パスハの南(7)

 広間の中央から、剣を打ち合わせる音が響いた。

 若い兄弟は下段に構えた剣を触れあわせていた。それは挨拶のようだった。

 その次の瞬間、弟のほうの攻撃から戦いは始まった。軽く首を巡らせて避け、ジン・クラヴィスは彼の握る長剣を舞わせて、弟の喉もとを薙いだ。殺意があるとしか思えない切っ先の速さだった。

 しかしイルスは微笑を浮かべたまま、それを紙一重で避けた。

 片方が斬りつけ、もう片方が鮮やかに避けた。その応酬は少しずつ、しかし確実に速さを増していた。彼らは笑っていたが、殺し合っているように見えた。

「止めなくていいのですか」

 思わずジェレフは誰にともなく尋ねた。

「あれは手合わせ(デュエル)だから大丈夫です」

 案内役の海エルフが、にこやかにそう教えた。

 一瞬の優勢をとり、イルスがジンに斬り込んでいった。周囲から見ていた者や、族長の警護をする制服の者たちが、それを囃すように、ヴェスタと叫んだ。

「なんと言っているのですか」

「殺せ(ヴェスタ)と。……ただの伝統的なかけ声ですから」

 安心しろというように、案内役はこちらに頷いてみせている。彼らは族長の年若い息子たちが斬り合うのを、心底楽しい娯楽と受け取っているようだった。

 熱心に打ち込みすぎたイルスをいなして、ジン・クラヴィスが彼の背後に身を翻した。剣を振り上げる兄に、弟は向き直ろうとした。しかし間に合わず、イルスは剣の腹で強かに尻を叩かれ、足を払われて、床に転倒した。

 ヴェスタ、と広間が笑って囃し立てた。

 ジンが弟の帯を掴んで立たせ、腹を刺し貫くまねをした。ふたりは笑っていたし、それを見ている、皆も笑っていた。

 笑っていないのは自分たち黒エルフと、どこか遠い目をして息子達を眺めている族長ヘンリックだけだった。

「手合わせ(デュエル)はこの部族では社交なのだ。皆の見ている前で腕を見せるのが。本気でやりあうような相手には申し入れない。殺す気は全くないという意味合いで申し込むものだ。これが夜会の儀礼だから言うが、使者殿。俺と一戦、手合わせをいかがか」

 こちらを見ずに、族長ヘンリックは億劫そうに誘った。その気怠い調子が、自分に向けられていることは確かだったが、答える必要があるのか、ジェレフには謎だった。

「せっかくですが辞退を。魔法戦士は演武は行いません」

「知っている。お前たちは人の形をした化け物だ。剣一本で戦って勝てる相手ではない」

 苦笑とともに、族長ヘンリックはそう答え、ジェレフの辞退を快く受け入れた。

「昔、お前たちの兄貴分をからかって、危うく焼き殺されるところだった。剣ならともかく、魔法を使えば、お前達にとって、俺など一捻りなのだろう」

 こちらの頭布(ターバン)をした者をひとりずつ眺めて、ヘンリックは言った。彼はエル・イェズラムのことを話しているのだと、皆わかっていた。ギリスが物言いたげで、それと向き合った族長ヘンリックは、少し面白そうに微笑を取り戻した。

「そんな力を持っていながら、お前達はよくも大人しく、あいつに仕えているものだ。湾岸では考えられないことだ。あの顔がそんなに好きか」

 不思議そうに、ヘンリックは尋ねていた。あの顔というのが、族長リューズのことを言っているのは確かだった。ジェレフは返答に困った。顔が好きだから仕えているわけではない。でも、なぜ仕えているのか、改めて考えると返答に窮する。

 たぶん族長が英雄譚(ダージ)を与えてくれるからだろうが、そのあたりの心理をこの場で手短に説明するのはひどく難しかった。

「族長」

 隻眼の男が、ヘンリックの注意を引くため小声で呼びかけた。

 彼の示すほうへ、ヘンリックは目を向けた。

 手合わせの戦いを終えた兄弟たちは、まだ広間の中程に立っていたが、抜き身の剣を持ったままのジン・クラヴィスは、どこか遠くを見やるような後ろ姿をしていた。

 その視線は広間の向こう側に向けられており、そこには豪華に着飾った女性が、どことなく青白い顔色で長椅子に腰掛けており、彼女の子らしい、年の離れた三人の少年たちが傍らにいた。

 末の子らしいひとりはまだ子供で、母親のそばにくっつくように立っており、その隣にはイルスと同じくらいの背格好の、明るい雰囲気のする少年がいた。ジンが見ているのは、母親と向き合って立っている、ずいぶん痩せた気配のする若者だった。

 じっと食い入るように、ジンはその弱ったふうな背中を見つめている。

「止めろ、レスター」

 命じる声で、ヘンリックは隻眼の男に言った。

「手合わせ(デュエル)は男の嗜みです、族長」

 レスターと呼ばれた男は、どこか突っぱねるように答えた。

「母親の前で挑戦させるな。戦う必要はない。ジンが勝つ」

「それを皆の前で確かめて、なにがいけないんだ」

 挑むような微笑みを、隻眼の男は浮かべていた。ヘンリックは真顔で首をかしげて、それを見返した。

 ヘンリックは何も言わなかったが、彼の目はレスターに、命令が聞こえなかったのか、と言っていた。隻眼の男はそれにも、目で答えた。聞こえていますよ、と。

 一呼吸あってから、レスターは腰に帯びていた自分の剣を抜きはなった。

 彼は大仰に大股で広間の中央にいる兄弟のところへ歩いていき、ジンの肩を叩いて振り向かせた。

「殿下、このレスターめと手合わせ(デュエル)を一戦」

 彼の道化師のような戯けた口調に、ジン・クラヴィスは我に返ったように笑った。

 広間を彼らにゆずって、イルスは兄の妻の待つところへ引き上げていった。大きな腹を抱えた彼女はどこか所在なげに立っていた。イルスはそれを励ますように笑いかけ、戦いはじめた兄とレスターを見ている。

「使者殿、出し惜しみして無粋だが、まだ早い。兄弟殺しが見たければ、また四年後に来られるといい。そちらの宮廷とは違って、うちの喧嘩は皆に公開されているのだ。まずは俺の次男が、異腹の兄を平らげるだろう。この中央広間(コランドル)で」

 それを確信しているが、嘆きはしない口調で、ヘンリックが語った。

「仕方がない。王族の定めだから」

 突然ギリスがそう言ったので、ジェレフは心底ぎょっとした。口を利くなと言っておいたのに。

 族長ヘンリックは、小さな子供を見るような視線で、ギリスのほうに顔を向けた。

「お前の言うとおりだ」

 微笑んで、ヘンリックはギリスに答えを返した。

 笑っていると、族長は彼の次男と驚くほどそっくりだ。

 それはその昔、先代の族長と、それを守る者たちを全て斬殺して、族長冠を奪い取った男の顔だった。

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