第2話『幼馴染との過去』

「おーい、速水。また桜井のことを見てなかったか?」

「……み、見てない。サクラのことなんて」


 この夢を見るのはひさしぶりだ。

 3年前の春。中学2年生になってから、初めて登校した日の終礼後に起こったことだ。

 中学1年では文香とは別々のクラスだったので、2年で同じクラスになれて凄く嬉しかった。明るい笑顔を絶やさない文香を毎日教室で見られるのだから。

 文香と一緒に教室まで来て、体育館で行なわれた始業式や、教室でのオリエンテーションの間も彼女のことを何度も見ていた。それを小学生のときからの友人や、中1で同じクラスだった男子達に気付かれてしまっていたのだ。


「オレも桜井を見ていたように思えたぞ。実は一緒のクラスになって凄く嬉しいんじゃないか? 朝、この教室にも桜井と一緒に来ていたし」

「あと、桜井を『サクラ』って呼んでるよな。速水、実は桜井のことが好きなんじゃないのか?」


 友人のうちの1人が、大きめの声でそう問いかけた。それもあってか、少し離れた席に座っていた文香が、頬を赤くしながら友人と一緒に俺を見ていたのだ。

 だから、凄く恥ずかしくて。照れくさくて。こんな場所で面白そうに絡んでくる友人への怒りもあって。文香が好きだっていう気持ちを隠したくて。


「そんなわけないだろ! あんな身体も性格も子供っぽい奴! サクラは恋愛対象なんかに全然ならない!」


 本音とは真逆のことを大声で言ってしまったのだ。その直後の友人達の苦笑いからして、俺は怒りの表情を露わにしながら言ったんだと思う。


「ひどいよ……」


 悲しげな表情を浮かべながら、消えゆくような声で文香はそう言ったこと。俺と目が合った瞬間、文香は一気に怒った表情に変わり、目が鋭くなったことを今でもよく覚えている。そんな文香は俺のところにやってきて、


「ダイちゃんのおバカ!」


 そう言い放って、俺の左頬を思いっきり叩いた。そのときに感じた痛みは凄く痛くて。


「ダイちゃんなんて大嫌い! 二度と話しかけないで!」


 俺から離れて、友人のところに戻っていく文香を見る中、俺の視界は暗闇に包まれたのであった。




「はあっ、はあっ……」


 3月24日、火曜日。

 ひさしぶりに3年前のことを夢で見たから、あまりいい目覚めではない。きっと、文香が家に引っ越してくるから見てしまったのだと思う。

 あの出来事が本当に夢だったなら、どれほど良かっただろう。それは今までに何度も思った。

 壁にかかっている時計を見ると……今は午前7時過ぎか。学校のある日とあまり変わらない時間に起きられたな。


「まさか、文香と一緒に住む日が来るとはな……」


 哲也おじさんの転勤が理由とはいえ、こんな日が来るなんて。

 3年前の一件があるまでは、文香は明るくて、いつも可愛い笑顔を見せてくれる女の子だった。髪型も今とは違ってショートヘアで。背も小さくて、体つきも幼かった。

 でも、あの一件があってから、少なくとも俺に向けて、持ち前の明るく元気のある笑顔を見せることはなくなった。特に、あの日の直後は親しかった友人の前でも一切笑顔を見せなくて。性格も明るくて活発な性格から、現在の落ち着きのあるクールな性格へ変わった。


『サクラ。昨日は酷いことを言って本当にごめん』


 翌日に文香に謝ったけど、文香は何も言ってくれなかった。許さないという言葉さえも。それもあってか、文香の友人中心に女子生徒達から蔑まれた時期もあった。

 あれから、学校で話したり、お昼ご飯を食べたりすることはなく、放課後や休日に文香の家に遊びに行くこともなかった。和奏姉さんと遊ぶために、文香が家に来ることはあったけど。挨拶しようとしても逃げられて。一時期は着信拒否や、メールやメッセージも一切送れないときもあった。

 そんな中でできたのは、教室でたまに文香の様子を見るだけ。視線が合うと、すぐに文香に逸らされたけれど。

 あと、あの日のことがあってから、文香は見た目や体つきが一気に大人っぽくなっていったな。

 それからしばらく経ったある日の朝、文香の方から挨拶をしてくれた。しかし、


『……おはよう。だ、大輝』


 俺への呼び方がそれまでのように「ダイちゃん」というニックネームではなく、下の名前に変わっていた。だから、


『おはよう。……文香』


 俺は文香を「サクラ」とは呼ばず「文香」と呼ぶようにした。

 高校生になってからは、挨拶をするのはもちろんのこと、登校中やバイト帰りに文香と会えば一緒に歩くこともある。誕生日にはプレゼント、バレンタインデーとホワイトデーには義理チョコとそのお返しを贈り合うなど、3年前のあの日の直後に比べればマシな関係になっている。それでも、仲が良かった時期に比べると、文香との距離はまだまだある。


「文香と一緒に暮らしていけるかな……」


 例の一件があるまでは、お互いの家でよく遊んで、特に小学生の間は週末や正月、夏休みなどに寝泊まりしていた。ただ、この3年間は関わりが希薄だったからか、緊張感が強い。


「顔でも洗うか」


 ベッドから出ると少し寒さを感じた。3月も下旬になったけど、まだ朝は冷えるな。

 2階のお手洗いで用を足し、隣にある洗面所で顔を洗い始める。


「……そうだ。文香が家に来たら、お手洗いと洗面所のことについて話し合わないと」


 去年の春に和奏姉さんが一人暮らしを始めてから、2階のお手洗いと洗面所は基本的に俺専用だった。だから、掃除も自分でやっている。

 洗面所はともかく、お手洗いは文香専用にしないといけないな。以前は文香が家に遊びに来たときも、普通に彼女が使った直後に俺も使っていたけど。さすがに高校生になった今、それをしてはまずいだろう。


「こんなことを考えるなんて。本当に文香がここに住むんだな」


 3年前のあの日にタイムスリップして、当時の自分にこのことを伝えても……信じてもらえないだろうな、きっと。慰めなくていいとか言われそう。

 顔を洗い終わったので、その流れで歯を磨くことに。ただ、文香のことを考えてしまったからか、歯ブラシに歯磨き粉を大量に付けてしまっていた。それに気付いたのは歯ブラシを口の中に入れたとき。それもあってか、眠気が吹っ飛んだのであった。



 午前9時過ぎ。

 文香が1人で家にやってきた。引っ越し作業をするからか、デニムパンツに黒い長袖のVネックシャツというラフで動きやすそうな格好だ。そんな彼女は茶色いトートバッグを左肩に掛けている。

 家具が運ばれてくるのは10時半頃の予定。ただ、その前に、これから住む和奏姉さんの部屋を掃除したいのだという。


「掃除をしに来たのに……その茶色いバッグを持ってきたんだな。掃除用具でも入っているのか?」

「ううん、違うよ。財布とかスマホとか貴重品を持ってきたの。引っ越し作業があるし、先に持って行こうと思って」

「そうなのか。文香さえ良ければ、俺の部屋に置いていいぞ」

「ありがとう。じゃあ、ご厚意に甘えさせてもらうね」

「ああ。……それにしても、そのバッグを使ってくれているんだな。休日に見かけたとき、そのバッグを持っていることが多い気がする」


 文香が肩に掛けている明るい茶色のバッグは、中学1年生の彼女の誕生日に俺がプレゼントしたものだ。2月3日なので、小遣いだけじゃなくてお年玉も使って買ったのだ。中学生になったから、オシャレなバッグもいいかなと思って。


「……ちょ、ちょうどいい大きさだし、デザインや色もお気に入りだから。今も休日に出かけるときとかには使わせてもらってる。……ありがとう」


 ほんのりと頬を赤くしてお礼を言う文香。それがとても可愛らしい。

 休日のバイトから帰ってくるとき、たまに友人と楽しげに歩いている文香を見たことがある。そのときは大抵、このバッグを持っていて。それが嬉しかった。自然とお礼を言えるいい機会だ。


「……こちらこそ、ありがとう」


 俺の勉強机にバッグを置かせた後、姉さんの部屋に文香を通した。俺は1階にある掃除機を持ってくる。


「文香、掃除機を持ってきたよ」

「ありがとう、大輝」


 俺が掃除機を渡すと、文香は俺に微笑みかけてくれる。高校生になってからは、お礼を言うときに大抵は微笑んでくれるようになった。

 引越しのときに家具をほとんど持っていってしまったので、今、和奏姉さんの部屋の中にあるのは、部屋全体に敷かれている桃色の絨毯に、テーブル、そして赤いクッション。あとは、クローゼットの中に漫画や思い出の品が入ったダンボール、帰省したときに使うふとん、着替えや寝間着が入っている収納ボックスがあるくらい。

 部屋の雰囲気はガラッと変わってしまったけど、ここに文香と一緒にいると懐かしさを感じられる。そして、今日からはここが文香の部屋になるという実感がようやく湧いてきた。

 それにしても、こうして文香を見てみると……パンツルックの服装だからか、スラッとしているな。胸も……母親の美紀さんほどではないけど、それなりにあるし。子供っぽさはなく、むしろ艶やかさを感じられるほどだ。


「物も全然ないし、この掃除機で床の掃除をすれば大丈夫だと思う」

「そうか。ところで、ベッドとかタンスとか、本棚などの置く位置は決めてあるのか?」

「うん、決めてある。スマホにある写真を見たり、引っ越すことを決めてから一度、ここにお邪魔したりしたから」

「そうなのか」


 文香が最近家に来たのは知らないから……おそらく、俺がバイトをしているときに来たのだろう。


「じゃあ、家具を置く場所については大丈夫だな。あとは、今もこの部屋にあるものについてはどうする?」

「絨毯はこのまま使うよ。桃色で可愛いから。クッションもここに置いておく。ただ、テーブルは私の部屋にあるものをここでも使う予定。和奏ちゃんに相談したら、テーブルは納戸に置いてくれればいいって」

「そうなのか。あと、ちゃんと姉さんと話をしてあるんだな」

「元々は和奏ちゃんの部屋だからね。それで、クローゼットの中にあるものはとりあえずそのまま。この部屋のクローゼット、結構広いから」

「分かった。じゃあ、掃除する前にテーブルを納戸に運ぶか」

「そうだね。一緒に運ぼう」


 一緒に、という部分にドキッとする。この部屋にあるテーブルはそこまで大きくなく、文香でも1人で運べそうな重さだ。でも、


「一緒に運ぶか」

「うん」


 小さく頷く文香が可愛らしい。

 それから、俺は文香と一緒に部屋にあるテーブルを納戸へと運んでいく。2人で運ぶから、テーブルは全然重くないし、納戸も2階にあるので1分もかからずに終わった。


「よし、これでいいか。納戸はまだ余裕があるから、何か置きたいものがあったら遠慮なく言ってくれ」

「分かった。一緒に家具を運んで、こういう話をすると……これから大輝と一緒に住むんだって実感する」

「俺も同じことを思った」

「……そっか」


 文香は「ふふっ」と上品に笑う。そんな文香の笑顔にキュンとくる。高校で友達と話しているときに、今のような笑顔を見かけることはあったけど、俺に向けてくれるのはあの一件以来では初めてな気がする。


「今日からよろしくお願いします、大輝」

「こちらこそよろしくお願いします」


 小学生の頃からずっと、文香のことが好きだ。3年前の一件があっても、その想いが消えることはなかった。いつか恋人として付き合いたい。その先の未来を思い描くこともあって。

 文香がここに引っ越してきて、一緒に生活していく中で、まずはかつてのように幼馴染として仲良くなれるように頑張ろう。そう決意して、これから文香が住む部屋へ一緒に戻るのであった。

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