、服を着ているギリスが風邪などひくわけがないと、ジェレフは思った。呆然としながら。

 優しく揺すられて、ギリスはうるさそうに目を醒ましたようだった。

 彼女の肩に腕をかけようとするギリスを、サフナールはやんわりといなした。

「寝ぼけないで。私はサフナールです。あなたの兄(デン)でも弟(ジョット)でもないわ。起きてちょうだい。今日は買い物にいきたいのです。あなたも来なさい」

 ギリスに話しかけるサフナールは、なにかとてもくつろいだ雰囲気だった。

 言われて目が覚めたのか、ギリスががばっと驚いたふうに体を起こした。彼の髪はまだ結われたままだった。寝ている間に崩れた元結いが、だらしなく下がってはいたが。

 ギリスが起きたのを確認して、エル・サフナールは微笑とともに自分の服を拾いに戻ってきた。

 ガンガンと殴りつけるような頭痛を感じながら、ジェレフはこちらにやってきた彼女の顔を見上げた。

「すみません……」

 もう謝るしかなかった。なんにも憶えていませんとは言いづらかった。

「なにがです?」

 不思議そうに、サフナールが尋ね、こちらにジェレフの礼服を渡してよこした。

「何がか、実はわからないんですが」

「そうでしょうね。前後不覚まであっと言う間でしたから。案外弱いんですね、お好きな割には」

 酒の話だよなとジェレフは怖くなった。

「うう……ん、ジェレフ、俺すごいものを見た」

 まさか頭が痛いわけではないだろうが、頭を抱えたギリスが、まだ酒が残っているような顔で、朦朧とそう言った。

「俺はサフナを甘く見てた。なんかもう……羨ましいという領域をはるかに越えてた。お前、腰抜けてないか。俺じゃなくて本当によかったよ」

 ジェレフは呻いて、そばで微笑んでいるサフナの顔を見た。

「ごめんなさいね、エル・ジェレフ。わたくし、あなたにいけないことを」

 赤い唇に指をそえて、サフナは悪戯っぽく詫びている。

 なんにも憶えていないんです。

 でも何か、ひどい二日酔いに紛れてすぐには気付かなかったが、なんだかひどく体が疲れている。どうしてなんだろう。

「……見てたのか、お前」

「見た。ごめん」

 恐ろしくなるほどの素直さで、ギリスが謝罪の言葉を口にした。

「気にすんなジェレフ。犬にかまれたと思って」

 遠巻きに慰めるギリスの顔が真剣だったので、ジェレフはまた呻いた。

「お前がいつもああだとは思ってないから。安心して。昨日だけだよな、相手が悪かったよ、サフナはさ……それともジェレフ、もうあれが癖になって、ずっとサフナの弟(ジョット)なのか?」

「何の話……」

 聞きたくないが、結局それを口にしてしまった。しかしギリスは、自分の口からはとても言えないと言うように、小さく首を横に振った。

「いやだわギリス、一晩だけよ。ダロワージの恋は一瞬の華なの」

 ころころと鈴を転がすような声で笑って、長衣(ジュラバ)を着付けなおしたサフナールは言った。

「まあここは、ダロワージではないけど。わたくし皆と賭けをしただけなんですもの」

「賭け?」

 ジェレフが思わず尋ねると、サフナールはにっこりと、ジェレフに微笑みかけた。

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