第47話『気になって』

 個人的に、休日の前日の午後の授業は長く感じることが多い。明日は健康診断があるけど、授業もないし午前中で終わるので、休日に近い感覚だ。

 ただ、今日は杏奈が作ってくれたアスパラの肉巻きのおかげもあって、午後の授業も集中して取り組めた。だから、いつもよりも早く過ぎ去って終礼の時間になった。



 放課後。

 バイトがあるので、火曜日と同じように校門前で杏奈と会うことになっている。

 サクラ達部活組とは別れて、今日も羽柴と一緒に勧誘の嵐に突っ込む。今日が勧誘・仮入部期間の最終日だからか、昨日までに比べてしつこく勧誘してくる生徒がいた。俺達は「バイトをしているから」の一点張りで何とか切り抜けた。

 校門前に辿り着くと、そこには既に杏奈の姿が。


「あっ、先輩方。今日も嵐の突破お疲れ様です」


 俺達に気づくと、杏奈は笑顔でそう言って軽く頭を下げた。


「ありがとう。今日もお疲れ様、杏奈」

「お疲れさん。まあ、あれも今日で終わりだから、昨日までに比べればスッキリした気分だぜ」

「熱量が凄かったですもんね。来年からは少しは穏やかになってほしいです」

「そうだな」


 来年は3年生になるし、ブレザーのジャケットに付いている校章バッジの色で3年だと分かるだろう。それでも、しつこく勧誘する生徒はいそうだ。

 今日も羽柴と一緒にマスバーガーの前まで行く。羽柴はバイトがないそうなので、オリオの中にあるアニメイクに行ってから家に帰るらしい。明日の採血後は体調がどうなっているか分からないので、今日は漫画やラノベをたっぷり楽しむのだとか。

 従業員用の出入口からマスバーガーに入り、スタッフルームに行くと今日も店長はコーヒーを飲んでいた。


「2人とも学校お疲れ様。今日もよろしくね」

「はいっ!」


 今日も杏奈は気合い十分。学校の後なのに元気だなぁ。杏奈の指導やサポートを頑張ろう。

 壁に貼られているシフト表を見てみると……百花さんはシフトが入っていないのか。これまで以上に杏奈のことを気にかけていかなければ。

 火曜日と同じく、言葉遣いなどの復習をしてから、カウンターで接客業務の練習をしていく。

 学校帰りなのもあって、平日の今の時間帯は制服姿の人を中心に若いお客様が多い。カウンターの列が途切れることはないが、杏奈は笑顔で接客していく。杏奈がミスしそうになったり、杏奈が研修中の身なのをいいことに態度を悪くするお客様に相手したりするときは、俺がサポートする。


「お待たせしました。チーズバーガーセットになります」

「ありがとうございます」

「ごゆっくり」


 お客さんが離れた直後、杏奈は「ふぅー」と長く息を吐く。ピークの時間帯で、連続して接客しているので疲れが溜まってきたのかもしれない。中には、態度や言葉遣いが悪いお客様もいたし。

 ポンポン、と俺は杏奈の右肩を軽く叩く。すると、ビックリしたのか杏奈は体をビクつかせ、俺の方に振り向いた。見開いた目で俺を見ている。


「何かダメなところがありましたか?」

「ううん、ちゃんと接客をできていると思うよ。一生懸命にやっているのが伝わってくる。ミスはあるけど、まだ3回目だからね。少しずつでいいから、減らしていくようにしよう」


 そう言うと、杏奈はほっと胸を撫で下ろしている。指摘されたり、怒られたりすると思っていたのかな。可愛い後輩だ。


「だからか、ちょっと疲れが出てきたように見えるんだ。どうかな?」

「まあ……そうですね。カウンターに出てからずっと接客しているので、ちょっと……」

「分かった。先に休憩に入っていいよ。スタッフルームや紅茶やコーヒーを飲みながら、ゆっくりしておいで。もうそろそろお客さんの数が落ち着くと思う。そうなったら、俺も休憩するから」


 こう言えば、杏奈もきっと休憩しやすくなるんじゃないかと思う。

 杏奈は微笑み、小さく頷く。


「分かりました。では、お先に休憩に入りますね」

「うん」


 俺に軽く頭を下げて、カウンターを後にした。

 カウンターに立つと、そこには杏奈の残り香が感じられる。ここで接客の仕事をしていた証だろう。


「お待たせいたしました。次の方どうぞ」


 杏奈に指導をしていたからか、新人の頃のような緊張感もあって。杏奈はここにいないけど、先輩とちゃんと仕事をしないといけないなと思う。

 俺も予測通り、3人接客したところで来客のピークが過ぎてゆく。


「ありがとうございました。またお越しくださいませ」


 お持ち帰りのお客さんを見送ると。次のお客さんは……いない。

 これで俺も休憩に入れるかな。少し長めに息を吐き、レジの休止板を掴んだときだった。


「あ、あの……」


 目の前には制服姿の女の子の姿が。この紺色のブレザージャケットは……私立陽出ひで学院高校の制服だな。学園祭や滑り止めで受験に行ったとき、制服姿の生徒さんがいたので覚えている。

 それにしても、綺麗な顔立ちで一紗に負けないくらい綺麗で長い黒髪だ。一紗と違って、この子は大人しそうな雰囲気だけど。


「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりですか?」

「いえ、持ち帰りで。あと、その……伺いたいことがあるのですが」

「何でしょうか?」

「さっきまでいた金髪の女の子……杏奈ちゃんはここでのバイトをやれているでしょうか? 外からちょっと見ていたんですけど、あなたが杏奈ちゃんにお仕事を教える係なのかなと」

「そうですが」

「やはりそうでしたか。私……杏奈ちゃんとは中学まで一緒のクラスが多くて。中学時代の友達から、彼女がここでバイトをしている姿を見たと教えてもらったので、ちょっと様子を見に来たんです。バイトをしている彼女がどんな感じが気になって」

「そうでしたか」


 このお店は四鷹駅の近くにある。平日の今頃は学生のお客さんもたくさん来るし、女性の友人が来店したのだろう。杏奈の友人が彼女に教えた可能性もあるか。

 杏奈がここで働いているのを知った彼女は、学校帰りにここに来たのかな。スクールバッグを持っているし。


「杏奈ちゃんは、ここでのバイトをやっていけそうですか?」

「やっていけると思いますよ。仕事の覚えも早くて、接客もよくできています。バイトを始めてから日も浅いので、ミスはもちろんありますが。私の新人時代よりも凄くいいです。それに、俺が面倒を見ますので安心してください」

「はい。杏奈ちゃんのことをよろしくお願いします」


 そう言うと、女性は深めに頭を下げた。杏奈のためにこうして頭を下げられるとは。杏奈想いのいい子なんだな。


「もしよければ、杏奈を呼んできましょうか? 彼女、休憩していますので」

「い、いえいえ! いいんです」


 女性は笑みを浮かべながら、激しめに首を横に振った。


「杏奈ちゃんの様子を見て、あなたから杏奈ちゃんの話を聞くのが目的でしたから」


 女性は変わらず笑顔を見せてくれるけど、さっきよりも影があるように見えた。

 俺に杏奈のことをよろしくと言うほどなのに、会わなくていいとは。休憩を邪魔しちゃいけないと思っているのか。それとも、杏奈には会いづらいのか。そこは深く訊かないでおくか。


「そうでしたか。すみません、余計なことを言っちゃって」

「いえいえ。……ええと、アップルパイ1つとアイスティーのSサイズをお願いできますか」

「アップルパイお1つとアイスティーのSサイズお1つですね。ガムシロップとミルクはお付けますか?」

「1つずつお願いします」

「かしこまりました」


 女性から代金を受け取って、注文されたメニューを用意する。杏奈が戻ってくることはないと思うけど、女性は杏奈と会いたくないようなので素早く。


「お待たせしました。アップルパイとアイスティーSサイズでございます」

「ありがとうございます」

「……ありがとうございました。またお越しくださいませ」


 俺がそう挨拶をし、頭を下げようとしたとき、女性は俺に再び頭を下げてきた。杏奈をよろしくということだろうか。

 女性が頭を上げたのを確認した瞬間、俺は普段よりも少し深めに頭を下げた。

 再び顔を上げたときには女性はお店を出ており、四鷹駅方面に向かって歩いて行くのが見えた。

 カウンターで待っているお客様はいなかったので、俺はレジ休止中の看板を置いてスタッフルームに行く。すると、スタッフルームで杏奈が店長と談笑していた。2人ともコーヒーを飲んでいるな。俺もコーヒーにしよう。


「お疲れ様、大輝君」

「お疲れ様です、大輝先輩。意外と時間がかかりましたね」

「杏奈の中学時代の知り合いの女の子が来たんだよ。杏奈がここでバイトしている姿を見たって友達から聞いて、バイトの様子が気になったんだって」

「ほぉ、杏奈君想いだねぇ」

「そうだったんですか。休憩中でしたし、呼びに来てくれても良かったんですよ?」

「俺も会うかって訊いたんだけど、断られたよ。様子を見て、先輩の俺に杏奈がバイトできそうかどうか確かめたかっただけらしい」

「なるほどです。その子の名前は?」


 名前は……あっ。


「……ごめん、訊くのを忘れた。ただ、陽出学院高校の制服を着ていたよ。黒髪のロングヘアだったね」

「おぉ、陽出学院か。確か、下り方面に4つ隣の伯分寺駅の近くにある私立高校だね。レベルもなかなか高くて、昔から東京郊外では五本指に入る人気校だよ」

「俺も滑り止めで受験しました」

「おぉ、そうだったのかい」


 陽出学院は偏差値的に自分のレベルに合っていたから。俺も学校説明会や試験に行ったときは、校舎の立派さに驚いた。関東や全国レベルの部活もあるそうだし、地方から進学してくる生徒もいる。レベルの高い大学への進学率も高いので、陽出学院を第一志望に受験する生徒も多いのだとか。

 あと、陽出学院に進学した中学時代の友人の話だと、在学中の美人女子生徒が管理人をしているアパートが学校の近くにあるらしい。漫画やラノベみたいな話だが本当なのだとか。


「陽出学院……黒髪ロングヘア……なるほどです」


 独り言のように言うと、杏奈はしんみりとした笑顔になり、コーヒーを一口飲んだ。


「先輩の話を聞いて、誰なのか何となーく見当がつきました。教えていただきありがとうございます」

「いえいえ。……ところで、杏奈はちゃんと休めているか?」

「はい。コーヒーと店長さんとのお話のおかげで休めています」

「ちなみに、話題は健康診断だよ。四鷹高校は明日、健康診断があるんだってね」

「そうです。授業がないので俺はいいのですが……サクラと羽柴が採血を怖がっていて」

「ははっ、杏奈君からも聞いたよ」


 店長は低い笑い声をスタッフルームに響かせる。

 おそらく、明日が健康診断だから、杏奈は店長にその話題を振ったのだろう。


「ちなみに、店長は注射ってどうですか?」

「小さい頃は嫌だったけど、この歳になると何とも思わなくなってきたね。50代になったし、年に一度の健康診断は、自分の体の状態を知るいい機会だと思っている。採血も大切だと思えるよ。血液検査で分かることも多いからね」


 さすがに店長は言うことが違うなぁ。きっと、年齢を重ねた人だからこそ出る言葉なのだろう。重みを感じる。


「まあ、この歳になっても、異常な数値が出たことはないけどね」


 きっと、それは萩原店長だからこそ言えることだろうな。そういえば、店長から大病を患ったのはおろか、風邪を引いたという話すら聞いた覚えがない。スラッとしているし、今の話を聞いたら『ヘルスダンディズムおじさん』に見えてきた。


「みんなの健康状態が良好であることを祈っているよ。君達2人は特にね」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます。採血は初体験なのでドキドキします」

「そうか。まあ……明日、健康診断が終わったら、採血した感想を教えてくれ」

「分かりました」


 明日の健康診断の後にちゃんと会えるといいけど。サクラや羽柴とは違って、注射はあまり怖がっていないようなので大丈夫だと思うが。

 お手洗いに行き、砂糖入りのコーヒーを飲んでから、再び杏奈と一緒に接客の業務をする。

 もしかしたら、さっきの女の子がまた様子を見ているかもしれない。そう思い、たまにお店の出入口の方を見る。しかし、彼女の姿を見ることは一度もなかったのであった。

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