パスハの南(5)
内心、無意識に玉座の間(ダロワージ)のような場を想像していた面々は、篝火の焚かれた半屋外の宴席に、寄る辺なく集まって立ちつくす羽目になった。
族長ヘンリックからの遣いによれば、ちょうど時が折り合うので、使節団を歓迎する夜会の席で謁見するとの連絡だった。
案内の者に連れられてやってきた王宮の広間は、海を望む高台の庭に向かって開けており、夜風の吹き抜ける中、だだっ広くあいた何も置かれていない床を取り囲むようにして、寝そべって物を食うらしい長椅子と、料理を盛りつけた低い食卓が置かれている。
海辺の種族の貴人らしい人々は、その長椅子で会話しながら食事をしている者もいれば、そぞろ歩いて社交に熱中している者もいる。とにかく、それぞれの行動にまとまりがなかった。
玉座の間に集い、典礼を取り仕切る侍従の号令で皆がいっせいに同じことをしているタンジールの宮廷と引き比べると、ここに集まる意味があるのかと思えてくる。
それに何より、族長がどこにいるのか分からなかった。
玉座がないのだ。玉座がない。
その事実にジェレフはなかなかついていけなかった。
玉座がない。
あらかじめ知っていた事実だが、目の当たりにすると、違和感は絶大だった。
一部族の族長ともあろう者が、宴席にやってきた他の者たちと同じように、この広間のどこかを、うろうろ移動しているというのだ。
朝儀や晩餐の前後であれば、族長リューズも広間を渡って出入りするときに、廷臣たちと親しく口をきくことはあった。でも、それとこれとは根本的に性質が違う。
「ああ、あれかな。夜警隊(メレドン)の礼服が見えますか、あの一団の中に族長がいるはずです」
指さした腕を振り回して、案内にやってきた海エルフの将校は、あけすけに教えた。
その姿を見て、ジェレフをはじめとする黒エルフの一団はぎょっと肝を冷やした。部族の習慣では、相手を指さすのは侮辱する意味を持っていたからだ。
しかし、そんなことを気にする様子もなく、案内係はずかずかと広間を横切って、指さした一団のいるほうへとジェレフたちを引き連れていった。
「族長。族長!」
移動している相手を引き留めるためだろうが、大声で呼びかける案内係に、街で会った友達を引き留めるような気安さがあり、ジェレフは顎が落ちそうになった。
しかし、とにかく、その呼び止める声に、族長を警護しているらしい一団は、こちらが近づくのを待つふうに足を止めた。
「なんだかな……」
ぼやくようにギリスが呟いた。ギリスですら呆れているらしかった。
「イェズラムの言行録には、粗野にして野蛮て書いてあったよ」
「そんなこと死んでも口にするなよ、どうやら謁見らしいから」
情けない気分で、ジェレフはギリスに注意を与えた。しかしエル・イェズラムの批評に賛成する気持ちしか湧かなかった。
「目のやり場に困るよなジェレフ」
ため息をつき、ジェレフは族長の一団を見つめたまま、小さく頷いた。
夜会の広間には、貴人の妻らしい女性たちが、うようよいた。
タンジール宮廷では、男女は同席しないものだったし、公式な席に女が現れることはまずない。竜の涙の女戦士を除いて。
サウザスでは違う。その話も予備知識として知ってはいたが、それがまさか胸のふくらみも露わな、大きく襟のあいた夜会服姿でとは、どこにも書いていなかった。たぶん今までの誰もが、気恥ずかしくて書き漏らしたのだろう。エル・イェズラムでさえそうだったのだ。
「乳しか見えない。乳だらけ」
ギリスが的確なことを言ったが、エル・サフナールが必死の気配のする咳払いをしたので、ジェレフはどうしていいか分からなかった。
「ギリス、わかったから、もう一言も喋るな。頼むから。謁見に集中させてくれ」
こちらに向かって歩いてくる一団の中程に、族長ヘンリックはいた。族長冠をかぶっているから間違いなかった。
目が合うより先に、ジェレフたちは腰を折って深々と一礼した。
跪拝叩頭しなくていいのかと思うが、使者は相手先の宮廷儀礼に倣うのがしきたりだ。このへんが妥協点だった。
顔をあげたジェレフを、族長ヘンリックは微かに首をかしげた姿勢から、微笑して見返した。なにかが面白くて笑ったのだと思えた。自分より十歳ほど年上の海エルフの男は、族長らしい貫禄があるというより、威容を発していた。王宮にいるより、戦陣にいる種類の顔だ。
それを言うなら、族長を警護する者たちも、この広間にいる他の貴人たちの多くも、皆そうだった。まるで戦いの前のような気配が、どことなく張りつめている。
「ようこそ」
端的な口調で、族長ヘンリックは直々に言葉をかけてきた。彼を守っている制服の男達は、まるで猟犬のような忠実さで、族長のごく近くに立ち、微笑みもせずにじっとこちらを見つめている。
凝視するのは黒エルフだけの習慣ではなかったか。じっと見るなと外交儀礼の手引き書には書かれていた。それに反して、自分の目をじっと見つめてくる海エルフたちの青い瞳を、ジェレフはただ見つめ返した。
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