第21話『看病-中編-』
文香の部屋を出た俺は、母さんにバイトに行くまで看病することと、これから近所のかかりつけの病院に行くことを伝える。その際に「バスタオルで汗拭きした?」と訊かれたので、背中を拭いたと正直に答えた。すると、
「あらあら、いいわね~! お母さんも高校時代に風邪を引いたとき、お父さんに背中を拭いてもらったわぁ」
テンション高めに昔のことを話された。自分の体験談があったから、バスタオルを渡したときに文香の背中を拭いてあげてと言ったのかな。
2階に戻り、自分の準備をして文香の部屋の前で待つ。
10分ほど経ち、昨日と同じくブラウンのダッフルコートを着た文香が部屋から出てきた。文香は汗拭きに使ったバスタオルを持っていた。
「……ごめん。遅くなっちゃった」
「気にするな。保険証と診察券は持ったか?」
「……うん。お財布の中に入ってる。ちゃんと確認した」
「そうか。それなら大丈夫だな。じゃあ、病院へ行くか」
「いってらっしゃい、文香ちゃん。大輝、文香ちゃんをよろしくね」
「……あ、ああ」
気付けば、母さんが2階まで来ていた。なので、文香は母さんにバスタオルを渡す。
俺が左手を差し伸べると、文香はそっと俺の手を掴んできた。
文香がだるさを感じているため、ゆっくりとした速度で歩き出す。
外に出ると、昨日ほどじゃないけど空気がひんやりしている。雪がまだまだ残っているのでなかなか寒く感じる。
俺達は家から徒歩数分のところにあるかかりつけの病院・四鷹鈴木クリニックに向かって歩き始める。
陽差しがあるので、歩き始めてすぐに温かさを感じられるようになってきた。
「昨日は雪だったから、陽差しの温かさが凄く心地いいな」
「……そうだね」
「もし、歩くのが辛くなったらいつでも言ってくれ。俺の腕を抱きしめたり、途中で休んだりしていいから」
「……じゃあ、大輝の腕を抱きしめてもいい? そうすれば温かそうだし。よろめいたり、道路で滑ったりしても大輝が支えてくれそうだから」
「……分かった。いいよ」
俺達は一旦立ち止まり、文香の手をそっと離した。
すると、文香も俺の左手を離し、俺の左腕をぎゅっと抱きしめてくる。コート越しだけど、文香の温もりがすぐに伝わってきた。その熱は俺の左腕中心にやんわりと広がっていく。あと、柔らかさも感じる。
再び、四鷹鈴木クリニックに向かって歩き始める。
「……うん、予想通りあったかい。安心する」
「それなら良かった。俺も……文香のおかげで結構温かいぞ」
「……今は普段より熱があるからね。でも、そう言ってくれて嬉しい」
文香はゆっくりと俺を見上げる。口元は見えないけど、きっと笑っているに違いない。
そういえば、文香と2人きりで病院に行くのはこれが初めてかもしれない。同じタイミングで体調を崩したこともないし。例の一件がある前年まで、インフルエンザの予防接種を受けるときは一緒に行っていた。ただ、そのときは両親や和奏姉さん、文香の御両親のうちの誰かが同伴し、一緒に受けていた。
俺の家に文香が引っ越してくることがなければ、こんな体験はできなかったかもしれないな。
「ワンワンッ!」
「きゃっ」
前方から犬の鳴き声がした瞬間、文香は声を上げて、俺の腕を更にぎゅっと抱きしめてくる。目を瞑り、体が小刻みに震えている。
正面を見てみると、近くの十字路でチワワが、ラブラドールレトリバーに向かって激しく吠えている。たまに、ああいう光景を見かけるな。小型犬が大型犬に吠えるのは防衛本能なのだろうか? 弱い犬ほどよく吠えるという言葉もあるくらいだし。あと、文香は、
「今でも犬は怖いか?」
「こ、怖いけど……昔ほどじゃない。ああいう風に激しく吠える犬は今でも結構苦手だけれど」
「そうか」
文香は小さい頃から犬がとても苦手で、吠える犬には特に怖がっていた。
そういえば、俺の家や文香のマンションから小学校に最短ルートで行ける通学路の間に、よく吠える大型犬を飼っている家があったな。小学校に入学した直後、登校するときに、号泣する文香の手を引いて、その家の前を走った記憶がある。
「もう犬達も離れたし、吠えていたチワワの姿は見えないから大丈夫だ。さっきみたいな犬を見かけても、俺が一緒だから安心しろ」
俺がそう言うと、文香はゆっくりと目を開けて俺に視線を向けてくる。マスクから見える部分だけだけれど、文香の頬は今日最初に見たときよりも赤くなっているように見えた。
「……大輝も昔から変わらないね」
小さく甘い声色で言うと、文香は優しい目つきで俺を見つめてくる。あのときに大型犬の前を走り去った後も、今のような眼差しを向けてくれた気がする。
ゆっくりと歩いたり、吠えた犬に怖がって立ち止まったりしたこともあり、病院まで10分ほどかかった。
受付の看護師の女性は、小さい頃から顔見知りの方だったので、
「あらあら、文香ちゃん。大輝君に連れてきてもらうなんて。2人は昔と変わらずに仲がいいのね~」
と笑顔で言われた。風邪を引いているからか、文香は「ふふっ」と言うだけで、特に否定することはなかった。俺も文香に合わせた。
受付を済ませて、文香と俺は背もたれのあるロビーチェアに座る。体調が悪い中、家から歩いてきたこともあってか、文香は背もたれに寄り掛かり楽そうにしていた。背もたれがあるのとないのとでは、楽さが違うよな。
週明けなのもあってか、年配の方が多く来ている。高校生2人で来ている俺達が浮いていると思えるほど。
30分ほど経って、ようやく文香の診察の番になった。
診察室の中に入ると、そこには院長の鈴木先生がいた。昔から変わらず優しいおばちゃん先生だ。
「おはよう、文香ちゃん、大輝君」
「……おはようございます、先生」
「おはようございます。文香が体調を崩しまして。よろしくお願いします」
「ええ。まさか、文香ちゃんと大輝君の2人だけで来るなんて。大きくなったのね。2人も高校生だっけ?」
「ええ。あと……実は文香の親父さんの転勤があって、1週間ほど前から文香は俺の家に住んでいるんです。それに、今は春休みですから、俺が付き添いで」
「そうだったのね。では、診察を始めましょう」
文香は今の体調や、ここ最近あったことを説明し、鈴木先生による診察が始まる。
聴診器を当てる際、文香の着ているパーカーを看護師さんがめくり上げたときは、さすがに目を逸らした。そのことに鈴木先生からクスクスと笑われたような気がした。
そして、診察の結果、
「風邪だね。昨日は雪が降るほど寒かったから、そのことで急に体調を崩しちゃったんだろうね。引っ越して環境が変化したことも一因かも。お薬を出すから、それを飲んで、消化のいいものを食べて、ゆっくり寝なさい。そうすれば、すぐに良くなるわ」
「……分かりました」
「ありがとうございました。……文香」
俺が右手を差し出すと、文香はそっと手を掴んで椅子からゆっくりと立ち上がる。
「ふふっ、ひさしぶりに2人が一緒にいる姿を見られて、先生嬉しかったわ。文香ちゃん、お大事に」
「……ありがとうございます。失礼します」
鈴木先生は穏やかな笑みを浮かべながら、俺達に小さく手を振った。俺達はそんな先生にお辞儀をして診察室を後にした。
それから10分ほどで、文香の名前が呼ばれる。総合風邪薬やのどの痛みを取る薬、抗生物質などの薬が3日分処方された。先生の言う通り、これを飲んでたっぷりと寝ればすぐに治るだろう。
「文香。処方された薬は全部、食事をした直後に服用するものだ。だから、帰ったらお粥を食べて、薬を飲んでゆっくり寝ような」
「……うん」
「お粥は俺が作るよ。普通のお粥にするか? それとも、玉子粥にするか?」
「……玉子粥がいい」
「分かった。美味しい玉子粥を作るからな」
文香は卵が大好きだもんな。玉子粥の方がいいって言うと思っていた。
「……うん。ありがとう」
そう返事して、文香は上目遣いで俺のことを見てくる。そんな文香がとても可愛く思えるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます