パスハの南(3)

 絶対に同行させるものかと思っていたが、ギリスに異国の街中をひとりで行動させる恐ろしさを考え、ジェレフは彼をボルゲン市内にあるイシュテムの屋敷に伴うことにした。

 呉服商イシュテムの主は、上品な初老の男だった。

 彼は丁重にジェレフたちを出迎え、初対面の挨拶のあとに、エル・イェズラムの死を追悼する言葉を続けた。

「お会いになったことが?」

 ジェレフが尋ねると、イシュテムは頷いた。

「ございます。短期間でしたが、族長閣下はじめ、皆様が当家に滞在されましたので」

 ギリスがなにか発言しそうだったので、ジェレフは黙らせるため彼の足を踏んだ。

「シェラジールの子孫です」

 ギリスに持たせていた鷹の鳥籠を、ジェレフは主に示した。

「イシュテム殿と鷹の忠節を讃え、閣下から褒美を賜ります」

「茘枝(レイシ)ですか」

 当てずっぽうのようだったが、イシュテムは族長リューズが持たせた褒美の一部を言い当てたので、ジェレフは驚いた。

「そうです……なぜ分かったのですか」

「滞在中に、リューズ様が当家にあった茘枝(レイシ)を全て召し上がり、もっと出せとおっしゃるので、もうないと申し上げたら、大変すまないとおっしゃいまして」

 ジェレフはあぜんとしてそれを聞いた。

「必ず返すと約束なさいましたので」

 ふっふっふっと思い出し笑いをしながら、イシュテムは話している。

 ジェレフの中で族長のイメージが崩れはじめた。

「ずいぶん時が流れました」

 ジェレフは言葉もなく頷いた。目の前の商人が知っている族長は、即位したての十八歳で、ギリスより少々成長した程度だ。その時、随行してきたエル・イェズラムは二十代の初めだったはずだから、ちょうど自分がギリスを連れてやってきたのと似たようなものだったのだろう。

 イシュテムは籠の中の鷹に目をやった。

「それで、この鷹めは、族長閣下からどんな名を頂戴したのでしょうか」

「シェラジール85号」

 すかさず答えたエル・ギリスのほうを、イシュテムの主は、彼が冗談だというのを待つように、しばらくじっと見つめた。しかしギリスは言葉を継がなかった。それが本当にこの鷹の名前なのだから、ジェレフもなにも言えなかった。

「族長閣下はお変わりないようで安心しました」

 商人は遠慮なく鷹と褒美を拝領した。

 土産に服をもっていけという主に、仲間に持って帰ってやる衣装を選ばせてもらった。

「ジェレフ、エル・サフナールに女物の服を選んでやれよ。絶対喜ぶから」

「失礼だろ、そんなの」

 頭痛がする気がして、ジェレフは顔をしかめた。餓鬼のくせに英雄譚(ダージ)よりダロワージでの戦歴を稼いでいるらしい。

「サフナはジェレフが好きなんだって。なんでジェレフはもてるんだろう。みんなお前が好きだよな」

 恨みのこもった目で見られて、ジェレフはうろたえた。

「サフナが、ジェレフには弟(ジョット)がいるのかってこっそり聞くから、俺がそうだって言ってやった」

「お前いったいどういう了見だ」

 あまりの話にジェレフは思わず叫んでいた。

「禁欲しろジェレフ……俺が三ヶ月も我慢すんだから。お前だけいい思いするなんて絶対ゆるせない」

「ギリス、お前に恨まれる覚えはないぞ」

「本当にそうか?」

 ギリスの目が怖かった。

「さ。早く選んで皆のところに戻ろうか。明日にはもう出港だからな」

 とりあえず、ジェレフは逃げた。覚えがあるとは思いたくなかった。ただでさえそれは剣呑だったが、その上さらにこの滅茶苦茶な悪童と恋のさや当てをするなんて、想像するだにいやだ。

 そうだったのか、エル・サフナール、とジェレフは思った。それで体力もないのに南行を志願したのか。そんなことタンジールにいる時に言ってくれればいいのに。

 なんだか、大変なことになってきた。無事に帰りたい。無事に帰れるといいのだが。無事に帰れますように。

 信心深くもないはずだが、ジェレフは思わず祈っていた。

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