第44話『後輩と二人きり』

「さあ、入ってくれ」

「お邪魔します」


 スーパーを後にしてから数分。俺は杏奈と一緒に帰宅した。

 父さんが会社を早退したり、和奏姉さんが突然の帰省をしたりすることはなかったので、家には誰もいない。後輩とはいえ女子高生。杏奈と2人きりのこの状況に緊張し始めてきた。

 初めて来る場所だからか、杏奈はキョロキョロと周りを見ている。可愛いな。

 さっそく、杏奈を自分の部屋へ案内する。突然だけど、このまま部屋の中に入れても大丈夫だろう。


「ここが俺の部屋だ」

「失礼しまーす。……へえ……」


 杏奈は俺の部屋に入ると、興味津々そうな様子で中を見渡す。俺の部屋を見て、どんなことを思っているのだろうか。


「綺麗な部屋ですね。今までに行った男の子の部屋は散らかっていることが多かったですから、意外です。といっても、兄や親戚の子以外ほとんど行ったことがないですが」

「ははっ、そうか。読んでいる小説や漫画とかは、テーブルやベッドの上に置きっぱなしにするけど、読み終わったらすぐに本棚に入れるようにしているからな。CDやBlu-rayも、すぐに聴いたり観たりする以外はさっさと棚へ戻すし」

「なるほどです。てっきり、御両親や文香先輩にお掃除してもらっているのかと思いました」

「さすがに自分の部屋の掃除は自分でやるよ」


 俺……掃除はあまりしないイメージを持たれているのかな。それとも、今まで見てきた男の子の部屋が汚いことが多いから、杏奈の中では「男子は掃除を全然しない」という概念が根付いているのか。

 今日も晴れて部屋の中が暖かくなっているので、2つある窓を少しだけ開ける。


「本棚にある小説や漫画の数が凄いですね。もう少しで溢れそう」

「定期的に整理しないと、溢れて床の上に平積みすることになるんだ」

「分かります。あたしも、巻数の多い漫画にハマったときとか、本棚に入りきらなくなることがありますね」

「あるある」


 アニメが面白かったことをきっかけに、原作漫画を第1巻から最新巻まで買ったときとかは本棚に入りきらなくなることがある。あと、高校に入学してからは、バイトのお金で今まで以上に漫画やラノベを買うことが多くなっているし。


「こんなにたくさん本があると、厭らしい本が隠れていそうですね」

「描写が過激な作品がある恋愛漫画はあるけど、成人向けの作品はないなぁ」

「本当ですかぁ?」

「本当だよ」


 俺の言葉を信じていないのか、杏奈はニヤニヤして俺を見てくる。お兄さんや親戚の男の子の部屋には成人向けの本があるのかい?

 というか、成人向けの本を買うくらいなら、幼馴染ヒロインの漫画やラノベを買う。もし、それらのハイブリッド的な作品があったとしたら、こっそりと購読して、しっかりと隠しておくかもしれない。


「話は変わるけど、隣がサクラの部屋だ」

「本当に変わりましたね。どんな感じなのかちょっと気になりますけど、文香先輩がいるときに見ることにしましょう」

「それがいいね。杏奈。飲み物を持ってくるけど何がいい? コーヒー、紅茶、麦茶とかならすぐに出せるけど」

「ええと……じゃあ、アイスコーヒーをお願いできますか。マシュマロもありますのでブラックで」

「了解。……じゃあ、そのテーブルで一緒に宿題をやろう。その周りにあるクッションにでも座ってくつろいでて。荷物は部屋の端とか適当に置いてくれていいから」

「はーい」


 グレープマシュマロをテーブルに、スクールバッグを勉強机の上に置き、俺はアイスコーヒーを作るために、部屋を一旦後にする。

 1階のキッチンで、杏奈と自分の分のアイスブラックコーヒーを作る。こうしていると、彼女が常連客としてマスバーガーに来てくれていたときのことを思い出すな。

 まさか、常連客の子が高校の後輩になり、バイトの後輩にもなり、こうして自分の家で2人きりで過ごすことになるとは。世の中、何が起こるか分からないものだ。


「お待たせ」


 自分の部屋に戻ると、ワイシャツ姿になった杏奈が俺のベッドに寄りかかってウトウトしていた。その姿は可愛らしい。

 テーブルには国語総合の教科書やノート、課題プリント、筆記用具が置かれている。


「杏奈。アイスコーヒーを作ってきたよ」

「……あっ、大輝先輩。学校もありましたし、この部屋が暖かいですから眠くなってきちゃって。窓から入ってくる涼しい風も気持ちよくて。それで、ちょっとの間、先輩のベッドを背もたれにしていました。柔らかくて気持ちいいですね」

「ははっ、そうか。じゃあ、一口でもアイスコーヒーを飲んで、シャキッとしてから宿題をしようか。マスバーガーのブラックコーヒーと同じくらいの苦さにしたよ」

「ありがとうございます」


 そう言うと、杏奈は置かれた教科書に一番近いクッションに座る。そんな彼女の前と、ベッドの近くにあるクッションの前にマグカップを置く。

 俺の方も課題があったり、小テストが控えていたりするけど……化学基礎の課題と、英単語の小テストの勉強をするか。必要なプリントやノート、英単語帳などを持ってテーブルに向かった。


「先輩は化学と英語ですか」

「ああ。化学は課題。英語は単語の小テストの勉強だ」

「そうなんですか。あたしのクラスも英語表現でたまに小テストをやるんですよ。あっ、コーヒーありがとうございます。美味しいです。冷たくて苦みがあるので眠気が飛びました」

「それは良かった。じゃあ、課題をしていくか。最初から教えてほしいか?」

「まずは教科書とノートを見ながら、自力で解いてみようと思います。それで、分からなくなったら先輩に訊くという形でもいいですか?」

「分かった。俺のことは気にせずにいつでも訊いてくれていいからね」


 こう言っておけば、勉強をしている俺のことを気遣ってなかなか訊けない……って状況にはならないはずだ。まあ、杏奈はバイトでも分からないことや気になったことはすぐに訊ける子だから、大丈夫だとは思うけど。

 グレープマシュマロの袋開けて、俺は一つマシュマロを食べる。俺に続いて杏奈も一つ。


「ちょっと酸味もあって美味しいですね」

「美味しいよな。今日みたいに学校帰りにたまに買うんだ」

「そうなんですね。マシュマロパワーでやる気出てきました!」


 ふんす、と鼻を鳴らす杏奈。これがやる気のある彼女のサインなのだろうか。

 杏奈のすぐそばで、俺は化学基礎の課題に取り組む。

 去年習った理科の科目は物理基礎と生物基礎だったので、化学は中学以来だ。でも、まだ最初の方なので、俺にとっては簡単な内容。今日の授業の復習をするのにはちょうどいい。

 杏奈の方を見ると……教科書を逐一見ながら、課題プリントに取り組んでいるようだ。その様子は真剣そのもの。普段よりも大人っぽく感じられる。授業でもこんな雰囲気なのかな。

 問題の量もそこまで多くないので、化学基礎の課題プリントはすぐに終わった。なので、英単語の小テスト勉強を始めようとしたときだった。


「大輝先輩。教えてほしいところがあるのですが……いいですか?」


 パッチリした目で俺を見つめながらそう言う杏奈。


「うん、いいよ。どこかな」

「この問題なんですけど……」

「どれどれ……」


 古典の課題プリントを見ると、問題は内容は古語を現代仮名遣いに訳したり、意味を答えたりするのか。解答欄を見ると、ところどころ空欄になっている問題がある。まずは分かりそうな問題は解答を書き込んで、分からない問題をまとめて訊こうと考えたのかな。

 俺の予想は当たっていたそうで、杏奈は解答を書いていない問題について次々と質問してくる。古典が苦手と言っていただけあって、簡単な古語についても分からないようだった。なので、そういった言葉を中心に丁寧に教えていく。

 杏奈は本当に分からないところはさらに質問してくるし、大切だと思ったことはノートにメモしてくれるので教え甲斐がある。


「……だから、この答えになるんだ」

「そうだったんですね。これで古典の宿題が終わりました! 先輩、ありがとうございました!」

「いえいえ。疑問が解けて何よりだよ。それに、2年でも古典はあるから、俺にとってもいい復習になった。ありがとう」

「とんでもないです。文香先輩達の言うとおり、大輝先輩の教え方は分かりやすかったです。これからも勉強を教えてもらってもいいですか?」

「もちろんだよ」


 同級生から分かりやすいと言われるのは嬉しいけど、後輩から言われるのも結構嬉しいもんだな。


「ちなみに、お兄さんに勉強を教えてもらうことはあるのか?」

「理系科目と英語を教えてもらうことはありますね。ただ、文系科目は苦手なようで。高校時代は現代文や日本史は平均点を取れたそうですが、古典や世界史は赤点を取らないことに必死でしたね」

「そうだったんだ」


 東都科学大学っていう理系の国立大学に進学しただけあって、理系科目や英語科目はお兄さんに教えてもらうんだな。あと、古典や世界史は苦手か。その2科目は1年生で習うので、これから杏奈に俺が教えることになりそうだ。


「……もう、とっくに5時が過ぎていたんですね」

「杏奈がたくさん質問してくれたからな。俺だけかもしれないけど、誰かと一緒に宿題をやったり、勉強したりすると、あっという間に時間が過ぎていることは結構あるんだ」

「あたしもそれはありますね。1人で勉強していると逆に、30分くらい経ったと思ったらまだ10分くらいしか経っていないこともあって」

「あるある。それで課題が終わっていたり、区切りのいいところまで勉強できたりしていたら得した感じになるだろうな。でも、そういうときってあまり進んでないことが多いんだよな……」

「それも分かりますね」


 ふふっ、と楽しそうに笑いながら杏奈はグレープマシュマロを一つ食べる。こういうことでも、共感してもらえるのは嬉しいもんだな。


「大輝先輩。課題を助けてくれたお礼がしたいのですが」

「お礼かぁ。別に俺はなくてもいいけれど……」

「それじゃ、あたしの気が済まないといいますか。先輩だったら……どんなお願いをしてくれてもいいんですよ?」


 上目遣いで俺を見つめ、普段よりも甘い声色でそう言ってくる杏奈。ここまで言われてしまったら断ることはできない。


「分かった。でも、何のお礼をしてもらおうかな……」


 今までに、お兄ちゃんって呼んでほしいと何度か思ったけど、それを言うのはまずい気がする。きっと、お兄ちゃんって呼んでくれるだろう。ただ、変態だと思われそうだし、今後のからかいのネタになりそうだ。


「先輩?」

「えっ? じゃあ……か、肩を揉んでほしいな」

「肩揉みですか?」

「ああ。俺、最近まで肩こりの自覚はなかったんだけど、春休みにサクラが揉んでくれたとき、凄く痛くて。サクラにもかなり凝ってるって言われてさ」

「なるほどです。任せてください! たまに、両親や肩こりが悩みの友達に肩揉みをするので」


 自信ありげな様子でそう言うと、杏奈は何とか膨らみが確認のできる胸を張る。この様子なら気持ちのいい肩揉みが期待できそうだ。

 肩揉みをするため、杏奈がクッションから立ち上がって、俺の背後へ行こうとしたときだった。


「きゃっ!」


 クッションに足を取られた杏奈は、俺の方に向かって倒れ込んでくる。


「杏奈!」


 とっさに、俺は杏奈のことを抱き留めるけど、倒れてくる勢いもあってそのまま倒れ込んでしまった。そのことで、頭から背中にかけて痛みが。

 杏奈は俺の上に倒れ込み、胸に顔を埋めている。そのことで、体の前面から杏奈の温もりや柔らかさを感じる。


「杏奈、大丈夫か? ケガはないか?」


 俺がそう問いかけると、杏奈はゆっくりと顔を上げる。そんな彼女の赤い顔には微笑みが浮かぶ。


「は、はい。大丈夫です。先輩の方は大丈夫ですか?」

「頭と背中を打って痛いけど、大丈夫だよ」

「それなら良かったです。本当にごめんなさい。あたしのうっかりのせいで……」

「気にするな。杏奈にケガがなくて良かったよ」


 杏奈の頭を優しく撫でる。杏奈は顔をさらに赤くし、再び俺の胸に顔を埋めてしまった。こんな状況とはいえ、杏奈の頭を撫でたのはまずかっただろうか。


 ――コンコン。

「えっ!」


 ノック音が聞こえてきたことに驚き、思わず大きな声が出てしまった。

 まだ5時半にもなっていないぞ? 母さんは6時までパートのシフトが入っているし。まさか、部活が早めに終わったサクラが帰ってきたのか?


「ダイちゃん! さっき大きな音が聞こえたけど大丈夫? あと、小さなローファーがあったけど、来ているのはもしかして杏奈ちゃん?」

「そうだよ。あっ、でも……」

「やっぱり来客は杏奈さんなのね! 失礼しま……す……」


 杏奈と離れるための時間を作ろうと思ったけど、時すでに遅し。

 部屋の扉が開くと、そこにはサクラと一紗が立っていたのであった。

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