第16話 嘘偽りない君だから
「和弥遅いなぁ……」
心愛は夕食の支度を終え、リビングで翌日の授業に備えて予習をしていた。
和弥からは一応帰りが遅くなると予め連絡をもらっていたが、いつも夕食を食べる8時前には帰ってくるだろうと思っていたのだが、一向に帰ってくる気配はなかった。
心愛は部活には所属していないため、放課後は時間にある程度余裕がある。
今日はその時間を使ってコンビニに寄り、店長にシフトの確認を済ませた後、雑誌コーナーに置いてあった料理本を興味本位で買った。
最近和弥に手料理を振る舞う機会が増えたので、少しでもバリエーションを豊富にしておきたかったからだ。
「少し……作りすぎちゃったけど」
昔からの悪い癖で何かをやり込もうとすると、自分が納得するまで止まらなくなってしまう。
冷蔵庫は今開けるとタッパーがこれでもか敷き詰められている状態だ。
……し、しばらく弁当に困らないから大丈夫。
ふとリビングの壁掛け時計を見た。
そろそろ8時半になる頃。
いつもなら和弥と何気ない話題で盛り上がっている時間だ。
時間が経つにつれ胸に小さな穴が開いていくような気分になった。
いつもあるはずのものがなくなってしまったときに感じるぽっかりとした穴。
今更かもしれないが、和弥と居られることが当たり前になっていることに気づいた。
まだ出会って1ヶ月ほどだけど、心愛にとって和弥がいない生活をもう想像できない。
毎日のように“女神様”としての葉賀心愛を求められ、それに応えるために努力をした。
必要とされたくて手に入れた地位や現状によって、自分で自分の首を絞めていた。
……思い返す度に心が痛かった。
『自分は結局何になりたいんだろう』と常に心の中で自問自答を繰り返す日々に、嫌気が差していた。
やっと手に入れた日常が、いつしか自分を苦しめる枷になってしまっていた。
そんな日々が和弥と出会ってから変わった。
家に帰れば和弥がいる。
“女神様”として偽らなくても、偽りのない自分を好きだと言ってくれる。
本当の、ありのままの自分を受け入れてくれる。
たまにボロを出しても、笑って許して、励ましてくれる。
ほんの数ヶ月前までは、心のどこかに親に対する怒りや焦燥、憎しみのような感情が常に存在していて、それが心愛を苦しめていた。
親子で手を繋いでいるのを見かけると、やるせない気持ちが湧いてくることなんて日常茶飯事だった。
でも、今はそんな感情はすっかりどこかに消えてしまった。
それよりも、和弥と一緒に居られる時間が……もどかしくて、愛おしい。
……ずっと一緒にいられたらいいのに。
そんなことを考えていると、無意識にテーブルに上半身を寄りかけ、袖を強く握っていた。
「なんか眠くなってきちゃった……」
眠気に抗う体力もなく、瞼は時間と共にゆっくりと閉じていった。
─────
「……ただいま」
……さすがに遅くなりすぎてしまった。
時刻はもう9時を過ぎようとしている。
「すいません……ちょっと寄り道しちゃって……」
反応はなかった。
もしかして怒ってるのだろうか。
リビングに恐る恐る入ると、ぬいぐるみを抱きながらテーブルに寄りかかって心地よさそうに眠っていた心愛さんの姿があった。
「さすがに起こすのは気の毒だな」
心愛のことだから夕飯は作ってそのままタッパーにでもまとめてくれているはずだ。
……最近任せっぱなしだな。
明日からはもう少し早く帰ろう。
そう思いながら冷蔵庫を開けると、そこには隅から隅までぎっしりとタッパーが詰まっている一種の宗教なのでは何かと思うほどだ。
キッチンには「旦那の胃袋を掴む料理100選!」と太文字で大きく主張されていた雑誌が置いてあった。
……これたしかこの前店長が仕入れたって言ってたやつだ。
さすがに疲れているのではないかと思い1度深呼吸してもう一度冷蔵庫の扉を開けた。
しかし冷蔵庫の中のタッパーの量は変わらなかった。
まぁ明日から弁当のバリエーションが……誰がこんな食うねん。
……まさか100選全部作ったのか。
いや別にそこまでしなくてもとは思ったが、これも雑誌の内容的に和弥を喜ばせようとしてくれていたのだろう。
……さすがに張り切り過ぎだとは思うが。
和弥は何も見なかったかのようにサッと冷蔵庫を閉めた。
心愛は小麦色の髪がふわふわと揺らしながら相変わらず心地よさそうに寝ていた。おそらくちょっとぐらい揺すっても起きないだろう。
「……よいしょっと」
できるだけ起こさないように、そっと力を込めた。
そのままリビングの端の方に敷いてある心愛さんのベッドへと移動し、ゆっくりと下ろした。
「うっ……ううん」
「……起こしちゃいました?」
「か、かずやぁ……わたしね、がんばったんだよぉ」
心愛は目は閉じたまま寝ぼけた猫なで声で話しかけてきた。
……寝言かもしれないけど。
心愛が時折見せてくれる“女神様”の内面。
最初はクールで生真面目な人なんだなと思っていたその性格は周りからの期待と親への対抗心によって形成された、偽りのものだった。
本当は少し力を込めれば崩れ落ちてしまいそうなほど弱々しい内面を隠すためのフィルターのようなもの、それが“女神様”の所以。
一緒に暮らすことになって、色んな葛藤があったけど、それでも守ってあげたくなった。
「もう大丈夫ですよ」と一声かけてあげたかった。
そしていつの間にかその気持ちがいつしか「好意」に変わって、ずっと一緒にいたいと思うようになった。
そんなことを考えながらそっと心愛さんの頬を撫でた。
別に変な気を起こした訳では無い。
ただ、なんとなくだ。
「……おやすみなさい、心愛さん」
心愛の肩に毛布をそっとかけ、できるだけ音を立てないようにリビングを後にした。
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