第20話『看病-前編-』
3月30日、月曜日。
目を覚ますと、部屋の中がちょっと明るくなっていた。カーテンの隙間から日光が差し込んでいるからだろう。
部屋の時計を見ると……午前8時過ぎか。今日のバイトは正午からだけど、目覚めもいいし今日はこのまま起きよう。
「うわっ、寒いな」
ベッドから降りると、昨日の冷気が残っているのか結構寒く感じた。
ただ、今日は晴天となり、日中は15度近くまで気温が上がるらしい。これなら雪解けが進みそうだし、昼頃にバイト先へ行くのには問題なさそうかな。
洗顔と歯磨きをし、寝間着から私服に着替えて1階のキッチンに向かう。キッチンでは、食卓の椅子に座っている母さんが日本茶をすすっていた。
「大輝、おはよう」
「おはよう、母さん。文香はもう起きたのか?」
「ううん、まだ起きていないわ。ぐっすりと寝ているのかもね。昨日は雪かきしたり、大輝と雪遊びしたりしていたし」
「それはあるかもな。俺もいつもよりたくさん寝たし」
昨日は雪かきや雪遊びで体をたくさん動かしたからな。文香も深い眠りについているのかもしれない。
ただ、昔、お泊まりしたときは、文香が遅く起きることはあんまりなかったな。昨日も7時過ぎに一度は起きていたし。朝食を食べ終わるまでに起きてこなかったら、様子を見てみるか。
ご飯と味噌汁をよそい、温かい日本茶を淹れて俺は朝食を食べ始める。
「大輝。今日は正午からバイトがあるのよね」
「ああ。午後5時まで。バイト先でまかないが出るから、昼飯は食べずに行くよ」
「分かったわ。じゃあ、今日のお昼ご飯は文香ちゃんの好きなものを作ろうかな。一緒に作るのもいいわねっ」
楽しげな様子で話す母さん。
うちに泊まりに来たとき、たまに文香は母さんと姉さんと一緒に食事を作るときがあったっけ。
15分ほどで朝食を食べ終わり、後片付けもしたけど、文香は降りてこない。2階の方から何も物音が聞こえないし。心配になってきた。
「俺、文香の様子を見てくるよ」
俺は2階に上がり、文香の部屋の前まで行く。その際に洗面所を覗いてみるけど、文香の姿はなかった。お手洗いも解錠されており、誰かが入っている様子はない。今も部屋にいるのだろう。
「文香、朝だよ」
ノックをしてそう言うけど、文香からの返事はない。いったいどうしたんだろう。ぐっすりと眠っているだけならいいけれど。
扉を少し開けて、文香の様子を確認してみる。部屋の電気は消えており薄暗い。
「文香、起きてるか?」
「……はあっ、はあっ……」
ベッドの方から、文香の苦しそうな吐息が聞こえてきた。
「入るぞ」
部屋の電気を点けて、ベッドの近くまで行く。
すると、ベッドには顔を赤くし、苦しそうな様子で横になっている文香の姿があった。
「文香、どうしたんだ? 顔が赤いけど……」
俺が話しかけると、文香はゆっくりと目を開く。俺と目が合うと、文香の口角がほんの少しだけ上がった。
「……大輝、おはよう。何か……目を覚ましたら体が凄く熱くて、息苦しいの。喉もおかしくて……頭もちょっと痛い」
「そうか……」
喉がおかしいと言っているだけあって、声が掠れ気味だな。どうやら、文香は風邪を引いてしまったようだ。
文香の額に右手を当てると、額から強い熱が伝わってくる。
「大輝の手……ひんやりしてて気持ちいい」
「朝食の後片付けをした後だからな。文香の額、結構熱いな。とりあえず、まずは熱を測ろう。体温計を持ってくるから、文香は楽な姿勢でいるんだ」
「……うん、ありがとう」
部屋を出る際に暖房を付けて、体温計が置いてある1階のリビングへと向かう。
「大輝、文香ちゃんの様子はどう?」
「風邪を引いたみたいだ。額に手を当てたら結構熱かったし。あと、頭や喉の調子がよくなくて、息苦しさもあるそうだ」
「そうなの。まあ、昨日は雪が降るほど寒かったからね。雪かきもしてくれたし」
「俺もそれが原因の一つだと思ってる。あとは、俺と一緒にたくさん雪遊びしたからな」
特に雪合戦をしたときは昔みたいに楽しそうで。だから、俺もつい雪玉を何度も当ててしまった。そう思うと罪悪感が襲ってくる。
「ここ1週間はうちへの引っ越しがあったり、両親が名古屋に離れたりしたから、そのことで肉体的にも精神的にも疲れが溜まっていたのかもね」
「そうかもな」
一昨日、バイトから帰ってくるとき、文香は御両親が名古屋に引っ越し、姉さんが千葉に帰っていったことを凄く寂しがっていたな。
和奏姉さんと一緒にいるときやお花見のとき、昨日の雪遊びのときとか楽しそうな様子を見せることもあったけど、見えないところで疲れが溜まっていたのだろう。彼女の異変に気づけなかったのかと後悔の念が生まれた。
ローチェストの引き出しを開け、体温計を取り出す。
「よし、あった」
「大輝、このバスタオルも持っていきなさい。文香ちゃん、汗を掻いているかもしれないから。あとはマスク」
「ああ、分かった」
母さんからバスタオルとマスクを受け取ると、なぜか母さんはにっこりとした表情に。
「文香ちゃんの体調次第では、大輝が拭いてあげてね」
「そ、それはまずいだろ。文香から拭いてほしいって言わない限りはやらないよ」
「ふふっ。じゃあ、拭いてって言われたらちゃんと拭きなさいね」
「……もちろんさ」
まったく、俺が文香を好きなのを知っているからって。
3年前の一件以前の文香なら汗を拭いてと言いそうだけど、今の文香がそんなことを言うようには思えない。性格も変わったし、高校生っていう年頃の女の子だし。
俺は体温計とバスタオルを持って、文香の部屋へと戻る。依然として、文香は顔を赤くし、息苦しそうにしていた。
「文香。まずはマスクを付けるよ」
「……うん」
俺は文香にマスクを付けさせる。その際に手が彼女の顔に触れる。そこから伝わる熱は強いまま。
「よし、次は体温を測ろうか。腋に挟むタイプだから」
「……分かった」
そう返事をして、文香は起き上がろうとするが、だるいのか苦労しているようだった。そんな彼女の体を左腕で抱きかかえ、支える。
「文香、そこにある赤いクッションを使ってもいいか?」
「……いいよ」
テーブルの近くに置かれていた赤色のクッションをベッドボードに立てかけ、文香をクッションに寄り掛かるようにして座らせた。
腋に挟むタイプだと伝えたからか、文香は両手で何とか寝間着のボタンを1つ外す。そのときに彼女の青い下着がチラッと見えた。そんなことにドキドキしながら、文香に体温計を渡した。
「文香。発熱と喉の調子の悪さ、頭痛。それ以外に調子が悪いとところはあるか? だるそうに見えるけど」
「……うん。何かだるくて、体が重く感じる」
「やっぱり。お腹の調子はどうだろう?」
「……お腹の方は大丈夫。でも、今は何も食べたくない気分」
「そうか」
やっぱり、食欲は湧かないか。俺も風邪を引いたときはそうだったな。薬を飲むためにお粥を食べるのが辛かった思い出がある。
ただ、お腹を壊していないのは幸いだ。あとで、文香が好きなプリンとかゼリーを買ってこよう。
――ピピッ。
体温計が鳴り、文香は左腋に挟んだ体温計を手に取った。
「……38度2分」
「結構あるな。……今日はバイト休んで文香の側にいるよ。正午からだし、今連絡すればきっと――」
「……ダメだよ」
文香はゆっくりと顔を横に振り、申し訳なさそうな表情をして俺のことを見てくる。こんな表情にさせてしまうことがたまらなく悔しい。
「バイトは……大事だよ。大輝の具合が悪いなら休むのは当然だけど、私の看病で穴を空けちゃダメだよ。それに……今日は優子さんのパートがなかったはずだし」
「……文香の具合が悪くなった原因の一つは、俺絡みだと思う。季節外れの雪が降って、久しぶりに文香と雪の中で一緒にいるのが楽しくなって。雪玉を何発も文香に当てて。そのせいで文香の体が冷えて、体調を崩したんじゃないかって」
「大輝……」
3年前のことがあってから、文香が苦しんだり、悲しんだりしている様子を見ると、俺も胸が苦しくなることが多くなった。ましてや、今回体調を崩した一因は俺である可能性が非常に高い。罪悪感を抱かずにはいられない。
「……それに、こうして一緒に暮らしているんだ。文香にはできるだけのことをしたいっていうわがままもある」
それも本当だけれど、一番のわがままは文香の側にいたいこと。あと、雪玉を何度も当てまくったせめてもの罪滅ぼしをしたいという邪なわがままもあるけど。
本音を言ったからなのか、それとも文香の風邪がうつったからなのか、俺も体が熱くなってきた。
ふふっ、と文香は上品に笑う。
「……そんなわがままがあったんだ。それを言ってくれて……う、嬉しい」
「そ、そうか」
わがままを嬉しいって言われたことが全然ないから、かなり照れるな。ますます体が熱っぽくなってきたぞ。
「……私もわがまま言うね。優子さんもいるし……大輝にはちゃんとバイトに行ってほしい。あと……バイトに行くまでの間は、できるだけ私の側にいてほしいです。起きてから体の調子が悪くて辛かったけど……大輝が部屋に入ってきて、大輝の姿が見えたときに安心したから」
そう言うと、文香は俺をチラチラ見てくる。
3年前のこともあるから、側にいてほしいとか、俺の姿が見えて安心したって言ってくれるとは思わなくて。だからこそ、凄く可愛いし、嬉しく思える。今までに体験したことのない体の熱さだけど、不思議と心地いい。
「分かった。バイトに行くまでは文香の側にいるよ」
「……ありがとう」
文香は柔らかい声色でそう言った。今日は家にいる間はできるだけ文香の側にいよう。
「もうすぐ9時だな。確か、俺達が行っている近所のかかりつけのお医者さんは9時からだったな」
「そうね。今日は……月曜日だからやってるか」
「ああ。一緒に病院へ行こう。じゃあ、着替えないといけないな。あと、もし汗を掻いていたら、このバスタオルで拭いてくれ」
「……分かった。……ちょっと汗を掻いたから、背中を拭いてくれる?」
「えっ?」
拭いてほしいとは言われないと思っていたので、つい変な声が出てしまった。
「……ダメ?」
「ダメなわけがないよ。分かった、背中を拭くよ」
拭いてほしいって言われたらちゃんと拭いてあげて、と母さんに言われたし。まさか、母さんはここまで予想していたのか?
寝間着を脱ぐので、文香の指示でベッドから背を向けて、俺が持ってきたバスタオルに顔を埋めた状態で脱ぎ終わるのを待つことに。背後から聞こえる布の擦れる音が甘美に響く。
「大輝、こっちを向いていいよ」
文香のお許しが出たので、バスタオルから顔を離して、ゆっくりとベッドの方へと振り返る。すると、そこには腰からの背面を露わにした文香の姿が。青い下着を着けているからか、とても艶やかに見える。拭きやすいようにするためか、クッションから距離を開けて座っている。ちなみに、前面は掛け布団でちゃんと隠れている。
「あんまりじっと見ないで。恥ずかしい」
「ご、ごめん」
「……じゃあ、背中を拭いてください。お願いします。あと、その……大輝だから大丈夫だと思うけど、こういう状況だからって変なことはしないでね」
「もちろんさ。文香の嫌がることはしないよ。じゃあ、拭き始めるよ」
俺は文香のすぐ側まで行き、バスタオルで彼女の背中を拭き始める。
ちょっと汗を掻いたと言っていただけあって、こうして拭いていると文香の汗の匂いがほんのり感じてくる。もちろん、それは嫌なものではなかった。
「どうだ、こういう感じで拭けばいいか?」
「うん。大輝の拭き方が優しいし、タオルが柔らかいから……とても気持ちいいよ」
文香はゆっくりと振り返り、俺を優しい目つきで見てくる。背中が露わになっている状況なのもあって、今までの中で指折りに大人な印象を抱く。
その後も文香の背中の汗を丁寧に拭き取っていく。気持ちいいのか、たまに文香の可愛らしい声が聞こえてくる。文香が風邪を引いていて、これは看病の一環であると理性を働かせているからまだしも、彼女が健康だったら彼女の言う「変なこと」をしてしまっていたと思う。
「こんな感じでいいかな」
「うん。何かスッキリした、ありがとう。あとは自分で拭いて、着替えるよ」
「分かった。俺も準備して、扉の前で待っているよ。もちろん、ゆっくりでいいから。何かあったら呼んでくれ」
「……うん」
しっかりと頷く文香。最初に様子を見たときに比べると、少しは気分が良くなったように見える。そんな彼女にバスタオルを渡し、俺は彼女の部屋を後にした。
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