第20話① 親友として


 和弥に慰めてもらったとはいえ、教室へ向かう足取りはいつもより重かった。まるで何かに引っ張られているみたいに体が言うことを聞いてくれない。


「すぅー……はぁー……」


 少しでも緊張を落ち着けるため、とりあえず深呼吸をしてみた。少しだけ、視界が鮮明になっていく。


 私は、美紅がいる教室の扉の取っ手を強く握りしめた。


 これから、美紅に謝るんだ。友達、いや、親友として。私のせいで、彼女に余計な気を遣わせてしまった。『私じゃ頼りにならないのかな』と不安な気持ちにさせてしまった。


 ……ちゃんと頼ってよかったんだ。


 もう一度、取っ手を握っている手に力を込めた。


 すると、私が開けようとする前に扉が勢いよく開いた。私は思わず取っ手から手を離そうとしたが間に合わず、壁と扉の間に指が挟まってしまった。痺れるような鋭い痛みが痛みが走った。


「痛っ!」

「えっ!? あ……ご、ごめん! これ使って!」

「……あ、ありがと」


 ヒリヒリと痛む指を押さえていると、美紅がハンカチを差し出してきた。別に血が出ているわけではなかったのだが、無意識に受け取っていた。


 しばらく経ってから、改めてお互いに目が合った。お互いに苦笑しながら、ぎこちない沈黙が続いた。


「えっと……ハンカチ返すね。ありがと」

「あ、うん。どういたしまして」

「……」

「……」


 しかし、このまま黙っておくわけにもいかなかった。私は意を決して全身に力を込めた。


「あ、あのね美紅」

「……こ、こころん」

「「ごめんなさい!」」


 ゴツン。


 謝る際に、私が勢いよく下げた頭が何か硬いものに当たった。鈍い痛みが走る。「うきゃ」といった可愛らしい悲鳴が傍らで聞こえた。


 私が頭をあげると、そこには頭にお星さまを浮かべながら大の字に転倒していた美紅の姿があった。


 そうか。どうやら、私が謝ろうとしたときに、その勢いのあまり美紅に激突してしまったらしい。


「痛たたた……」

「あ、ご、ごめん!」

「……ふふっ」

「……え?」


 倒れていた美紅に手を差し伸べようとすると、何かをこらえるようにクスクスと笑い始めた。


「ど、どうしたの美紅」

「……なんか、難しく考えてても仕方ないなって思って」


 美紅はそう呟くと、頭を擦りながら起き上がった。


「えっと……なんだろ。ひとまず謝らせて」

「う、うん」


 美紅はそう言うと、急に真剣な表情になった。思わず全身が強ばってしまった。


「この前はさ、その、私が勘違いして、言いたいこと好き勝手に言っちゃってごめん」


 美紅は俯きながら、目をつぶっていた。これは、昔からの彼女の癖だ。


 親や先生に怒られているときや授業中の発表の際などに、彼女はよく、目を閉じる。本人曰く、涙を堪えているらしい。


 だからいつも、彼女は緊張したときに目を閉じる癖がある。そして今も、目を閉じていた。


「こころんとはずっと一緒にいたからさ、お互いに隠し事なんて、しないと思ってた」


 その言葉は、私の心に、強くのしかかってきた。思い出したくもない、親の顔が脳裏を過ぎる。


 ───


「あなたは、完璧じゃないといけないの」

「……」

「そして、私をもっと高みへ導くのよ」

「……はい。お母様」


 ───



「学校の噂で、和弥と同居してるって聞いたとき、結構ショックだった」

「……」


 私の親は、裏社会の中である程度の権力を握っている。個人の名前さえ分かれば、一家ごと滅ぼすことなど容易いことだろう。


 もちろん美紅にも頼りたかった。でも、それだと迷惑がかかってしまう恐れがあった。だから、私は家出や和弥との同居のことを、美紅に伝えていなかった。


 和弥の家にも、元々長居する予定はなかった。私の親は私の友好関係をある程度把握しているので、コンビニバイトの初日のほぼ接点のない状況なら、しばらくやり過ごせるかもしれないと思ったのがきっかけだ。


 今となっては、かけがえのないものになっているけれど。


「でも、それって傲慢だなって思ったの」

「……違う」

「え?」

「私もごめん、今まで黙ってて」

「……別にこころんは悪くない」

「いや、私の方こそ傲慢だよ。隠して、嘘で塗り固めて。……そんなの友達じゃないね」


 私は美紅に、今までの経緯と、私と親との関係を包み隠さずに伝えた。


 美紅は終始辛そうな表情をしていた。何かに耐えようしているかように全身に力が入っている。でも、目は開いたままだった。私の目から、一瞬たりとも顔を背けようとしなかった。


 ───


「ごめん。話しづらかったよね」

「別に。あんな親、私は大嫌いだし。……誕生日なんて、一度も祝ってもらったことすらないもん」

「……そ、そっか」


 私がそういうと、美紅はどことなく嬉しそうな表情になった気がした。


 そう思ったつかの間、彼女は自分のスクールバッグから黄色の包装を取り出した。私の握りこぶし程の小さい袋が1つと、それの5倍はあるそこそこ大きな袋が1つ。


 ま、まさか……


「ここで渡すのもなんだけどさ」

「え……嘘」


 美紅は両手に2つの袋を抱え、私にそれを差し出し、呟くようにこう言った。



「こころん、誕生日おめでとう」



 生まれて初めて言われたその言葉は、私の胸をゆっくりと包み込んでいった。


 私はこの後、子供のように泣きじゃくったのを覚えている。

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