第3話 愛とか恋とか趣味とか応援とか

「まさかお前もアイドルファンやったなんてな、ま、飲め飲め。ここは俺がおごるわ!」

 二十分後、ぼくは大倉さんとともにファミレスにいました。お前も、という言葉に少し気がゆるみます。先輩もアイドルファンということで正解なのでしょう。

 ドリンクバーでコーラを注いだ後、ぼくは先輩に念をおします。

「今日のことは絶対、職場の人たちには言わないでくださいね!」

「お前、そんなこと気にしてんのか? 話のきっかけにしたらええやん。ただでさえキャラ薄いんやしさぁ」

 ソファにどっかと身を沈め、大倉さんが面倒くさそうにいいます。

 派遣会社でよこされた清掃工場の職場では、大倉さんがもっとも話しやすい人でした。五十代、六十代が大多数を占める同僚の中で、四十代の大倉さんは一番年の近い人です。

 とはいえ二十一才のぼくとは親子ほどにも離れています。にもかかわらず話がしやすいのはオタク文化が接着剤となっているのです。

 二人きりで仕事をしているとき、なんの脈絡もなくいきなり「三国志で好きな武将は?」「ジョジョで一番好きなスタンドは?」と、それらの作品を知っていることを前提に聞いてきたときは少しビックリしましたが、ぼくとしてもついていける話題だったので、それをきっかけに漫画やアニメの話をいろいろと交わしました。

 それにしても、ある程度はオタクな人だと思っていましたが、大倉さんは渋い感じの見た目です。まさかアイドルのイベントで、それも地下アイドルのイベントで会うとは思いませんでした。

「大倉さんだってわかっているのでしょ? うちの職場の人たちは理解してくれないことくらい」

「そりゃ……まぁな」

「それにしても、大倉さんがズーシスターズのファンだったなんて知らなかった。先月の渋谷オンエアは行きました? お台場のミニライブは?」

「俺は別にファンってわけやないよ。岩角の無料イベントにときどき寄るのだよ。で、たまたまお前を見かけて、ビックリしたわけやわ」

 京都出身の大倉さんは、上京してから十年以上経つのに関西弁で話します。

「それより、あれや。俺の話より加瀬くんのことだ。ズーシスターズではウサギの耳をつけた、白色担当の、くるみちゃんのことを気に入っているんだよな?」

「えぇ……まぁ」

 人から改めて確認されるとなんだか照れくさいです。別に悪いことをしていないのに、ほんのりと罪悪感のようなものが沸き上がってきます。

「加瀬くんは、くるみちゃんのことを本気で愛しているのか?」

 ぼくはコーラを吹き出しかけました。急に真剣な口調でそんなことを聞かれるなんて思ってもいなかった。娘を案じる父親のような、低くて重々しい口調だったのです。

「や、まぁ、そりゃ、好きですけど。愛だなんて! おおげさな!」

 ファン同士ではそんな質問を投げかける人など誰もいません。

 大倉さんはフォークでチョリソーを口に運びながら、ぼくの眼をじっと見ます。石になってしまいそうなので、ぼくは眼をそらしました。

「愛というのは大袈裟やったかな。じゃあ言い方を変えよう。加瀬はくるみちゃんに恋をしているんやな?」

「恋? ええ! 恋をしていますとも!」

 大倉さんのしつこい尋問に、ぼくはひらきなおることにしました。

「でも、恋だけじゃないですよ。趣味ですよ、これは。顔見知りの仲間に遭遇しますし、お祭りみたいで楽しいじゃないですか。恋愛とか崇拝とか大袈裟なものじゃなく、カジュアルな感じで応援しているんです」

「えー、そんな軽いノリなのかー」

 大倉さんがあきれたような声を出します。仲間内で話さないようなことを、大倉さんはずけずけと聞いてきます。この世代の人間の特徴なのでしょうか? いいや、ファンの仲間で三十代、四十代の人もいます。すると関西人の特徴なのでしょうか?

「じゃーさ、こうゆうのはどう? いずれ、くるみちゃんがブレイクをする。映画やCMにひっぱりだこで加瀬の手の届かないところにいく。そしてスポーツ選手と結婚をしたらどうする?」

「え、まさか! いま、どれだけのアイドルがいると思ってるんですか! それもグループばっかりだし! 売れるわけ……」

 売れるわけがない……そう言おうとしたのをギリギリで押しとどめました。

「心構えは大事だぜ。ときおり、起こらないと思っていたことが起きる。ロシアに隕石だって落ちただろ? さぁ、彼女が手の届かない存在になってしまったら?」

 大倉さんはすごい眼力でにらんでいます。いったいどんな答えを期待しているのでしょう。まるで閻魔大王や冥王ハーデスと相対しているようなプレッシャーがあります。うっかり答えを誤ったら地獄送りにされてしまいそうです。

 ゆっくりと息を吸い、ぼくはありのままの気持ちを伝えます。

「そりゃ、淋しいけど、応援した甲斐があったんじゃないですか。たとえスポーツ選手と結婚するとしても、五年後や十年後のことでしょう。そのときのぼくは……別のアイドルを好きになっているか、普通に恋人ができてアイドルのことなんて卒業しているかもしれません。今が楽しければ……それでいいんですよ。もっとも合コンしているところを週刊誌にすっぱ抜かれたり、ブログやツイッターで彼氏がいることが発覚したりすれば、かなりヘコむでしょうけどね」

 そうです。今が楽しければたぶん、売れようが売れまいが、成功しようが解散しようがどうでもいいのです。

「お前、すげえなぁ……最後に一つだけ聞かせてくれ。お前は、くるみちゃんが……いま現在、処女じゃなかったらどうする?」

 処女じゃなかったらどうする? まさか四十を越えている人にそんなことを聞かれるだなんて思いませんでした。

 処女の二文字がコンピューターウィルスのように、ぼくのハードディスクを蝕んでいきます。

「十六才ですよ! まだ処女に決まってますよ!」

 思わず声を荒げてしまいました。隣の女子大生らしき二人組がぎょっとしています。

「なんで言いきれるんや? 根拠を言うてみろや」

「彼女は二年前の十四才だったときから芸能活動をしてたんですよ。恋愛なんてしているヒマないですよ」

「たとえ恋愛感情はなくても、性欲はあると思うぜ」

 頬杖をついた大倉さんは目の外側をつり上げ、歯茎を見せ、下卑た表情を浮かべています。

 某大人数アイドルグループのスキャンダルの数々が頭をよぎります。朝まで合コン。彼氏とプリクラ、業界関係者とのお泊まり……。

 かつてのアイドルはウンコをしないと思われるほどに神格化されていたらしいですが、今はどうでしょう? みずからブログを綴ることでアイドルたちの私生活は筒抜けですし、彼女たちが住む芸能界が汚い世界だということはネットのニュースが教えてくれます。

 だが、しかあし!

「たとえ処女じゃなかったとしても、ラブホ写真が流出したとしても、それはプライベートのくるみちゃんがやったこと! ステージ上で彼女が演じるアイドルのくるみちゃんとは関係のないことなんです。そうやって、ぼくは自分自身をごまかして上手く折り合いをつけますよ、ええ!」

 スキャンダルが出たらファンを続ける自信なんてとてもありません。ぼくはガラスのハートです。でもそれを正直に伝えるのは大倉さんに屈した気がするのです。

「すげえなぁ。お前、達観しているなぁ」

 大倉さんは呆気にとられています。ぼくの勝ちです。

「俺やったら、ラブホ写真が流出したらコンクリートの壁に頭ぶちつけるやろな。あのときの俺たちにはそんな割り切った考えはできなかったな……」

 なぜでしょう。褒められているというのに、自分が淋しい人間に思えてきます。

 ん? あのときの?

「大倉さんも、熱をあげていたアイドルがいたんですか?」

「おぉ、二十年以上も前の話やけど……聞く? 聞きたい? 俺にもいろいろあったんやけど、聞きたい? 興味ある?」

 ちょっと質問しただけなのに、大倉さんは露骨に嬉しそうな顔をしています。この人、自分のことをどれだけ好きなんだよ。

「そっかぁ、しかたないな。かいつまんで話す? それともじっくり?」

 ぼくは腕時計を見ました。まだ夜の八時半です。店の混雑はピークを過ぎ、客はじょじょに減っています。

「時間もあるので、じっくりモードで」

「他人に話すのは、ひさしぶりだな……あ、言っとくけどこれ、俺の話じゃなくて友達の話やからな。俺はそこまで夢中になってへんからな」

 自分ではなく他人の物語にすることで恥ずかしさを薄めようとしているのでしょうか?

「むかしむかし、あるところにBという少年がいてやね……」

 こうして大倉さんの長い話が始まりました。


     

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