第9話『シスター-後編-』

 四鷹こもれび公園から歩いて3分ほど。和奏姉さんと一緒に帰宅する。

 和奏姉さんが玄関の扉を開けると、家の中からカレーの美味しそうな匂いがしてくる。バイト上がりでお腹が空いているのもあり、凄く食欲がそそられるなぁ。


「ただいま」

「ただいま~。実家で『ただいま』って言うのは気分がいいね! カレーの美味しそうな匂いもするし。そのことに幸せを感じるよ」

「そうか」


 俺も高校生になってバイトを始めるようになってから、家に帰ってご飯があるのが有り難いと思えるようになった。それに、今日のカレーは文香が作ってくれたもの。だから、有り難いと思うだけじゃなくて、幸せや愛おしさも感じる。


「2人とも、おかえりなさい!」


 文香のそんな声が聞こえ、キッチンから文香と母さん、美紀さんが姿を現す。美紀さんまでいるとは。文香か母さんが、和奏姉さんの帰省を伝えたのかな。

 和奏姉さんが帰省したからか、文香は嬉しそうな様子になり、小走りでこちらにやってきた。あと、明日のお花見で食べるお弁当の下ごしらえをしているのか、3人ともエプロンを身につけている。


「ただいま、フミちゃん」 


 和奏姉さんは文香の頭をポンポンと叩き、その流れでぎゅっと抱きしめた。

 抱きしめられるとすぐに、文香は和奏姉さんの背中に両手を回す。この状況を微笑ましく思うと同時に姉さんを羨ましくも思う。女性同士だし、小さい頃からずっと仲がいいからできることだろう。


「お母さんも美紀さんもただいま」

「おかえりなさい、和奏」

「おかえり、和奏ちゃん。名古屋に引っ越す前に、和奏ちゃんと会えて嬉しいよ」

「あたしもです。元々、大学が春休みになったとき、この時期に帰省しようかと思っていたんですけどね。こもれび公園の桜が好きでお花見したいなって。今回はそれだけじゃなくて、美紀さんと哲也おじさんに挨拶もしたくて帰ってきました」

「嬉しいわ。それにしても、今年20歳になるだけあって、和奏ちゃんは大人っぽくなったわね。今はポニーテールだけど、髪を下ろせば大学時代の優子にそっくりになる気がする」

「じゃあ、実際に見てみますか?」


 和奏姉さんがヘアゴムを取ると、姉さんの髪型がポニーテールからストレートに。そのことに、美紀さんは「おおっ」という声を上げた。


「和奏ちゃんの方が凛々しさを感じるけど、学生時代の優子の面影があるわね。ちょっと気持ちが若返った」

「ふふっ、そうですか」


 美紀さんの言う通り、髪を下ろすと母さんと似ているかも。特に笑顔になったときは。


「3人ともエプロンをしていますけど、みんなでカレーを作っていたんですか?」


 髪を再びポニーテールに纏めながらそう問いかける和奏姉さん。

 文香は笑顔で首を横に振る。


「いいえ。カレーは私1人で作りました。ちょうど作り終わったときに、パートに行っていた優子さんがお母さんと一緒に帰ってきて。そこからは、明日のお花見で食べるお弁当の下ごしらえをしていたんです」

「なるほどね。あたしも明日は何か一つくらいはおかずを作らせて」

「もちろんいいですよ!」


 さすがに、和奏姉さんと話すときだと、文香は昔のような明るい笑顔になるんだな。姉さんのおかげとはいえ、そういった表情をすぐ近くで見られて嬉しい。また、俺と視線が合うと、恥ずかしいのか、文香は頬をほんのりと赤くする。


「文香。今やっている下ごしらえはお母さん達がやっておくから、和奏ちゃんに自分の部屋がどんな感じになったのかを見せてあげなさい」

「分かった。和奏ちゃん、ついてきてください。荷物は私の部屋に置いて……って、いいのかな。あそこを私の部屋だと言ってしまって」

「もちろんだよ。大輝、フミちゃんの部屋まで荷物を運んでくれる?」

「ああ」


 そういえば、引っ越し作業が終わってからは文香の部屋に入っていないな。引っ越した日の夜に、『ドンドン!』と音が聞こえたから彼女の様子を見に行ったときも、部屋の中には入らなかったし。逆に文香は漫画やラノベを借りたり、返したりするときに俺の部屋に入ることはある。

 和奏姉さんと俺は文香についていく形で、2階にある文香の部屋へと向かう。


「おおっ、素敵なお部屋だね!」


 部屋に入ってすぐに、和奏姉さんはそんな感想を口にした。目を輝かせて、1年前までずっと住んでいた部屋を見渡す。そんな姉さんに文香は照れくさそうにしていた。文香の指示で俺は部屋の端に姉さんのバッグを置いた。

 あと、文香が引っ越してきてから、今日で3日目だけど……何かいい匂いがするな。ベッドに行けばもっと感じられそう……って、何を考えているんだ俺は。今度は体が勝手に動かないように気を付けなければ。

 ちなみに、ベッドには寝そべった三毛猫の大きなぬいぐるみが置いてある。丸っこいので抱きしめやすそう。あれを抱きしめて寝ているのだろうか。


「去年の3月までずっとここで住んでいたのに、自然とここはフミちゃんの部屋なんだって思えるよ。今まで、フミちゃんがここにたくさん遊びに来てくれたからかな。あとはベッドとかの家具をそのまま使っているからかも。フミちゃんの家にたくさん遊びに行っていたから覚えてる」

「そう言ってもらえて嬉しいです。この部屋に合わせて、前住んでいたときと家具の配置は変えてます。和奏ちゃんが住んでいるときの部屋の内装を参考にしました。スマホにあったこの部屋の写真を見たり、引越し前にこの部屋に来たりして」

「そうだったんだね。……言われてみると、レイアウトがあたしの部屋だったときに似てるね。あと、この桃色の絨毯を使ってくれているのが嬉しいな」

「素敵な絨毯ですし、桃色が大好きなので。絨毯ですけど、和奏ちゃんを感じられるといいますか。小学生の頃は大輝と3人で遊びましたし。ですから、新しい絨毯にしようとは一度も思いませんでした」

「……もう、嬉しいこと言ってくれちゃって!」


 和奏姉さんは再び文香を抱きしめ、言葉通りの嬉しそうな様子で頬をすりすりしている。そんな姉さんの行動に文香も思わず「ふふっ」と笑い声を漏らす。

 こうして部屋を見てみると、和奏姉さんの言う通り、レイアウトは姉さんの部屋だったときと似ている。ここにある家具のほとんどは俺の記憶にあるし、絨毯は姉さんのいた時代からそのまま使っている。だからか、懐かしさを覚えた。

 あと、絨毯をそのまま使っている理由に俺の名前を出してくれたのが嬉しいな。


「この部屋に住むのがフミちゃんで良かったって思うよ。フミちゃん、ここが自分の家だと思って住んでいいんだからね。一緒に住んでいるお父さんやお母さん、大輝を頼っていいんだよ」

「……はい。土曜日に両親と離ればなれになるのは寂しいですけど、大輝と御両親が一緒なので安心しています」

「うん。何かあったら、遠慮なくあたしに相談していいからね。あたしにとってフミちゃんは友達だし、妹みたいな存在だから」

「ありがとうございます。私も和奏ちゃんは友達で、お姉ちゃんのような存在ですよ」


 文香は和奏姉さんと笑い合っている。なんて心温まる光景なんだろう。しばらく見守っていたい。あと、百合好きの百花さんがこの光景を見たら興奮しそう。


「まあ、いつかはフミちゃんと姉妹になるかもしれないけどね。そのときは義理が付くか」

「義理の姉妹って……わ、和奏ちゃん! 何を言っているんですか、もう……」


 真っ赤になった文香の顔に不機嫌そうな表情が浮かぶ。そんな文香は俺のことをチラチラと見てくる。俺と目が合うと、彼女の顔の赤みは更に強くなって。心なしか彼女の方から熱を感じる。

 まったく、和奏姉さんは何を言っているんだか。帰ってくる途中に、ゆっくりでも文香と距離を縮めていけばいいとか言っていたのに。文香の反応が可愛らしいこともあってか、心臓がバクバクし、全身が熱くなっている。


「ふふっ、2人ともかわいい。フミちゃん。今夜はひさしぶりに一緒にお風呂に入って、そのベッドで一緒に寝ようか」

「い、いいですね。楽しみです」

「あたしも楽しみだよ! それで、明日は大輝と一緒にお風呂に入って、大輝のベッドで一緒に寝ようね」

「……やっぱりそういう展開になるのか。分かったよ」

「わ、和奏ちゃんは本当に大輝が好きですよね……」


 文香もさすがに苦笑していた。姉妹だったらこの歳でも一緒に入るだろうけど、姉弟では普通入らないよな。そう思いながらも、和奏姉さんの要望を受け入れている俺もどうかしているけど。



 和奏姉さんが帰省してきたり、文香がチキンカレーを大量に作ったりしたこともあって、夕ご飯は美紀さんと哲也おじさんも一緒に食べることになった。この7人で一緒に食事をするのは去年のお花見以来かも。

 文香と俺が小学生の頃まで定期的にしていたことが、これからは簡単にはできなくなる。そう思うと寂しい気持ちに。ただ、そんなことを思うのは俺だけではないようで。


「ううっ……文香の作ったカレー、凄く美味いよ。文香の料理がしばらく食べられなくなると思うと、父さん凄く寂しいな……」


 哲也おじさんが涙を流しながら、チキンカレーを頬張っていたのだ。そんな哲也おじさんに美紀さんが優しく頭を撫でたり、父さんが「一杯呑もう」とビールを勧めたりしているのが印象的だった。あと、文香の作ったカレーが凄く美味しいと思うのは俺も同じだ。

 当の本人である文香は「ふふっ」と微笑みながらカレーを食べている。


「引越し先が名古屋ですし、お仕事の関係で合わせるのが難しいかもしれませんけど、夏休みや年末年始とかに同じ時期に四鷹に帰って来て、また7人でご飯を食べましょうよ。それに、家族と離れるのは寂しいですけど、その分、こうして帰ってきたときは楽しいですし」

「……和奏ちゃんの言う通りかもな」

「そうね。文香と離れるのは寂しいけど、名古屋であたしと2人きりの生活を楽しもうよ、てっちゃん」

「ああ、そうだな」


 哲也おじさんは落ち着いた笑みを浮かべ、父さんが注いでくれたビールを美味しそうに呑んだ。

 離れるのは寂しいけど、その分帰ってきたときは楽しい……か。一人暮らしをしている和奏姉さんだからこそ説得力が生まれる言葉だな。姉さんのその言葉もあってか、食事が終わるまで温かな時間が流れるのであった。

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