第43話『お願いしたいこと』

 4月15日、水曜日。

 いつもなら、水曜日は1週間の学校生活の折り返し。ただ、今週は金曜日に健康診断があるため、今日から後半戦。それだけでも、いつもより気持ちが軽くなる。

 今日ある本年度初めての授業は4時間目の芸術科目のみ。書道を選択している一紗は音楽を選択している俺達と別れるため、とても寂しそうにしていた。



 放課後。

 終礼が終わり、サクラ達と一緒に教室を出たとき、ブレザーのポケットに入っているスマホが鳴る。確認すると、LIMEで杏奈から新着メッセージが送られたと通知が。今日はバイトがないけど……何かあったのかな。不安な気持ちを抱きつつ確認する。


『大輝先輩にお願いしたいことがありまして。この後、お時間はありますか?』


 俺にお願いしたいことが何なのか見当がつかないけど、今日は何も予定はない。なので、杏奈に『大丈夫だよ』と返信する。

 すると、俺の返信にすぐに『既読』マークが付き、


『ありがとうございます! では、校門前で待ち合わせでもいいですか?』


 10秒も経たないうちに杏奈からメッセージが送られてきた。

 俺は『了解!』という文字付きの、敬礼する白猫のスタンプを送った。杏奈はバイト以外だと、敬礼して「分かりました!」と言うことが多いから。


「どうしたの? ダイちゃん」

「杏奈が俺に用があるそうだ。俺にお願いしたいことがあるらしい。だから、校門の前で待ち合わせすることになった」

「そうなんだ。バイトで指導しているから、頼られているんだね」

「カウンターで優しく教えていたものね。何かあって、大輝君に頼みたいことがあるのでしょう」

「かもね。杏奈ちゃん、昨日も速水君と楽しそうに話していたし。後輩に頼られてるねぇ」

「じゃあ、今日は俺一人で下校するよ。バイトあるし」

「分かった」


 昨日までと同じように、昇降口を出るまでの間に部活のあるサクラ、一紗、小泉さんとはお別れ。

 羽柴と一緒に、部活や同好会の勧誘の嵐を切り抜け、校門の前に辿り着いた。しかし、杏奈の姿はまだない。何かあったのだろうか。とりあえずはここで待つか。


「小鳥遊はまだ来ていないのか」

「ああ。今日もバイト頑張れよ、羽柴」

「おう。また明日な」


 羽柴は俺に小さく手を振ると、自転車に乗って四鷹駅方面へ走っていった。

 1人で待ち始めたら、杏奈がどんなお願いをしてくるのか急に不安になってくる。先輩として、できるだけのことは協力したいけど。でも、内容によってはちゃんと断って、叱らなきゃいけないな。


「ごめんなさい。待ち合わせしている人がいるので……」


 おっ、学校の方から杏奈の声が。いつもこういう感じで勧誘を断っていたのかな。

 学校の方を見るとちょうど、勧誘エリアから杏奈が抜け出したところだった。そんな杏奈はちょっとお疲れ気味のようで。


「ふぅ……あっ、大輝せんぱーい! お疲れ様です!」


 俺と目が合うと、杏奈はニッコリと笑みを浮かべる。


「遅れてごめんなさい。うちの担任が教室に来るのが遅くて、ついさっき終礼が終わりまして」

「そうだったんだね。今日くらいの遅れなら全然かまわないよ。ただ、バイトへ行く待ち合わせのときは、かなり遅れるのが分かる時点でメッセージを入れるようにしよう。場合によっては、俺が先に行って店長に言っておくし」

「はい、分かりました」


 俺も気をつけないと。


「さっそく本題に入るけど、俺にお願いしたいことって何なんだ?」


 俺がそう問いかけると、杏奈は急に真剣な表情なって俺を見つめてくる。そういう反応をされると怖いのですが。


「実は……国語総合の宿題を手伝ってほしいんです。古典の範囲なんですけど」

「古典か。うん、俺でよければいいよ」

「ありがとうございます! あたし、中学の頃から古典は苦手で……」


 杏奈はニッコリと笑顔を見せてくれる。杏奈は古典が苦手なのか。それじゃ、文系クラスの上級生に助けを求めたくなるか。


「それじゃ、どこでやろうか。外に出ちゃったけど、学校に戻って図書室でやるか?」

「校内に戻ったら、あの勧誘する生徒達にまた絡まれることになりますよ。下手したら2度。それだけで疲れてやる気がなくなりそうなので、それは避けたいなーって」

「……確かに」


 大々的な勧誘期間は今日を含めて残り2日。さっき、羽柴と通ったときもかなり熱の入った勧誘をされてしまい疲れた。杏奈の言うとおり、図書室に行くまでに疲れてしまう可能性は高いだろう。校内へ戻るのは選択肢から外した方がいいだろう。


「じゃあ、図書館に行くか? 学校からだと徒歩10分くらいのところに、四鷹市の図書館があるんだけど。道順は知っているし、帰りも駅まで送るぞ」

「図書館ですか。まあ、受験生のときに、気分転換に武蔵原市の図書館で勉強したことはありましたけど。ただ、図書館には色々な人がいますからね。たとえ、勉強を教える声でも、うるさく感じてしまう人がいるかもしれません。ちょっとだけならまだしも。もしかしたら、たくさん先輩に訊いてしまうかもしれませんし」

「それも一理あるな」


 四鷹市の図書館には『館内はお静かに』のポスターが貼られている。勉強に関することでも、たくさん話してしまえば周りの人に迷惑をかけてしまうかもしれない。図書館は避けた方が無難か。

 学校の図書室も図書館もダメか。今まで、誰かと一緒によく勉強する場所といえば、


「……どっちかの家かな。女子の杏奈の家によりは……俺の家の方がまだいいのかな。それでも俺と2人きりだから、杏奈さえよければだけど」


 俺がそんな提案をすると、杏奈はう~んと考える。

 俺の家に誘うのはまずかったかな。マスバーガーや喫茶店って言った方が良かったかもしれない。


「杏奈。別に俺は他の――」

「いいですよ。大輝先輩の家で。去年から、お客さんとして先輩とはたくさん話してきましたし、先輩の部屋がどんな感じなのかなぁって興味がありましたから。それに、先輩の部屋なら他に人はいませんから落ち着いて宿題に取り組めそうですし」

「そうか。俺の方も宿題があるし、うちで一緒にやるか」

「はいっ!」


 今日一番の笑顔を見せてくれる杏奈。もしかしたら、最初から俺の家で宿題を教えてもらおうと思って、校門前で待ち合わせしたのかもしれないな。

 俺は杏奈と一緒に自宅に向かって歩き始める。まさか、杏奈と2人きりで家に帰る日が来るとは。

 先日の一紗のように、杏奈は周りの景色をよく見ている。


「もしかして、こっちに来るのは初めてか?」

「はい。中学生までは、南口の方は駅周辺と四鷹高校くらいしか行かなくて。この前、猫カフェで先輩方と会った日に行った友達の家は、こっち方面じゃなかったので」

「なるほどね」


 俺も中学を卒業するまでは、学区外である北口の方は駅周辺のお店や、この前、サクラとタピオカドリンクを飲んだ広場くらいしか行ったことがなかった。高校に入学してからも、羽柴など武蔵南中学出身の友人の家や、百花さんの通っている日本芸術大学くらい。だから、今の杏奈の話には頷けた。

 気づけば、四鷹こもれび公園が見えてきた。


「へえ、南口の方にも広くて落ち着いた公園があるんですね」

「四鷹こもれび公園って言うんだ。サクラとは小さい頃からよくここで遊んだり、どこか遊びに行ったりするときの待ち合わせ場所にしてた。あと、今はすっかり葉桜になったけど、お花見シーズンには綺麗に咲くんだ。だから、お花見スポットとして人気なんだよ。春休みには、サクラと小泉さんと羽柴達と一緒にお花見したんだ」

「そうだったんですか。もし、来年もお花見をするなら、そのときはあたしも誘ってくださいね」

「ああ、もちろんさ」


 来年のお花見は今年以上に楽しくなりそうだ。


「公園の近くにスーパーがあるけど、何か買っていくか?」

「いいですね。甘いものがあると勉強も捗りますし、やる気も出ますよね。大輝先輩とですから、やっぱり……マシュマロですかね?」

「食べたいマシュマロがあれば買うか。杏奈もマシュマロ好きだもんな」

「はいっ」


 公園の中を歩いて、近所にあるスーパーへ向かう。

 そういえば、今日は母さんが午後6時くらいまでシフトが入っているんだっけ。そう思いながらスーパーの中を歩くと、


「あら、大輝」


 精肉売り場の近くで、パートの制服姿の母さんと出くわす。


「母さん、パートお疲れ。彼女は高校とバイトの後輩の小鳥遊杏奈さん」

「前に文香ちゃんがスマホで写真を見せてくれたから顔を覚えてる。実際に見るととっても可愛いわね。私、大輝の母の優子といいます」

「小鳥遊杏奈といいます、初めまして。先輩には主にバイトの方でお世話になってます」

「いえいえ、こちらこそ」

「若くて綺麗な方ですね」

「ふふっ、ありがとう。杏奈ちゃんとても可愛いわ!」


 母さんはとっても嬉しそうな様子で、杏奈の頭を撫でる。そのことで、杏奈は柔らかな笑みを浮かべる。


「こんなところに2人きりでどうしたの?」

「これから家で杏奈に勉強を教えるんだよ。何か甘いものがあった方がいいよねって話になってここに来た」

「そうなんだ。文香ちゃんは部活があるし、お母さんもパートがあるから、6時頃までは2人きりね。ふふっ、青春だわぁ」


 何を想像しているのか、母さんはとっても楽しそうな表情になる。2人きりという母さんの言葉にでもドキッとしたのか、杏奈の頬がほんのりと赤く染まる。


「大輝。2人きりだからって杏奈ちゃんに変なことをしちゃダメよ?」

「するわけないって」

「……先輩はあたしが嫌がるようなことをする人じゃないと思っています。ですから、先輩の家で宿題を教えてもらおうと決めたんです」


 母さんが相手だからかもしれないけど、杏奈がそう言ってくれることが嬉しい。

 今の杏奈の言葉を信じてくれたのだろうか。母さんは「ふふっ」と落ち着いて笑う。


「そうなのね。文系クラスに進んだ先輩らしく、杏奈ちゃんの分からないところをしっかりと教えてあげなさいね。今まで、文香ちゃんやお友達にたくさん勉強を教えてきたから大丈夫だと思うけど」

「ああ。そこはしっかりやるよ。じゃあ、またな。パート頑張って」

「頑張ってください。失礼します」


 俺は杏奈と一緒にお菓子売り場へ向かう。

 お菓子売り場には数種類のマシュマロがあり、その中にはこの前文香が食べさせてくれたオレンジマシュマロもあった。

 杏奈の好きなものでいいと言うと、彼女があまり食べたことがないグレープマシュマロを買うのであった。

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