第22話『看病-後編-』

 家に帰り、俺はさっそく文香の玉子粥を作り始める。

 俺が中学生になったあたりから、風邪を引いた和奏姉さんのために玉子粥を作ったことはある。だけど、文香のために作るのはこれが初めて。ただ、小学生の頃に文香が風邪を引いたとき、美紀さんの作ったお粥を食べさせたことはあったっけ。


「あら、美味しそうにできているじゃない」

「玉子粥は和奏姉さんに何度も作ったから得意なんだ」

「そういえば、和奏に作ってあげていたわね。大輝の作る玉子粥は風邪にかなり効くよね」

「それは姉さん限定だと思うけどな。ただ、文香も卵好きだから、少しは元気になるんじゃないかと思う」

「ふふっ。あと、文香ちゃんが風邪を引いたことを美紀ちゃんに連絡しておいた。そうしたら、引っ越して早々に迷惑を掛けて申し訳ないって返信が来たわ」

「そんなことを思わなくてもいいけどな。一緒に住んでいればこういうことだってあるだろ。それに、昨日は雪が降るほどに寒かったんだし」

「お母さんも同じことを思ったから、その旨を美紀ちゃんに返信しておいたわ」


 あとで、俺からもメッセージを送っておくか。

 ちなみに、昨日の夜に美紀さんと哲也おじさんから連絡があり、昨日の時点で荷解き作業がだいたい終わったそうだ。今日は平日なので、引っ越しに伴って必要になる手続きを済ませるのだという。

 玉子粥が完成したので、文香の部屋に持っていく。


「文香、玉子粥を作ってきたよ」

「……ありがとう」


 文香はこちらに寝返りを打ち、マスクを外す。すると、そこには文香の柔らかな笑顔が待っていた。

 お盆をテーブルに置き、玉子粥の入った土鍋の蓋を開ける。


「……いい匂い」

「味見したけど、きっと文香にも美味しいと思ってもらえる出来になっていると思う」

「……楽しみ。……た、食べさせてくれると……嬉しいな」

「ああ、分かった」


 お粥を食べさせてほしいのは、昔から変わらないな。

 体温を測るときと同じく、文香をクッションにもたれかかる体勢にさせる。

 土鍋から文香のお茶碗に玉子粥をよそい、俺は彼女の勉強机に座る。スプーンで一口分掬い、文香が食べやすいように息を吹きかけて玉子粥を冷ます。


「文香、あーん」

「あ、あ~ん」


 俺は文香に玉子粥を食べさせる。

 ゆっくりと咀嚼する中で、文香の笑顔が柔らかなものから嬉しそうなものに変わる。


「……美味しい。熱さもちょうどいい」

「文香の口に合って良かったよ」

「……和奏ちゃんの言うとおりだ。私が中学生になったくらいからかな。和奏ちゃんが風邪を引くと……お見舞いに行ったときに『大輝の玉子粥が美味しかった! 元気出る!』って言ってた。……本当に元気出そう」

「そうか。文香にも効果があると俺も嬉しいよ」


 俺と距離ができてしまった後も、和奏姉さんが風邪を引くとほぼ毎回お見舞いに来ていたな。そんなことを思い出しながら、文香に玉子粥を食べさせていく。


「……こうして食べさせてもらっていると……小学生の頃、学校帰りに大輝がお母さんの作ったお粥を食べさせてくれたこと思い出すよ」

「あったな。そのときも、今みたいによく食ってた。文香も俺が風邪を引くと家にお見舞いに来て、お粥を食べさせてくれたよな」

「そうだね。和奏ちゃんが小学生のときは……一緒に食べさせてた」

「そうだったな。次々と食わされるから気持ち悪くなって、吐き出したこともあったな」

「あったあった。そのときは和奏ちゃんと大泣きした」

「その光景を見たからか、気持ち悪さが吹っ飛んだよ」

「……すぐに大丈夫だって言ってくれたよね。お見舞いに行ったのに……病人に励まされるなんてって恥ずかしかったよ」


 当時のことを思い出しているのか、文香は照れ笑いを浮かべていた。お粥を食べながら思い出話ができるのだから、処方された薬を飲んでぐっすり眠れば、きっとすぐに治るだろう。

 気に入ってくれたからか、文香は土鍋にあった玉子粥を完食。そのことにとても安心し嬉しくなった。

 その後、病院で処方された薬を文香に飲ませる。


「……よし、これでゆっくり寝れば、きっと大丈夫だ」

「うん。玉子粥……美味しかったよ。ありがとう」

「いえいえ。美味しそうに食べてくれて嬉しかったよ。こっちこそありがとう」

「……いえいえ」


 文香はゆっくりと体勢を変え、仰向けの状態になる。だからか、文香はウトウトした様子に。小さい頃から、今のようにお粥を食べさせるとすぐに眠たそうにすることが多かったな。


「……玉子粥を全部食べたからかな。それとも……薬がさっそく効き始めたからかな。横になったらさっそく眠くなってきた」

「眠くなるのはいいことだ。ゆっくりと眠りな」

「……うん。お昼からのバイト……頑張ってね」

「ああ、頑張るよ。ありがとう」


 俺は文香の頭を優しく撫でる。まだまだ熱が高いからか、軽く触れただけでもはっきりと彼女の温もりが伝わってくる。できれば、このままずっと文香の温もりを感じていたいけど、バイトにはちゃんと行かないと。

 頭を撫でられたからか、文香は柔らかな笑みを浮かべる。


「……おやすみ、大輝」

「おやすみ、文香」


 俺が掛け布団を文香の首元まで掛けると、文香はゆっくり目を瞑った。薬の効果なのか、ベッドが温かくて気持ちいいのか、さっそく可愛らしい寝息を立て始める。これでぐっすりと眠れば、俺がバイトから帰ってきたときには、ある程度元気になっているんじゃないだろうか。


「おやすみ」


 玉子粥が入っていた土鍋や文香のお茶碗、コップなどを乗せたお盆を持って、俺は文香の部屋を静かに出ていくのであった。




 今日は朝から文香の看病をしていたけれど、バイトに遅刻することはなかった。百花さんとほぼ同時に到着した。

 制服に着替え終わってスタッフルームに行った際、萩原店長から「既にちょっと仕事をしてきた雰囲気に見えるね」と言われたので、文香のことについて正直に話した。すると、


「文香ちゃん風邪引いちゃったんだ」

「それで午前中は文香君の看病をしていたんだね。お疲れ様。昨日は結構雪が降ったからね。急な寒さに体調を崩してしまったのかもしれない」

「昨日は寒かったですもんね。あとで、文香ちゃんにお大事にメッセージを送っておこうっと」

「是非、そうしてあげてください。文香も喜ぶと思います。文香と一緒に雪かきをしたり、小さい頃のように雪遊びをしたりしましたからね」

「なるほど。雪が降るとつい心が躍ってしまうよね」

「あたしもワクワクしました。地元は神奈川の湘南の方ですから、毎年雪は降るんですけど、積もることはそんなに多くなくて。昨日くらいに積もったのは人生の中で数えるほどでしたね」


 そういえば、百花さんは以前、神奈川県出身だと言っていたな。湘南は俺も知っている。あっちの方は雪がそこまで多く降らないのか。


「東京でも、昨日ほど積雪するのは年に一度あるかどうかだよ。私も、昨日の朝に、自宅の庭で大きな雪だるまを作ったよ」

「店長も作ったんですか。俺も作りました」

「あたしも、友達と一緒にアパートの庭に作りましたよ!」

「楽しいよね、雪だるま作りは。褒めてくれたのは妻だけだったけれどね。しかも、今朝になると屋根の雪が落ちたのか、雪だるまが壊れて、ただの雪山になっていた。さすがにそのときは、ちょっと切ない気分になったよ」


 はあっ……と長く息を吐いて、店長はホットコーヒーと一口飲んだ。内容は雪だるま作りと子供っぽいのに、凄く哀愁漂う話になったな。


「もし、文香君に何かあったときは、早く家に帰って文香君の側についてあげなさい」

「そのときはあたし達が大輝君の分まで頑張るから」

「ありがとうございます」


 俺の作った玉子粥を全て食べたし、薬を飲んですぐに眠ったから大丈夫だと思うけれど、こまめにスマホをチェックするようにしよう。

 今日も百花さんと一緒にホールの仕事を始める。

 昨日雪が降ったからなのか、お客さんがかなり多いと思う。これだと、今日もあっという間に時間が過ぎていきそうだ。


「こんにちは、お兄さん」

「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」


 バイトを始めてから2時間弱。今日も常連の金髪の女の子が来てくれた。


「友達と駅前で待ち合わせしているんですけど、早く家を出ちゃったので、ここに来てみました」

「そうでしたか。ご友人との時間、楽しんでくださいね」

「はい! ……今日はいつもよりも疲れているように見えますね」

「……色々とありまして」


 店長や百花さんならともかく、お客さんに疲れているのではと言われてしまうとは。常連さんで俺の普段の様子を覚えてくれているのだから、嬉しい気持ちもあるけど、ちょっと情けない気分も。

 金髪の女の子は優しい笑みを俺に向けてくれる。


「そうなんですか。お仕事は大変だと思いますけど、頑張ってくださいね!」

「……ありがとうございます」


 従業員から言われるのも嬉しいけど、常連のお客さんに頑張れって言われると凄く嬉しいな。

 金髪の子はホットレモンティーをお持ち帰りで注文。ホットレモンティーを渡すと、再び俺に「頑張ってください」と言ってお店を後にした。いい子だなぁ。

 その後すぐに百花さんと休憩に入り、まかないを食べる。そのときにスマホを確認すると、


『文香を病院に連れて行ったり、玉子粥を食べさせたりしてくれてありがとね』


 という美紀さんからのメッセージがあっただけ。遠く離れた場所から、娘のことについて感謝のメッセージをもらうと胸にくるものがあるな。

 また、文香や母さんからメッセージは特になかった。緊急事態になっていないと思えば安心できるけど、状況が分からないので不安な気持ちも抱いてしまう。

 それからも、お手洗いに行くときや休憩するときは毎度スマホを確認する。すると、バイトが終わるまであと30分に、お手洗いへ行ったとき、


『文香が風邪引いたんだね。文香からメッセージもらった。部活が終わったから、これからお見舞いに行くね。途中でカステラを買っていくよ』


 という小泉さんのメッセージをもらった。

 小泉さん、部活があったのか。さすがは運動部。文香は小泉さんに風邪を引いたことを伝えたんだな。カステラを買っていくのか。じゃあ、俺はバイト帰りにプリンとゼリーを買っていこう。プリンもゼリーも大好きだし、お腹を壊していないから。


『文香も喜ぶと思う。ありがとう。俺はあと30分くらいでバイト終わるから、プリンとゼリーを買って帰るよ』


 と、小泉さんに返信した。

 さてと、あと30分バイトを頑張るか。そう意気込んでカウンターに戻るのであった。

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