第8話『シスター-前編-』
3月26日、木曜日。
今日もお昼前からマスバーガーでバイトがあり、ホールの仕事をしている。百花さんがシフトに入っていないことにちょっと寂しさを覚えたけど、仕事が始まるとそんな思いはすぐに吹っ飛んだ。今日もお客様がたくさん来店される。
お昼にまかないを食べた後、屋外にあるテラス席を掃除する。そのとき、常連客の金髪の子が、数人ほどの女子達と楽しそうに喋っている光景を見かけた。そのことに心が温まり、金髪の子の笑顔が俺に向けられた気もして元気がもらえた。
「頑張ろう」
今日は文香が夕ご飯にチキンカレーを作ってくれる。大好物だから楽しみだ。あと、和奏姉さんが帰省してくるのも楽しみではあるかな。
午後になっても、お客様がたくさん来店するので、接客するとあっという間に時間が過ぎていく。
一段落したところで時計を見ると、時計の針は午後3時45分を指していた。今日のバイトもあと15分で終わりか。
「バイトお疲れ様、大輝」
「……おっ!」
目の前には、デニムパンツに縦セーター。ベージュのトレンチコートを羽織った和奏姉さんの姿が。こちらに2泊3日で滞在するからか、大きめのバッグを左肩に掛けている。俺と目が合うと、姉さんは爽やかな笑みを浮かべながら小さく手を振ってきた。
今はカウンターにお客様があまりいないから、多少話しても大丈夫かな。
「いらっしゃいませ。夕方までバイトだし、和奏姉さんが来るかもしれないとは思っていたけど、実際に来ると驚くなぁ。大きな声が出ちゃったよ」
「ふふっ。ちょっとの間、大輝の仕事ぶりを見させてもらったよ。ちゃんとやっているじゃない」
満足そうに言う和奏姉さん。
ちなみに、今のようなことを去年の夏休みと年末年始に帰省したときにも言ってくれた。褒め言葉は何度言われても嬉しいものである。
「萩原店長や百花さん達のおかげで、担当しているホールの仕事は自分一人で一通りできるようになったよ。キッチンの助っ人をすることも稀にあるけど」
「そうなんだ。実際にバイトをちゃんとしている姿を見て、お姉ちゃんは安心したよ」
「そりゃどうも」
「今日は百花ちゃん……シフトに入っていないのかな」
「ああ」
去年の夏に帰省した際、和奏姉さんは百花さんとここで出会った。同い年なのもあって、すぐに仲良くなっていた。連絡先を交換したからか、姉さんはたまに俺のバイト中の様子を訊いているそうだ。
「俺がバイトしているかもしれないと思ってここに寄ったのか?」
「ううん、違うよ。行くときにお母さんに連絡したら、大輝が夕方までバイトしているって聞いたから。それに、高校時代までにたくさん来たお店の売上に貢献したいからね。バイト代も入ったし」
「そうか」
一人暮らしを始めてから、和奏姉さんは大学の近くにある人気の喫茶チェーン店でバイトをしている。俺と同じく、普段はホール担当で、たまにキッチンを手伝っているらしい。ちなみに、高校時代はバドミントン部に所属しており、バイトはしていなかった。
中学や高校時代は部活帰りや試験勉強などで、友達とマスバーガーに何度も来ていたそうだ。
「おっ、和奏君。久しぶりだね」
スタッフ専用エリアから、萩原店長が姿を現し、和奏姉さんに微笑みかける。そんな店長に姉さんは軽く頭を下げる。
「お久しぶりです、店長さん。弟がお世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ。大輝君はとてもよく働いてくれているよ。初めて会ったときはとても小さかったのに、本当に頼もしくなった。それに、大輝君がバイトを始めてから、特に若い女性のリピーターが増えてね。嬉しい限りだよ」
ははっ、と店長は上品に笑う。だからか、何人かの女性のお客さんから黄色い声が聞こえてくる。すげぇな、ダンディズム。
「春休みだから帰省してきたのかい?」
「はい、2泊3日で。お花見もしたいですし。あと、大輝から聞いているかもしれませんが、フミちゃんが家に引っ越してきましたからね。自分の住んでいた部屋がどんな感じか実際に見てみたくて。あとは、御両親と挨拶もしたくて」
「なるほど、そういうことだったのか。楽しい帰省になるといいね。……大輝君、今日はもう上がっていいよ。残り15分だし、久々に和奏君が帰ってきたからね」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
「じゃあ、大輝。今日最後の注文。アイスコーヒーのSサイズを一つ。持ち帰りで。シロップとミルクを一つずつください」
「かしこまりました。230円になります」
「……はい」
「230円ちょうどになります。少々お待ちください」
俺は和奏姉さんの注文したSサイズのアイスコーヒーを渡し、スタッフルームへと向かう。その際に、姉さんとはお店の入口近くで待ち合わせることにした。
お店の制服から私服に着替えて、従業員専用口を後にしたときは午後4時近くになっていた。
お店の入口に向かうと、入口近くにはアイスコーヒーを飲む和奏姉さんがいた。若い男性を中心に姉さんを見ている人が多い。姉さんは美人でスタイルもいいからなぁ。笑顔も可愛らしいし。中学や高校時代には、駅前で何度か芸能事務所の人にスカウトされたそうだ。本人は興味ないと全て断ったそうだが。
「和奏姉さん、お待たせ」
「大輝、バイトお疲れ様。そんな大輝にアイスコーヒーを一口分けてあげよう」
「どうも」
和奏姉さんから渡されたアイスコーヒーを一口飲む。マスバーガーのアイスコーヒーは苦味がしっかりしていて俺好みだ。シロップとミルクが入っていても美味しい。
「バイト上がりだから、いつもより美味しいな。ありがとう。荷物持つよ」
「ありがとう」
和奏姉さんのバッグを持つと、なかなかの重さを感じる。文香の部屋のクローゼットには、姉さんの寝間着や私服の入ったボックスもあるけど、着替えを持ってきたのだろう。
和奏姉さんと俺は自宅に向かって歩き始める。
「相変わらず、姉さんは周りから注目を集めるよなぁ。向こうでは大丈夫か? 女子大に通っているし、大学の近くでナンパされたりしないか?」
「ナンパされるけど大丈夫だよ。『強烈なブラコンです!』とか『世界一かっこいい男性は弟だと思ってる!』って嘘ついているから。一人暮らしする直前に撮らせてくれた大輝とのツーショット写真を見せることもあるよ」
「……そ、そうか。俺が役立っているようで何よりだよ」
ただ、帰省すると必ず一度は俺のベッドで一緒に寝るし、年末年始のときなんて、「風呂納め」と「風呂初め」という名目で一緒に2回入浴したからなぁ。あと、今はそれほどじゃないけど、俺が小学生くらいの頃はかっこいいと言うことは多かった。
強烈かどうかは定かではないが、ブラコンなのは確かだろう。だからこそ、弟を使ってナンパを断り続けられるのだと思う。
「大輝、高校の勉強はちゃんとついていけてる?」
「ああ、1年の勉強は大丈夫だった。学年末の成績は15位だったな」
「おっ、さすがは大輝!」
よしよし、と和奏姉さんはにっこりと笑顔を浮かべながら俺の頭を撫でてくれる。そういえば、小学生の頃……勉強を教えてもらって、問題が解けたときには今のように頭を撫でてくれたっけ。文香にも同じようにしていたな。
「2年で文理でクラス分けされるけど、大輝はどっちにしたんだっけ?」
「文系にした。ラノベ含めて本は好きだし。日本史や法律にも興味があるから。ちなみに、文香も文系を選択したって」
「そっかぁ。……2年生でもフミちゃんと同じクラスになるといいね」
「……おう」
文香も文系を選択したと知ったときはほっとした。一緒のクラスになる可能性があるからな。そのときから、2年生では絶対に文香と同じクラスになりたいと思っている。文香と住み始めてからその思いが更に強くなった。
「そういえば、一緒に住み始めてからフミちゃんの様子はどう?」
「今までもたくさん来ていたし、さっそく家に溶け込んでいる感じがするよ。引っ越してすぐにお風呂のこととかを家族で決めたこともあってか、今のところは特に問題はないかな。ちゃんとご飯も食べているし、よく眠れているみたい」
「それなら良かった。……それで、フミちゃんと何か進展はあった?」
ニヤリと笑みを浮かべながら問いかける和奏姉さん。
「引っ越してきたのは一昨日だぞ。進展があるわけがないだろう。……でも、一緒に住んでいるから、3年前のあの日以降では一番多く話しているかも。そういう意味では、少しは進展しているのかな」
入浴中の文香の鼻歌をこっそりと聞いたり、昨日の朝に文香から同棲みたいだと言われたりしたことについては黙っておこう。
「そっか。それなら良かった。……さすがに一緒にお風呂に入ったり、同じベッドで寝たりすることはないか。せいぜい、食事のときにあ~んしてもらうとか」
「……さすがに、まだないな」
ただ、小さい頃には一緒にお風呂に入ったり、同じベッドで寝たり、食事のときにあーんしてもらったりしたことはある。それらは幼いからこそできたことであり、今の俺達には到底できない。いつか、またそういったことができる関係になりたい。
「とりあえず、まずまずの出だしね。一緒に住み始めたんだし、ゆっくりでもいいからフミちゃんとの距離を縮めていけばいいんじゃないかな」
「……そうだな」
春休みの間に、少しでも文香との距離を縮めたい。
「おぉ、今年も公園の桜は綺麗に咲いてるね!」
気付けば、四鷹こもれび公園の入口近くまで来ていた。公園内に植えられている桜の花は満開に近く、とても綺麗だ。春休みだからか、若者のグループがお花見をしている。
和奏姉さんはスマホで桜を撮影し、自撮り写真も撮っているのか途中からピースサインをし始めた。
「大輝も来て。ナンパを断るためにも使うツーショット写真を撮りたいから」
「……まるで魔除け用の写真を撮るような言い方だな」
まあ、俺との写真が役に立っているなら協力してやるか。
俺は桜の木の近くにいる和奏姉さんのところへ行く。
俺が和奏姉さんの側に立つと、姉さんは顔を近づけて俺とのツーショット写真を撮影した。桜も満開だから、背景はほとんど桜色だ。
「よし、いい写真が撮れた。ありがとう」
「いえいえ」
「……桜の花もあまり散っていないし、明日は楽しいお花見になりそう」
期待した表情でそう言う和奏姉さん。明日は晴れて、風もあまり吹かない予報なので、絶好のお花見日和になるんじゃないだろうか。
俺達は再び自宅に向かって歩き始めるのであった。
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