第42話『嘘にはしない』

 午後5時半。

 来客のピークが過ぎたので、俺と杏奈はスタッフルームで休憩を取ることに。俺はアイスコーヒー、杏奈はホットティーを飲む。すると、杏奈はまったりとした表情に。


「紅茶美味しいです」

「そうか。ここまでお疲れ様。たくさん接客したから、あっという間に今日のバイトもあと半分になったな」

「そうですね。次々とお客さんが来るので、自然と接客に集中してました。だからか、今になってどっと疲れが……」


 苦笑いする杏奈。


「まだバイト2回目だもんな。ちょっと長めに休憩しようか。あと、仕事に慣れてくるまでは、こまめに休憩を入れるようにしよう」


 こういう部分でも、先輩として杏奈を気にかけていかないといけないな。反省だ。

 思い返せば、俺が新人の頃は百花さんが、


『大輝君。先に休憩入ってて』

『大輝君はもうちょっと休んでいていいからね』


 と、俺を気遣ってくれる言葉を色々と言ってくれたっけ。杏奈の指導係になったけど、俺も先輩として学ぶことがたくさんあるな。


「疲れましたけど、接客は楽しいです。それに、今日は兄も来てくれましたし」

「妹想いのお兄さんだよね」

「先輩にそう思ってもらえて良かったです。あたしが小さい頃は可愛いとよく言っていて。シスコンと言っても過言ではないですよね。友達から妹バカって言われることもあったんですよ。兄が中学生になってからは落ち着きましたけど」

「そ、そうなのか」


 あれでも落ち着いたんだ。

 和奏姉さんも弟バカって言われたことはあるのかな。弟君のことが本当に好きなんだねぇ、と姉さんが友人に言われているところを見たことはあるけど。


「小鳥遊先輩は金髪でイケメンだから、メガネ羽柴って感じだよな」

「ふふっ。あたしも、中学のときに初めて羽柴先輩を見たとき、裸眼のお兄ちゃんっぽいなって思いました。羽柴先輩は兄よりも背が高くて、髪型もちょっと違いますけどね」


 そういえば、昨日の放課後、杏奈が羽柴に「メガネを外した兄のようだ」って言っていたな。恋愛対象にならないとも。お兄さんと似ていると、恋愛的に意識しにくいのかな?


「小さい頃は鬱陶しいなって思うこともあったんですけど、今から考えると、あたしのことが好きだからなんだろうって微笑ましい気分になりますね」

「その気持ち分かる。俺にも3つ上の姉がいるんだけど、姉さんはブラコンでさ。俺が小さい頃は特にベッタリするときもあって。去年の春、大学進学のために一人暮らしを始められたと思うよ。だからか、帰省したときは必ず一度は俺のベッドで一緒に寝るし」


 さすがに、一緒にお風呂に入ることまでは言えない。それを言ったら、引かれてしまうか、からかわれてしまうかもしれないから。


「今の話だけでも、強いブラコンの片鱗を伺わせますね」

「だろう? 本人はこれでもブラコンだと思っていないらしい。ナンパされたときは、俺とのツーショット写真を見せてブラコンだと嘘つくんだって」

「……自覚していないところにブラコンの深さを感じますね」

「それでも、帰省して姉さんの顔を見ると安心するよ。去年の春まで一緒に住んでいたからね」

「なるほどです。お兄ちゃんと離れたら、そう思うようになるのかな……」


 そう呟きながら、杏奈はホットティーを飲む。

 それにしても、お兄ちゃん……か。小さい頃、兄になったり、呼ばれたりすることに憧れていた時期もあったな。杏奈は顔も幼い雰囲気なので、お兄ちゃんって言われたら凄くしっくりと来そう。一回呼んでほしいなと思うけど、パワハラとかセクハラになりそうだ。止めておこう。


「あぁ、ホットティーを飲んで、先輩とお話ししたら疲れが取れました」

「それは良かった。じゃあ、引き続き、接客の練習をしていこうか」

「はい!」


 俺達はスタッフルームを出て、フロアへと向かおうとする。すると、フロアから店長がやってくる。


「大輝君。杏奈君にゴミ処理については教えたかい? 入り口にある一般の方のゴミ袋が満杯になっていてね」

「満杯になったときの対処はまだですね」

「じゃあ、指導も兼ねて、外のゴミステーションに捨ててきてくれるかな」

「分かりました。入り口近くのゴミ箱の一般ゴミですね」

「そうだよ。よろしく頼むね」

「分かりました。……ということで、接客の練習の前にゴミ処理について教えるね」

「はい!」


 俺は杏奈にゴミ箱が満杯になったときの手順を教えていく。手順をメモして、疑問に思ったことは質問してくれるので教え甲斐がある。

 満杯になったゴミ袋を持ち、俺は杏奈と一緒に従業員用の出入り口から外に出る。その近くに、うちのお店のゴミステーションが置かれている。


「これは一般ゴミだから左側のフタを開けて、その中に入れるんだ」


 俺は左側のフタを開け、一般ゴミがたくさん入ったゴミ袋を入れる。


「これで終わり。ブラスチックのゴミ袋は右側のフタを開けて入れるようにしてね」

「はい。一般は左で、プラスチックが右ですね」

「そうだよ。もし忘れちゃっても、フタを開けて、中に入っているゴミ袋を見れば分かるけどね。ゴミ袋は透明だし。一般ゴミだったら、ハンバーガーやポテトの紙が見えるし、プラスチックのゴミならカップのフタやストローが見える」


 2、3回ほどどっちに入れるか忘れて、その方法で確認したことがある。こういう方法を教えてもいいだろう。


「おぉ、君可愛いじゃん」

「今バイト中? 制服姿凄く可愛いねぇ」


 そんな男達の声が聞こえたので、俺は声がする方へと顔を向ける。すると、そこにはいかにもチャラそうな若い男が2人立っていた。大学生だろうか。東都科学大学や日本芸術大学の学生かな。

 ニヤニヤした男達の視線の先にあるのは……もちろん、杏奈だ。ナンパか?


「なあ、バイトが終わったら俺達と一緒に遊ばない?」

「お金は全部こっちが出すからさ。バイトの後だと疲れているだろうし、ゆっくりできる場所に行くのでもいいぞ」


 やっぱりナンパなのであった。


「……あたし、あなた達のような人は興味がありませんから。お断りしますね」


 微笑みながら、杏奈は男達にはっきりと言う。こういう風に言い寄られることは慣れているのかな。ただ、両脚が少し震えている。

 というか、ゆっくりできる場所に行くのでもいいだなんて。下心があるのが丸わかりじゃないか。

 男達は口元では笑っているものの、杏奈に断られたからか目つきが鋭くなっている。少しずつ杏奈に近づいていく。とても可愛らしい杏奈を前にして諦められないのだろう。


「そうは言わずに付き合ってくれてもいいじゃないか」

「食わず嫌いって言うの? 一度も試さずに断るのはお兄さん良くないと思うんだよなぁ。お金は出すんだし悪くはないだろ?」

「……すみませんね」


 俺は杏奈と男達の間に割って入る。


「彼女、バイトが終わったら私と約束があるんですよ。だから、今夜はあなた方に遊ぶことはできません。それに、これからもそういうことはないんだろう?」

「……はい」


 真面目な様子でそう言うと、杏奈は俺のエプロンの裾を掴んだ。


「本人もこう言っているので、二度と彼女に近づかないでください。彼女に何かしたら、バイトと学校の先輩として私が許しません」


 このくらい言わないと、この男達は杏奈に何かするかもしれない。

 すると、男達は「ちっ」と舌打ちし、口元までも不快感を示すように。


「予定があるんだったら最初からそう言えよ」

「だよな。でも、顔は可愛いけど、胸は小さそうだから楽しめねえよ」

「そうだな。お子様仕立てって感じだ。興味失せた。そいつの言うとおり、二度と声かけねえから」


 男達はそんな捨て台詞を吐いて、俺達の元から立ち去った。暴力を振るわれるかもしれないと思っていたけど、そういう事態にならなくて良かった。


「何事もなく済んで良かった」


 そう言い、杏奈と目が合うと彼女は優しく微笑んだ。


「……そうですね。先輩が側にいて、とっさにあたしと予定があると、嘘をついてくれたおかげです。ありがとうございました」


 杏奈は俺に対して深く頭を下げる。俺が彼女の側にいて本当に良かったなと思う。


「いえいえ。ただ、最初に杏奈はしっかりと断れていたね。今までにもこういう経験はあったの?」

「はい。中学時代に何度かありました。兄や兄の友人のおかげで、少し年上の男の人と話すのが慣れているのもあって、断りの言葉はすんなりと出ます。でも、今のようなことは怖いですね」


 やっぱり、あの2人に言い寄られたことが怖かったのか。あのとき、両脚が震えていたもんな。


「だから、先輩が側にいて良かったです。一人じゃどうなっていたか」

「……もし何かあったら、いつでも言ってくれ。さっき言ったように、俺はバイトと学校の先輩なんだからさ」


 俺は杏奈の頭を優しく撫でる。杏奈の金髪はとても柔らかく、サクラとは違ったシャンプーの甘い匂いがほのかに感じられる。


「……って、ごめん。小さい頃は特に、何かあったときはサクラや姉貴に頭を撫でられていたからさ」


 慌てて杏奈の頭から手を離すと、杏奈はほんのり頬を赤く染めながらも、笑みが消えることはなかった。


「い、いえいえ。いいんですよ。大輝先輩ですから。撫でられて気持ち良かったですし、頭から先輩の温もりが感じられて安心しましたし。あと、先輩がそう言ってくれて嬉しいです。頼りにしていますね」

「ああ。それじゃ、カウンターに戻って接客の練習をするか。あんなことがあったから、少し休憩を入れるか?」

「いえ、もう大丈夫です!」


 ふんす、と杏奈は鼻息を鳴らし、普段通りの元気いっぱいの様子に。


「そうか。でも、無理はするなよ」


 俺は杏奈と一緒に店内へと戻り、彼女の接客の様子を見守っていく。

 若い男性のグループが来ても、杏奈は笑顔でしっかりと接客している。どうやら、あのことがトラウマにはなっていないようだ。そのときよりも、6時を過ぎて一紗に接客をするときの方が警戒しているように見えた。

 さっきの男達が来ないかどうか警戒していたけど、そういう事態になることはなく、今日のバイトは無事に終わった。


「杏奈、お疲れ様」

「お疲れ様です」

「……杏奈、この後予定あるか?」

「いえ、特にはありませんが」

「じゃあ、オリオにでも行くか」

「えっ?」


 杏奈はきょとんとした様子で、俺のことを見てくる。


「さっきの男達が見張っている可能性もゼロじゃないからな。俺とすぐに別れたら、男達に嘘をつかれたと逆上されるかもしれない」

「なるほどです」

「あと、今日のバイトを頑張ったご褒美に、自販機で何か好きな飲み物を1本買ってあげるよ」

「ありがとうございます!」


 そう言う杏奈は、バイト直後とは思えないほどの元気そうな笑みに。

 それから、俺と杏奈はオリオ四鷹店に行き、あの男達がいないかどうか注意しながら、30分ほどお店の中を回った。ただ、男達に会ったり、それらしき人を見かけたりすることはなかった。どうやら杞憂だったようだ。

 アニメイクなどの専門店にも足を運んだけど特に何も買わず、休憩スペースにある自販機で、杏奈にペットボトルのオレンジティーを買ってあげた。そのときの杏奈はとても嬉しそうで。あと、自分へのご褒美にボトル缶の微糖コーヒーを買った。


「大輝先輩。今日はお疲れ様でした。残りのオレンジティーは家でいただきますね」

「ああ。今日はお疲れ様。気をつけて帰れよ」

「はいっ! 明日はバイトがないので会うかどうかは分かりませんが……一応、また明日です」

「ああ。また明日な」


 四鷹駅の北口で杏奈と別れ、俺は帰路に就く。

 この時間になると空は暗くなっており、空気も肌寒い。でも、冬の間とは違って、歩くとすぐに心地良い温かさが全身を包む。オリオで買った缶コーヒーを一口飲むと、コーヒーの冷たさがいいと思えるのであった。

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